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第四章 幼な妻との離婚危機
09
しおりを挟む王都フレアの城郭の外に、遠距離馬車の停車場がある。貴族や豪商は専用の馬車で移動するが、庶民は街同士を繋ぐ乗り合い馬車を乗り継いで移動するのが一般的である。
荷物を下ろす人々を見回していると、遠くから体格の良いダークブラウンの髪の青年がマティアスを呼んだ。
「殿下!」
手を振りながら駆け寄ってくる青年に歩み寄る。
「アレクシス、無事に着いて良かった。
アルムベルクの人たちは変わりないか」
「おう、そっちはどうだ? リリアは?」
当然聞かれると予想していた質問に、マティアスは申し訳なさそうに答える。
「すまない、何か、俺の母と忙しそうにしていて、今日は来れない」
「えー、マジか」
「俺も驚いた。久しぶりなのに、すまない」
「殿下に話してないのか?」
「いつの間にか母が連れて行ってしまって」
「そうか。しゃあねぇな。
まあ、仕事が決まれば当面住むんだし、直ぐ会えるだろ。
…………会って、いいんだよな?」
「予め言っておいてくれれば、通すように門番に言っておく」
「もんばん……」
アレクシスが呆れた顔をする。
「家に、門番がいるのか……公爵邸にはそんなのいなかった」
「いる。俺はそこそこ自衛できるから一人だが、リリアは王都では一人で外出はしない。すまないが水入らずで会わせることはできない」
「ふぇー……俺と一緒でも護衛が要る?」
「貴方が強くてもだめだ。そうだな、要人警護の仕事に就くなら、一年くらい訓練してからなら」
「………いや、いい。別に聞かれて困る話しねぇし。
もう、殿下の門番として雇ってくれよ……」
「リリアに貴方を使用人扱いさせたくないからだめだ」
「まじめ………」
アレクシスは目をしょぼくれさせる。
「最悪、決まらなかったらルチアのとこに転がり込むかなぁ」
「王都に知り合いがいるのか?」
「薬師のルチアだよ。何年か学園にいたんだ。リリアに呼ばれて王都に来てるって聞いてるぞ」
「………もしかして、赤毛がくるくるしてるリールリロアの女性か?」
一昨日の会議で、王都のカダール風邪の流行は落ち着かないものの、軽症者が多く混乱には至っていないという報告があった。それに貢献したとしてリリアの診療所は高く評価を受け、マティアスの屋敷にも薬を望む貴族たちからの問合せが増えてきた。
共同事業者としてイリッカは、薬は治験中で貴族に渡す完成度ではないと出し渋り、治験の費用を寄付させている。
今回の混乱を抑えた立役者は明らかにあの女性薬師だ。―――薬代を下げて多くに行き渡らせるようにしただけではなく、薬師を招聘したのもリリアだったということか。
「そういうので色々忙しいんだと思ってたんだが、
………まぁいいや。リリアがいないのに殿下が来てくれたの、ありがたいよ」
「約束だったからな。
大学とか公共事業部とか紹介先を考えていたんだが、貴方は書類仕事が全くできないから無理だとリリアに言われた。
大学は、研究さえできればそんなに書類は厳しくないはずなんだが」
「俺、ヴィリテ語、簡単な手紙くらいしか書けねえからな」
予想外の言葉にマティアスは目を瞬く。
「………そうなのか? 流暢に喋るから、貴方はヴィリテ人だと思っていた」
「生まれも育ちもアルムベルクだ。
殿下、田舎の娼館育ちの孤児に何を期待してるんだ」
「…………えっ? だが、リリアが貴方は天才だと」
「数学しかできねぇって言っただろ」
数学しか、の程度の認識が違い過ぎる。
「…………数学は、文字は………いや、沢山書くものもあった筈だ」
「数字と記号以外が出てくるのは、あんまりやらねぇな」
「……………そうか」
「もしかして仕事ないか?」
「いや、用心棒系ならあるが、せっかく数学が出来るなら勿体無いし、その方が収入もいいと思って………」
マティアスはアレクシスをちらりと見て、遠慮がちに尋ねる。
「……雇用ではなく、住ませてもらって小遣いを貰う、というのは、抵抗あるか?」
「専属の男娼か? 別に抵抗ないけど、やる予定なかったから勉強してない。相手が男なら、掘られる方は無理」
「いや、男娼ではない。相性もあるから確約は出来ないが、知人の男爵夫婦が計算の得意な人を探していて」
「貴族に飼われるのは嫌だ」
あからさまに顔を顰めるアレクシスにマティアスは苦笑する。
「いい人だよ。一度会ってみてくれ。だめなら、勿論貴方にも断る権利がある。
せっかく突出した能力があるなら、活かせた方が良いだろう」
マティアスが紹介した男爵夫婦は、息子に領地の実権を譲り、引退して王都で趣味の天体観測に精を出して暮らしていた。
突然見知らぬ男を伴って訪れたマティアスに人の良い笑顔で対応し、美味しい紅茶を振る舞う。
夫妻は最近入手した新しい望遠鏡での観測結果を検算できる者がおらず萎れていた。アレクシスが観測結果の紙束をあっさり片づけたばかりか、観測中の彗星の軌道計算をしてみせた上に、観測誤りとして廃棄しようとしていた別の星のデータから連星である可能性を指摘したのを見て、大喜びで食客の話を聞いてくれた。
マティアスはアレクシスの身上について最低限の説明をし、何かあれば対応すると請け負った。
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