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しょっぱな。
とりあえず
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1.とりあえず松蔭真糸への しっちゃかめっちゃか
「糸ちゃーん。誕生日プレゼントなにがいい?」
「妹」
とりあえずそう言えば黙るだろう……その程度の軽率な思いつきに従った結果として、彼女―――松蔭真糸は背後より、べぷぁという騒音とともに放たれたペプシコーラを、脳天から盛大に浴びた。
代償は高かったと言わざるをえない。三時間前に美容院に行ってストレートパーマをかけ「今日一日はお水とか墨汁とか ましてやペプシコーラとかに濡らすのは控えてくださいね。酸性やアルカリは、縮毛矯正の敵ですから♪」と店員から和やかに脅迫された自分にとっては言うまでもないことだが、あるいは……胡坐をかいてテレビに向かっていた彼女の真後ろにて、ガチョウのようにとんがらせた唇から口腔のみならず胃腸すべての液という液を噴出したんじゃないかと思われる、そんな父親にとっても。特に、最近マスメディアによってメタボリックシンドロームという名称が判明した彼の腹囲にとってみれば、こうしてペットボトル最後の貴重なダイエットペプシをぶちまけてしまったことは、それなりに手痛かったのではないか。そう思えないこともない。だとするならば、些少ながら、同情を禁じえない。その腹に対して父親が「十月十日が何だ。パパなんか妊娠十年だぞ」と言い張るのは勝手だが、付き合わされる身としては、そろそろ根本的な解決を望みたいのだよ。おや? その顔を見る限り、理解しえないと思っているようだ。ああしかも、その不理解は、知性の絶対的不足によるものでなく、恐怖に席巻されたゆえの相対的不足によるものと見える。残念だ。とても……残念だよ、伯爵閣下。君とは友人になれると思っていた。例えそれが、わたしが君を利用することで手にする権益を抜きには成立しえない、そんな卑しいものであったとしてもね―――
脳裏を流れるナレーションが途中から自分の独白ではなく、ドラマ【キュンヘルさんの潔癖症~そりゃねえぜ、ヘビィ~ 第十七回:シックハウス原因物質さえ許さない】の一場面へとすり替わっていることには気付いていたが、それでも真糸は、逆らわずに思考を続けた。大体、ヘビィって何だ。最初、ベイビーの誤字かと思ったのは自分だけじゃあるまい。そういや最初といえば、放送初期に「誤字だったんだけどもう引っ込みつかないし、まいっか」のノリで今に至ったという話を耳にしたが、本当だろうか。でもベイビーも嫌だ。ダサいし。
とまあ、脳内ゴシップにまで逃げ道を網羅しつくしたその頃には、真糸の決心もついていた。それに忠実に従って、真後ろへと向き直る。今の格好は、家にいる時の標準装備である、タンクトップにショートパンツだ―――ちゃぶ台の横で、畳につけたままの尻を軸に、ぐりんっと回転しても支障はない。
それに比べれば、父親の有り様は、控えめに言っても支障丸出しだった。控えめに言わなければ、支障そのものだった。どうということもなく立っている……いや、噴霧器もかくやの勢いでコーラをぶちまけるというどうということがあった挙句、立っているだけなのだが。それを感じてしまう。走るのに支障がでそうな短足。歩くのに支障が出そうな腹。服を着るのに支障がでそうな寸詰まりの指。特に若輩女性との対人関係に支障が出そうな中年顔。なぜだか、いつも袖を通している白衣。白衣さえ除けば、総じて、―――反抗期の入り口に立つ中学生の彼女の身からしてみれば、毛嫌いされることも含めて―――まあ平均的な中年男性といったところなのだろうが。
とどのつまり、容姿としては、平均的な現代日本人的父である―――そして頭脳だけでいえばメカ系の分野ではとんでもない頭脳を持っている天才発明家である(らしい)松蔭玄朗佐は、その時、平均的でも現代的でも日本的でも父的でもトータルするなら人間的でもない……それほどまでに驚愕した顔に、あんぐりと大口を開けていた。空っぽになったペットボトルはとうに手から取り落としているものの、そんなことなど眼中にできる状況ではないと如実に語るように、左手はそれを保持する形状と位置のままで固まっている。
そして、ぽつりと。
「どうしよ」
「いやまあその通りだけど。おおむね」
「違う違う違う。糸ちゃんの同意はパパのそれとビッグに違う」
もたもたと手ぬぐいを取りに立ち上がると同時に、玄朗佐がいやいやとかぶりを振って取りすがってきた。彼女の方が上背があるため、自然と見下ろす形になるが、その視点が哀れみをもたらすかと言われれば、そういったこともない。よって、ぺん、と適当にそれを蹴りはなしてから、転げ落とされたペットボトルを拾い上げ、頓着せずに台所へ向かう。
「五十路も過ぎたってのに、一人称がパパってあんた……」
「糸ちゃんのパパであることは事実ゆえに自称して何が悪いかっ!?」
耳ざとく反論し、畳にしりもちをついたままで、玄朗佐が声を荒らげる。
真糸は取り合わず、ペットボトルを台所の洗い場に置いた。そして、そばのタオルかけから取った手ぬぐいで、頭のコーラを拭きながら―――今朝交換したばかりなので、そう不潔ではなかろう―――、父親にも別の一枚を放ってやる。彼は自分の運動神経を理解しているようで、空中でそれを掴み取ろうとする無謀は試さなかった。ぺちゃ、とすぐわきのコーラの水たまりに不時着するのを見送ってから、そんな動きばかりてきぱきと畳をぬぐいはじめる。……いや。
理解していたのは、彼自身の、譲れない部分を主張しなくてはならないという執念だったのかもしれない。玄朗佐の大声はそれ以上ひどくなる気配はなかったが、それ以下におさまる予兆も皆無だった。
「ほんとは家族総員からの他称もパパに統一して欲しいとこを我慢してるんだぞ。もうそろそろ我慢の限界だぞ破裂するぞ。察してくれよぉねぇいい加減パパと言ってみて?」
「破裂するなら頭皮にしてね」
「コメントそこっ!? しかもなにゆえ頭皮っ!?」
「前人未到区域でしょ。破裂」
真糸はふと手を止めて、とりあえず告げた。ずらずらと、部活の教本のスナップ写真を思い出す。腸とか眼球とかは割と破裂するので、今更目にしたところで、珍しくもなんともない。肝臓はよく割れる。まま、砕ける。少しばかり硬いからだ。それが粉微塵に破裂する様子というのも珍奇かもしれないが、その瞬間ならまだしも、瞬間を終えた最終的な形態は、前に部でつっついた、近距離からの銃撃により破砕した脂肪肝(C型肝炎末期併発)と大差ないような気がしていた。
なので、頭皮がよい。ただそれだけだったのだが。
「まあ頭皮の内側でも許すわ」
「内側って脳だから! 頭蓋骨こえて確実に脳だから! たとえ糸ちゃんからでもその要求はNOだから!」
百歩譲ったというのに、玄朗佐のリアクションは悲哀の濃度を増しているようだった。しっかり雑巾がけをしながら、それでも片腕を振り回している。彼女はそれを半眼で見下ろし、
「偶然ねー。ちょうどあたしも、母ちゃんがあんたとフュージョンしてあたしが生まれたって現実にNOしたいとこだったの」
「マジで!? 運命的じゃねこの偶然!? ひゅー!!」
「うっあ。ナリフリかまわなくなってるし」
どこか倦怠感を覚えながら、真糸はようやく水気がきれた髪に手をやった。やたら爽やかな臭気とは裏腹に、糖分でべたつく指どおりは最悪である。一刻も早く洗髪しなければ、どういったことになるか……真っ先に思いついたのは、笑顔の美容院の店員に絞め殺されつつある愛想笑いも晴れ晴れしい自分の姿だったが。そのかたわらには、散髪代を払い終えた結果、すきっ腹を抱えて餓死しかけている自分の財布が行き倒れている―――まあ後者については、文句を言える筋合いでもなかろう。この世に生まれて十四年。あの世への道連れにパトラッシュがあてがわれて然るべきというような、徳のある人生を歩んできたわけでもない。
とにかく、この場におさまりをつけねば、洗面所にいくこともできなさそうではある……まかりまちがっても、頭がシャンプーまみれという逃げ出せない状態で父親にからまれることだけは避けたい。あきらめて、真糸は玄朗佐の元へ向かった―――台所と茶の間は襖でしか区切られておらず、今はその襖も開けっ放しである。そもそも我が家におけるこの辺の間取り及びインテリア自体、畳敷きにちゃぶ台とテレビと食器棚といったような、今どき【食玩シリーズ:昭和の中流家庭】にさえ平々凡々すぎて取り上げられない代表格であろう代物だ。よって広さもさほどなものでなく、とことこと数歩歩いた程度でそっちにたどり着くのだが、億劫ではあった。
ずんぐりした玄朗佐が、よつんばいのままで、気楽に見上げてくる。そのすぐわきで立ち止まると、自分が未知のペットにすりこみ現象を起こされたような倒錯が意識に滑り込んでくるが。なんとか真糸は、解決の糸口らしきものを彼に向けて尋ねた。
「んで。どうしよって、何なの?」
「うむ。とりあえず、どうしようもないことを表現してみたんだが」
「そんな脊椎さえあればミジンコにも出来そうな原始反射的解説を聞きたいわけじゃなくて」
なにか大きなものを小出しに試されている気分で、食い下がる。
「何が、どうして、どうしようもないの?」
「パパと呼んでくれたら教えてしんぜよう。ふふふ」
手ぬぐいを置き去りに立ち上がった玄朗佐は、なにやら得意げに両腕を交差させてみせた。ふたつの手のひらは左右逆の肘の上に添えられており、こちらとしては無駄にヒーロー特撮に感化されまくった小学生の決めポーズを見ているようで、微妙に心苦しくなる。腕組みしてしまえばいいと思うのに、玄朗佐はそういったツッコミはすべて「無理。苦しい。ハト胸だから」と明らかに肥満体から目をそらす言い訳でかいくぐり続けていた。どうでもいいが。
一応は聞き終えて、真糸はわきの食器棚から菜ばしを取り上げた。一本だけ。つややかな銀色をした、韓国メイドの金属製である。
「まあそれが死に際の遺言だというなら聞き届けてあげないでもないけど」
「いや兵は神速を尊ぶとか過去に偉いわたしが言ったことがあったような気もするし、どっちかというと兵をパシらせる立場なパパもそれに従おうと思っていたところだよ。うん」
真糸が首筋に突きつけてきた菜ばしの突端が、そのまま前進すれば的確に致命的な箇所を断裂できることに気付いたのだろう。居丈高さをひっくりかえし、妙に殊勝な態度で、目をそらしたまま玄朗佐が口走る。口が動くごとに、その身体パーツの延長上に接触しているはしもぴくぴくしていた。
「実を言うと、糸ちゃんへの誕生日プレゼント、もう用意してあるんだ」
「は?」
はしを引いて、とりあえず真糸は、それを聞いた。
「……じゃ、さっきなんであたしの希望聞いたの?」
「糸ちゃーん。誕生日プレゼントなにがいい?」
「妹」
とりあえずそう言えば黙るだろう……その程度の軽率な思いつきに従った結果として、彼女―――松蔭真糸は背後より、べぷぁという騒音とともに放たれたペプシコーラを、脳天から盛大に浴びた。
代償は高かったと言わざるをえない。三時間前に美容院に行ってストレートパーマをかけ「今日一日はお水とか墨汁とか ましてやペプシコーラとかに濡らすのは控えてくださいね。酸性やアルカリは、縮毛矯正の敵ですから♪」と店員から和やかに脅迫された自分にとっては言うまでもないことだが、あるいは……胡坐をかいてテレビに向かっていた彼女の真後ろにて、ガチョウのようにとんがらせた唇から口腔のみならず胃腸すべての液という液を噴出したんじゃないかと思われる、そんな父親にとっても。特に、最近マスメディアによってメタボリックシンドロームという名称が判明した彼の腹囲にとってみれば、こうしてペットボトル最後の貴重なダイエットペプシをぶちまけてしまったことは、それなりに手痛かったのではないか。そう思えないこともない。だとするならば、些少ながら、同情を禁じえない。その腹に対して父親が「十月十日が何だ。パパなんか妊娠十年だぞ」と言い張るのは勝手だが、付き合わされる身としては、そろそろ根本的な解決を望みたいのだよ。おや? その顔を見る限り、理解しえないと思っているようだ。ああしかも、その不理解は、知性の絶対的不足によるものでなく、恐怖に席巻されたゆえの相対的不足によるものと見える。残念だ。とても……残念だよ、伯爵閣下。君とは友人になれると思っていた。例えそれが、わたしが君を利用することで手にする権益を抜きには成立しえない、そんな卑しいものであったとしてもね―――
脳裏を流れるナレーションが途中から自分の独白ではなく、ドラマ【キュンヘルさんの潔癖症~そりゃねえぜ、ヘビィ~ 第十七回:シックハウス原因物質さえ許さない】の一場面へとすり替わっていることには気付いていたが、それでも真糸は、逆らわずに思考を続けた。大体、ヘビィって何だ。最初、ベイビーの誤字かと思ったのは自分だけじゃあるまい。そういや最初といえば、放送初期に「誤字だったんだけどもう引っ込みつかないし、まいっか」のノリで今に至ったという話を耳にしたが、本当だろうか。でもベイビーも嫌だ。ダサいし。
とまあ、脳内ゴシップにまで逃げ道を網羅しつくしたその頃には、真糸の決心もついていた。それに忠実に従って、真後ろへと向き直る。今の格好は、家にいる時の標準装備である、タンクトップにショートパンツだ―――ちゃぶ台の横で、畳につけたままの尻を軸に、ぐりんっと回転しても支障はない。
それに比べれば、父親の有り様は、控えめに言っても支障丸出しだった。控えめに言わなければ、支障そのものだった。どうということもなく立っている……いや、噴霧器もかくやの勢いでコーラをぶちまけるというどうということがあった挙句、立っているだけなのだが。それを感じてしまう。走るのに支障がでそうな短足。歩くのに支障が出そうな腹。服を着るのに支障がでそうな寸詰まりの指。特に若輩女性との対人関係に支障が出そうな中年顔。なぜだか、いつも袖を通している白衣。白衣さえ除けば、総じて、―――反抗期の入り口に立つ中学生の彼女の身からしてみれば、毛嫌いされることも含めて―――まあ平均的な中年男性といったところなのだろうが。
とどのつまり、容姿としては、平均的な現代日本人的父である―――そして頭脳だけでいえばメカ系の分野ではとんでもない頭脳を持っている天才発明家である(らしい)松蔭玄朗佐は、その時、平均的でも現代的でも日本的でも父的でもトータルするなら人間的でもない……それほどまでに驚愕した顔に、あんぐりと大口を開けていた。空っぽになったペットボトルはとうに手から取り落としているものの、そんなことなど眼中にできる状況ではないと如実に語るように、左手はそれを保持する形状と位置のままで固まっている。
そして、ぽつりと。
「どうしよ」
「いやまあその通りだけど。おおむね」
「違う違う違う。糸ちゃんの同意はパパのそれとビッグに違う」
もたもたと手ぬぐいを取りに立ち上がると同時に、玄朗佐がいやいやとかぶりを振って取りすがってきた。彼女の方が上背があるため、自然と見下ろす形になるが、その視点が哀れみをもたらすかと言われれば、そういったこともない。よって、ぺん、と適当にそれを蹴りはなしてから、転げ落とされたペットボトルを拾い上げ、頓着せずに台所へ向かう。
「五十路も過ぎたってのに、一人称がパパってあんた……」
「糸ちゃんのパパであることは事実ゆえに自称して何が悪いかっ!?」
耳ざとく反論し、畳にしりもちをついたままで、玄朗佐が声を荒らげる。
真糸は取り合わず、ペットボトルを台所の洗い場に置いた。そして、そばのタオルかけから取った手ぬぐいで、頭のコーラを拭きながら―――今朝交換したばかりなので、そう不潔ではなかろう―――、父親にも別の一枚を放ってやる。彼は自分の運動神経を理解しているようで、空中でそれを掴み取ろうとする無謀は試さなかった。ぺちゃ、とすぐわきのコーラの水たまりに不時着するのを見送ってから、そんな動きばかりてきぱきと畳をぬぐいはじめる。……いや。
理解していたのは、彼自身の、譲れない部分を主張しなくてはならないという執念だったのかもしれない。玄朗佐の大声はそれ以上ひどくなる気配はなかったが、それ以下におさまる予兆も皆無だった。
「ほんとは家族総員からの他称もパパに統一して欲しいとこを我慢してるんだぞ。もうそろそろ我慢の限界だぞ破裂するぞ。察してくれよぉねぇいい加減パパと言ってみて?」
「破裂するなら頭皮にしてね」
「コメントそこっ!? しかもなにゆえ頭皮っ!?」
「前人未到区域でしょ。破裂」
真糸はふと手を止めて、とりあえず告げた。ずらずらと、部活の教本のスナップ写真を思い出す。腸とか眼球とかは割と破裂するので、今更目にしたところで、珍しくもなんともない。肝臓はよく割れる。まま、砕ける。少しばかり硬いからだ。それが粉微塵に破裂する様子というのも珍奇かもしれないが、その瞬間ならまだしも、瞬間を終えた最終的な形態は、前に部でつっついた、近距離からの銃撃により破砕した脂肪肝(C型肝炎末期併発)と大差ないような気がしていた。
なので、頭皮がよい。ただそれだけだったのだが。
「まあ頭皮の内側でも許すわ」
「内側って脳だから! 頭蓋骨こえて確実に脳だから! たとえ糸ちゃんからでもその要求はNOだから!」
百歩譲ったというのに、玄朗佐のリアクションは悲哀の濃度を増しているようだった。しっかり雑巾がけをしながら、それでも片腕を振り回している。彼女はそれを半眼で見下ろし、
「偶然ねー。ちょうどあたしも、母ちゃんがあんたとフュージョンしてあたしが生まれたって現実にNOしたいとこだったの」
「マジで!? 運命的じゃねこの偶然!? ひゅー!!」
「うっあ。ナリフリかまわなくなってるし」
どこか倦怠感を覚えながら、真糸はようやく水気がきれた髪に手をやった。やたら爽やかな臭気とは裏腹に、糖分でべたつく指どおりは最悪である。一刻も早く洗髪しなければ、どういったことになるか……真っ先に思いついたのは、笑顔の美容院の店員に絞め殺されつつある愛想笑いも晴れ晴れしい自分の姿だったが。そのかたわらには、散髪代を払い終えた結果、すきっ腹を抱えて餓死しかけている自分の財布が行き倒れている―――まあ後者については、文句を言える筋合いでもなかろう。この世に生まれて十四年。あの世への道連れにパトラッシュがあてがわれて然るべきというような、徳のある人生を歩んできたわけでもない。
とにかく、この場におさまりをつけねば、洗面所にいくこともできなさそうではある……まかりまちがっても、頭がシャンプーまみれという逃げ出せない状態で父親にからまれることだけは避けたい。あきらめて、真糸は玄朗佐の元へ向かった―――台所と茶の間は襖でしか区切られておらず、今はその襖も開けっ放しである。そもそも我が家におけるこの辺の間取り及びインテリア自体、畳敷きにちゃぶ台とテレビと食器棚といったような、今どき【食玩シリーズ:昭和の中流家庭】にさえ平々凡々すぎて取り上げられない代表格であろう代物だ。よって広さもさほどなものでなく、とことこと数歩歩いた程度でそっちにたどり着くのだが、億劫ではあった。
ずんぐりした玄朗佐が、よつんばいのままで、気楽に見上げてくる。そのすぐわきで立ち止まると、自分が未知のペットにすりこみ現象を起こされたような倒錯が意識に滑り込んでくるが。なんとか真糸は、解決の糸口らしきものを彼に向けて尋ねた。
「んで。どうしよって、何なの?」
「うむ。とりあえず、どうしようもないことを表現してみたんだが」
「そんな脊椎さえあればミジンコにも出来そうな原始反射的解説を聞きたいわけじゃなくて」
なにか大きなものを小出しに試されている気分で、食い下がる。
「何が、どうして、どうしようもないの?」
「パパと呼んでくれたら教えてしんぜよう。ふふふ」
手ぬぐいを置き去りに立ち上がった玄朗佐は、なにやら得意げに両腕を交差させてみせた。ふたつの手のひらは左右逆の肘の上に添えられており、こちらとしては無駄にヒーロー特撮に感化されまくった小学生の決めポーズを見ているようで、微妙に心苦しくなる。腕組みしてしまえばいいと思うのに、玄朗佐はそういったツッコミはすべて「無理。苦しい。ハト胸だから」と明らかに肥満体から目をそらす言い訳でかいくぐり続けていた。どうでもいいが。
一応は聞き終えて、真糸はわきの食器棚から菜ばしを取り上げた。一本だけ。つややかな銀色をした、韓国メイドの金属製である。
「まあそれが死に際の遺言だというなら聞き届けてあげないでもないけど」
「いや兵は神速を尊ぶとか過去に偉いわたしが言ったことがあったような気もするし、どっちかというと兵をパシらせる立場なパパもそれに従おうと思っていたところだよ。うん」
真糸が首筋に突きつけてきた菜ばしの突端が、そのまま前進すれば的確に致命的な箇所を断裂できることに気付いたのだろう。居丈高さをひっくりかえし、妙に殊勝な態度で、目をそらしたまま玄朗佐が口走る。口が動くごとに、その身体パーツの延長上に接触しているはしもぴくぴくしていた。
「実を言うと、糸ちゃんへの誕生日プレゼント、もう用意してあるんだ」
「は?」
はしを引いて、とりあえず真糸は、それを聞いた。
「……じゃ、さっきなんであたしの希望聞いたの?」
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