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最終章
02
しおりを挟む「………いつまで怒ってんだよ」
「怒ってなどいない」
自室でいつもより言葉少なに書類を片付けるマティアスに、アーネストが探るような声をかける。
アーネストとリリアは翌日に山小屋で発見された。それから一週間が経ち、アーネストは漸く仕事に復帰した。
山小屋の二日間で重度の脱水を起こしていたかもしれず、リリアの処置は侍医に褒められていた。
侍医は、褒めていた。
だがマティアスはどうしても腹に落ちない。
「俺が内臓壊してれば良かったのか」
「そんなこと言ってない」
「羨ましけりゃ、キスしたいって言えばいいだろ、夫婦なんだから」
「羨ましくなんかないし、それはキスじゃない」
「分かってるなら怒るなよ」
「だから、怒ってなんかいない」
秘密にされるよりは良かったのかも知れないが、アーネストが悪びれもせず報告してきたことも気に食わなかった。
「……だいたい、キスしたいなんて言ったら、けろっと『どうぞ』って言うに決まってる……」
「なんだよ、嫌がってる相手にキスしたいのか? 上級者だな」
「お前はもう黙れ……」
マティアスは両手で顔を覆う。
自慢じゃないがアーネストに口喧嘩で勝ったことはない。
「……今日はもうあがる。
書類、片付けておいてくれ」
「どこ行くんだ」
「外を歩いて頭を冷やしてくる。
………お前が、元気になって、良かった。
リリアを守ってくれてありがとう」
言い忘れていた礼を言ってマティアスは屋敷を出た。
レンガ敷きの大通りをマティアスは足速に歩く。ヴィリテ国教会の収穫祭を来週に控え、夕刻だというのに街は一際賑わっていた。
ひと月前の荒野でのいざこざを思い、マティアスは首裏を摩る。リリアがいなければ今頃あの冷たい風の中で干物になるまで晒されていた筈の首だ。―――なんだかそれも、もう現実味がない。
(生きるか死ぬかを経験したはずなのに、キスがどうので狼狽えて、みっともないな……)
マティアスがキスしたいと言えば、おそらく彼女は拒むことはない。対価を払われて嫁いできた妻の務めとして、そして学園に資金を流したことの代償として、淡々と受け入れるだろう。
アーネストやアレクシスと同じように愛情表現しても、マティアスのものだけは決してリリアに届かない。それは王弟家が―――マティアスが金で買った契約だからだ。
(………でも、その契約をしなければ出会うことすらなかった)
いや、でも、おかしくないか。
曲がりなりにも自分は夫だというのに、その自分を差し置いて、ヴォルフやアーネストやアレクシスとしているのは、やっぱりおかしくないか? どいつもこいつも女性を魅了するいい男ばかりというのが尚更気に食わない。
だんだんと、アイディティア女王すらも男前でかっこよかったのがずるい気がしてくる。
リリアはいつかアルムベルクで、想い合う男と幸せになる。
自分はそれを笑顔で送り出すべきだと、ちゃんと承知している、けれど。
―――世の父親たちが、娘婿を殴る気持ちが分かるような気がした。
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