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小学生編
十六(2010、秋)
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息を切らしながら、隼太が駆け込んだのは、一件の民家だった。
表札を見るに、そこが隼太の自宅らしかった。縁側でぼんやりと空を見上げていた老人に、隼太は飛びついた。
「じいちゃん、じいちゃん! 助けて」
痩せた肩をぐいぐいと揺さぶったが、老人は無言でたばこを吸い付けた。まともに煙を吸い込んだ隼太はむせ、辛そうに咳き込んだ。
「駄目だよ……町の人は、俺たちが分からないんだ。きっと、この音のせいだと思う」
涙で頰を光らせて、隼太は振り返った。
「おまえじゃない……俺だよ。うそりよだかが狙っているのは。きっと、おまえは巻き込まれただけなんだ」
「まだそんなことを……」
「ほんとだよ」
彼の声は、弱々しく消えた。
「さっきのコンビニでも、その前も……あいつは、おまえに目もくれなかった。なんで、おまえが他の人間みたいに、俺が見えなくならないのか、それはわからないけど……俺がきっとよだかに喰われれば、これは終わる。おまえは、戻れるよ」
「いいかげんにしろよ。卑屈になって、人生捨てて、楽しいかよ!」
「俺だって……死にたくない……」
泣き声で、隼太は呟いた。
「怖いよ。死にたくないよ……」
そのとき、晶は、一つの可能性を見出していた……
「おまえが本当に死にたくないなら」
彼は、囁いた。「力になってくれる人が、いるかもしれない」
稲敷第二中学校に行くのは初めてではなかったが、いつも母の車だったので、道順が不確かで、中学校の校舎の大きな影がそびえる中、入り口を探してあれこれと彷徨うこととなった。施錠されているフェンスを乗り越えて敷地内に忍び込む。
その時、黄昏の中で小柄な身体が走り寄り、まりのように晶に飛びついてきた。「あきや……あきぁあ」
ちょっと涙が出そうになり、晶は樹を抱き締めた。
「あきや、おえにあいたい、いっぱいいった。えも、いかなかったよ。あめって、いったかや。えやい?」
「ああ、偉いよ。よく我慢したな。会いたかった、……樹」
「おい、待てよ……それ」
隼太の声が強張った。「まさか……穢狗?」
「そうだよ。見てろ」
晶は言うと、口に唾液をため、樹に口づけた。樹は嬉しそうに、それを飲み下した。
「えっ、おい……晶、おまえっ」
隼太が啞然とする中、樹の手足が伸び、彼はみるみるうちに背の高い少年の姿になって晶を見下ろした。
「……どういうこと?」
「分かるだろ」
低く、晶は言った。「穢狗は、人間だってことさ……町の洗脳の及んでいない、人間」
「人間って……そんな、まさか」
「町が、自分の都合の悪いことをどんなに上手く隠すか、もうおまえは知ってるだろ。
元からなかったことにされてきた人たちなんだよ……病で身体を歪められ、教育もなく、働くだけ働かされてきた人たちだ。でも」
ぎゅっと樹の背を抱く。「生きてる」
隼太は、声もなく樹を見つめた。樹はといえば、怪訝そうに彼と晶を見比べていた。「これ、だれ? ともだち?」
「そう。隼太だ。お前に、相談したかったんだ……おまえの家、荒川だって言っただろ。そこに、こいつを匿ってくれないかって……おまえも、危険に晒すことになるのかもしれないけど、でも……」
「しゅんた……かくまう?」
「そう」
「ま、待って! 俺……穢狗のとこに行くってこと?」
「そうだよ」
「で、でも……」
「まあ、おまえの好きでいいよ。もし頼むんなら、自分で頼め。……この町には、今、それ以外に、俺たちを認識してくれる人間はいないぞ」
薄闇の中、黒ぐろとした瞳で、樹は隼太を見つめた。
「しゅんた、あきらのともだち。おれ、たすける」
彼は、例の無邪気な顔で、にこっと笑った。
「おれ、なにすればいい?」
街灯はまばらで、歩道は闇に満ちていた。樹が宿直室から強力な懐中電灯を持ち出したので、足元は明るかったが、よだかに狙われるのではないかと晶は危ぶんだ。しかし、意外に凹凸があったり大きめの枝が落ちていたりと歩道は歩きにくく、灯りがあるのはありがたくもあった。広い道路には、ほとんど車は通らず、どこまでもまっすぐな道路ばかりが続く。しばらく続いていた田んぼや民家は途切れ、竹林と雑木林が入り交じるようになっていた。
「あと、どれくらいかかるの……?」
恐る恐る、隼太が聞いた。
「おれいま、あしながい! だからはやい。あのつきが」上り始めた月を指す。「あそこいくまで」
「満月が、真上までって……」
晶は呆れた。「真夜中までかかるってこと?」
「電車に乗ったほうがよくない…? ほら、どうせ俺たち見えないんだから、乗れるだろ」
「混んだ電車の中によだかが出たら逃げられない。辞めておこう……」
憂鬱な声で、晶は言った。
「夜蟲が出たらどうする?」
「俺たちを、他の人みたいに無視してくれればいいけど……そうは行かないかもな」
じりじりと月は暗い夜空を昇っていき、三人は国道六号線を千葉に向かって歩いた。車通りは増えて来ていたが、小学生三人が暗い道を歩いているというのに、声は掛けられなかった。疲れのために、隼太と晶は無言になっていた。隼太が足を引きずっているのを見て、晶は言った。
「おい、隼太……靴擦れ?」
「ん……」
「受血しろよ。治るだろ」
「うるさいな……」
「俺も、足痛いし。いいじゃん」
頑なな隼太に、晶はイライラしてきた。自分だけなら、飛んでいくほうが速いし足も痛くならない。道案内の樹がいるからそうは行かないにしても……
「あきら、あしいたい?」
屈服なく樹が尋ねた。
「ん……」
「いたいの、なおす」
彼はすっと晶のそばに寄ると、耳に温かな手を当てて引き寄せ、口づけた。柔らかな舌とともにに甘い唾液が押し込まれ、頭の芯が熱くなる。晶は足を止め、樹の肩にしがみついて唾液を啜った。
「おいひい? 晶」
「ん……」
はっ、と息をついて顔を離したとき、隼太がまじまじと彼を見ていた。
「なんだよ……唾液交換くらい誰でもするだろ。おかしいかよ、穢狗とじゃ」
彼は苛立ちを顕わに言った。「人間だぞ」
「いや……」
隼太はぎこちなく目を逸らした。「そういうのじゃなくて……なんか、おまえら、違わない?」
「何が」
「普通の……唾液交換じゃないっていうかさ……あんまり、外でやらないほうがいいよ、それ」
「は?」
「なんか……その、……エロい」
「はあ? 何言ってんだ」呆れて言う。「おまえがスケベなだけだろ」
「スケベ、なに?」
無邪気に樹が言った。「しゅんたもいたい? だえきこうかん、する?」
そう彼が言ったとき、自分でも説明のつかない不快感が胸に広がり、晶は息を吸い込んだ。
「いらないよ……大丈夫だし」
突慳貪に断る隼太に、なぜか安堵を覚えてしまったのも、自分ではやはり理由が分からなかった。
表札を見るに、そこが隼太の自宅らしかった。縁側でぼんやりと空を見上げていた老人に、隼太は飛びついた。
「じいちゃん、じいちゃん! 助けて」
痩せた肩をぐいぐいと揺さぶったが、老人は無言でたばこを吸い付けた。まともに煙を吸い込んだ隼太はむせ、辛そうに咳き込んだ。
「駄目だよ……町の人は、俺たちが分からないんだ。きっと、この音のせいだと思う」
涙で頰を光らせて、隼太は振り返った。
「おまえじゃない……俺だよ。うそりよだかが狙っているのは。きっと、おまえは巻き込まれただけなんだ」
「まだそんなことを……」
「ほんとだよ」
彼の声は、弱々しく消えた。
「さっきのコンビニでも、その前も……あいつは、おまえに目もくれなかった。なんで、おまえが他の人間みたいに、俺が見えなくならないのか、それはわからないけど……俺がきっとよだかに喰われれば、これは終わる。おまえは、戻れるよ」
「いいかげんにしろよ。卑屈になって、人生捨てて、楽しいかよ!」
「俺だって……死にたくない……」
泣き声で、隼太は呟いた。
「怖いよ。死にたくないよ……」
そのとき、晶は、一つの可能性を見出していた……
「おまえが本当に死にたくないなら」
彼は、囁いた。「力になってくれる人が、いるかもしれない」
稲敷第二中学校に行くのは初めてではなかったが、いつも母の車だったので、道順が不確かで、中学校の校舎の大きな影がそびえる中、入り口を探してあれこれと彷徨うこととなった。施錠されているフェンスを乗り越えて敷地内に忍び込む。
その時、黄昏の中で小柄な身体が走り寄り、まりのように晶に飛びついてきた。「あきや……あきぁあ」
ちょっと涙が出そうになり、晶は樹を抱き締めた。
「あきや、おえにあいたい、いっぱいいった。えも、いかなかったよ。あめって、いったかや。えやい?」
「ああ、偉いよ。よく我慢したな。会いたかった、……樹」
「おい、待てよ……それ」
隼太の声が強張った。「まさか……穢狗?」
「そうだよ。見てろ」
晶は言うと、口に唾液をため、樹に口づけた。樹は嬉しそうに、それを飲み下した。
「えっ、おい……晶、おまえっ」
隼太が啞然とする中、樹の手足が伸び、彼はみるみるうちに背の高い少年の姿になって晶を見下ろした。
「……どういうこと?」
「分かるだろ」
低く、晶は言った。「穢狗は、人間だってことさ……町の洗脳の及んでいない、人間」
「人間って……そんな、まさか」
「町が、自分の都合の悪いことをどんなに上手く隠すか、もうおまえは知ってるだろ。
元からなかったことにされてきた人たちなんだよ……病で身体を歪められ、教育もなく、働くだけ働かされてきた人たちだ。でも」
ぎゅっと樹の背を抱く。「生きてる」
隼太は、声もなく樹を見つめた。樹はといえば、怪訝そうに彼と晶を見比べていた。「これ、だれ? ともだち?」
「そう。隼太だ。お前に、相談したかったんだ……おまえの家、荒川だって言っただろ。そこに、こいつを匿ってくれないかって……おまえも、危険に晒すことになるのかもしれないけど、でも……」
「しゅんた……かくまう?」
「そう」
「ま、待って! 俺……穢狗のとこに行くってこと?」
「そうだよ」
「で、でも……」
「まあ、おまえの好きでいいよ。もし頼むんなら、自分で頼め。……この町には、今、それ以外に、俺たちを認識してくれる人間はいないぞ」
薄闇の中、黒ぐろとした瞳で、樹は隼太を見つめた。
「しゅんた、あきらのともだち。おれ、たすける」
彼は、例の無邪気な顔で、にこっと笑った。
「おれ、なにすればいい?」
街灯はまばらで、歩道は闇に満ちていた。樹が宿直室から強力な懐中電灯を持ち出したので、足元は明るかったが、よだかに狙われるのではないかと晶は危ぶんだ。しかし、意外に凹凸があったり大きめの枝が落ちていたりと歩道は歩きにくく、灯りがあるのはありがたくもあった。広い道路には、ほとんど車は通らず、どこまでもまっすぐな道路ばかりが続く。しばらく続いていた田んぼや民家は途切れ、竹林と雑木林が入り交じるようになっていた。
「あと、どれくらいかかるの……?」
恐る恐る、隼太が聞いた。
「おれいま、あしながい! だからはやい。あのつきが」上り始めた月を指す。「あそこいくまで」
「満月が、真上までって……」
晶は呆れた。「真夜中までかかるってこと?」
「電車に乗ったほうがよくない…? ほら、どうせ俺たち見えないんだから、乗れるだろ」
「混んだ電車の中によだかが出たら逃げられない。辞めておこう……」
憂鬱な声で、晶は言った。
「夜蟲が出たらどうする?」
「俺たちを、他の人みたいに無視してくれればいいけど……そうは行かないかもな」
じりじりと月は暗い夜空を昇っていき、三人は国道六号線を千葉に向かって歩いた。車通りは増えて来ていたが、小学生三人が暗い道を歩いているというのに、声は掛けられなかった。疲れのために、隼太と晶は無言になっていた。隼太が足を引きずっているのを見て、晶は言った。
「おい、隼太……靴擦れ?」
「ん……」
「受血しろよ。治るだろ」
「うるさいな……」
「俺も、足痛いし。いいじゃん」
頑なな隼太に、晶はイライラしてきた。自分だけなら、飛んでいくほうが速いし足も痛くならない。道案内の樹がいるからそうは行かないにしても……
「あきら、あしいたい?」
屈服なく樹が尋ねた。
「ん……」
「いたいの、なおす」
彼はすっと晶のそばに寄ると、耳に温かな手を当てて引き寄せ、口づけた。柔らかな舌とともにに甘い唾液が押し込まれ、頭の芯が熱くなる。晶は足を止め、樹の肩にしがみついて唾液を啜った。
「おいひい? 晶」
「ん……」
はっ、と息をついて顔を離したとき、隼太がまじまじと彼を見ていた。
「なんだよ……唾液交換くらい誰でもするだろ。おかしいかよ、穢狗とじゃ」
彼は苛立ちを顕わに言った。「人間だぞ」
「いや……」
隼太はぎこちなく目を逸らした。「そういうのじゃなくて……なんか、おまえら、違わない?」
「何が」
「普通の……唾液交換じゃないっていうかさ……あんまり、外でやらないほうがいいよ、それ」
「は?」
「なんか……その、……エロい」
「はあ? 何言ってんだ」呆れて言う。「おまえがスケベなだけだろ」
「スケベ、なに?」
無邪気に樹が言った。「しゅんたもいたい? だえきこうかん、する?」
そう彼が言ったとき、自分でも説明のつかない不快感が胸に広がり、晶は息を吸い込んだ。
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