カガリマチ

和永由貴 Tomonaga Yuki

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第2章

13

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「すいません。修理費をお支払いするので、許して頂けませんか?」
「あんた、この子のお姉さんだったのか。」
「ええ、まあ。」



 ゲームセンターを出た私たちは、歩き始めた。
 路面は、昼すぎまで降っていた雨でぬれていて、ここ数日のなかでは、いちばん歩きやすい気温に感じた。

「あ、ありがとうございました。」
「外波山くんだよね?」
「は、はい。」

 名刺を受け取った彼は、私の名前を確認するかのように、それを眺めた。

「古島といいます。」
「は、はじめまして。」
「はじめましてじゃないのよ。お父さんのお葬式で、顔は合わせてるから。」
「すいません。」

 私が彼を一方的に見知っていただけだ。謝る必要はない。

「なんで、あんなことしたの?」
「あんなこと?」

 私がゲーム機をパンチするジェスチャーをすると、彼はうつむいた。

「―。むしゃくしゃしてました。」
「そうなんだ。」
「―、怒らないんですね?」
「いいじゃない。解決出来たんだから。」
「あ、必ずお返しします。」
「いいのよ。」

 大通りに出ると、彼は重そうに自転車を押しながら、歩き始めた。その横を、自転車に乗った学生たちが、下っていく。また雨が降りそうだ。私たちも急いだほうがいいと思った。

「ゲーム、好きなんだね。」
「いえ、まぁ、普通です。」
「普通なのに、ゲームセンター行く?」
「あまり家に居たくないので。」
「お母さんが嫌いなの?」
「―。」

 変な聞きかたをしてしまったのかもしれない。
 ただ、私は彼の、家の事情を知りたいと思っていたから、ついつい、そんな聞きかたをしてしまったし、それを続けてしまった。

「お父さんが亡くなったとき、ショックじゃなかった?」
「それは、まあ。もう話せないんだ、とかは。」
「おかしいとは思わなかった? 急に亡くなられたから。」
「食事の時に、薬を飲んでいるのを見たことがあったので、おかしいとは思いませんでした。」

 不可解な亡くなりかた。私は、田部の言葉を思い出した。薬も毒薬とかに聞こえてくる。

「つまらないことを聞くんだけど、外波山さんは、どうして亡くなったのかな?」

 イヤな間があいた。顔を見ようとしても、うつむきすぎで、分からない。
 彼は自転車を押しつづけながら、口を開いた。

「喋らなきゃいけませんか?」
「ごめんなさい。気になっていたから。」

 こっちを向いた彼の顔を見ながら、その言葉を口にした時、私はなんで、外波山さんが亡くなったことを、気になっていたのか分かった。
 父に似ていたからだ。声も似ていた。骨格が似ていたんだろう。
 それに、外波山くんもどことなく、弟に似ている。イライラがはじけて、モヤが消えたような気がした。

「母が言うには、松山区のホテルで亡くなっていたそうです。その、女性と一緒に。」
「え?」

 消えたはずのイライラが戻ってきた。わけもわからず、彼に聞いていた。

「どういうこと?」
「あ、父は、急性の大動脈解離だったらしいです。」

 血管の破裂。じゃあ、病死だ。
 彼が不思議に思わなかったのも、おかしくない。

「それに、その、女性が亡くなっていた、っていうのは、母の妄想かもしれないので。」
「妄想?」

 頭に重さを感じて、つむじらへんを触ると、髪が濡れていた。とたんに雨音が聞こえはじめた。
 最悪。私たちは、2階がファミレスになっている、建物の前で立ち止まっていた。
 ちょうどいい。

「もう少し、お話聞いてもいいかな?」
「あ、でも。」
「家に帰りたくないんでしょ?」





 19:52。
 迎えの連絡をもらい、私は、松山署に車を戻そうとしたが、建物のだいぶ手前の道中に、古島の姿があった。
 彼女は助手席に乗り込むと、勢いよく、扉を閉めてくれた。

「早過ぎない?」

 彼女を降ろしてから、15分も経っていない。座席に深く腰掛けながら、「一応、言伝だけ残してきました。」と返された。

「アポは、取って無かったの?」
「取ったところで、意味ないですよ。縦割りですから。」
「―。ご苦労様。」

 じゃあ、何のために来たんだ。と言いたくなったし、一瞬、自分のほうが労われるべきじゃないか、とも思えたが、買っておいたミルクティーとタバコを手渡した。

「いいですよ。そんな、気を遣って頂かなくても。」
「いいよ。もう買っちゃったし。紅茶、苦手だし。」
「じゃあ、頂いておきます。あとでお支払いするんで。」
「うんまぁ、どっちでもいいよ。それより、明日も空いてる? 今の時間。」

 喋りながら、デートの誘い文句のように思えて、嫌になった。

「無理です。当直なんで。」




「いらっしゃいませ。どうぞ。」
「じゃあ、ブルドッグを。」
「かしこまりました。」

 店の電話が鳴った。彼女は、入口側に置いてある、電話を取るために、カウンター内を小走った。

「はい、『パッション』でございます。今日ですか。あいにく、コースのご利用は―。ええ。かしこまりました。お時間は、はい。お名前、頂戴してもよろしいですか。タベ様。はい。お待ちいたしております。失礼いたします。」

 彼女が受話器を降ろしたタイミングで、お客からの声がかかった。

「サキさーん、そろそろ一曲聞かせてちょうだいよ。」
「ごめんなさい。ちょっとだけ、お時間頂けますか。」

 グレープフルーツをカットし、絞っているようだ。棚からスミノフを取った。
 今日は水曜にも関わらず、お客が多い。この店の定休日は日曜だが、火曜や水曜、週の真ん中を定休日にしている店もある。
 どうやら最近、愛知出身のロックバンドが、彼女の歌をカバーしたらしく、おかげで店内は、黄色い声が多い。

「お待たせしました。」

 彼女はロックグラスをカウンターテーブルに置いた。
 グラスの中には、乳白色の酒と、そこに浮く角氷。
 縁には、塩の結晶。

「少し、失礼いたしますわね。」

 彼女は、カウンターを出て、店の片隅に置いてあるギターを肩掛け、丸椅子に座った。

「では、えー、『カガリマチ』を。」

 何百回と聴いたイントロが奏でられる。
 口端で塩の味がした。


「はぁあああ」

 思わず、大あくびが出る。
 田部は車を、ビジネスホテル提携の機械式駐車場に入れると、こっちに向かって歩いてきた。

「出庫の際に、お渡し下さい。」
「どうも。」

 係員から駐車券を受け取ると、これもまたボロボロの、折り畳み財布にしまっていた。
 腕時計を見ると、20:37。そりゃ、あくびも出ますわ。

「どっちですか、お店。」

 私が尋ねると、田部はスマホを見ながら、向かって奥を指差した。伸ばした腕が、通行人にぶつかりそうになると、腕を縮め、「すいません。」と謝っていたが、私は、他人のふりをしてやった。
 いたるところの街灯に、『一3』と書かれた旗が、吊り下がっている。
 一色三丁目。名古屋有数の繫華街。居酒屋にラウンジ。ホテルに、バーに、ファッションヘルス。
 少し歩いただけでこれ。幾人もの、欲と人生が詰まっている。

「そのビルみたいだよ。」
 少し後ろから、田部の声が聞こえた。右を向くと、商業ビル。集合看板の文字を目で追うと、3階に目的の店『PASSION』があった。
 一歩、ビルに入ったところで、後れて来る田部を待った。

「歩くの早いね。」

 あんたが遅いだけだ。正面奥にエレベーター、左には、外にせり出た階段がある。

「行きましょう。」

 私は階段を上がり始めた。
 運転でお疲れであろう、田部には悪いが、頭か身体を動かしていないと、このままバッタリ眠ってしまいそうだ。

「こういう店には、良く来るの?」

 田部の質問とほぼ同時に、上のほうから、嬌声が一瞬聞こえた。
 その直後、サラリーマンが降りてきて、階段ですれ違う。お楽しみでしたか。お盛んですこと。

「酒が強くないから、一人でバーとか入るの、気が引けちゃって。」

 飲めない男が、一人でバーにいる姿を想像すると、笑えた。私が店員なら、早く帰ったら?って、言ってしまいそうだ。ってか、返事してないのに、よく喋るな、こいつ。
 3階まで上がり、少し通路を進むと、通路左右に、扉が1つずつ。その奥にエレベーター扉。
 さらに進んで、店の名前を確認した。

「ここみたいですよ。」

 後ろを振り向くと、田部の頭だけが見えた。

 おっそい。肩で息を切りながら、階段を上り終えて、私の目の前で止まった。400M泳ぎ切った直後か。

「入ろう。」

 口だけは達者だ。そんなことを考えている私を無視して、田部は取手に手をかけ、扉を引き開けた。


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