カガリマチ

和永由貴 Tomonaga Yuki

文字の大きさ
17 / 28
第3章

15

しおりを挟む

 8月10日、木曜日。13時55分。
 私鉄の篝生(かがりお)駅に程近い、城西区のアパートの2階に通された私は、煩雑に物が置かれたダイニングテーブル、中川哲充(なかがわてつみち)の作業デスクの前に、腰掛けていた。
 丸時計の文字盤が時刻を示していた。

「ファンか。嫌味かな。」

 中川は、私と自分用のコーヒーを机に置くと、それを飲み始めた。私は、中川の顔を一方的に知っていた。朝だったか、夕方だったか。情報番組の司会をしていたのを、幼い頃に見た事があった。
 今朝になってから、彼に電話で連絡を取った。篠村サキから紹介を受けた事、私の友人と篠村亜加里という女性が、共に死んだ事を伝えると、即座に会おうという流れになった。
 ただ、こんな汚い部屋に通されるとは、正直思わなかった。

「私がいたテレビ局の、報道情報センターの局員が、彼女が起こした殺人事件を取材したんだよ。つまり、私でね。」

 回りくどい言い方だった。私は、カップが多少汚れている事を躊躇いながら、コーヒーに口をつけ、尋ねた。

「どういった事件だったのでしょうか?」
「そうだな。」

 中川は、机の上に置いてあったファイルを持ち上げた。

「田部君だったか。1つだけ聞いておきたいのだが、君の私情の慰めにのみ、今から話す事を利用してくれると、約束できるかね。」
「はい。」

 あまりにも食い気味の返事だったかもしれない。

「―。分かった。」

 中川からファイルを受け取ると、私は、それを開いた。週刊誌のコピーの切り抜き、ワープロで打たれたA4用紙と、手書きのメモが綴じられていた。彼はその内容を暗誦し始めた。

「彼女、篠村サキが事件を起こしたのは、今から33年前の8月。
 殺害したのは、愛岐(あいき)鉄道の役員、篠村由郎(ささむらよしろう)。当時56歳。
 君の友人と一緒に亡くなった、篠村亜加里の父親だ。
 殺害場所は豊公区(とよこうく)、すぐそこの、諸名川(もろながわ)を下ったところにあった、ラブホテルの一室。由郎氏は、拘束具を付け、失血死した状態で発見された。」
「拘束具ですか?」
「そう。ホテルのSMルームで見つかった。彼女は、由郎氏を殺害後、そのまま部屋に滞在。ホテルの係員が、ベッドで横になっているところを発見し、通報。現場に到着した警察に、そのまま連行、身柄を拘束された。捜査後、検察は、彼女を嘱託殺人罪の容疑で起訴した。」

 嘱託殺人。

「由郎氏が彼女に、自身の殺害を依頼した、という事ですか?」

 中川は頷いて、再びコーヒーを飲んだ。

「由郎氏の直筆の遺書が、現場に残されていたのと、最も決定的だったのが、彼が買ったビデオカメラに残された映像だった。」

 ビデオカメラ。

「自分の独白でも撮っていたのですか? 死にたい、殺してほしい、とでも。」
「確かに、独白も残されていたが、殺害前後の一部始終が残されていた。私も傍聴席で見たが、まるで、スナッフビデオだった。」

 理解が追い付かない。中川は話を止めなかった。

「由郎氏は、自分で購入したビデオカメラを、ラブホテルに持ち込んだ。撮影されていたのは、彼の独白から始まり、サキさんが由郎氏に拘束具をつけ、それを全てつけ終わると、由郎氏はサキさんに対し、自身の殺害を、心臓をめった刺しにしろと、指示した。
 彼女はナイフを手にし、由郎氏の胸部を刺した。正面からの映像だったから、映っていたのは、バスローブを着た彼女の背中側だけだったが。由郎氏の呻声が、物語っていたよ。」

 気味が悪い。よくもつらつらと、表情を変える事も無く、人に語って聞かせられる。
 いつの間にか、腿の上で広げていたはずのファイルは、椅子の横に立てかかっていた。

「サキさんが、カメラの前からはけると、胸から血を流し、力無くしなだれた、由郎氏が映された。身体は細かく震えているように見えたよ。まあ、映像のブレだったかもしれないがね。それから、彼女のすすり泣く声だけが聞こえて、流れたのは、そこまで。本当は、テープの残量が無くなるまで、録画されていたようだ。
 彼女に下された判決は、執行猶予5年。起訴通りの量刑で、我々の邪推を肯定するような証拠は、公判で示されなかったし、誰も証言しなかった。」
「邪推?」
「同意殺人ではないのか、という事だ。」

 同意殺人。

「彼女のほうが、殺したいと頼んで、それに由郎氏が同意したと?」
「映像を公開せずに、殺人罪での起訴だってありえた。当時の検事の判断は、立派だった。」
 中川は、カップの中身を飲み干すと、カップを持って席を立ち、キッチン横に置かれた、コーヒーメーカーのサーバーを手にした。
 コーヒーが注がれる音を耳にしながら、私は、ファイルを手に取った。
 何枚かめくってから、新聞記事の切り抜きが無い事に、気づいた。

「中川さんは、いえ、マスコミはどう報じたのですか?」

 中川は、カップの中身をスプーンで回しながら、元の席に着いて、カップを置き、口元に笑みを浮かべた。

「在名のテレビ局で、彼女の事件を報道したのは、うちの局だけだった。資本が、うちの局だけ違ったからね。他局は揃って、自社制作の番組では扱わなかった。彼女を起用していた局もあったし、殺害された由郎氏は、愛岐鉄道の役員。出資者の惨死を伝えるわけが無い。新聞社も同様。沈黙は金なり、かな。
 全国ネットの番組で連日取り上げるほど、彼女の知名度は無かった。このご時勢なら―。いや、されなかったろうな。うちの局でも、2週間が限界だったし、週刊誌の報道も同じくだったよ。」

 話を聞きに来た立場だったが、雄弁は銀だと実感した。

「篠村サキは、由郎氏の愛人だったのですか?」
「そう。まぁ、由郎氏は、サキさんと会う前に、既に離婚していたようだから、不倫では無かったが。事件前の因縁は、そのファイルに載せてある。持って帰って、読むといい。」
「よろしいんですか?」
「ああ。約束を守ってくれるのだろう?」
「はい。」

 私はファイルをリュックの中にしまい、チャックを閉じた。中川はコーヒーを飲み、椅子に背を預けた。
 机上にコーヒーが垂れている。私にはまだ、聞きたい疑問点があった。

「あと2つほど、よろしいですか?」
「砂糖かね?」
「いえ、質問です。」
「気が利かないね。」

 私のカップのなかは、既に空であったから、どの意味においても、その言葉は、薄ら寒かった。
 中川は、私のカップを取り上げると、再びキッチンに向いた。好意に甘える事にして、疑問をぶつけた。

「先ほどから、サキさん、と仰っていましたが。」
「ああ、それね。」

 中川が、目の前にカップを置いてくれたため、私はわずかに会釈した。

「君、出身は?」
「愛知です。」
「いくつだね?」
「年齢ですか?」
「それ以外にあれば、答えてみなさい。」
「33です。」
「じゃあ、私をテレビで見た事は?」
「あります。」

 返事はしたが、物凄く曖昧な記憶だった。

「私は会社を辞めて、フリーのアナウンサーになったのだが、結局1年で、アナウンサーとしての仕事が無くなってね。妻とも別居状態になり、今この有様だ。」

 中川は、上半身を見せるようにして、両腕を広げた。五十肩か。右腕が左腕より下がっている。

「失礼ですが、今おいくつですか?」
「63だ。」

 分相応。そう言われたら、その年齢に見える。
 ただ、一応の礼儀で着ているであろうカーキのジャケットは、年季を感じさせるものだった。

「今は伝手を頼りながら、一応、ジャーナリストとして活動している。」

 机の上は確かに、紙資料が山積みになっていて、PCや我々が、その中に埋もれている感じだ。
 書棚にも、字面さえ見たことが無い本が並んでいる。ただ『愛知』や『名古屋』の文字が、その中に浮いているように見えた。

「では、彼女を取材している、という事ですか?」
「いいや。彼女に関しては、私は、ただの一ファンだよ。」

 中川は、ジャケットの肩位置を直し、カップを持ち上げた。

「去年、いや、一昨年だったかな、店を訪れたのは。私は、彼女に謝りたかった。報道したのは、上層部からの指示でもあったが、私たち局員も、それに乗っかった。自分の中に、罪の意識はあった。」

 私のほうを見ずに、独りごち始めた中川は、カップに口をつけてから、それを置いた。
 見ると、こちらを向いて微笑んでいた。

「店を訪れた君なら分かると思うが、彼女、優しかっただろう?」

 確かに優しそうだとは思った。
 ただ、客商売なのだから、あれぐらいの丁寧さは、別段あって然るべきとも思えた。

「私の懺悔を聞き終わった彼女は、お辛かったでしょう、という言葉とともに、一杯のカミカゼをくれた。」
「カミカゼをくれた?」
「カクテルだよ。『救済』の意味があるらしい。それからだな。私があの店に通うようになったのは。」

 中川は、再びどこか遠い目をし始めた。目の前の人間を、なるべくなら無視してほしくは無い。その意味も含めて、質問を続けた。

「どれくらいの頻度で、ですか?」

 質問に応えるように、彼は向き直った。

「まあ多くて、月に1回。先月は行った時は開いてなかったが。定休日と盆正月以外は休まないと聞いていたから、おかしいと思ったんだが。」

 あのバーを訪れる前に、スマホで店を調べた時、定休日が日曜になっていた事を思い出した。

「今月は行かれましたか?」
「そういえば、行ってないな。今度、一緒にどうだね?」
「ありがたいのですが、アルコールがダメでして。」
「ノンアルコールも出してくれるよ。私も今となっては、好きなだけ飲んでいいような、身体じゃないからね。」
「どういう事でしょうか?」

 中川は、私の左を指差した。振り返ると、ロフトにつながる階段、いや、足場が広めの梯子があった。

「立ちくらんだ拍子に、あれを踏み外してね。病院で検査したら、軽度の脳梗塞と言われてしまったよ。ああ、それで、もうひとつの質問は何だったかね?」

 中川の尋ねで、一3の店内と、それに関しての質問を思い出した。

「あのお店のマスター、いえ、シェフですか。どういった方か、ご存知ですか?」
「ああ。彼女が言うには、私のカミカゼだそうだ。」

 意味が分かりにくい。救済者という事か。

「旦那さんという事ですか?」
「さあ。それ以上は踏み込まなかったよ。お互いにね。そういう意味では、私はやはり、ジャーナリストでは無いな。秘密を明らかにしようとするのが、仕事だからね。」

 中川は、再びコーヒーを飲み干した。

「もう1つだけ、よろしいですか?」
「まだあるのかね?」
「初対面の私に対して、なぜ、こうも明け透けにお話し下さるんですか?」

 中川は考えながら、答えた。

「人と喋れるうちに喋っておこうと思った。それだけだ。」

 電車の放つブレーキ音、金属の摩擦音が聞こえた。私は、ファイルをリュックにしまった。

「ありがとうございます。お借りしていきます。」



 アパートのそば、コインパーキングに戻り、運転席のドアを開けた私の顔を、熱風が襲った。車内は炎熱地獄であった。私はエンジンをつけて、車内に残していた缶コーヒーを持ち出して、車外に出た。
 飲み口が熱を帯びていたため、プルトップに口をつけないようにして、コーヒーを口に注ぎ入れた。味やら、熱さやら、格好やら。罰ゲームのように思えた。
 空き缶を足元に置き、ズボンのポケットからスマホを取り出し、ナビアプリに目的地を入力した。
 リュックからタバコを取り出し、火をつける。
 なんでこんなにも、夏の青空は綺麗なのだろう。車が冷えるのを、炎天下で待った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

処理中です...