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第3章
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しおりを挟む8月10日、木曜日。13時55分。
私鉄の篝生(かがりお)駅に程近い、城西区のアパートの2階に通された私は、煩雑に物が置かれたダイニングテーブル、中川哲充(なかがわてつみち)の作業デスクの前に、腰掛けていた。
丸時計の文字盤が時刻を示していた。
「ファンか。嫌味かな。」
中川は、私と自分用のコーヒーを机に置くと、それを飲み始めた。私は、中川の顔を一方的に知っていた。朝だったか、夕方だったか。情報番組の司会をしていたのを、幼い頃に見た事があった。
今朝になってから、彼に電話で連絡を取った。篠村サキから紹介を受けた事、私の友人と篠村亜加里という女性が、共に死んだ事を伝えると、即座に会おうという流れになった。
ただ、こんな汚い部屋に通されるとは、正直思わなかった。
「私がいたテレビ局の、報道情報センターの局員が、彼女が起こした殺人事件を取材したんだよ。つまり、私でね。」
回りくどい言い方だった。私は、カップが多少汚れている事を躊躇いながら、コーヒーに口をつけ、尋ねた。
「どういった事件だったのでしょうか?」
「そうだな。」
中川は、机の上に置いてあったファイルを持ち上げた。
「田部君だったか。1つだけ聞いておきたいのだが、君の私情の慰めにのみ、今から話す事を利用してくれると、約束できるかね。」
「はい。」
あまりにも食い気味の返事だったかもしれない。
「―。分かった。」
中川からファイルを受け取ると、私は、それを開いた。週刊誌のコピーの切り抜き、ワープロで打たれたA4用紙と、手書きのメモが綴じられていた。彼はその内容を暗誦し始めた。
「彼女、篠村サキが事件を起こしたのは、今から33年前の8月。
殺害したのは、愛岐(あいき)鉄道の役員、篠村由郎(ささむらよしろう)。当時56歳。
君の友人と一緒に亡くなった、篠村亜加里の父親だ。
殺害場所は豊公区(とよこうく)、すぐそこの、諸名川(もろながわ)を下ったところにあった、ラブホテルの一室。由郎氏は、拘束具を付け、失血死した状態で発見された。」
「拘束具ですか?」
「そう。ホテルのSMルームで見つかった。彼女は、由郎氏を殺害後、そのまま部屋に滞在。ホテルの係員が、ベッドで横になっているところを発見し、通報。現場に到着した警察に、そのまま連行、身柄を拘束された。捜査後、検察は、彼女を嘱託殺人罪の容疑で起訴した。」
嘱託殺人。
「由郎氏が彼女に、自身の殺害を依頼した、という事ですか?」
中川は頷いて、再びコーヒーを飲んだ。
「由郎氏の直筆の遺書が、現場に残されていたのと、最も決定的だったのが、彼が買ったビデオカメラに残された映像だった。」
ビデオカメラ。
「自分の独白でも撮っていたのですか? 死にたい、殺してほしい、とでも。」
「確かに、独白も残されていたが、殺害前後の一部始終が残されていた。私も傍聴席で見たが、まるで、スナッフビデオだった。」
理解が追い付かない。中川は話を止めなかった。
「由郎氏は、自分で購入したビデオカメラを、ラブホテルに持ち込んだ。撮影されていたのは、彼の独白から始まり、サキさんが由郎氏に拘束具をつけ、それを全てつけ終わると、由郎氏はサキさんに対し、自身の殺害を、心臓をめった刺しにしろと、指示した。
彼女はナイフを手にし、由郎氏の胸部を刺した。正面からの映像だったから、映っていたのは、バスローブを着た彼女の背中側だけだったが。由郎氏の呻声が、物語っていたよ。」
気味が悪い。よくもつらつらと、表情を変える事も無く、人に語って聞かせられる。
いつの間にか、腿の上で広げていたはずのファイルは、椅子の横に立てかかっていた。
「サキさんが、カメラの前からはけると、胸から血を流し、力無くしなだれた、由郎氏が映された。身体は細かく震えているように見えたよ。まあ、映像のブレだったかもしれないがね。それから、彼女のすすり泣く声だけが聞こえて、流れたのは、そこまで。本当は、テープの残量が無くなるまで、録画されていたようだ。
彼女に下された判決は、執行猶予5年。起訴通りの量刑で、我々の邪推を肯定するような証拠は、公判で示されなかったし、誰も証言しなかった。」
「邪推?」
「同意殺人ではないのか、という事だ。」
同意殺人。
「彼女のほうが、殺したいと頼んで、それに由郎氏が同意したと?」
「映像を公開せずに、殺人罪での起訴だってありえた。当時の検事の判断は、立派だった。」
中川は、カップの中身を飲み干すと、カップを持って席を立ち、キッチン横に置かれた、コーヒーメーカーのサーバーを手にした。
コーヒーが注がれる音を耳にしながら、私は、ファイルを手に取った。
何枚かめくってから、新聞記事の切り抜きが無い事に、気づいた。
「中川さんは、いえ、マスコミはどう報じたのですか?」
中川は、カップの中身をスプーンで回しながら、元の席に着いて、カップを置き、口元に笑みを浮かべた。
「在名のテレビ局で、彼女の事件を報道したのは、うちの局だけだった。資本が、うちの局だけ違ったからね。他局は揃って、自社制作の番組では扱わなかった。彼女を起用していた局もあったし、殺害された由郎氏は、愛岐鉄道の役員。出資者の惨死を伝えるわけが無い。新聞社も同様。沈黙は金なり、かな。
全国ネットの番組で連日取り上げるほど、彼女の知名度は無かった。このご時勢なら―。いや、されなかったろうな。うちの局でも、2週間が限界だったし、週刊誌の報道も同じくだったよ。」
話を聞きに来た立場だったが、雄弁は銀だと実感した。
「篠村サキは、由郎氏の愛人だったのですか?」
「そう。まぁ、由郎氏は、サキさんと会う前に、既に離婚していたようだから、不倫では無かったが。事件前の因縁は、そのファイルに載せてある。持って帰って、読むといい。」
「よろしいんですか?」
「ああ。約束を守ってくれるのだろう?」
「はい。」
私はファイルをリュックの中にしまい、チャックを閉じた。中川はコーヒーを飲み、椅子に背を預けた。
机上にコーヒーが垂れている。私にはまだ、聞きたい疑問点があった。
「あと2つほど、よろしいですか?」
「砂糖かね?」
「いえ、質問です。」
「気が利かないね。」
私のカップのなかは、既に空であったから、どの意味においても、その言葉は、薄ら寒かった。
中川は、私のカップを取り上げると、再びキッチンに向いた。好意に甘える事にして、疑問をぶつけた。
「先ほどから、サキさん、と仰っていましたが。」
「ああ、それね。」
中川が、目の前にカップを置いてくれたため、私はわずかに会釈した。
「君、出身は?」
「愛知です。」
「いくつだね?」
「年齢ですか?」
「それ以外にあれば、答えてみなさい。」
「33です。」
「じゃあ、私をテレビで見た事は?」
「あります。」
返事はしたが、物凄く曖昧な記憶だった。
「私は会社を辞めて、フリーのアナウンサーになったのだが、結局1年で、アナウンサーとしての仕事が無くなってね。妻とも別居状態になり、今この有様だ。」
中川は、上半身を見せるようにして、両腕を広げた。五十肩か。右腕が左腕より下がっている。
「失礼ですが、今おいくつですか?」
「63だ。」
分相応。そう言われたら、その年齢に見える。
ただ、一応の礼儀で着ているであろうカーキのジャケットは、年季を感じさせるものだった。
「今は伝手を頼りながら、一応、ジャーナリストとして活動している。」
机の上は確かに、紙資料が山積みになっていて、PCや我々が、その中に埋もれている感じだ。
書棚にも、字面さえ見たことが無い本が並んでいる。ただ『愛知』や『名古屋』の文字が、その中に浮いているように見えた。
「では、彼女を取材している、という事ですか?」
「いいや。彼女に関しては、私は、ただの一ファンだよ。」
中川は、ジャケットの肩位置を直し、カップを持ち上げた。
「去年、いや、一昨年だったかな、店を訪れたのは。私は、彼女に謝りたかった。報道したのは、上層部からの指示でもあったが、私たち局員も、それに乗っかった。自分の中に、罪の意識はあった。」
私のほうを見ずに、独りごち始めた中川は、カップに口をつけてから、それを置いた。
見ると、こちらを向いて微笑んでいた。
「店を訪れた君なら分かると思うが、彼女、優しかっただろう?」
確かに優しそうだとは思った。
ただ、客商売なのだから、あれぐらいの丁寧さは、別段あって然るべきとも思えた。
「私の懺悔を聞き終わった彼女は、お辛かったでしょう、という言葉とともに、一杯のカミカゼをくれた。」
「カミカゼをくれた?」
「カクテルだよ。『救済』の意味があるらしい。それからだな。私があの店に通うようになったのは。」
中川は、再びどこか遠い目をし始めた。目の前の人間を、なるべくなら無視してほしくは無い。その意味も含めて、質問を続けた。
「どれくらいの頻度で、ですか?」
質問に応えるように、彼は向き直った。
「まあ多くて、月に1回。先月は行った時は開いてなかったが。定休日と盆正月以外は休まないと聞いていたから、おかしいと思ったんだが。」
あのバーを訪れる前に、スマホで店を調べた時、定休日が日曜になっていた事を思い出した。
「今月は行かれましたか?」
「そういえば、行ってないな。今度、一緒にどうだね?」
「ありがたいのですが、アルコールがダメでして。」
「ノンアルコールも出してくれるよ。私も今となっては、好きなだけ飲んでいいような、身体じゃないからね。」
「どういう事でしょうか?」
中川は、私の左を指差した。振り返ると、ロフトにつながる階段、いや、足場が広めの梯子があった。
「立ちくらんだ拍子に、あれを踏み外してね。病院で検査したら、軽度の脳梗塞と言われてしまったよ。ああ、それで、もうひとつの質問は何だったかね?」
中川の尋ねで、一3の店内と、それに関しての質問を思い出した。
「あのお店のマスター、いえ、シェフですか。どういった方か、ご存知ですか?」
「ああ。彼女が言うには、私のカミカゼだそうだ。」
意味が分かりにくい。救済者という事か。
「旦那さんという事ですか?」
「さあ。それ以上は踏み込まなかったよ。お互いにね。そういう意味では、私はやはり、ジャーナリストでは無いな。秘密を明らかにしようとするのが、仕事だからね。」
中川は、再びコーヒーを飲み干した。
「もう1つだけ、よろしいですか?」
「まだあるのかね?」
「初対面の私に対して、なぜ、こうも明け透けにお話し下さるんですか?」
中川は考えながら、答えた。
「人と喋れるうちに喋っておこうと思った。それだけだ。」
電車の放つブレーキ音、金属の摩擦音が聞こえた。私は、ファイルをリュックにしまった。
「ありがとうございます。お借りしていきます。」
アパートのそば、コインパーキングに戻り、運転席のドアを開けた私の顔を、熱風が襲った。車内は炎熱地獄であった。私はエンジンをつけて、車内に残していた缶コーヒーを持ち出して、車外に出た。
飲み口が熱を帯びていたため、プルトップに口をつけないようにして、コーヒーを口に注ぎ入れた。味やら、熱さやら、格好やら。罰ゲームのように思えた。
空き缶を足元に置き、ズボンのポケットからスマホを取り出し、ナビアプリに目的地を入力した。
リュックからタバコを取り出し、火をつける。
なんでこんなにも、夏の青空は綺麗なのだろう。車が冷えるのを、炎天下で待った。
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