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第五章 幼な妻の誕生日
09
しおりを挟むヴィリテ王国では都市の治安は軍の国警が担う。国警の警備兵は他の軍人と比べて裁量も権限も大きく、王都の警備兵は特に優秀な者が多い。
武芸大会の二日後、雨上がりの午後の空の下、マティアスは国警の留置所に出向いていた。
数枚の書類を確認して、末尾に署名する。
ペンを戻された警備兵が恐縮して頭を下げた。
「ご足労申し訳ありません、まさか、殿下ご自身がわざわざ………」
「近かったからな。こちらこそ手間を取らせてすまなかった」
午前中に広場の近くを巡回していた警備兵が、貴族に突然殴りかかった男を拘束してみれば、それはなんと王甥殿下の侍従であるビュッセル伯爵令息だった。警備兵一同は慌てふためいたものの身元引取人が来るまでは留置する規則だ。広場からほど近いマティアスの屋敷に連絡が入り、心配したマティアスが留置所に迎えに来ていた。
聴取が終わっていたアーネストは無事に解放され、あとは殴られたヘルマン子爵家とビュッセル伯爵家の示談となった。
「………何を、やってるんだ、お前は」
呆れるマティアスに、アーネストはぶすくれた顔で答えようとしない。
警備兵の聴取にもムカつくから殴ったの一点張りだったらしい。目撃者の証言から、殴られたヘルマン子爵令息が女性を騙して金を出させたと自慢気に話していた事が分かっており、アーネストの暴力はそれに憤っての行動と判断された。
「あの男のした事が余程許せなかったのか」
「………そうだよ」
「―――そうか。なら仕方がないな」
騙された女性というのが大切な人だったのだろうか。
アーネストはいつもマティアスには予想外の事を考えているが、人の道に反しないことは信じられる。大した事件でもなく、アーネストが喋りたくないなら無理に聴き出すようなことでもなかった。
広場から屋敷への通りを二人で歩く。二人とも官服を着ているため、周囲も王族と貴族が連れ立っているとは思いもしない。
黙々と歩いていたマティアスが、ふとアーネストに聞いた。
「アーネスト、女の子が怖い夢見たって言ってたら、お前ならどうする?」
「え? それは、ベッドで?」
「うん、まあ、ベッドだな」
「普通に抱くけど」
「……お前に聞いた俺が間違ってた」
「なんでだよ。もうそれ、抱いてって言われてるのと同じだろ」
「それこそなんでだ。絶対にそんな流れじゃなかった」
きょとんと束の間固まったアーネストが低い声で問い質す。
「実話か。お前、どこの女と浮気したんだ?
それともとうとうリリアちゃんを食べちゃった?」
「なんでそうなる」
「そんなシチュエーション、完全に事後だろ」
「違う。リリアが良く怖い夢を見るって言うから」
「お前に、相談してきたのか? リリアちゃんが?」
意外そうなアーネストの言葉にマティアスは状況を思い返す。
「いや、アレクシスがそう言ってて……リリアには俺から聞いた」
「なんだ。彼女が言ってきた訳じゃないんだな」
「何か関係あるのか」
「いや、それ、お前別に対応を求められてないだろ」
図星をついてくる侍従にマティアスは眉を顰める。
「……リリアは俺に甘えてはこないんだから、困ってると分かってるなら自主的に対応するしかないだろう」
「一緒に寝てあげろよ」
「流石にそれはしない」
「その程度の老婆心なら諦めろ。
実体の無いものへの恐怖心に対して、スキンシップ以外に出来ることなんて何があるんだよ」
マティアスは言葉に詰まる。
リリアは子どもだが、大人になりつつある女性だ。手を出すつもりもないのに同衾する気にはなれない。
あの夜に乱れた髪で速い息をしていたリリアを思い出す。一年以上、一人で頻繁にあんな状況になっていたのかと思うと胸が痛んだ。
「……求められてなくても、何かしてやりたい」
「お呼びでないよ」
「放っておけない」
「思春期の坊やかよ………」
アーネストがうんざりという顔で空を仰ぐ。
「………まだ夜は寒いから、いつもより部屋を暖めてあげるとか、寝る前にハーブティー飲ませるとか、ハーブの風呂に入れるとか、日中引きこもらせないとかだろ」
すらすらと出てくる言葉にマティアスは目を瞬く。
「詳しいな」
「全部気休めだ。
大事にされてる、って伝われば多少効果あるだろ」
「なるほど」
「参考になったかい、坊や」
頭をよしよしと撫でてくるアーネストに、マティアスは顰めっ面を作った。
「お前………それが身元引取人に対する被疑者の態度か」
「殺さなかっただけ偉かっただろ。警備兵に邪魔されてできなかっただけだけど。
お前の剣技があれば真っ二つにしてやったのに」
アーネストの危ない台詞にマティアスは驚く。アーネストが特定の女性にここまで思い入れていたことはなかったように思う。
「あのクソガキ、男に免疫がないマーリンを騙しやがって」
予想外の名前を聞いてマティアスはぽかんと口を開けた。
「……マーリン?」
「なんだよ」
「いや、マーリンの話だと思っていなくて……お前いつも、男に騙されてこいとか言ってるんじゃなかったのか」
先日社交場で会ったマーリンが、失礼な兄だとぷりぷり怒っていた。
「それはそれとして、騙した男は挽肉にして海に撒く」
幼少期からのマーリンの面影が蘇る。
ずっと男に興味がないと言っていたマーリンは、興味がないと言うよりは少し怖がっているように見えた。それを押して初めて交流した男が騙していたと言うのは、マティアスにとっても腹立たしい。
「―――そうか。今度俺も一発殴ろうかな」
「そうしろ」
「本気なら許したのか」
「本気なら良いよ。
でもそれはそれで一回は挽肉にする」
人を挽肉にすることに二回目があるのか。
マティアスが呆れていると、アーネストはつまらなそうにぼやく。
「最終的に余所の男のものになることくらい分かってる。
それでも腹が立つのなんか、当たり前だろ」
そう言えばアーネストは過去の恋人の身内に嫌がらせをされてもやり返さない。度が過ぎると警告はするが、通常なら些細なことにも人知れず三倍返しのアーネストにしては、身分に関わらず寛大な対応をしている。
「………妹って、そんなに可愛いものか」
「触ろうとする男なんか、とりあえず全部殴りたいのが普通だ」
「普通か」
思い出してみるとアレクシスも、リリアを連れて行く男はとりあえずムカつくと言っていた。
先日の社交場で馴れ馴れしくリリアの腰を抱いた青年。彼に対する苛立ちが何なのか分からず消化不良だった感情が、すとんと腹に落ちる。
挽肉にしてやりたい。
―――うん、確かに、そんな感じかもしれない。
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