喫茶店にて

つくねこだま

文字の大きさ
1 / 1

喫茶店にて

しおりを挟む
 駅前通りにある喫茶店で、ぼくは衝動買いした本を読んでいた。かの有名な豪華客船、タイタニック号の事件に関するドキュメンタリーである。”99の謎”なんて、そそるタイトルだ、と、つい手に取ってしまったのだ。
 本当は家に帰ってからゆっくり読めばいいのだが、早く目を通したい!という気持ちがまさって、手近なここに来てしまった。
 テーブルには冷めかけのホットココアが置いてある。たかがココア一杯でここまで粘るのは多少気が引ける。ただ、わざわざ店の奥に席を取り、カウンターに背を向けて座ったので、キリのいいところまで本を読み進めるだけの心の余裕をつくることはできた。

 ふとページから目を離してココアに二口目ふたくちめをつけた時、後ろの席からの会話が自然と耳に入ってきた。ぼくより年下だろうか、数人の男性の声だ。ぼくはカップを置くと、本を見つめたままで、聞くともなしにその会話を聞いていた。
 
「そうそう、きのういいことがあってさぁ。」
「またぁ?お前の”いいこと”って、いっつもすっげえ些細ささいなことなんだもん。」
「まあまあ、そういう小さなことでも、喜んでいこうよ、な?」
 会話をしているのは3人。…小さなことでも、喜んでいこう…か。いいこと言うなぁ…心の中で納得しながら、ぼくはついその会話に心を奪われていた。目の前の本は、もはや読んでいることを演出する小道具になっていた。
「だってさ、こないだだって10円見つけた!とか、かわいい子猫が日向ぼっこしてた…とか、そんなことばっかりなんだぜ?」
「いいだろ、そん時オレは幸せだったの!」
 ニヤリ。ぼくは少し笑ってしまった。小さなことで喜べるのは幸せな証拠だよなぁ…そんなことも考えていた。

「そうそう、幸せってのはいいことだよ。で、今回はどんないいことだったんだ?」
 どんなことだったんだろう…ぼくは本のページをめくるのも忘れ、聞き耳を立てる。なぜか少し緊張した。

「実は…昨日さ…あ、あの娘(こ)が振り向いてくれたんだよ!」
「マジで!?」
「ほんとに!?」
 さすがの2人も驚きを隠せない様子だった。恋の話ね…。ぼくの心臓の動きが少し早くなった気がした。他人事なのに、ちょっと耳のあたりが熱くなったような気がした。
「お前、それってめちゃくちゃいいことじゃん!…はぁ、今回ばかりは些細ささいなことじゃなかったな。」
「あのって、朝と夕方に、ここの前を通る女の子でしょ?…結構、かわいかったよね…。」
 にわかに盛り上がる会話。素敵な空気だなぁ…。ぼくも少しほっこりしていた。
「やっぱり、どうしてもオレのほう見てしくてさ…。思い切って声をかけたんだ。ダメもとだと思ったし…でも、やらなきゃ!って思ってさ…。そしたら、振り返ってくれたんだ!…すごく、うれしかった…。」
「そうだよなぁ、普段は姿はおろか、声だって聞こえないもんなぁ。」
「ま、おれたちはそういうものだからねぇ。」
 ?…どういうことだ?ぼくは本を取り落とすと、反射的に後ろを振り返った―。
 向かい合った2人掛けのソファが一組。その間には白いテーブル。ぼくの座っているところと同じ作りだ。薄い赤色のソファが、やけに色濃いろこく見えた。
 そこには、誰も座っていなかった。
 それどころか、ぼくのほかには、カウンターで新聞を読んでいるオジサンしかいなかった。
 ぼくより年下のお客は、いなかった。
「いかがしましたか?」
 店員が不思議そうに聞いてくる。
「いえ、…あ、別に…。」
 ぼくは上の空で、そう答えるのが精一杯せいいっぱいだった。

 ふと、気が付き、冷たくなったココアをゆっくりと飲み干すと、ぼくは足早にその店を後にした。


「あれ、あの人、本置いてっちゃったね。」
「ほんとだな。ちょっと驚いたな。」
「ぼくたちの声が、聞こえたんだね。」

 
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

むしゃくしゃしてやった、後悔はしていないがやばいとは思っている

F.conoe
ファンタジー
婚約者をないがしろにしていい気になってる王子の国とかまじ終わってるよねー

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

愚者による愚行と愚策の結果……《完結》

アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。 それが転落の始まり……ではなかった。 本当の愚者は誰だったのか。 誰を相手にしていたのか。 後悔は……してもし足りない。 全13話 ‪☆他社でも公開します

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

女神に頼まれましたけど

実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。 その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。 「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」 ドンガラガッシャーン! 「ひぃぃっ!?」 情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。 ※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった…… ※ざまぁ要素は後日談にする予定……

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

処理中です...