代償

とろろ

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 山下一郎は、どこにでもいる平凡な工員だった。

 早朝から夜遅くまで働き、狭いアパートに帰る日々を過ごしている。

 そんな彼の唯一の趣味は、休日に街の古い骨董店の中を見て回ることだった。

 特に何を買うということでもない。

 使い込まれた道具や埃まみれの本の匂い。

 それは、彼にまるでどこか別の世界に入り込んだかのような不思議と満たされた感覚を覚えさせるのだった。

 その日も、彼は例の店に足を運んでいた。

 山下の目に飛び込んできたのは、一冊の古ぼけた黒い表紙の本だった。

 この店の常連の彼にとって、どこに何があるか手に取るように分かっていた。

 しかし、その本はどう考えても今までには無かった物だ。

 無題で、装飾もないが、妙に惹かれるものを感じ、彼は何の気なしに手に取った。

 どのページも白紙で、何かを書かれた形跡も無い。

 ただ、値札だけが貼ってあった。

「500円か、安いな。」
 
 彼はその本を試しに買ってみた。

 その夜、山下はコンビニの缶ビールを片手に、アパートの殺風景な一室で寝転がっていた。

 酔いがまわってきた中、何気なく黒い本の存在を思い出し取り出す。

「なんでこんな物を買ったんだろ、俺...。」

「あーあ、こんな物よりやっぱり金が欲しいなぁ...。」

 酔った勢いでペンを取り出し、本の最初のページにこう書いた。

【1万円が欲しい】

 本に書いたとて、虚しさだけが後に残る。

 再び横になろうとしたその瞬間、彼の手の中に違和感を覚える。

 彼の手の中には新札の1万円札が握られていた。

「なんだ、これ……?」
 
 はぁ、、、ちょっと飲み過ぎたか。

 そのまま寝てしまった。

 次の日、目が覚めると彼の近くには一万円札が落ちていた。

 夢ではなかったのだ。

 しかし、そうこうしている暇はない。

 遅刻寸前なのだ。

 彼は急いで工場へ向かった。

 いつもの工場、いつものメンツ。

 特に変わったことはない。

 いや、一つだけ気になることはあった。

 工場からの帰り道にいつも駅前にいて、彼がこっそりエサをあげていた野良猫がどこにもいないのだ。

「まあ、どうでもいいか。」
 
 そう呟き急いで帰宅し、再び黒い本へと向かう。

 それからというもの、山下の生活は劇的に変わった。

 何でも手に入った。
 
 最初は1万円だったものが、次に10万円、さらには家賃の1年分と書くようになった。

 働くこともバカバカしくなり、工場へも行かなくなる。

 毎晩飲み歩き、散財をした。

 しかし、自分には"例の本"があるのだ。

 彼の欲はとどまることを知らない。

【日本を手に入れたい】

 総裁選に無所属で立候補。

 本に書くことはすべて手に入るためトントン拍子で当選。

 地位も女も難なく手に入れた。

 今の彼の手中には、望むものが何もかもある。

 こんなに世の中がちょろく感じられたことは未だかつてなかった。

 高級マンションの一室で美女を侍らせ、ワイングラス片手に一抹の出来心が彼を刺激した。

 本を取り出し、一言書いた。

【地球が欲しい】

 その瞬間、地面が大きく揺れ、マンションの壁がひび割れ始めた。

 美女達が自分を見て悲鳴をあげて逃げていく。

「一体、どうしたんだよ!」

 窓の外を見ると空は赤く染まり、建物は次々に崩れ落ち、人々が悲鳴を上げて逃げ惑っている。

 すぐに彼は自分の身に異変が起こっていることに気がついた。

「な、なんだ......?!」

 彼の身体は膨張し始め、部屋を突き破るほどの大きさに膨れ上がる。

 マンションの壁を突き破り、あっという間にスカイツリーよりも大きくなった。

 肉体は硬化し、地殻のような表面を持ち始めた。

 彼の身体はさらに膨らみ続ける。

 彼の手足からは根が生えて、もはや彼の意識は地球そのものと同化しつつあった。

 彼が「地球を手に入れる」とは、自分自身が地球と化すことを意味していたのだ。

 と、同時に彼の脳内には大量の情報が一気に流れ込んで行く。

 地球上のすべての生命、歴史、自然現象──そのすべてを脳内で処理することは、一般の人間には到底耐えられるものではなかった。

「やめろ……!俺は、こんなものを……望んではいない!!!」

 その日、宇宙の一角から地球が消滅し、新たな地球が一つ誕生した。

 ──それから、約46億年後。

 街の古びた骨董品店には、再びあの黒い本が静かに陳列されていた。

「あなたは何を望む?」
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