シャッター街のパン工房と、ちょっぴりお節介なコンサルタント

藤森瑠璃香

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第3話:想定外のトラブルと、芽生える信頼

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 柏木さんの指導のもと、「穂積ベーカリー」は少しずつ、けれど確実に変わり始めていた。SNSでの発信が功を奏し、週末には若いカップルや家族連れがシャッター街に足を運んでくれるようになった。私が開発した「カラフル野菜のフォカッチャ」や、地元の果物を使った季節限定のデニッシュは、目新しさも手伝ってか、新規のお客さんに好評だった。
 何より嬉しかったのは、昔ながらの常連さんたちも、新しいパンを「麦ちゃん、これも美味しいねぇ」と笑顔で受け入れてくれたことだ。柏木さんのドライなやり方には未だに戸惑うことも多いけれど、彼がこの店を本気で立て直そうとしてくれていることは、もう疑いようもなかった。私の彼に対する反発心も、いつの間にか薄れ、代わりにパン作りの新たな楽しさと、ほんの少しの信頼感が芽生え始めていた。

 しかし、そんな順調な兆しは、ある日突然、無慈悲な音と共に打ち砕かれた。

「ガコンッ…ブスブス…プスン…」
 店の奥で、長年頑張ってくれていた祖父の代からのオーブンが、悲鳴のような異音を立てて動かなくなったのだ。慌てて業者に見てもらったが、返ってきたのは「部品の製造も終了していて、修理はほぼ不可能です」という絶望的な宣告だった。
 頭が真っ白になった。オーブンがなければ、パンは焼けない。店を開けることすらできない。やっと掴みかけた希望の光が、一瞬にして消え去ってしまったような感覚だった。

「…新しいオーブンを購入するしかありませんね」
 青ざめる私に、柏木さんはいつもの冷静な口調で言った。しかし、彼の表情も心なしか険しい。
「でも、そんなお金、うちには…」
 店の運転資金は、柏木さんの指導で何とかギリギリ回っている状態だ。新しい業務用オーブンなんて、とてもじゃないが手が出ない。
「穂積さん、このオーブンには愛着があるのはわかります。ですが、いつまでも古いものに固執していては、前に進めません。ここは、最新式で効率の良いオーブンに買い替えるべきです」
 柏木さんの言葉は正論だった。でも、私にとってこのオーブンは、ただの機械じゃない。祖父との思い出が詰まった、大切な相棒のような存在なのだ。
「修理で…修理でどうにかなりませんか!?私、このオーブンがいいんです!」
 感情的に訴える私に、柏木さんは静かに首を横に振った。
「現実を見てください。修理できたとしても、またすぐに別の箇所が壊れる可能性が高い。長期的に見れば、買い替えの方が賢明な判断です」
 意見は平行線を辿り、店の空気は重苦しくなる。

 しかし、落ち込んでいる暇はなかった。柏木さんはすぐに金融機関との交渉や、補助金の申請手続きに動き出してくれた。私も、シャッター街の他の店主さんたちに頭を下げ、一時的な資金の融通をお願いして回った。
「麦ちゃんのためなら、できることは協力するよ」
「柏木先生も、なんだかんだ言ってこの街のために頑張ってくれてるみたいだしな」
 最初は柏木さんのことを快く思っていなかった商店街の人たちも、彼の真摯な仕事ぶりや、少しずつ活気を取り戻しつつある街の様子を見て、徐々に彼を認め始めてくれていたのだ。そのことが、何よりも心強かった。

 資金調達に奔走する傍ら、私たちはオーブンなしでもできること――例えば、焼き菓子やサンドイッチの種類を増やし、移動販売に力を入れるなど――を必死で考え、実行した。その過程で、私たちは以前にも増して多くの時間を共に過ごし、お互いの仕事への情熱や、店の未来を思う気持ちを再認識することになった。

 そんな矢先、追い打ちをかけるように、近隣の駅前に大手ベーカリーチェーンが出店するという情報が舞い込んできた。最新の設備、豊富な品揃え、そして圧倒的なブランド力。うちのような個人経営の小さなパン屋が太刀打ちできる相手ではない。
「もう…だめかもしれない…」
 さすがの私も弱音を吐き、店の隅でうずくまってしまった。次から次へと襲いかかる困難に、心が折れそうだった。

 すると、柏木さんが私の隣にそっとしゃがみ込み、静かな、けれど力強い声で言った。
「穂積さん、顔を上げてください。私がいる限り、この店は絶対に潰させません」
 その言葉には、いつもの冷静さとは違う、確かな熱が込められていた。彼は、大手チェーン店の情報を徹底的に分析し、うちの店が取るべき差別化戦略や、地域密着型の強みを活かした対抗策を、徹夜で練り上げてくれた。その真剣な横顔を見ていると、不思議と「この人となら、どんな困難も乗り越えられるかもしれない」という勇気が湧いてくるのだった。

 ある夜、トラブル対応と翌日の移動販売の準備で、私たちは二人きりで店に残業していた。外は激しい雨が降りしきり、古びた店の窓を叩いている。疲れ果てて作業台に突っ伏してしまった私に、柏木さんが黙って温かいコーヒーを差し出してくれた。
「…ありがとうございます」
 私たちは、どちらからともなく、ぽつりぽつりと身の上話を始めた。彼がなぜ、大手のコンサルティングファームを辞めてまで、シャッター街の再生のような、ある意味泥臭い仕事を選んだのか。彼が過去に経験した大きな挫折と、そこから学んだこと。普段は決して見せない彼の人間的な側面や、心の内に秘めた熱い想いに触れ、私はますます彼に惹かれていくのを感じた。
 私も、パンへの想いや、亡き祖父との思い出、この店を絶対に守りたいという気持ちを、素直に彼に打ち明けた。彼は、黙って私の話に耳を傾け、時折、優しい相槌を打ってくれた。

「…君のパンは、確かに人の心を動かす力があるようだ」
 コーヒーカップを片手に、窓の外の雨を見つめながら、柏木さんが不意にそう言った。それは、彼が初めて、私のパンを素直に褒めてくれた言葉だった。
 その言葉は、まるで魔法のように、私の疲れた心にじんわりと染み渡っていく。顔がカッと熱くなり、心臓がドキドキと高鳴るのを抑えられない。
(今の言葉って…どういう意味…?)
 契約関係とか、コンサルタントとしての評価とか、そういうものを全部取っ払った、一人の男性としての言葉のように聞こえた。
 降りしきる雨音だけが響く、静かな店の中。私たちは、しばらくの間、言葉もなく互いを見つめ合っていた。彼の瞳の奥に、今まで見たことのないような、優しい光が揺らめいている気がした。
 この嵐のような日々の中で、私たち二人の間には、いつの間にか契約という言葉だけでは説明できない、特別な何かが芽生え始めている。その確かな予感が、私の胸を甘く締め付けていた。店の再建は、まだ道半ば。でも、彼となら――。そんな確信にも似た想いが、私の中に力強く湧き上がってくるのを感じていた。
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