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第1部 魔族王都編
第4話 黒い灯りの外縁
ルシが再び《月燈館》を訪れたのは、二日後の夜だった。
赤い魔石灯の下、店はいつもと変わらない夜を装っている。
低く流れる弦楽器の音。
厚い布の向こうで交わされる笑い声。
酒、香草煙、香油。扉が開くたび、雨上がりの石畳から湿った夜気が流れ込み、すぐに店内の匂いへ紛れていく。
白い王都から届いた噂など、この店には関係がない。
少なくとも、表向きは。
ジルは空いたグラスを盆へ並べながら、入口の気配へ目を向けなかった。
聞き覚えのある軽い足音。
床板を細く鳴らす、小さな爪音。
首輪の黒銀札が金具へ触れ、ちり、と鳴る。
忘れるには特徴がありすぎる音だった。
「ジル」
店の男が控室へ顔を出す。
「前にも来た情報屋が、また指名してる」
「断れ」
「今回は指名料を三倍出すって」
「出入り禁止にしろ」
「店としては歓迎したい客なんだけどな」
男は肩をすくめた。
「それと、黒い毛玉も一緒」
控室の外から、高い鳴き声が聞こえた。
「きゅう!」
ジルの手が一瞬だけ止まる。
磨き終えたグラスの縁を、布が静かに滑った。
「……うるさい客だな」
「客の方? 毛玉の方?」
「両方だ」
グラスを棚へ戻す。
ルシを追い返すだけなら難しくない。
だが、二日前の夜、あの情報屋はジルの嘘を暴かなかった。
白梟の似顔絵を持っていた。
クロの反応を見ていた。
それでも人を呼ばず、刃も薬も使わず、情報だけを置いて帰った。
その翌日、月燈館へ黒燈の者が踏み込んでくることもなかった。
店の周囲に、露骨な監視が増えた様子もない。
何もしていないとは思わない。
ルシは情報屋だ。
ジルが入都した時期も、ここで働き始めた日も、すでに調べているだろう。
だが、月燈館の者を捕らえ、問い詰めた気配はなかった。
そのこと自体が、新しい情報だった。
ジルは袖口の薄刃を確かめる。
「同じ部屋か」
「そう言ってる」
「酒は出すな」
「前も飲まなかったからね」
「金だけ取れ」
「容赦ないな」
「情報屋だ。困らない」
店の男は笑いながら先へ戻った。
ジルは外套を整える。
肩を少し越す銀髪を、首の後ろで緩く束ね直す。
扉、窓、廊下。
前回と同じ個室なら、退路も変わらない。
違うのは、相手がこちらの動きを一度見ていること。
そして自分も、ルシの距離の取り方を一度見ていることだった。
*
個室の扉を開ける前から、クロは気づいていたらしい。
「きゅう!」
内側で椅子が小さく鳴る。
「待てって。今開くから」
ルシの声。
ジルが扉を開けた瞬間、黒い毛玉が椅子から飛び降りた。
薬布はない。
着地も、今度はほとんど揺らがなかった。
それでもジルの目は、傷めた前足が床へ触れる角度を先に確認している。
クロは絨毯を駆け、迷わず足元へ来た。
「きゅう」
「……また来たのか」
黒い頭が靴へ押しつけられる。
ジルは見下ろした。
「飼い主のところへ戻れ」
「きゅ」
「返事だけしても駄目だ」
クロは太い尾を一度揺らし、前足をジルの脚へかける。
「乗るな」
「きゅう」
「聞け」
ルシが椅子へ座ったまま笑っていた。
その笑みはいつもの軽さをまとっていたが、クロの前足を先に見るジルの視線だけは、逃さず拾っている。
「再会を喜んでるだけだろ」
「二日前にも会った」
「クロの中では、二日ぶりは久しぶりなんじゃない?」
「甘やかすな」
「お前が言う?」
ジルはルシを睨む。
「何だ」
「いや。抱くかなと思って」
「抱かない」
「そっか」
ルシはあっさり引いた。
その間にも、クロはジルの脚へ身体を押しつけている。
「きゅう」
「重い」
「三キロくらいだぞ」
「知るか」
「詳しくないのに、持ち方は知ってたよな」
「帰るか?」
「ごめんごめん」
ルシは両手を軽く上げた。
ジルがクロを床へ下ろそうと身体を屈める。
その前に、黒い毛玉が当然のように腕へ前足をかけてきた。
「……」
「きゅ」
ジルはしばらく見つめた。
結局、腹の下へ腕を差し入れる。
傷めた前足へ重みがかからない位置。
クロは抵抗せず、持ち上げられるままジルの腕へ収まった。
ルシの口元が緩む。
軽口にするには少しだけ遅れた笑みだった。
「抱かないって言わなかった?」
「床に張りつかれると邪魔だ」
「はいはい」
「その返事をやめろ」
「分かった分かった」
「増やすな」
ジルはクロを抱いたまま、ルシの向かいへ座る。
前回と同じ椅子。
ただし位置をわずかにずらし、扉と窓の両方が見える角度を選んだ。
ルシは何も言わない。
卓上には酒ではなく、湯気の立つ茶が置かれていた。
香りは弱い。
月燈館で出すものの中では、珍しく薄い茶だった。
ジルが見る。
「酒は?」
「飲まないんだろ?」
「なぜ知っている」
「前回、一口もつけなかった」
「それだけか」
「それだけ」
情報屋の答えとしては、軽すぎる。
だが、ほかの入手経路を語る気もないらしい。
ジルは茶へ手を伸ばさなかった。
「今日は何の相談だ」
「相談っていうか、お話?」
「帰れ」
「まだ何も言ってないだろ」
「お前の話は長い」
「二回しか会ってないのに、理解が早い」
「分かりやすいからな」
クロがジルの腕の中で身体を丸め始める。
「寝るな」
「きゅ……」
「寝るなら飼い主のところへ戻れ」
クロは目を閉じた。
「無視された」
ルシが笑う。
「お前の教育だろ」
「そこは元から」
「さらに悪い」
「でも、お前のところでは大人しいよな」
「眠いだけだ」
「そういうことにしとく」
ジルはクロの前足へ一度だけ目を落とす。
腫れはない。
毛の下に薄く痕が残る程度。
無理をさせなければ問題ないだろう。
確認を終え、ルシへ視線を戻す。
「本題は」
ルシの笑みが少し薄くなった。
「黒燈について、調べた?」
ジルは答えない。
沈黙そのものが返事になった。
「調べたんだ」
「お前なら、俺が調べることくらい分かっていただろ」
「まあね」
「この街の裏を守るギルド。金だけでは仕事を受けない。証人を勝手に消さない。貴族の私兵にもならない」
ジルは淡々と並べる。
「随分、評判がいいな」
「不満そう」
ルシは軽く返したが、ジルの声に混じった硬さに気づいたのか、目だけが少し笑わなくなった。
「評判が綺麗すぎる」
「そこ疑う?」
「当然だ」
黒燈が流した評判かもしれない。
都合の悪い話を消している可能性もある。
白梟も、外から見れば美しい組織だった。
法では裁けない悪を狩る。
弱い者を守る。
記録と秩序を残す。
間違ってはいなかった。
最初は。
ルシは卓へ片肘を置いた。
「全部、間違いではないよ」
「全部、正しいとも言わないんだな」
「そりゃね。裏のギルドだし」
軽い答えだった。
だが、誤魔化してはいない。
「黒燈だって刃は使う。脅すこともある。盗むし、騙すし、必要なら相手の逃げ道も潰す」
「殺しもする」
「する」
ルシは否定しなかった。
「ただ、金を積まれたからって、理由も見ずに殺すことはしない」
「理由が正しいか、お前たちが決めるのか」
「決めない」
返答は早かった。
ジルの目がわずかに細くなる。
「なら、何を見る」
「依頼の裏。誰が得をするか。殺される奴が何を知ってるか。依頼人が隠してること。巻き込まれてる奴がいるか」
「それで?」
「証拠を拾う。必要なら止める。保護する。外へ返せる奴は返す」
「裁かないのか」
「黒燈が裁判官の真似を始めたら、たぶん終わりだろ」
ルシの指が、卓を一度だけ軽く叩いた。
乾いた音。
「握るけど、裁かない。それが今の黒燈」
「今の、か」
ジルはその言葉を拾った。
ルシも気づく。
「そこ気になる?」
「組織は変わる」
ジルの声は冷たい。
「始めた者の理念が残るとは限らない。長が代われば、正義の意味も変わる」
正しい記録。
正しい命令。
正しい裁定。
白梟では、いつも正しさが先に置かれた。
誰にとって正しいのかを問う者は、次第に減っていった。
疑問は記録から外される。
異議を唱えた者は、組織を乱す者として扱われる。
最後には、人を役目の名で呼ぶことすら、誰もおかしいと思わなくなる。
「黒燈の長が変わったら、どうする」
ルシはすぐには答えなかった。
茶から立つ湯気が、二人の間で細く揺れる。
クロの寝息。
壁の向こうを歩く靴音。
遠くでグラスが触れ合う、澄んだ音。
ルシは卓から指を離した。
「黒燈が黒燈じゃなくなったら、オレは出る」
軽口ではなかった。
ルシの笑みが、そこで一度だけ消える。
ジルは表情を変えなかった。
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ」
ルシの声から、軽さが少しだけ消えている。
「オレはここで育った。兄貴もそうだ。黒燈は家みたいなもんだし、ギルド長には借りがある」
「なら、従うだろ」
「従わない」
今度の返答には間がなかった。
「ギルド長が、今の黒燈を壊すなら止める。止められなければ出る」
「お前一人で?」
「兄貴もいる。ゼルさんもいる」
「全員、同じ考えか」
「少なくとも、長が言うことなら何でも正しい、とは思ってない」
ルシは椅子の背へ身体を預けた。
「ギルド長も、それを望んでない」
「都合のいい話だ」
「そう見えるよな」
反論しないことが、かえって厄介だった。
ルシは黒燈を美化しない。
正しい組織だとも、安全だとも言わない。
信じろとも言わない。
ただ、自分がどうするかを答えている。
「兄というのは、カインか」
「覚えてた?」
「二日前に聞いた」
「興味ある?」
「情報だ」
「はいはい」
ジルが睨む。
「その返事をやめろ」
「ごめんごめん」
「増やすなと言っただろ」
ルシは笑い、卓上の茶へ手を伸ばす。
「兄貴は黒燈の前衛。オレよりずっと口数が少ない。目つきが悪くて、心配性で、弟への信用がない」
「最後はお前のせいだろ」
「初対面前から理解が深いな」
「見れば分かる」
「まだ見てないって」
ジルは腕の中のクロを少し支え直す。
黒い毛玉は目を閉じたまま、太い尾だけを動かした。
「片目が見えないと言っていたな」
「ああ。左目」
「戦場では致命的だ」
ルシの笑みがわずかに薄くなる。
「本人もそう思ってた時期はある」
「今は違う?」
「ゼルさんが左を見る」
短い言葉だった。
言ったあと、ルシの目元がわずかに柔らかくなる。
それは兄をからかう時の顔ではなかった。
ジルの指先が、クロの毛の中でほんの少し止まる。
ルシは気づかず、あるいは気づいても拾わずに続けた。
「ゼルさんは術者で、黒燈の長補佐。兄貴の左側に立つ。影糸で死角を拾って、術式で動きを止める」
「補助役か」
「それだけ言うと怒られるかも」
「なぜだ」
「兄貴の恋人だから」
ジルはルシを見た。
ルシがにやりとする。
「そこ反応するんだ」
「予想していなかっただけだ」
「兄貴、あの無愛想さで恋人いるんだよ」
「お前も同じ顔だろ」
「全然違う。オレの方が愛想いい」
「軽いだけだ」
「つらい」
ジルは視線を窓へ移す。
恋人。
死角を補う者。
左側へ立つ者。
それだけの言葉が、記憶の奥にある古い位置を撫でた。
かつて、自分の死角へ立つ男がいた。
背後を任せろと言った。
一人で全部を見る必要はないと、穏やかに笑った。
その手は、最初から鎖だったわけではない。
ジルはクロの毛並みへ指を沈める。
柔らかな感触で、古い記憶を押し戻した。
「ゼルは、カインを従わせているのか」
「まさか」
ルシが笑う。
「兄貴を従わせられる奴がいたら見てみたい」
「恋人なら可能だろ」
「補うのと、縛るのは違う」
ルシの声は軽い。
けれど、言い終えたあとだけ、口元の笑みが少し遅れて消えた。
「ゼルさんは兄貴の左を見る。でも、兄貴がどこへ立つかは兄貴が決める」
ジルは黙った。
「逆も同じ。兄貴がゼルさんを守ることはあるけど、術を使うなとも、後ろにいろとも言わない」
「危険でも?」
「危険だから話す。話して決める。勝手に決めたら喧嘩になる」
「面倒だな」
「恋人ってそういうもんじゃない?」
「知らん」
「即答」
「興味もない」
「ほんとに?」
言いかけて、ルシはそこで口を閉じた。
踏み込めば逃げる。
そんな顔で、一度だけジルを見る。
「帰れ」
「まだ本題が終わってない」
ルシは茶を一口飲み、器を卓へ戻した。
陶器と木が触れる、低い音。
「兄貴とゼルさんが、お前と話したいって」
ジルの空気が変わる。
腕の中のクロが耳を動かした。
「黒燈の命令か」
「違う」
「ダリウスの判断では」
「会っていいとは言われてる。けど、命令じゃない」
「何を聞く」
「白梟がこの街で何をする気か。お前がノクティルムで何をする気か」
「答える義務はない」
「ないよ」
ルシはあっさり認めた。
「だから来なくてもいい」
「……何?」
「会う場所を伝えに来ただけ」
ルシは懐へ手を入れる。
ジルの肩がわずかに硬くなる。
取り出されたのは武器ではなく、小さく折った地図だった。
卓の上へ広げる。
西区。
古い水路。
倉庫街。
そして、街路の外れに立つ時計塔。
「明日の夜。西区の古い時計塔」
ルシの指が、塔の印へ触れる。
「日が落ちて、鐘が二度鳴った後」
ジルは地図を見る。
時計塔の位置は知っている。
街を調べた最初の三日で、外からは確認した。
古い建物。
今は正式な時刻を告げる役目を終え、夜に二度だけ鐘が鳴る。周囲には高い建物が少なく、塔の窓から複数の道を見渡せる。
逃げ道は多い。
同時に、罠を張るにも向いている。
「黒燈の拠点ではないのか」
「違う。外縁の場所」
「お前たちに都合のいい場所だろ」
「お前にも都合がいい」
ルシの指が、塔の裏手へ続く道を辿る。
「西に水路。北の屋根へ上がれる梯子。南へ抜ければ人通りがある。塔の中にも階段が二本」
「調べてある」
「情報屋なので」
「俺が逃げることを前提にしているのか」
「逃げたいなら逃げられる場所にした」
軽く言ったはずの声に、笑いはほとんど残っていなかった。
ジルはルシを見る。
赤銅色の瞳には、笑みが残っている。
しかし、その言葉は軽くなかった。
「兄貴とゼルさんが来る。オレとクロもいる。それ以外は連れていかない」
「監視は」
「置かない」
「信用しろと?」
「しなくていい」
ルシは地図から手を離した。
「武器も持ってこい。退路も確認しろ。嫌なら来るな」
「ずいぶん親切だな」
「お前に話を聞きたいからな」
「捕らえるためではなく?」
「捕らえるなら、こんなに面倒な誘い方しない」
「お前が囮の可能性もある」
「あると思うなら、来ない方がいい」
ルシは笑った。
否定しない。
判断をこちらへ返してくる。
それが、ジルには不気味だった。
白梟なら、選ばせる形だけは整える。
どちらを選んでも同じ場所へ着くように、先に道を閉じたうえで。
だが、この地図には本当に逃げ道が描かれている。
来ないという道まで、隠されていない。
「俺が行かなければ」
「そのまま」
「追わないのか」
「白梟が月燈館へ来たら止める。お前がこの街の人間を巻き込んだら、それも止める」
ルシは肩をすくめる。
「でも、お前が一人でどこかへ消えるだけなら、今は追わない」
「今は、か」
「お前がノクティルムの敵じゃない間は」
条件はある。
無条件の保護でも、信頼でもない。
それがむしろ、ジルには理解しやすかった。
「俺を黒燈へ入れるつもりか」
「まだ早いだろ」
「まだ?」
「オレは面白そうだと思ってるけど、兄貴は警戒してる。ゼルさんは観察中。ギルド長は、本人と文書を分けて考えろって」
ジルの目がわずかに動く。
「文書を持っていると決めていないのか」
「白梟が持ってると思ってるだけかもしれないだろ」
ルシは地図の端を指で押さえた。
「お前が何を持ってるか、明日すぐ吐けとは言わない。話せないなら、話せる条件だけ言えばいい」
言いながら、ルシはジルの目をまっすぐ見た。
問い詰めたい顔ではない。
けれど、聞かずに済ませる顔でもなかった。
その言葉は、先ほどまでの軽口とは違う場所へ落ちた。
話せないなら、話せる条件を言う。
黙ることを許すのではない。
無理に暴くのでもない。
沈黙のまま関わるなら、その沈黙をどう扱えばいいかを求めている。
「それも、黒燈の長が言ったのか」
「うん」
「お前の言葉ではないんだな」
「オレが言ったことにしてもいいけど?」
「嘘をつくな」
「はいはい」
ジルの視線が冷える。
「返事」
「はい」
クロが、腕の中で身じろぎした。
いつの間にか目を覚ましている。
長い耳を立て、卓上の地図へ鼻先を向けた。
「きゅう」
「お前は留守番だ」
ジルが言う。
「え、決めるの早くない?」
「怪我が治ったばかりだ」
「もう走れるぞ」
「高い場所から降りる時、まだ足を浮かせる」
ルシが目を細める。
「見てたんだ」
「見れば分かる」
「そういうことにしとく」
「帰れ」
「クロは連れていくよ。時計塔の下で大人しくさせる」
「止めても来るだろうな」
「理解が早い」
「管理不足だからな」
「まだ言う?」
クロが抗議するように鳴く。
「きゅう」
ジルは黒い頭を見下ろした。
「お前に決定権はない」
「きゅ」
「短く返しても駄目だ」
ルシは笑う。
ジルは地図へ視線を戻した。
明日の夜。
西区の古い時計塔。
カイン。
ゼル。
ルシ。
クロ。
黒燈の内側ではない。
だが、完全な外でもない場所。
外縁。
そこまで踏み込むかどうかを、今決める必要はない。
ルシは答えを急かさなかった。
地図を卓へ残し、クロを受け取るため両腕を差し出す。
「そろそろ帰るか」
クロはジルの腕へ爪をかけた。
「きゅう」
「帰れ」
「きゅ……」
「その声を出しても駄目だ」
「ジル、完全に会話成立してるよな」
「していない」
「してるだろ」
「毛玉が勝手に鳴いているだけだ」
「はいはい」
「返事」
「はい」
クロは渋々、ルシの腕へ移った。
その直前、ジルの手へ鼻先を押しつける。
冷たい感触。
雨の夜より、ずっと強い体温。
「……怪我をするなよ」
声に出してから、ジルは眉を寄せた。
ルシの返事が、一瞬だけ遅れる。
その遅れを隠すように、口元が緩んだ。
クロの耳が立つ。
「きゅう!」
「騒ぐな」
「それ、明日も来いってこと?」
「毛玉に言った」
「でもオレが連れてくる」
「お前は来なくていい」
「誘ったのオレなんだけど」
「なら、誘いだけ置いて帰れ」
「ひどいなあ」
ルシは笑いながら立ち上がる。
地図は卓へ残したまま。
「場所を変える気はない。来ても来なくても、明日の夜はそこにいる」
「待つのか」
「兄貴が待つの嫌いだから、時間どおりに来てくれると助かる」
「知るか」
「遅れるなら伝言くれてもいいよ」
「行くとは言っていない」
「うん」
ルシは笑った。
「だから、まだ聞かない」
笑っている。
だが、その笑みは少しだけ薄く、何かを飲み込んだ後の形をしていた。
扉へ向かう。
前回と同じく、近づいてこない。
握手も求めない。
返事も要求しない。
扉を開く直前、ルシが振り返った。
「ジル」
「何だ」
「オレたちのところへ来い、とは言わない」
ジルの目が細くなる。
「じゃあ何だ」
「自分で見に来い」
軽い笑み。
けれど、その奥で赤銅色の目だけがまっすぐジルを捉えていた。
来い、と命じる目ではない。
見ろ、と渡す目だった。
「黒燈が、お前の知ってる白いギルドと同じかどうか」
ジルは答えない。
ルシも待たなかった。
「じゃ、おやすみ」
「二度と来るな」
「明日は月燈館じゃないから、約束は守れる」
「屁理屈だな」
「情報屋なので」
「褒めていない」
「知ってる」
扉が閉じる。
ルシの軽い足音。
クロの爪音。
黒銀札の、ちり、という小さな音。
それらが廊下の奥へ遠ざかっていく。
ジルは一人、卓上に残された地図を見ていた。
月燈館の赤い灯りが、古い時計塔の印を照らしている。
明日の夜。
西区。
人目が少なく、逃げ道が多い場所。
罠にも向いている。
ジルは地図へ手を伸ばさない。
まず、窓の外を見る。
黒い王都。
屋根の向こうに、古い時計塔の影がある。
遠く、鐘が鳴った。
低く、ひとつ。
間を置いて、もうひとつ。
止まった時計の代わりに、夜だけを告げる音。
ジルは目を伏せる。
黒燈も、ルシも信用してはいない。カインとゼルに至っては、まだ顔すら知らない。
それでも黒燈は月燈館へ踏み込まず、店の者を捕らえず、噂だけでジルを敵と決めなかった。武器を持ってこいと言い、逃げ道も、行かない道も残している。
白梟なら、選ばせる形だけを整えただろう。
だが黒燈は、今のところ本当に選択を返している。
組織は変わる。補う手が、いつか縛る手へ変わることもある。だからこそ、ルシの言葉でも評判でもなく、自分の目で確かめる必要があった。
ジルは卓上の地図を取った。
紙が、静かに鳴る。
時計塔へ続く道。
屋根。
水路。
塔内の階段。
ルシが示した退路とは別に、さらに二つを頭の中へ足す。
袖口の内側へ指を滑らせる。
薄刃はある。
短剣もある。
投げ刃も、眠り薬も、退路も、自分の手元に残っている。
誰にも預けていない。
なら、選ぶのは自分だ。
「……面倒な情報屋だ」
呟いた声は、赤い灯りの下へ落ちた。
試されているのは、黒燈だけではない。
自分もまた、黒い灯りの外縁に立っている。
踏み込むか。
引き返すか。
答えを誰かへ渡すつもりはなかった。
地図を折り、外套の内側へしまう。
だから行く。
明日の夜。
西区の古い時計塔へ。
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――ええ?なんで僕?
そう焦る花崎だが、それはだたの人間違いだった。
「化学が得意なのは隣のクラスの花菱くん。これは普通の花崎くん」
そんな風にクラスメイトに笑われてしまう。
目立たずに生きてきた花崎にとって、教室の中で恥をかかされたことはショックな出来事。
――鵜飼め‼ 覚えていろよ!
イライラがおさまらない花崎は、図書室で「中世魔女の妙薬レシピ」という怪しげな本を見つけ、「惚れ薬」を鵜飼に使うことを決意して…⁉
惚れ薬の効果なのか溺愛♥高校生活に突入!
花崎はバレーボールに汗を流す鵜飼の姿をカッコいいじゃん、と思い始めたけれど。
『惚れ薬』の効果がきれたら…?
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不定期更新です💦スミマセン💦
失恋相手に魔王討伐のご褒美にされてたんだが
魔王討伐の為の勇者召喚に巻き込まれた蕪木透。その勇者は苦い思い出のある高校時代の同級生井上朝陽だった。すれ違いから疎遠になった2人が異世界に召喚される話。当て馬的な女の子が出てきますしわりと性悪です。プチざまぁあり。途中主人公があまりいい目にあっていませんがハッピーエンドなので安心してください♪( ´θ`)同性婚ありな世界線です。※他サイトにも掲載あり


