銀の目の逃亡者 第1部 魔族王都編【完結】

桃源ハルト

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第1部 魔族王都編

第19話 ラザロ・グレイルの名



 レヴィ戦の夜が明けてから、黒燈ギルド本部から紙の音は消えなかった。

 保全卓では、押収した写しが乾かされ、封書の端へ回収者と時刻が添えられる。革紐が締め直されるたび、乾いた音が石造りの部屋へ落ちた。夜が来ても、朝が来ても、その音は途切れない。

 最初の数日は、負傷者の治療と証人の移送に費やされた。

 セリオとその家族、文書保管庫の管理官と家族は、それぞれ別の保護先へ移される。ひとつの場所へまとめれば、居場所が割れた時にすべてを失うからだ。

 ジルたちも、医務室と食堂、一時滞在用個室を行き来した。

 裂けた外套は縫い直され、血のついた薬布は細い包帯へ変わる。夜通し術式の再調律を重ねたゼルの右手から震えが抜け、カインの足音も、ようやく普段の低い重さへ戻っていった。

 クロの首輪の登録札も、何度か医務室の寝台の脚へ当たった。

 ちり、と小さく鳴るたび、ジルは顔を上げる。

「走るな」

「きゅう」

「跳ねるな」

「きゅ……」

「返事が弱い」

 ルシが横で笑う。

「そこは自信ないんだな」

「甘やかすな」

「今の、オレじゃなくてクロに言ってる?」

「両方だ」

「ひどくない?」

 そんな短いやり取りの間にも、黒燈の動きは止まらなかった。

 西区からは、白弦商会の荷が通常とは異なる倉庫へ運び込まれたという報告。

 貴族街からは、ラザロ・グレイルが押さえている古い迎賓館で、使用人と警備の出入りが増えているという短札。

 水路側からは、白い封蝋を付けた箱を積んだ荷車が、旧水門へ続く道へ入り、そのまま表の荷路へ戻らなかったという知らせ。

 どれも、それだけでは証拠にならない。

 荷が別の倉庫へ入ったからといって、白弦商会全体が白梟はくきょうへ協力しているとは限らない。迎賓館の人員が増えたのも、慈善夜会の準備だと言われれば、それまでだった。

 ダリウスは、一枚の報告札を結論へ変えることを許さなかった。

「同じ場所を、別の目で見ろ」

 低い声が、保全室へ落ちる。

「一人の報告で決めるな。荷と人と金を分けて追え」

 別の実動員が、違う時間帯に同じ倉庫を見る。

 貴族街へ入れる者が迎賓館の人員を拾い、裏通りを知る者が水路側の荷車を追った。

 そうして戻ってきた短札が、保全卓へ一枚ずつ増えていく。

 保全卓は、押収した証拠や封書へ回収者と時刻を添え、勝手に触れられない形で扱うための黒い作業卓だ。その周囲では、紙をめくる音と、革紐を締める乾いた音が、昼夜を問わず続いていた。

 ルシは報告時刻と荷路を並べ、食い違う箇所へ印を付ける。

 ジルはその隣で、白梟はくきょうが監視へ気づかせる時の動きと、本命を隠す時の順序を拾った。

「この荷は、見せるためのものだ」

 ジルが一枚の報告札を押さえる。

「根拠は?」

「積み替えが丁寧すぎる。見られると分かっている運び方だ」

「囮か」

「本命を別へ通すためのな」

 ルシが別の短札を引き寄せた。

「なら、消えた一台はこっち」

「ああ」

「最初からそう言えよ」

「今言った」

「情報屋に優しくない」

「自分で繋げ」

「はいはい」

 照合の合間には、小規模な監視や記録確認の任務も入った。

 任務がない夜にも、ジルは黒燈へ顔を出した。

 報告が残っている。クロの様子を見る必要がある。保全札の確認が終わっていない。

 そのたびに理由はあった。

 食堂では、相変わらず出口の見える席を選ぶ。背後を人が通れば視線を上げる。ルシが向かいへ座っても歓迎はしない。

 だが、席を立つことはなくなった。

 ただ、それだけの変化だった。

 それを最初に覚えたのは、たぶんクロだった。

「きゅう」

 食堂へ向かう廊下で、クロがジルの外套の裾を咥える。

「引くな」

「きゅ」

「用があるなら鳴け」

「きゅう」

「鳴いているな」

 ジルは眉を寄せたが、裾を振り払わなかった。

 クロがくい、と引く先には、たいてい食堂があった。たいてい、ルシがいた。椅子の背に肘を預け、香草茶を片手にこちらを見る。

「クロ、またジル捕まえてきたのか」

「捕まっていない」

「外套、咥えられてるけど」

「毛玉が勝手にしているだけだ」

「それ、捕まってるって言うんだよ」

 ルシが笑うと、クロの首輪の黒銀札が、ちり、と小さく鳴った。

 ジルは何も返さない。

 ただ、外套の裾を取り戻すことなく、食堂の端の椅子を引いた。

 好きな匂いが二つ近くにある日は、クロの尾がよく揺れた。

     *

 十日近く積み上げられた紙と沈黙が、その夜、ひとつの保全卓へ並んだ。

 セリオが残した差し替え前の写し。

 文書保管庫の管理官が証言した搬出日。

 白弦商会の擦れた荷札。

 途中まで改竄された資金移動記録。

 金額と移送先だけを記した、モルガン・グレイルの指示書。

 黒い木目の上に、白い紙と白い蝋だけが冷たく浮いている。

 紙の端には焼け焦げた跡が残り、封じ布を開くたび、乾いた薬品と煤の匂いが薄く立った。

 見慣れた白だった。

 白梟はくきょうでは、整えられた記録だけが残った。都合の悪い声は削られ、余白は埋められ、誰かの責任は別の誰かの罪へ変わる。

 黒燈の者たちは、証拠品へ黒い札を添えていく。

 誰が、いつ、どこで押さえたものか。

 紙束は別々の封筒へ分けられ、革紐で締められる。ひとつを奪われても、すべてを消せないように。

 封筒が閉じられるたび、白梟はくきょうが焼こうとした声が、黒い灯りの下へ残されていく。

 ジルは壁際から、その手順を見ていた。

 出入口は背後にひとつ。

 右手には保全庫へ続く扉。

 室内の者は証拠を囲んでいても、ジルの退路までは塞いでいない。

 セリオと家族は生きている。

 文書保管庫の管理官と、その家族も保護された。

 モルガンと白弦商会の男は、別々の場所で保全下に置かれている。

 守れたものはある。

 だが、終わってはいない。

 セリオの数字と、モルガンの指示書にある金額は一致していた。

 管理官が証言した搬出日には、同じ日付を刻んだ荷札が残る。資金移動記録の空白も、その数字を入れれば不自然なほど綺麗に埋まった。

 監視班が拾った荷の時刻とも重なる。

 モルガン一人で決められる金額ではない。

 その上に、誰かがいる。

 慈善夜会の名は、モルガンが最初の供述で吐いたわけではない。

 最初に出たのは、寄付品、紹介状、旧迎賓館、白弦商会の名義貸し。どれも、ひとつでは決め手にならない断片ばかりだった。

 黒燈は、それを十日かけて繋いだ。

 セリオの写し。

 管理官の証言。

 白弦商会の荷札。

 資金記録。

 グレイル家から出た封筒の流れ。

 そして、昨夜ようやく押さえた、翌夜開催の慈善夜会の招待状控え。

 紙の上でばらばらだった線が、ひとつの場所へ集まる。

 ラザロ・グレイル。

 明日の夜、ラザロが押さえている旧迎賓館で開かれる慈善夜会。

 その名を出した時、モルガンは初めて顔色を変えた。

「ジル」

 ルシの声がした。

 いつもの軽さは薄い。

 視線は卓上ではなく、部屋の奥へ向けられていた。

 モルガン・グレイル。

 黒燈へ運び込まれ、保全下に置かれた当初の尊大さは、何度かの供述確認を経るうちに影を潜めていた。

 今は供述確認のため、手枷をかけられ、拘束椅子へ座らされている。額には脂汗。レヴィの刃がかすめた喉元には、細い赤い痕が残る。

 息を呑むたび、手枷の金具が肘掛けへ触れた。

 視線は何度も扉へ向かう。

 だが、足音が近づくたびに肩が硬くなる。助けを待つ者の反応ではなかった。

 ルシはモルガンの前へしゃがみ込む。

 視線の高さを合わせるが、手を伸ばせば届くほどには近づかない。

「さて」

 卓上の指示書と招待状控えへ指を置く。

「ラザロが白梟はくきょうと会う場所は、旧迎賓館。日取りは明日の夜。違うか」

 モルガンの唇が震えた。

「知らない……」

 ジルが壁際から一歩出る。

「嘘だな」

 怒鳴ってはいない。

 それでも、モルガンの肩が跳ねた。

「本当に知らない! ラザロ様は、私にすべてを話してはいない!」

「すべては、だろう」

 ジルの声は冷たい。

「なら、一部は知っている」

 モルガンは口を閉ざした。

 視線が右へ逸れる。

 扉でも窓でもない。誰かが割って入る場所を探すような動きだった。

 だが、ここにはモルガンを守る白梟はくきょうも、グレイル家の者もいない。

 ルシが言う。

「話した方がいい。白梟はくきょうはあんたを切った。ラザロも助けに来ない。黙っていても、守る相手はいないぞ」

「私は……本家の命令に従っただけだ」

「人質を取ったのも?」

 ルシの目が細くなる。

「筆写師の家族を攫ったのも、本家の命令なら責任はないって?」

「私は直接は――」

「手を下していない、で切れる話じゃない」

 ジルが告げる。

 刃は抜かない。

 ただ、相手を見る。

 呼吸の乱れ。言葉の限定。逃げる視線。喉が動く回数。

 嘘と責任逃れの継ぎ目を拾っていく。

 部屋の隅で、クロの爪が石床を小さく鳴らした。

「きゅ……」

 長い耳が後ろへ伏せられている。

「そこにいろ」

「きゅ」

 クロは保全卓の手前で座り直した。

 白い蝋と香料の残り香へ鼻先を上げた途端、尾の動きが止まる。

「きゅぅ……」

 ルシが一瞬だけ振り返った。

「嫌な匂いか」

「今のは顔に出てた」

「毛玉の顔を読むな」

 短いやり取りが、張り詰めた空気をわずかに緩める。

 ダリウスが保全卓の向こうから告げた。

「モルガン・グレイル。お前をここで裁くつもりはない」

 モルガンが顔を上げる。

「だが、消させもしない。白梟はくきょうにも、グレイル本家にも、お前の口を勝手に塞がせる気はない」

「……私は」

「話せ」

 低い言葉が石室へ沈んだ。

 誰も続きを急かさない。

 椅子がわずかに軋む。

 手枷が木へ触れ、かすかな音を立てた。

 やがてモルガンは、かすれた声を絞り出した。

「……そこまで、掴んだのか」

 ルシの指が、卓上の短札を一度だけ叩く。

「掴んだ。だから確認してる」

 モルガンは喉を鳴らした。


「明日の夜だ。貴族街の東端にある、グレイル本家の古い迎賓館。表向きは慈善夜会だ」

 沈黙が落ちる。

 黒燈が十日かけて繋いだ線を、モルガンの声が最後に結んだ。

 ルシが続ける。

「ラザロはそこで、誰と会う」

「白弦商会の代表だ」

「本当の代表か?」

「違う」

 モルガンは顔を伏せた。

「白梟はくきょうから来た者だと聞いた」

 カインが低く問う。

「レヴィか」

「違う。レヴィは伝令と実働だ。もっと上の者が来ると……」

 空気が変わった。

 黒い札を証拠品へ添えていた手が、ほんの一瞬止まる。

 レヴィより上に立ち、記録や任務を動かせる白梟はくきょうの者。

 白梟はくきょう長本人が、この黒い王都へ姿を見せる段階ではないだろう。

 だが白梟はくきょうには、刃を振るう者だけがいるわけではない。

 証人を消し、記録を整え、罪の形を変える者。

 直接手を汚さず、正しい記録だけを残す者。

 ジルの指が、外套の内側へわずかに向かう。

 短剣ではない。

 黒銀の仮札がある場所だった。

 触れる前に手を下ろす。

 ルシの視線がその動きを追ったが、問いには変わらなかった。

「そこで」

 モルガンが続ける。

 視線が、恐る恐るジルへ向いた。

「あなたの引き渡しについても話すはずだった」

 ルシの表情から、残っていた軽さが消えた。

「ジルの?」

「ああ」

 モルガンは小さく頷く。

「ラザロ様は、あなたを捕らえれば、白梟はくきょうが機密文書の場所を吐かせると言っていた。あなた自身と、あなたが持っていると白梟はくきょうが見ている文書。その二つを引き渡せば、グレイル家には支援が入る。金も、暗殺者も、必要なだけ」

 それまで卓の端を叩いていたルシの指が止まった。

 小さく続いていた音が消える。

「人を荷札と同じ数え方で言うな」

 低い声だった。

 モルガンが息を呑む。

 ジルはルシを見る。

「向こうにとっては事実だろう」

「向こうがそう数えてるだけだ」

 ルシの声の温度は戻らない。

「お前まで、それを事実みたいに言うな」

「慣れている」

 室内が静まった。

 いつもなら軽口で間を埋める男が、すぐには答えない。

「……慣れるな」

 その声には、薄い刃のような硬さがあった。

「そんな数え方に、お前まで従うな」

 ジルは視線を逸らす。

「お前が怒ることじゃない」

「そうかもな」

 ルシは一拍置く。

「でも、嫌なものは嫌だ」

 答えれば、余計なものまで出そうだった。

 白梟はくきょうでは、名前より役目が先に来た。

 任務へ向ける刃。

 扉を開くための手段。

 誰かの正しさを押し通すための道具。

 いつから疑問を持たなくなったのか、分からない。

 分からないことが、ひどく気分を悪くした。

 左鎖骨下の古い痕が、布の下でわずかに疼く。

 ジルは呼吸をひとつ整えた。

 ルシは問いを重ねず、一歩だけ引く。

 ただし、ジルの隣からは離れなかった。

 ダリウスが口を開く。

「白梟はくきょうの目的は変わらん。ジルの確保と、機密文書の回収だ」

 ゼルが、卓上の証拠を指先で分ける。

「場所と名義、資金はグレイル。荷と倉庫の経路は白弦商会。けれど、指示と刃は白梟はくきょうだね」

「ラザロは、その刃を買ったつもりでいる」

 カインの声は冷たい。

「だが、白梟はくきょうは買われる側じゃない」

「利用する側だ」

 ジルが言う。

 モルガンの視線が喉の傷へ落ちた。

 レヴィに口を塞がれかけた時点で、力関係は見えたはずだ。

 自分たちが白梟はくきょうを使っていたのではない。

 白梟はくきょうが、グレイルの名義と欲を使っていた。

     *

 ゼルが迎賓館の見取り図を広げた。

 厚い紙が保全卓を擦る。

 表の馬車寄せ。

 使用人が出入りする厨房口。

 裏手の水路へ降りる細い階段。

 監視班の報告と照らし合わせながら、必要な箇所だけを指で示していく。

「招待客は?」

 ルシがモルガンへ問う。

「商会関係者、貴族街の寄付者、孤児院への支援者、何人かの役人……」

「人の出入りへ紛れるには都合がいいな」

「だから接触に使う」

 ジルは見取り図を見下ろす。


 正面入口はひとつ。

 使用人用の扉が二つ。

 二階の窓には、外から足を掛けられる装飾。

 裏の水路は、退路にも増援経路にもなる。

「人が多いなら、白梟はくきょうは表では動かない」

「表向きはな」

 ルシが馬車寄せを指で叩く。

「給仕、楽師、警備、帳簿係。実働を紛れさせる場所はいくらでもある」

「外周と退路は俺が押さえる」

 カインが言った。

「私は会場内の術式を見る。拘束符か、逃走用の仕込みがあるはずだ」

 ゼルが続ける。

「オレは商会関係者へ混ざる。偽の代表と帳簿係、その周囲を拾う」

 ジルは地図から目を離さない。

「俺は招待客側から入る」

 カインの片目が鋭くなる。

「自分を囮にするな」

「囮にはならない」

 ジルは黒銀の仮札へ触れかけ、指を止めた。

 白梟はくきょうに運び込まれるのではない。

 グレイル家に差し出されるのでもない。

「向こうが俺を出す場所を決めるんじゃない。姿を見せる場所は、俺が選ぶ」

 ルシが眉を寄せる。

「一人で見せるなよ」

「お前は会場内で動け。俺だけでは商会側の流れが読めない」

 ルシの表情が一瞬止まった。

「……それ、オレが必要って言ってる?」

「情報屋としてな」

「今の注釈、いらなかった」

「誤解するな」

「少し味わいたかっただけ」

「味わうな」

 クロが片耳を向ける。

「クロは待機だ」

 ジルが即答すると、黒い耳が跳ねた。

「きゅう」

「夜会は人が多い。踏まれるぞ」

 ルシがしゃがみ、クロの頭を撫でる。

「きゅ……」

「会場近くとの往復は、小伝令獣へ任せよう」

 ゼルが穏やかに言う。

「クロには伝令房から作戦室まで、戻った短札を運んでもらう」

「きゅう!」

 クロは座り直し、胸を張った。

「札を運べ。伝令房と作戦室だけだ」

「きゅ」

「返事だけはいいな」

「任務をもらえてよかったな」

 ルシが笑う。

 太い尾が、石床を小さく払った。

「張り切りすぎるな、毛玉」

 張り詰めた空気が、少しだけほどける。

 ダリウスが見取り図の上へ黒い札を置いた。

 木と紙が触れる低い音。

「明日の夜、慈善夜会へ入る。目的は三つだ」

 全員の視線が集まる。

「ラザロ・グレイルと白梟はくきょう側の接触を押さえる。荷、帳簿、資金、名義の接続を確定する。そして、ジルを取引材料にする手を潰す」

 ジルは目を上げた。

「俺個人の問題じゃない」

「分かっている」

 ダリウスは即答した。

「だから、黒燈の任務として扱う」

 黒燈の任務。

 白梟はくきょうで任務と呼ばれたものは、刃を向ける先を決める命令だった。

 標的。

 報告。

 処理。

 終われば、誰かの名が消える。

 黒燈は、ジルの意思を無視して会場へ立たせようとはしなかった。

 ジルが入ると言ったから、その周囲を任務として組み直している。

 まだ、信用とは呼ばない。

 だが、白梟はくきょうとは違うと判断することはできた。

「……分かった」

 ルシがこちらを見る。

「今、ちゃんと分かったって言った?」

「耳が悪いのか」

「貴重だから」

「数えるな」

「まだ数えてない」

「顔が数えている」

「顔に出るほど嬉しいってことで」

「黙れ」

 カインの足が、石床を低く鳴らした。

「浮かれるな。夜会は罠だ」

「分かってるって、兄貴」

「お前は分かっている時ほど余計なことをする」

「兄貴の信頼が重い」

「信頼ではない。経験だ」

 ゼルが小さく笑う。

「白梟はくきょうが狙うなら、まず連携の間だ。会場内で二人の距離を切られないように」

「了解」

 ルシが片手を上げる。

 ジルは目を細めた。

「勝手に決めるな」

「お前が姿を見せる場所を選べるように、オレが周りの目を散らす」

「勝手に前へ出るな」

「隣にいるだけだ」

 ジルは返さなかった。

 拒む言葉も出ない。

 任務中だけ。

 そう言い訳すれば、まだ許せる距離だった。

     *

 ダリウスはモルガンを、引き続き黒燈の保全下へ置くと告げた。

「お前の責任は消さん。だが、白梟はくきょうの都合で口も塞がせない」

 モルガンはうつむく。

 無罪だと言われたわけではない。

 許されたわけでもない。

 それでも、浅く漏れていた呼吸の音は、少しだけ静かになった。

 ジルはその変化を見ていた。

 白梟はくきょうなら、利用価値の落ちた者は残さない。

 黒燈は、責任を残したまま、声も残す。

 似ているようで、刃の向きが違う。

 保全室を出ようとした時、ルシが横へ並んだ。

「ジル」

「何だ」

「さっきの、慣れてるってやつ」

「忘れろ」

「無理」

「しつこい」

「うん」

 ルシは否定しなかった。

「お前が自分を物みたいに数えるのは、オレは嫌だ」

 所有するという宣言ではない。

 取り返すとも、守ってやるとも言わない。

 ただ、嫌だと言われている。

 それが一番、扱いにくい。

「……任務の話に戻れ」

「逃げた」

「戻れ」

「はいはい」

 ルシはそれ以上、沈黙をこじ開けなかった。

 理由も聞かない。

 ただ、隣には残る。

 その距離へ、拒絶の言葉が出てこないことが、まだ慣れなかった。

     *

 作戦の確認は、夜が深くなるまで続いた。

 証拠品は、それぞれ別の封筒と棚へ分けられていく。

 白い紙が黒い布へ包まれる。

 革紐が締まり、保全札が乾いた音を立てた。

 ジルはその手順を最後まで見ていた。

 逃げ道を探すためだけではない。

 黒燈が何を残し、何を切らないのか。

 それを見極めるために、まだここにいる。

 作戦室を出ると、クロが二人の間を歩いた。

 首輪の黒銀札が、爪音に混じって小さく鳴る。

「明日、無茶するなよ」

 ルシが言う。

「お前に言われる筋合いはない」

「言う必要があるから言ってる」

「カインの真似か」

「兄弟だからな」

「面倒な兄弟だ」

「よく言われる」

 ルシは笑い、すぐに声を落とした。

「白梟はくきょうが何を言っても、敵の言葉だけで決めるな」

 ジルは足を止める。

 以前にも聞いた。

 レヴィの言葉が刺さった夜、この男は同じことを言った。

 自分を信じろとは言わなかった。

 黒燈を選べとも言わない。

 ただ、敵の言葉だけで決めるなと告げた。

「お前の言葉なら、決めていいのか」

 ルシが目を瞬いた。

「……それ、罠?」

「質問だ」

「なら答えるけど」

 わずかな間のあと、ルシは言った。

「オレの言葉でも決めるな。お前が見て決めろ」

 その答えは面倒だった。

 自分に従えとも、信じろとも言わない。

 選ぶ責任を、ジルから奪おうとしない。

 それでいて、選ぶ時には隣にいるつもりらしい。

 だが、嫌ではなかった。

「そうか」

「そう」

「なら見る」

 ルシの目元が、ほんの少し緩む。

「おう」

「白梟はくきょうも、黒燈も。お前も」

「オレも?」

「見る対象だろ。情報屋」

 ルシは口元を押さえた。

「今の、かなりいい」

「何が」

「言うと怒られる」

「なら黙れ」

「はいはい」

 クロがジルの靴先へ頬を押しつける。

「きゅう」

「明日は留守番だ」

「きゅ……」

「伝令役をしろ」

 クロの耳が勢いよく立った。

 ルシが笑う。

「明日は頼んだぞ、相棒」

「きゅ!」

 魔石灯は、夜更けの明るさまで落とされていた。

 ルシの右腕に巻かれた包帯は、もう細い。ジルの外套にあった裂け目も縫い直され、前腕の傷は袖の下で浅い痕へ変わっている。

 工房から持ち帰った煤と薬品の匂いは、服から消えた。

 代わりに、何日も保全室へ通った紙埃と、薬草の薄い匂いが袖口へ染みついている。

 傷は塞がり始めた。

 だが、白梟はくきょうの手はまだ伸びている。

 明日の夜。

 慈善という名の灯りの下で、誰が誰を差し出すのか。

 ジルは、それを見に行く。

 誰かに連れていかれるのではなく。

 自分で選んだ足で。
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BL 完結 長編 R15
文字数:268,687
『惚れ薬』が効きすぎるなんて、令和の時代にアリですか⁉ 表紙

『惚れ薬』が効きすぎるなんて、令和の時代にアリですか⁉

☆バレー部モテ男子 鵜飼虎太郎×平凡普通男子 花崎佑二☆  高校二年の花崎は、成績真ん中・運動そこそこ・平均身長の平凡男子。目立たずに教室の端に存在している。  しかしある日突然、バレー部のイケメン男子、鵜飼から「化学のノート、貸してくんない?」と声を掛けられた。  ――ええ?なんで僕?  そう焦る花崎だが、それはだたの人間違いだった。 「化学が得意なのは隣のクラスの花菱くん。これは普通の花崎くん」  そんな風にクラスメイトに笑われてしまう。  目立たずに生きてきた花崎にとって、教室の中で恥をかかされたことはショックな出来事。  ――鵜飼め‼ 覚えていろよ!  イライラがおさまらない花崎は、図書室で「中世魔女の妙薬レシピ」という怪しげな本を見つけ、「惚れ薬」を鵜飼に使うことを決意して…⁉   惚れ薬の効果なのか溺愛♥高校生活に突入!  花崎はバレーボールに汗を流す鵜飼の姿をカッコいいじゃん、と思い始めたけれど。  『惚れ薬』の効果がきれたら…?  ☆第2回青春BL小説カップにエントリー作品です(*^^*)投票・お気に入り登録・♡などで応援いただけますと大変嬉しいです‼よろしくお願いいたします☆  不定期更新です💦スミマセン💦
BL 完結 長編
文字数:84,218
失恋相手に魔王討伐のご褒美にされてたんだが 表紙

失恋相手に魔王討伐のご褒美にされてたんだが

魔王討伐の為の勇者召喚に巻き込まれた蕪木透。その勇者は苦い思い出のある高校時代の同級生井上朝陽だった。すれ違いから疎遠になった2人が異世界に召喚される話。当て馬的な女の子が出てきますしわりと性悪です。プチざまぁあり。途中主人公があまりいい目にあっていませんがハッピーエンドなので安心してください♪( ´θ`)同性婚ありな世界線です。※他サイトにも掲載あり
BL 完結 短編
文字数:9,900