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おまけ
王甥殿下の侍従選び 08
しおりを挟む無事に王弟家に戻り、アーネストの使用期間は終了した。後任はいないので引き継ぎもなく、簡単に執事に報告をして荷物を纏める。
ロビーのソファに座って手配してもらった馬車を待っていると、マティアスが見送りに降りてきた。
「そんなに急いで帰らなくても良いんじゃないのか。泊まっていくなら、良いワインがあるぞ」
「帰るよ。明日は朝からデートだから」
「…………そうか。
その、ありがとう。母上に女性は必要ないって言いにいったら、もうお前から聞いてると言われた」
「あー……言った気もするな。
礼なら、アナに休日をくれ。今度デートする約束をした」
「誰だ?」
「ここのパーラーメイドのアナだよ」
「…………お前……」
マティアスは心底呆れた顔を作って、何かを諦めたように首を振った。
「………メイド長に言うだけ言っておく。
久しぶりに一緒にいられて楽しかった。
今度食事に誘ってもいいか」
素直な好意に、アーネストは笑う。
「嫌ってたんじゃなかったのかよ」
「嫌ってた? 俺が? ずっと、手紙の返事もくれなかったのはお前だろう」
「侍従は俺ではだめだって言ってただろ」
マティアスは不思議そうに首を傾げる。
「だってお前は、海に出たいと言っていたじゃないか」
「……海?」
「船で世界を巡るんだろ」
「船?」
古い記憶が蘇る。
十四になるかならないかの頃、行きたくもない王弟家の避暑に同行させられて、北部の港町に滞在した。最近仲良くなった子が漸くデートしてくれそうだったのにと、延々と馬車に閉じ込められた道中、ずっと苛々していた。
その港町でアーネストは初めて大型船を見た。
圧倒される質量、美しいフォルム、怖いほどの大きさ。
すっかり船に魅了されたアーネストは、その後一年ほど、いつかもっとデカい船に乗って世界を巡ると主張していたのだった。
「―――忘れてたわ!」
あっけらかんと言われた台詞を聞いたマティアスがなんとも言えない顔を作る。幼い頃に虐め……もとい、可愛がってやった時と同じ顔だった。
子どもの頃の淡い夢だ。いちいち覚えているものか。子ども時代のアーネストは確かに船乗りになりたかったが、商人にもなりたかったし建築家にもなりたかったし俳優にもなりたかった。
「あのなぁ、夢ってのは普通、努力しないと叶わないんだ」
「それがどうした」
「そんなもん、俺がするわけないだろ」
努力家の従弟が、未知の生物を発見したような目を向けてくる。
「それは、人として、どうなんだ」
「どういう意味だよ。俺は努力家のお前をちゃんと尊重しているのに、お前は努力しない俺を尊重しないつもりか」
「別に俺は努力家というほどでは、
いや、全然努力しないのは、尊重されなくてもしょうがないだろう」
「なんで」
「なんで、………なんでって……なんでだ……」
軽く揶揄うだけで煙に巻かれるマティアスに、アーネストは柄にもなく心配になる。
「お前、そんなブレブレで、この先社交界なんて魔境でやっていけるのか」
ぐ、と言葉に詰まって、マティアスはアーネストを睨む。
「…………じゃあ、お前が助けてくれよ」
「やだよ面倒くさい」
「他に、やりたいことがないのなら、良いじゃないか」
「やだ。面倒くさい」
ガタイのいい男が、別れ話をされた女性のような切ない顔を作る。いい年した男が見苦しいと思う一方で、やはりどこか可愛いと感じるのは子ども時代の名残なのかもしれない。
「フォローしてくれる味方を作れって、おまえが言ったんじゃないか」
「あの三人の中じゃハインツ様がおすすめだな」
「ハインツみたいな優秀な人間は、俺の侍従には勿体無いだろ」
「お前、言うようになったな」
「………お前より、俺のフォローができる人間なんかいるのか」
「お前次第だろ」
なかなか承諾しないアーネストに、マティアスが悔しそうに口元を歪ませる。
一言命令すれば終わる話なのに、そうしない従弟がもどかしい。
一言、王家の命令だと言ってくれたら。
そうすればもう相手をするのをやめて明日にでも出奔するのに。とりあえず遠くへ行くならリールリロアかなぁ、暖かいし美人が多いと聞く。トルキアも美人が多いと聞くけどめちゃくちゃ田舎らしいからなぁ。
「どうしたら、頼まれてくれるんだ」
「お前の侍従なんかになったら、恋人を一人にしろとか、お前の頭を叩くなとか言われるんだろ」
「………俺の頭は、ならなくても叩くな」
一生懸命言い返してくる従弟は、やはりなんだか可愛くて笑ってしまう。
「馬鹿だな。お前は俺の態度が気安いのが気に入ってんだろうけど、こんなのはクビが怖くないってだけだ。俺はお前の護衛するほど強くもないし、仕事を手伝う勉強もしないし、お前に忠誠を誓う気もない」
「そんなことは、必要なら他の人に頼む。
……お前の代わりなんか、いない。
他にやりたいことがないなら、譲ってくれても、いいじゃないか……」
「やめろ。男に口説かれてるみたいで鳥肌がたつ」
「辛辣すぎる……」
苦虫を噛み潰したようようなマティアスにアーネストは考える。
やりたいことが特にないとか、余計なことをばらしてしまった。
マティアスが望むのなら、イリッカが推してくる以上、抵抗は無駄かもしれない。なら、交渉相手がこいつのうちに、条件を呑ませておいた方が得策か。
「……そんなに言うなら、条件によっては考えても良い」
「なんだ」
「まず、最低週休二日だ」
「そんな侍従聞いたことない」
「だめなら週休三日でも良い」
「なんで増えた」
「それから、王都の外には基本的に付いていかない」
「侍従なのに?」
「忠誠なんか誓わないし、オフではずっとこんな態度だ」
「それは別に良い」
「飽きたら辞めるし、私生活に口出ししてきたら辞めるし、なんもなくても辞めたくなったら辞める」
「…………」
アーネストもそんな侍従は聞いたことがない。王弟家を馬鹿にしているのかと処罰されても不思議じゃないが、上手くいけばこれで諦めてくれるかもしれない。
黙ってしまったマティアスに、アーネストは問う。
「どうする?」
「…………母上を、説得してくる」
「正気か。こんな条件を呑んだと知れたら、多分めちゃくちゃ怒られるぞ」
「他に、方法がないなら、仕方ない」
変なところで思い切りが良い。
「……あっそう。じゃあ、飽きるまではやるわ。
お前をおちょくる以外の仕事はしないから期待するなよ」
「俺をおちょくるのは、侍従の仕事ではない……」
精一杯の反論をするマティアスにアーネストは笑う。
侍従なんて面倒な仕事はごめんだったが、弱っている幼馴染が元気になるまでの間、相手をするくらいなら良いだろう。近々イリッカの選んだ令嬢と結婚するのだろうし、その人にバトンタッチすれば良い。
言いつけ通り侍従の任をもぎ取ったので、父親からは事業をふたつみっつ頂戴しよう。侍従を辞めたら、その収益金で遊んで暮らすのだ。
生涯努力せずに暮らすことを心に誓って、こんな風にアーネストの第二の侍従人生は幕を開けたのだった。
完
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