鬼の花嫁は役行者に隷属契約されました~

藤森瑠璃香

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第二十八話:月影の湯浴(ゆあみ)、星影に揺れる恋心

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 役小角(えんのおづぬ)様の大きな手に引かれ、朱音(あかね)は湯けむりが立ち込める露天風呂へと足を踏み入れた。そこは、大きな岩をくり抜いて作られた野趣あふれる湯船で、周囲は背の高い檜(ひのき)の木々に囲まれ、外界から完全に隔絶された二人だけの空間となっていた。頭上には冴え冴えとした月が浮かび、その柔らかな光が湯面をきらきらと照らし出し、湯けむりと溶け合って幻想的な雰囲気を醸し出している。

「さあ、入れ。冷えてしまうぞ」
 役小角様に促され、朱音は意を決して身にまとっていた湯浴み着をそっと脱ぎ、白く滑らかな肌を恥じらいと共に夜気に晒した。そして、湯船の縁に腰を下ろし、ゆっくりと熱い湯に体を沈める。じんわりと体の芯まで温もりが染み渡り、先の戦いや長旅で凝り固まっていた心身が、ゆっくりと解きほぐされていくのを感じた。
 役小角様もまた、音もなく湯に入り、朱音のすぐ隣にその逞しい体を沈めた。いつもは白い狩衣に隠されている彼の鍛え上げられた肩や腕が、月光と湯気に照らされて露わになり、朱音は直視できずに顔を赤らめる。

「何をそんなに緊張している。まるで初めて湯に入る子供のようだな」
 役小角様が、くすりと喉の奥で笑う気配がした。そして、そっと朱音の濡れた髪を指で梳き、その細い項(うなじ)に優しく触れる。

「峠での戦い、そしてあの屋敷でのこと……お前は本当によく耐え、そしてその小さな体で、俺たちに大きな力を貸してくれた。誇りに思うぞ、朱音」
 その声は、いつになく穏やかで、そして深い慈しみに満ちていた。朱音は、彼の言葉の一つ一つが温かい雫のように心に染み渡るのを感じ、熱いものが込み上げてくるのを止められない。

「役小角様が……ずっと、そばにいてくださったからです……それに、義王様も、いつも私を守ってくださって……」
 震える声でそう言うと、役小角様はふっと息を吐き、朱音の肩を優しく抱き寄せた。湯の中で、互いの肌が触れ合う。そのあまりの近さと、彼の逞しい腕の感触に、朱音の心臓は早鐘のように高鳴り、顔から火が出そうだった。

「お前がそばにいれば、俺はどんな困難も乗り越えられる気がする。お前は、俺にとって…なくてはならぬ、かけがえのない存在だ」
 彼の熱い吐息が、朱音の耳元で囁かれる。その言葉の重さと、込められた真摯な想いに、朱音はまるで蕩(とろ)けてしまいそうだった。もう、彼への愛しさを隠すことなどできない。朱音は、そっと役小角様の胸に顔を埋めた。

 湯の中では、これまでの旅の思い出や、お互いの内に秘めていた素直な気持ちを、ぽつりぽつりと語り合った。役小角様が、家を出て一人で力を求めていた頃の孤独や、強大な力を持つが故の苦悩を、ほんの少しだけ朱音に打ち明けてくれたこと。朱音が、彼と出会ってからの日々の喜びや、彼を支えたいという強い想いを、涙ながらに伝えたこと。
 役小角様は、朱音の小さな手にそっとご自身の大きな手を重ねた。

「この手で、お前を守り続ける。この世のどんな邪悪からも、どんな悲しみからも。何があろうとも、必ずだ」
 その真摯な眼差しと言葉に、朱音はとめどなく涙が溢れ、彼の手に自分の手を固く重ね合わせる。
 やがて、名残惜しい気持ちを振り切るようにして湯から上がり、身支度を整えた朱音。湯上りのほんのり上気した肌は桜色に染まり、濡れた黒髪は月光を浴びて艶やかに輝き、そして潤んだ赤い瞳は、まるで宝石のようにきらめいている。その姿は、これまでに見たどんなものよりも美しく、役小角様はしばし言葉を失い、ただ息をのんで彼女を見つめていた。

「……朱音……お前は……」
 彼は、まるで初めて恋を知った少年のように、掠れた声で言った。
「まるで、この世の全ての光を集めたかのように……息をするのも忘れさせるほど、美しいな」

 その素直な感嘆の言葉に、朱音の頬はさらに赤く染まる。役小角様は、そんな朱音の顔を両手で優しく包み込むと、吸い寄せられるようにその唇を重ねた。それは、これまでのどんな口づけよりも深く、甘く、そしてお互いの魂を焦がすような、熱い口づけだった。湯けむりと月光が織りなす幻想的な光の中で、二人の影は一つに溶け合うように重なっていた。

 宿に戻ると、村は「山の神への感謝祭」の熱気にまさに包まれているところだった。広場の中央には大きなががり火が勢いよく燃え盛り、その周りでは、村人たちが笛や太鼓の陽気なリズムに合わせて、楽しげに輪になって踊っている。その光景は、朱音がこれまでに一度も見たことのない、生命力に満ち溢れたものだった。

「わあ……!」
 朱音は、その楽しげな雰囲気に目を輝かせた。すると、踊りの輪の中にいた村の娘たちが、朱音に気づいてにこやかに手招きをする。

「さあ、お嬢さんも一緒に踊りましょう!」
「え、私なんて……」

 戸惑う朱音の手を、娘たちが優しく引き、半ば強引に踊りの輪の中へと誘い入れる。最初はぎこちなく、周りの動きについていくだけで精一杯だった朱音も、村人たちの温かい手拍子と、魂を揺さぶるような祭囃子(まつりばやし)に導かれるように、次第にその動きは自然となり、いつしか彼女の顔には心からの笑顔が咲き誇っていた。故郷の村では決して味わうことのできなかった、無邪気な喜びと解放感が、朱音の全身を満たしていく。
 役小角様は、少し離れた木陰から、そんな朱音の姿を、これまで見せたことのないほど穏やかで、そして深い愛情に満ちた眼差しで見守っていた。彼の胸には、朱音の屈託のない笑顔を見ることの、言葉では言い尽くせないほどの幸福感が、静かに、しかし確かに満ちていく。その傍らで、義王もまた、いつものように静かに佇みながらも、主のその表情の変化に、微かな驚きと、そして深い安堵を感じているのだった。

 踊りが一段落すると、祭りのクライマックスとして、村長が厳かに山の神への感謝の祝詞(のりと)を読み上げた。そして、村人たちが一つ一つ願いを込めた無数の小さな灯籠を、夜空へと放ち始めたのだ。一つ一つの灯りが、まるで天の川からこぼれ落ちた星々のようにゆっくりと夜空を昇っていき、やがて広場全体を幻想的で息をのむほど美しい光で包み込んだ。
 朱音はその光景に深く感動し、そっと両手を合わせて静かに祈りを捧げる。

(役小角様と、ずっと、ずっと一緒にいられますように……)
 すると、役小角様がいつの間にか朱音の隣に立ち、彼女の小さな手を優しく握っていた。

「美しいな。この光景を、いつかまた二人で見よう。いや、必ず見る。お前となら、どんな未来も、きっとこのように輝いて見えるだろう」
 その囁きは、確かな未来への約束のように朱音の心に温かく響き渡り、満天の星が輝き始める夜空の下、二人の心は一つに結ばれていくのを感じた。
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