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終章
23
しおりを挟む枕元の置時計。
2時。年齢を重ねたら、睡眠の時間が短くなる。けど、だいたい7時間は寝たほうがいい。夜に見たテレビで、学者の人が言っていた。ちゃんと実践できたみたい。
ベッドから体を起こす。腰が軽い。効果的な睡眠の効果。というよりも、連休の効果か。それに、頭も重い。
顔を洗いに、寝室から洗面所に向かう途中、玄関のドアが開いた。
「ああ、起こしたか。」
ドアの音を聞いてから、起きあがって、今こうして廊下に立つのに、何秒かかるかを考えられないのだろうか。
手には、昨日行ったスーパーのロゴが入ったレジ袋と、細長い紙袋。
上のほうが少し濡れてしまっている。
「おはようございます。」
「これから作るから。明太フランス。」
「いいですね。顔を洗って待ってます。」
洗面所の電気をつけた。
明太フランス。近くのあのベーカリーでバゲットを買ったとすれば、小さいサイズの明太フランスが売っていたはず。料理をするのが好き。料理をしている自分が好き。料理人の性。それとも、売り切れていたのか。
水とお湯の調節をする。起きたらまず、ぬるま湯で顔を洗う。私の習慣だ。顔を拭くタオルが温かい。
幸せだと感じてしまう。
ごめん。両方とも、仕事だわ。私のぶんも代わりに、お願い。
気分が滅入る。
参った。せっかく映画の余韻に浸っていたというのに。便座の上で、下山先生の訃報を聞かされるとは、思ってなかった。スマホも重く感じる。はぁ。出るか。
名古屋に来て、初めて映画館来たけど、田舎となんも変わんない。トイレも変わんない。当たり前か。
先生って、いくつだったんだ? 私が中学の時に、30いってないぐらいだったはずだから、今は40ぐらいか。交通事故か。やっぱり車買うの、やめたほうがいいな。
眉が、どうしても気に入らない。
直すか。いや、面倒だな。グロスだけ。
けど、やっぱ、人多すぎ。映画館のトイレの鏡の前で、後ろに並ばれるの、初めてだわ。途中、うとうとしちゃったし。おとなしく、サブスク解禁を待てばよかった。そんなこと言っちゃダメか。
ハンカチ。
あ、ありました。忘れずに持ってました。偉いんです、私。
肌もヤバい。でも、どうしようもないもんな。遺伝だもんな。サプリも飲んでは、いるんですけど。治りませんです、私。
とりあえず、押さえとくか。
後ろのかた、隣が空きましたよ。いつまでも、スマホをいじっていないで、隣に、
「父と母の仲が、最悪だったからだと思います。」
私の質問に対して、外波山くんは、コーラを飲んでから話し出した。
「僕が中学の時、両親からそれぞれ、離婚するかもしれない、という話を聞かされました。僕のほうから、いちいち理由は聞きませんでしたが、父と母の言いかたの違いで、原因は、母のほうかもしれないと思いました。」
「言いかたの違い?」
「父は、僕を自室に呼び出して、「すまん。」と謝りながらでしたが、母は、ダイニングでピザを食べながら、「あたしたちが離婚したら、あんた、お父さんのほうだからね。」と、軽い言いかただったので。」
はあ。親権もいらないとか、最低。
「なんで、ご両親は離婚しなかったのかな?」
「わかりません。ただ、ちょうどその話が出たあと、母がガンの手術をして、それで入院したので、立ち消えになったのかもしれません。」
「お父さんは、お見舞いとか、行ってた覚えある?」
「はい。毎日行っていたと。一週間ほどでしたが。」
やっぱ、いいお父さんだったんだ。
「お母さんも警察官だったの?」
「なんで、そんなこと聞くんですか?」
そう思うか。
「経験上ね、警察官同士の結婚が多いから。」
「そうなんですか。でも、母は結婚するまでは、歯科助手をしていたそうです。」
歯科助手か。
歯医者で知り合ったって事か?そんなことある?
うーん。
「なんで結婚したんだろうね。」
「たしか、お見合いだったはずです。」
時代だな。
とりあえず、頭の中を整理したい。あれ、もう飲み干したっけ。
注いでくるか。
「ごめんね。ちょっと入れてくる。」
「はい。」
えーと、外波山課長は、松山区のホテルで病死。
それを妻の純子さんが、松山署に引き取りに行った際に、女性と亡くなったと妄信。理由は、夫婦関係が最悪だった。3,4年前には、離婚の可能性があったほど。親権は父親。
スマホゲーム。なにやってんだろう。杖を振り回す少女。露出度高っ。スリットどころじゃなくね? っていうか、相手がドリンクバー行ってる間にもやんの?
スキマ時間の使いかた、スゴ。
「ごめんね。もう少し、話を聞いてもいいかな?」
「あ、はい。すいません。どうぞ。」
「外波山くんは、お父さんの事が好きだった?」
「あんな人間には、なりたくありません。」
は?
「母が退院してから、父は母に、暴力を振るうようになりました。外目には分からないような場所を狙って。なので母は、父が死んでよかったと思っていると思いま、」
「ちょっと待って。」
あの外波山課長が?
そんなはずがない。
吐き気がする。
「大丈夫ですか? 汗が。」
「ええ。大丈夫。ごめんなさい。」
なんでこの子、平然といられるんだろう。
私がおかしいのか。落ち着こう。
退院してから。でも、その前から離婚でもめていた。その理由は、外波山くんは聞いていない。夫婦仲に何があったのかを、この子からは聞くのは。
ムリか。
隣で手を洗い始めた女が、陽純(はるずみ)くんにそっくりだ。
見た事もある顔。
外波山純子(とばやまじゅんこ)だ。
篠村亜加里 枩岡(まつおか)女子大学 人間社会学部心理学科心理学専攻 教授
研究キーワード:臨床心理学/精神分析
先ほど調べた事をチラシの裏に書いた。
今、スマホの検索で調べているのは、「ささむら 愛知」だったが、何も得たい情報は出ない。そもそも、得たい情報であるかも分からず、気づけば、灰皿は山盛りになっていた。
げっぷが出た。酢と生魚の臭いで、鼻と目をやられた。まだ、胃の中にあったのかと驚く。
一刻も早く、彼女に会いたい。居場所はどこだろうか。
中川なら知っているか。私は、検索画面を消して、履歴から電話をかけたが、数コールしたのちに、切られた。
そこまでして、電話に出るのが嫌なのか。気分は分からなくもないが、そんなに気難しいそうな人にも見えなかった。借りているファイルも返さなければいけない。
カーテンの向こうが閃光し、数秒後に、破裂音と振動が訪れた。
不要不急の外出は控えましょう。この場合は、要急でもか。この轟音のなかでは、まして疲れてもいない。寝るのは無理だ。
ただ、タバコを吹かすしか無いが、山盛りであった事を思い出し、灰皿を持って、部屋を出た。
腹が鳴る。
ドーナツ2個では、空腹を紛らわす事は出来なかった。
映画館のトイレから出てきた古島さんから、もう少し付き合ってほしい、と言われるがまま、左前の席に座っている2人を尾けている。ドーナツを食べながら、尾行の理由を尋ねたが、教えてはくれなかった。
不平等だ。
『次は、弁天坂(べんてんざか)。弁天坂です。』
誰もボタンを押さない。
聞き慣れた地名。職場である東風署の最寄りの停留所であり、おそらく官舎の最寄りでもある。と言っても、官舎までは、だいぶ歩かなければいけない。
普段は自転車通勤だ。
『通過いたします。』
乗車客もいないのか。
なんとなくホッとしながら、再びバスは、坂を下り始めた。
『次は、地下鉄水込(みずごめ)。地下鉄水込です。』
女性のほうは、身長160センチ弱。
中肉中背。年齢は40代、いや50代か。男のほうは、瘦せ型。身長180センチ強。20代後半か、30前半。やはり、自分より年長の人間は、年齢が分かりづらい。
2人の距離感からみて、恋人だろう。映画館から飲食店に入るあいだ、手を繋いでいた。そんな親子がいるはずが。
いや、いるか。
『次、停まります。』
誰かが、ボタンを押したのだろう。
乗客は自分たちを含め8人。送風の音が耳横を流れていたが、揺れとともに車内灯が点き、再び騒音が戻ってきた。
右に座っている古島さんは、目つき鋭く、尾行対象の2人を見ている。そんな見方をしていたら、気づかれる。
気づかれた時には、どう誤魔化すつもりでいるんだろう。
「雨すごいですよね。いつまで降るんだろう。」
「知りません。」
気を遣わなければよかったと後悔しながら、バスが停車した。
優先席に座っていたお年寄りが立ち上がり、降車していく。同時に、乗車口からは、17,8歳の男子が4人、傘を突きながら乗り込み、座席に着いた。
バスは東に、坂を上っていく。この路線はたしか、ここから先、目立つ物は大学と病院しかない。それか、風変わりな商品を出す事で有名な喫茶店。こっちに赴任してから、一度もお目にかかった事は無い。あの店に行くのだろうか。
女性の左手がボタンに伸びた。
『次、停まります。』
古島さんを見ると、背筋を伸ばして、真っすぐ前を向いていた。どんな誤魔化しかただ。
今日半日を過ごした印象としては、やはり、真面目な人だ。ただ、トイレを出てきてからは、詮索好きの変人と化した。まあ、警官がついているんだから、ストーカー行為にはあたらない。いや、職務外だ。該当する。
どこまで尾けるつもりだろう。いや、いつまで。腕時計を見ると、15:05。なぜ、時計を見ると、無条件にあくびが出るのだろう。
それほど退屈だという事か。
『石岡町(いしおかまち)。石岡町です。』
運転手のアナウンスに合わせて、バスが停車すると、対象の2人が席を立った。
2人につられるように、自分たちも降り、傘をさす。
ほぼ真後ろを尾こうとした彼女に驚き、手を引いた。
「少しだけ、距離を。」
僕の小声に頷き、2人とは逆方向に歩き始めた。
大雨で人が少ない。雨水はとどまる事無く、アスファルトの路面を下っていく。振り返ると、赤と紺の傘が、西に動いていく。
古島さんも、その2人の姿を見続けていたが、彼女の横顔が僕に向いた。
「もういいですよね?」
僕がそれに頷くと、自分たちも西に歩く方向を変えた。
すぐに、2人が右に折れて、見えなくなった。途端に、流れる雨水をはじきながら、彼女が小走りになり始めた。
「危ない」思わず口をついた。
彼女は、そのまま少しだけ小走りだったが、ゆるやかに歩調を遅め、自分も古島さんの横についた。
「すいません。声を荒げてしまって。」
「いえ。」
彼女は歩きながら、ハンカチをカバンから取り出して、濡れていた顔と前髪を拭き始めた。
どう考えても、押さえきれないだろう。靴もパンツの裾も、濡れついている。自分もまた然り。スニーカーのなかから、チャパチャパと音がする。
私たちも角を曲がり、北を向いた。今度は上り坂だ。
まだ傘は、20メートル先に見えている。
「今、何時です?」
古島さんに尋ねられ、時計を見た。
「15時14分ですけど。」
逮捕でもするつもりか。
何の現行犯だ。こっちがその気なら、ストーカー規制法違反の容疑で逮捕でき、ないな。明日からも毎日お願いします、などと言われれば、話は別だが。
ふと、自分たちも誰かに尾けられているのでは、と不安になり、傘の隙間から後ろを覗くと、誰もいない。ため息が出る。何を考えているのだろう。自分も古島さんも。
と思うと、さっきまで真横にいた古島さんが、だいぶ前を歩いている。
いつの間に。
駆けようとすると、古島さんの声が聞こえた。その声に、女性のほうが立ち止まり、ついで男のほうも止まった。女性の名前を呼んだのか。男のほうは、マンションの入口階段を上がったところだ。
「どなた?」
女性が尋ねる声。
ようやく追いついた。
女性と一瞬目が合った。口紅が赤い。
その目は、すぐに古島さんのほうに向けられた。
「―。息子さんに悪いとは思わないのですか?」
不倫か。
それを糾弾したかった? ただ、問われた相手の目は、彼女を見据えた後、マンションに向けられ、女は階段を上がり始めた。古島さんは黙ったままで、2人は自動ドアの奥に入っていった。
ガラスの向こうで、男が女に話しかけている。
「すいません。行きましょう。」
真横で聞こえた声に向くと、彼女は来た道を戻り始めた。
自分もそれに着くように歩き、やはり気になっていた事を尋ねた。
「誰です、あの女性。」
「幸せな家族って、なんなんですかね?」
自分の質問には全く答えてもらえなかったが、少し考えてから答えた。
「平凡じゃないですか。普通というか。」
「私もそう思います。」
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