カガリマチ

和永由貴 Tomonaga Yuki

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第4章

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「雨、強いですね。」

 マンションの敷地から出たところで、傘越しに沙樹の声が聞こえた。
 雨音にかき消されることの無い、はっきりと通る声だ。

「そうだな。」

 思ってもいない事だったが、同意の相槌を打った。
 自分の腕時計を確認すると、午後7時30分過ぎ。
 普段なら、既に店にいる頃だが、今日は、晩御飯の材料の買出しに、スーパーマーケットに向かっている。
 とはいえ、こうやって歩いて行っても、3分もかからない。好立地だと、個人的には思う。

 車が横を通り過ぎていった。
 その音で、今が雨だと再確認する。
 さっき見た天気予報では注意報と出ていたが、そこまで強くは感じない。
 が、ゲリラ豪雨がある。いつ強雨にさらされるか、分かったもんじゃない。
 いつから、こんな熱帯的な気候になってしまったのか。

「何が食べたい?」
「何でもいいです。」

 そう言われると困る。
 が、久しぶりの休みだ。今日は豪勢にするつもりだったのだが、如何せん、買いに出るのが遅かった。
 息子に呼び出されたせいで、就寝がずれ、こんな時間になってしまった。
 なるべく時間がかからないものにしよう。

 何を作るか決める間もなく、スーパーの入り口に着いていた。
 スロープを上りながら、傘を閉じ、カートを一台、引き出した。

「あたしが押します。」
「いや、いい。自分で押す。ありがとう。」

 沙樹の好意を無為にするのは、申し訳なかったが、自分で押して周るほうが、気が楽だ。
 ただ、いつもみたいに自分ひとりで周るわけでは無いのだから、彼女に押してもらったほうがいいかもしれない。
 カートに買い物カゴを入れて、結露まみれの自動ドアをくぐった。
 このスーパーは生鮮ものが売りだ。特に魚。この時期だと、マグロ、アジ、イワシ。
 沙樹は、あまり生魚を好まないから、火を通したもの。自分ひとり食べるなら、アジフライが良いが、イワシをマリネにしようと決め、果物売り場を通り過ぎようとした。

「ブドウ買ってもいいですか?」

 沙樹の声に立ち止まった。
 やはり、彼女に押してもらっておけば良かった。

「すまんな。勝手に行こうとして。」
「いいです。そんなこと。」

 相変わらず、沙樹は優しい。
 誰に対しても。
 ただ、いつまで経っても、沙樹は私に対して、敬語を外さない。
 彼女は、並んだ巨峰をゆっくりと眺めたあと、その一つを手にし、カゴのなかに入れ、微笑んだ。
 再びカートを押し始めて、角を曲がり、野菜売り場へと向かった。

 いつもは、昼にしか来ないから気づかなかったが、この時間帯でも、店内がかなり混雑している。
 普段以上だ。まだ帰省する前だろうか、若い夫婦連れも見える。
 が、あらためて認識した。ゆっくりと買い物をするには、あまりに繫盛している。
 買い物客を縫うようにして移動し、通路の角を曲がって、パプリカを手に取った。

「キレイ。自然とこんな色になるんですか?」

 カゴに入れたパプリカを見て、沙樹が口を開いた。

「ピーマンも放っといたら、こういう色になる。」
「そうなんですね。」

 色味のことか。
 やはり沙樹は、味に感心があまり無い。というより、食が細い。どんな料理を作っても、少しずつ残されてしまう。こう言ってはアレだが、あまり作り甲斐が無い。
 その反動からか、店で出す料理が、仕込みのかかるものが増えてしまった。

 どうしても、店の事を考えてしまう。
 なぜだろうか。私も例に漏れず、退職後に居場所を無くすタイプだろう。ただ、沙樹をこれ以上、店に立たせ続けるわけにもいかない。この齢になっても、葛藤というものをしなければいけないとは、思ってもみなかった。
 玉ねぎもカゴに入れ、場所を移動したが、使いたかったしめじがごっそりと無い。セールだったようだ。値札だけが鎮座している。
 代用にと決めたエリンギを入れて、鮮魚売り場へと移動した。

「ああ、青木さん、この時間に。珍しいですね。」

 向かった売り場の手前で、加藤(かとう)君に声をかけられた。
 最初は、彼が店長なのだろうと思っていたが、毎日のように顔を合わせているうちに、商社を辞めた後、この店に勤め、副店長になったのだと知った。
 手になにやら機械を持っている。
 値下げのシールを貼っている最中のようだった。

「今日は奥さんも。前にみえた時と変わらず、お綺麗で。こんばんは。」

 加藤君の挨拶に対して、沙樹は笑顔を見せ、会釈した。
 いちいち異母妹だと名乗るのも、煩わしいのだろう。
 彼女は、女房然とした態度を見せた。

「いや、ほんと、馬子にも衣装です。」

 褒めているつもりだろう。
 誤った社交辞令を流して、尋ねた。

「イワシある?」
「この時間は、もう無いですよ。」

 鮮魚売り場の正面、氷が敷かれたショーケースには、金目鯛が赤々と取り残されていた。
 あのサイズだと、一晩寝かして、アクアパッツァに丁度いい。
 明日用に買っておこう、

「なに作られる予定でした?」
「マリネのつもりだったけどね、」
「ああ、マリネだと、うん、サーモンでしたらね。まだ、あっちに、」

 言葉を続けながら、別のショーケースを案内され、我々も、そちらに移動した。
 たしかに、ケースの中には、さくに切られたサーモンが並んでいたが、どれも少し大きい。いっそ、大きめを買って、ソテーも作ろうか。
 そう考えていると、加藤君が、我々の横を離れようとしたため、慌てて呼び止めた。

「あの金目を1つ、お願いできる?」
「ありがとうございます。下ろしたほうがいいです?」
「そのままで大丈夫。」
「分かりました。ちょっとだけ、待っとって下さいね。」

 彼は、氷のショーケース横の、扉の奥に入って行ったが、すぐにポリ手袋をはめて、金目鯛を1つ持ち、また奥へと消えた。

「元気なかたですね。」

 沙樹の言う通りだ。
 いつも会う時と何ら変わらない。あのペースで仕事していたら、自分だったら1時間も保たない。よっぽど、この職が合っているのだろう。昼間に会った息子の事を思っても、彼のほうがハツラツとしている。いや、悠一が大人し過ぎるのか。
 扉から出てきた加藤君から、パックしてもらった金目鯛を渡された。

「お待たせしました。割引いときましたんで、そのままレジさんが通そうとしたら、ひとこと言ってくださいね。」

 よく見ると、値札シールの上に、『商品価格より2割引』が貼られていた。

「ありがとう。悪いね。」
「いやいや。じゃあ、またどうも。」

 彼は、我々に頭を下げて、再び商品のシール貼りの作業を始めた。
 彼を店長だと誤解していたのは、こういった裁量のためだった。
 2割引きか。早いこと、下処理したほうがいいだろう。アクアパッツァに使うアサリを探そうと、別のショーケースに移動した。

 ふと、ケースの中で幅を利かせていた、鰻の蒲焼きが目に留まり、認知症の予防のために、沙樹に書かせ始めた日記の事を思い出した。
 このあいだの土用丑で食べた時には忘れていたが、たしか、浜松にいた頃は、鰻が苦手だと言っていた。20年以上も前の事だ。名古屋に来て一緒に住むようになってからは、聞いた覚えが無い。

 私は、幼少期の沙樹を知らない。
 父が東京にいた頃、出来た子が私であり、その父が母と別れ、名古屋に移り住み、再婚して出来た子が、沙樹だ。 
 初めて会ったのは、私が42の時。彼女は、篠村亜加里の下から逃れて、浜松のスナックで雇われママとして働いていた。
 完全な偶然だった。

「今日は、金目鯛のマリネ?」

 沙樹の声で我に返った。
 一瞬、自分がどこにいるのか、分からなくなっていたが、沙樹のほうに目をやると、彼女は、買い物カゴの中を覗いていた。

「これは、明日の分だ。今日はサーモンだ。」
「じゃあ、取ってきます。」

 いや、と言いかけたが、カゴの中にサーモンは入って無かった。
 私も検査を受けたほうがいいかもしれない。
 そう思いながら、彼女の後ろをつくように、歩いた。




 ふう。
 とりあえずシーズン1、見終わった。やっぱり何回見てもいい。
 シーズン1と2。それに劇場版。たぶん、全部を5回ずつは見た。
 22:53。もうそんな時間? 寝食を忘れてというのは、こういうことだ。
 見始める前に、しっかりと爆睡したが。腹減った。

 冷蔵庫に、なんかあったっけ?

 なるほど。
 チーズおかき。うん。あとは、カシスチェリー。
 気になって、買ってはみたけど、果たして、カシスとチェリーは合うのか? 
 
 及第点。
 いや、下回ってきた。結論、カシスとチェリーは合いません。ただ、酒とチーズおかきは合う。
 チーズおかき、最強。

 さて、シーズン2見よ。
 見終わんの、何時? 5時ぐらいか。まあ、いいや。明日も休みだし。お盆じゃなくても、いつでも家に帰れるし。それにしても、オープニングが良い。
 ここの理子(りこ)は愛せる。

 あー、連絡来てるわー。
 めんど。
 こっちは、寝食と仕事を忘れたいんだわ。

 見たい映画があるので、一緒に行きませんか。

 あ、『アピア』って、もう公開されてるっけ?



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