カガリマチ

和永由貴 Tomonaga Yuki

文字の大きさ
25 / 28
終章

23

しおりを挟む


 枕元の置時計。
 2時。年齢を重ねたら、睡眠の時間が短くなる。けど、だいたい7時間は寝たほうがいい。夜に見たテレビで、学者の人が言っていた。ちゃんと実践できたみたい。
 ベッドから体を起こす。腰が軽い。効果的な睡眠の効果。というよりも、連休の効果か。それに、頭も重い。
 顔を洗いに、寝室から洗面所に向かう途中、玄関のドアが開いた。

「ああ、起こしたか。」

 ドアの音を聞いてから、起きあがって、今こうして廊下に立つのに、何秒かかるかを考えられないのだろうか。
 手には、昨日行ったスーパーのロゴが入ったレジ袋と、細長い紙袋。
 上のほうが少し濡れてしまっている。

「おはようございます。」
「これから作るから。明太フランス。」
「いいですね。顔を洗って待ってます。」

 洗面所の電気をつけた。
 明太フランス。近くのあのベーカリーでバゲットを買ったとすれば、小さいサイズの明太フランスが売っていたはず。料理をするのが好き。料理をしている自分が好き。料理人の性。それとも、売り切れていたのか。
 水とお湯の調節をする。起きたらまず、ぬるま湯で顔を洗う。私の習慣だ。顔を拭くタオルが温かい。
 幸せだと感じてしまう。




  ごめん。両方とも、仕事だわ。私のぶんも代わりに、お願い。



 気分が滅入る。
 参った。せっかく映画の余韻に浸っていたというのに。便座の上で、下山先生の訃報を聞かされるとは、思ってなかった。スマホも重く感じる。はぁ。出るか。
 名古屋に来て、初めて映画館来たけど、田舎となんも変わんない。トイレも変わんない。当たり前か。
 先生って、いくつだったんだ? 私が中学の時に、30いってないぐらいだったはずだから、今は40ぐらいか。交通事故か。やっぱり車買うの、やめたほうがいいな。

 眉が、どうしても気に入らない。
 直すか。いや、面倒だな。グロスだけ。
 けど、やっぱ、人多すぎ。映画館のトイレの鏡の前で、後ろに並ばれるの、初めてだわ。途中、うとうとしちゃったし。おとなしく、サブスク解禁を待てばよかった。そんなこと言っちゃダメか。

 ハンカチ。
 あ、ありました。忘れずに持ってました。偉いんです、私。
 肌もヤバい。でも、どうしようもないもんな。遺伝だもんな。サプリも飲んでは、いるんですけど。治りませんです、私。
 とりあえず、押さえとくか。

 後ろのかた、隣が空きましたよ。いつまでも、スマホをいじっていないで、隣に、



「父と母の仲が、最悪だったからだと思います。」

 私の質問に対して、外波山くんは、コーラを飲んでから話し出した。

「僕が中学の時、両親からそれぞれ、離婚するかもしれない、という話を聞かされました。僕のほうから、いちいち理由は聞きませんでしたが、父と母の言いかたの違いで、原因は、母のほうかもしれないと思いました。」
「言いかたの違い?」
「父は、僕を自室に呼び出して、「すまん。」と謝りながらでしたが、母は、ダイニングでピザを食べながら、「あたしたちが離婚したら、あんた、お父さんのほうだからね。」と、軽い言いかただったので。」

 はあ。親権もいらないとか、最低。

「なんで、ご両親は離婚しなかったのかな?」
「わかりません。ただ、ちょうどその話が出たあと、母がガンの手術をして、それで入院したので、立ち消えになったのかもしれません。」
「お父さんは、お見舞いとか、行ってた覚えある?」
「はい。毎日行っていたと。一週間ほどでしたが。」

 やっぱ、いいお父さんだったんだ。

「お母さんも警察官だったの?」
「なんで、そんなこと聞くんですか?」

 そう思うか。

「経験上ね、警察官同士の結婚が多いから。」
「そうなんですか。でも、母は結婚するまでは、歯科助手をしていたそうです。」

 歯科助手か。
 歯医者で知り合ったって事か?そんなことある?
 うーん。

「なんで結婚したんだろうね。」
「たしか、お見合いだったはずです。」

 時代だな。
 とりあえず、頭の中を整理したい。あれ、もう飲み干したっけ。
 注いでくるか。

「ごめんね。ちょっと入れてくる。」
「はい。」

 えーと、外波山課長は、松山区のホテルで病死。
 それを妻の純子さんが、松山署に引き取りに行った際に、女性と亡くなったと妄信。理由は、夫婦関係が最悪だった。3,4年前には、離婚の可能性があったほど。親権は父親。
 スマホゲーム。なにやってんだろう。杖を振り回す少女。露出度高っ。スリットどころじゃなくね? っていうか、相手がドリンクバー行ってる間にもやんの? 
 スキマ時間の使いかた、スゴ。

「ごめんね。もう少し、話を聞いてもいいかな?」
「あ、はい。すいません。どうぞ。」
「外波山くんは、お父さんの事が好きだった?」
「あんな人間には、なりたくありません。」

 は?

「母が退院してから、父は母に、暴力を振るうようになりました。外目には分からないような場所を狙って。なので母は、父が死んでよかったと思っていると思いま、」
「ちょっと待って。」

 あの外波山課長が? 
 そんなはずがない。
 吐き気がする。

「大丈夫ですか? 汗が。」
「ええ。大丈夫。ごめんなさい。」

 なんでこの子、平然といられるんだろう。
 私がおかしいのか。落ち着こう。
 退院してから。でも、その前から離婚でもめていた。その理由は、外波山くんは聞いていない。夫婦仲に何があったのかを、この子からは聞くのは。
 ムリか。



 隣で手を洗い始めた女が、陽純(はるずみ)くんにそっくりだ。
 見た事もある顔。
 外波山純子(とばやまじゅんこ)だ。




 篠村亜加里 枩岡(まつおか)女子大学 人間社会学部心理学科心理学専攻 教授
 研究キーワード:臨床心理学/精神分析

 先ほど調べた事をチラシの裏に書いた。
 今、スマホの検索で調べているのは、「ささむら 愛知」だったが、何も得たい情報は出ない。そもそも、得たい情報であるかも分からず、気づけば、灰皿は山盛りになっていた。
 げっぷが出た。酢と生魚の臭いで、鼻と目をやられた。まだ、胃の中にあったのかと驚く。
 一刻も早く、彼女に会いたい。居場所はどこだろうか。

 中川なら知っているか。私は、検索画面を消して、履歴から電話をかけたが、数コールしたのちに、切られた。
 そこまでして、電話に出るのが嫌なのか。気分は分からなくもないが、そんなに気難しいそうな人にも見えなかった。借りているファイルも返さなければいけない。
 カーテンの向こうが閃光し、数秒後に、破裂音と振動が訪れた。
 不要不急の外出は控えましょう。この場合は、要急でもか。この轟音のなかでは、まして疲れてもいない。寝るのは無理だ。
 ただ、タバコを吹かすしか無いが、山盛りであった事を思い出し、灰皿を持って、部屋を出た。




 腹が鳴る。
 ドーナツ2個では、空腹を紛らわす事は出来なかった。
 映画館のトイレから出てきた古島さんから、もう少し付き合ってほしい、と言われるがまま、左前の席に座っている2人を尾けている。ドーナツを食べながら、尾行の理由を尋ねたが、教えてはくれなかった。
 不平等だ。

『次は、弁天坂(べんてんざか)。弁天坂です。』

 誰もボタンを押さない。
 聞き慣れた地名。職場である東風署の最寄りの停留所であり、おそらく官舎の最寄りでもある。と言っても、官舎までは、だいぶ歩かなければいけない。
 普段は自転車通勤だ。

『通過いたします。』

 乗車客もいないのか。
 なんとなくホッとしながら、再びバスは、坂を下り始めた。

『次は、地下鉄水込(みずごめ)。地下鉄水込です。』

 女性のほうは、身長160センチ弱。
 中肉中背。年齢は40代、いや50代か。男のほうは、瘦せ型。身長180センチ強。20代後半か、30前半。やはり、自分より年長の人間は、年齢が分かりづらい。
 2人の距離感からみて、恋人だろう。映画館から飲食店に入るあいだ、手を繋いでいた。そんな親子がいるはずが。
 いや、いるか。

『次、停まります。』

 誰かが、ボタンを押したのだろう。
 乗客は自分たちを含め8人。送風の音が耳横を流れていたが、揺れとともに車内灯が点き、再び騒音が戻ってきた。
 右に座っている古島さんは、目つき鋭く、尾行対象の2人を見ている。そんな見方をしていたら、気づかれる。
 気づかれた時には、どう誤魔化すつもりでいるんだろう。

「雨すごいですよね。いつまで降るんだろう。」
「知りません。」

 気を遣わなければよかったと後悔しながら、バスが停車した。
 優先席に座っていたお年寄りが立ち上がり、降車していく。同時に、乗車口からは、17,8歳の男子が4人、傘を突きながら乗り込み、座席に着いた。
 バスは東に、坂を上っていく。この路線はたしか、ここから先、目立つ物は大学と病院しかない。それか、風変わりな商品を出す事で有名な喫茶店。こっちに赴任してから、一度もお目にかかった事は無い。あの店に行くのだろうか。
 女性の左手がボタンに伸びた。

『次、停まります。』

 古島さんを見ると、背筋を伸ばして、真っすぐ前を向いていた。どんな誤魔化しかただ。
 今日半日を過ごした印象としては、やはり、真面目な人だ。ただ、トイレを出てきてからは、詮索好きの変人と化した。まあ、警官がついているんだから、ストーカー行為にはあたらない。いや、職務外だ。該当する。
 どこまで尾けるつもりだろう。いや、いつまで。腕時計を見ると、15:05。なぜ、時計を見ると、無条件にあくびが出るのだろう。
 それほど退屈だという事か。

『石岡町(いしおかまち)。石岡町です。』

 運転手のアナウンスに合わせて、バスが停車すると、対象の2人が席を立った。
 2人につられるように、自分たちも降り、傘をさす。
 ほぼ真後ろを尾こうとした彼女に驚き、手を引いた。

「少しだけ、距離を。」

 僕の小声に頷き、2人とは逆方向に歩き始めた。
 大雨で人が少ない。雨水はとどまる事無く、アスファルトの路面を下っていく。振り返ると、赤と紺の傘が、西に動いていく。
 古島さんも、その2人の姿を見続けていたが、彼女の横顔が僕に向いた。

「もういいですよね?」

 僕がそれに頷くと、自分たちも西に歩く方向を変えた。
 すぐに、2人が右に折れて、見えなくなった。途端に、流れる雨水をはじきながら、彼女が小走りになり始めた。

「危ない」思わず口をついた。
 彼女は、そのまま少しだけ小走りだったが、ゆるやかに歩調を遅め、自分も古島さんの横についた。

「すいません。声を荒げてしまって。」
「いえ。」

 彼女は歩きながら、ハンカチをカバンから取り出して、濡れていた顔と前髪を拭き始めた。
 どう考えても、押さえきれないだろう。靴もパンツの裾も、濡れついている。自分もまた然り。スニーカーのなかから、チャパチャパと音がする。
 私たちも角を曲がり、北を向いた。今度は上り坂だ。
 まだ傘は、20メートル先に見えている。

「今、何時です?」

 古島さんに尋ねられ、時計を見た。

「15時14分ですけど。」

 逮捕でもするつもりか。
 何の現行犯だ。こっちがその気なら、ストーカー規制法違反の容疑で逮捕でき、ないな。明日からも毎日お願いします、などと言われれば、話は別だが。
 ふと、自分たちも誰かに尾けられているのでは、と不安になり、傘の隙間から後ろを覗くと、誰もいない。ため息が出る。何を考えているのだろう。自分も古島さんも。
 と思うと、さっきまで真横にいた古島さんが、だいぶ前を歩いている。

 いつの間に。
 駆けようとすると、古島さんの声が聞こえた。その声に、女性のほうが立ち止まり、ついで男のほうも止まった。女性の名前を呼んだのか。男のほうは、マンションの入口階段を上がったところだ。

「どなた?」

 女性が尋ねる声。
 ようやく追いついた。
 女性と一瞬目が合った。口紅が赤い。
 その目は、すぐに古島さんのほうに向けられた。

「―。息子さんに悪いとは思わないのですか?」

 不倫か。
 それを糾弾したかった? ただ、問われた相手の目は、彼女を見据えた後、マンションに向けられ、女は階段を上がり始めた。古島さんは黙ったままで、2人は自動ドアの奥に入っていった。
 ガラスの向こうで、男が女に話しかけている。

「すいません。行きましょう。」

 真横で聞こえた声に向くと、彼女は来た道を戻り始めた。
 自分もそれに着くように歩き、やはり気になっていた事を尋ねた。

「誰です、あの女性。」
「幸せな家族って、なんなんですかね?」

 自分の質問には全く答えてもらえなかったが、少し考えてから答えた。

「平凡じゃないですか。普通というか。」
「私もそう思います。」



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

処理中です...