幻想の水葬

竜胆 秋紫

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始まりの泉

泉の魔女

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心地の良い気だるさを感じて、薄らと意識を取り戻す。徐々に意識が覚醒すると柔らかい何かの上に仰向けに寝ているらしいということが分かった。

胸から下には薄い肌触りの良いさらさらとした布のようなものが掛かっている。

空間は暖かく、嗅いだことの無いような良い匂いが漂っていた。

「起きたかい、少年」

薄く目を開け、視線だけ動かそうとすると女性の声が聞こえてきた。

「ああ、無理に起き上がらない方が良い。
 大分疲弊しているようだからね」

首を傾けて、声の主を見る。青みがかった長い白髪を顔に掛かるのも厭わず無造作に垂らし、肩から膝下までを覆う柔らかな黒い布のローブを着込んでいた。

顔は整っており、見た目は二十代程の美しい女性だ。瞳は星空を映したような濃紺に小さな光を反射して煌めいている。

女性はこちらを向いて微笑みながら、台所らしき机で鍋をかき混ぜていた。

「薬草鍋を拵えておいたよ。
 これを食べれば体力も少しは戻るだろうさ」

机の横にある自分の背よりも高い棚から木で出来た器を取り出し、鍋の中身を装う。木のお盆に薬草鍋という料理が入った器と、薄緑色の液体が入った小さな瓶を乗せてこちらへ向かって来た。

「魔導体物質の動かし方は分かるかい?
 ベッドの上半身部分を起こしてくれ」

女性が首を傾けて尋ねる。しかし、魔導体物質という言葉も聞いたことがない少年は不思議そうな顔をするだけだった。

「……ん、魔力の使い方を知らないのかな?
 ふむ、もしかして君は……いや……」

女性はお盆を片手で支えると、空いた方の手を少年が寝ているベッドにかざす。フォン、と小さな音がして手が淡い青色に輝くと背中が押されて上半身が起き上がった。

「魔…法…?」

少年が驚きで声を漏らすと、女性が満足そうに頷く。ベッドテーブルを少年の前に持って来るとそこにお盆を置き、にこりと微笑んだ。

「私は泉の魔女フォンス。フォンスで良い。
 “この世界”には魔法が存在するんだよ」

女性…フォンスが含みのある言い方で少年の問いに答える。まるで少年が別の世界から来たことを知っているようだ。

「あ、俺は…杏 水蓮です。
 ここは異世界…なんですか?」

スイレンが尋ねると、フォンスは口元に手を当てて考える素振りを見せた。数瞬目を瞑って考えると、目を開けて頷く。

「スイレン…か。スイと呼ばせて貰おう。
 君から見れば異世界とも言えるだろうな」

話しながら、フォンスはスイレンの身体に両手をかざした。先程ベッドを動かした時のように手が淡い青色に輝くと、瞬く間に顔色が良くなり、目に見えて体力が回復する。

「こちらへおいで。見せてあげよう」

フォンスがスイレンの手を取り、ベッドから降ろす。ふと自分の体を確認すると、白い布で出来た簡素な半袖のシャツに同じく簡素なズボンという服装をしていた。

「ああ、それかい?
 君の服が濡れていたから着替えさせたんだ」

スイレンの様子に気付いたのか、フォンスが屈託の無い笑みで言う。薬草鍋や着替えなど、善意が感じられる行動にフォンスの人格が見えた。

「——こっちだ、私はこの泉を守っている。
 異世界間を繋ぐ水鏡の泉だよ」

家の外に出ると、すぐ目の前に大きな泉が現れた。スイレンが落ちたパワースポットの泉によく似ている。

しかし清く澄んで泉の底の岩肌が見えていた向こうとは違い、こちらの泉は綺麗な青緑色に淡く輝いていた。

「普段は仮の依り代と魂だけがやって来る。
 君のように肉体ごと来るのは初めてだよ」

異世界から人が来る時は泉を通って“転生”という形でやって来るらしい。

泉の魔女の役目は、依り代から魂を丁寧に取り出し新しい命としてこちらの世界の母胎に宿すことだと言う。

逆にこちらの世界の魂を依り代に宿し、向こうの世界に送る役目も兼ねている。

命を扱う仕事として泉の魔女は人々に敬われているがそれ故に孤独で、言葉を発さない魂とばかり向き合っている為か客人であるスイレンは非常に稀な存在なのだろう。

「転生ではなく転移の形を取ったとは……
 猶予もない程の危機が迫っているのか…?」

転生者がやって来る時は、この世界に危機が迫っている時が多い。神が強大な災害などを事前に察知し、転生者がその時までに充分この世界に慣れるよう一から育てるのだ。

その役目の為、向こうの世界から送られてくる人々は、転生時に何か特別な力を授かるという。その多くは世界の危機に対応出来るものらしい。

だからこそ、向こうの世界で育ちこちらの世界に慣れなど全く無いような転移者を送るとは、神すらも事前に察知出来なかった危機が迫っているとしか思えないとフォンスは語る。

「——よし、取り敢えず君の能力を見よう」

フォンスが不意に思い付いたようにスイレンの手を取って連れて行く。

家の中に戻るのかと思えば家の裏に行き、家とは違う小さな小屋の中に入った。

中は薄暗く、奥には祭壇のようなものがある。その簡素な祭壇には大きな水晶が置かれていた。

「これに両手をかざしてご覧。
 君の能力と、これから起こる危機が分かる」

フォンスの言う通りに両手をかざすと、水晶の中心からぼぅっと淡い青色に光る。

水晶に光が満たされると少し光が弱まり、燃え盛る待ちと逃げ惑う人々、そしてこの世のものとは思えないほど巨大な漆黒の影が揺らめいている情景が見えた。

「これは……業火の魔王が目覚めるのか…?
 つまり君の能力は水。私と同じだよ」

業火の魔王、という言葉を聞いて理由の分からない悪寒に襲われる。しかし、その存在が世界を脅かす悪だということは察した。

「転移の件もあるし、時間が無い。
 すぐにでも稽古を付けよう」

フォンスがスイレンの目を見つめ、真剣な目で提案する。スイレンも不安そうな顔をしながらも、首を縦に振った。
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