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第1部 魔族王都編
第20話 夜明け前の仮眠
作戦室を出る頃には、地下の魔石灯も夜更けの明るさへ落ちていた。
廊下の石壁には、四人と一匹の影が低く伸びている。
ルシの足取りは、普段よりわずかに遅い。
笑えば隠せる程度の違いだったが、地図を畳んでいた指も、一度だけ動きを止めていた。
少し前を歩くカインも、残った片目を何度か細めている。ゼルは銀筆をしまったあと、魔力疲労を散らすように指先を静かに握り直した。
誰も疲れを口にはしない。
だが、判断の遅れは目元や手へ出る。
ジル自身も例外ではなかった。
傷は塞がり始めている。
それでも肩の奥には、何日も監視と照合を重ねた鈍い重さが残り、指先からは紙と封じ布を扱い続けた乾いた感覚が抜けていない。
慈善夜会は、明日の夜。
その疲れを抱えたまま入れば、白梟の用意した盤面へ自分から足を置くことになる。
廊下の分岐へ差しかかった時、背後からダリウスの低い声が落ちた。
「全員、仮眠を取れ」
足音が止まる。
ルシが振り返り、わざと軽く肩をすくめた。
「ギルド長、今から寝ろって? 明日の夜会、なかなか性格悪い相手が待ってるんだけど」
「だから寝ろ」
短い返答だった。
石壁に声が沈む。
「疲労したまま入れば、罠に気づく前に判断が鈍る。白梟相手に、それを許すほど余裕はない」
ジルは黙っていた。
正しい。
正しいから、余計に口を挟みにくい。
白梟では、疲労は報告するものではなかった。動けるなら動く。刃が折れるまでは任務の内側にいる。そう教えられたわけではない。ただ、そういうものとして身体に残っている。
「俺は必要ない」
言った瞬間、ルシがこちらを見た。
カインも、片目を細める。
ダリウスの表情は変わらなかった。
「必要かどうかを、お前一人で決めるな」
低い声だった。
責める響きではない。
だが、退かない声でもあった。
「黒燈は、使い潰した刃を誇らん。明日の夜、必要なのは動ける人員だ。倒れるまで動いた者ではない」
ジルの指が、外套の内側で止まる。
黒銀の仮登録札がある場所へ触れかけて、やめた。
ルシが小さく息を吐く。
「ほら、ジル。ギルド長公認で寝ろってさ」
「お前もだ」
ジルが返すと、ルシは目を丸くした。
「え、オレ?」
「足取りが遅い」
「見てた?」
「見なくても分かる」
「それ、ちょっと怖いんだけど」
「情報屋が気づかれて困る動きをするな」
「はいはい。戦力管理ね」
「そうだ」
「便利な言葉だなあ」
ルシは笑った。
だが、いつもの軽さほどは弾まない。笑い終えた後の息が、少し深い。
カインが低く言う。
「ルシ、お前も寝ろ」
「兄貴まで」
「目元に出ている」
「兄弟で見る場所が細かい」
「お前は疲れている時ほど喋る」
「それ、悪口?」
「事実だ」
ゼルが銀筆を懐へしまい直しながら、静かに頷いた。
「私も少し休むよ。指先の震えが残っている。術式を見るには、いまのままだと精度が落ちる」
その言葉に、カインがわずかにゼルを見る。
「先に言え」
「言うほどではないと思っていた」
「言うことだ」
「うん。次からは先に言う」
短い会話だった。
叱責でも、甘さでもない。
補うための確認。
ジルはその横顔を見て、視線を外した。
白梟なら、弱い部分は隠す。
弱みを見せれば、誰かがそこを管理する。あるいは利用する。
黒燈では、疲労を申告することが作戦の一部になるらしい。
面倒な組織だ。
そう思うのに、悪くはない。
「部屋は空けてある」
ダリウスが言った。
「実働員用の仮眠室を使え。先に食堂で温かいものだけ腹へ入れろ。そのあと二刻休め。本食は起きてからだ」
「二刻だけ?」
ルシが顔をしかめる。
「明日の準備を考えれば十分だ」
「短いなあ」
「足りない分は、起きてから香草茶で誤魔化せ」
「黒燈式、けっこう雑」
「文句を言う体力があるなら歩け」
「はいはい」
廊下の足元で、クロが小さく鳴いた。
「きゅう」
ジルの外套の裾を、くい、と咥える。
「引くな」
「きゅ」
「仮眠室はそっちじゃない」
「きゅう」
クロはもう一度、裾を引いた。
向かう先は食堂側の廊下だった。
ルシが笑う。
「先に何か飲ませる気だな。クロ、優秀」
「都合よく訳すな」
「でも合ってるだろ。寝る前に温かいもの飲んだ方が寝やすい」
「必要ない」
「出た」
ルシが隣に並ぶ。
近すぎない。
けれど、クロが間にいるせいで、離れる理由も作りにくい距離だった。
「ジル」
「何だ」
「明日、自分で選んだ足で行くんだろ」
ジルは返事をしなかった。
ルシは続ける。
「なら、その足を今休ませるのも、お前の判断に入れとけ」
軽い声だった。
だが、内容は軽くない。
ジルは足元のクロを見る。
黒い毛玉は、外套の裾を咥えたまま、期待するように耳を立てていた。首輪の黒銀札が、廊下の灯りを受けて小さく光る。
「……食堂までだ」
「お、譲歩」
「仮眠前の補給だ」
「はいはい、任務前の補給ね」
「笑うな」
「笑ってない」
「顔が笑っている」
「じゃあ、ちょっとだけ」
ルシの笑い声が、夜更けの廊下へ低く落ちた。
カインの足音が後ろで重く続き、ゼルの歩幅がその左側へ自然に重なる。クロの爪が石床を小さく叩き、黒銀札が、ちり、と鳴る。
白梟の手は、明日の夜も伸びてくる。
だが今は、黒い灯りの下にいる。
休めという言葉は、作戦上の命令だった。
それでも、所有するためでも、使い潰すためでもない。
明日の任務へ動ける状態で立たせ、生きて戻すために休めと言われる場所。
ジルはそれを、まだ居場所とは呼ばない。
ただ、外套の裾を咥えるクロを振り払わず、食堂へ向かう足を止めなかった。
*
夜更けの食堂には、まだ灯りが残っていた。
大きな鍋は火から下ろされている。それでも、蓋の隙間から香草と肉の匂いが薄く漏れ、石造りの部屋へ温かさを広げていた。壁際の棚には焼き直した黒麦パンが置かれ、茶器の横では、湯気の細い香草茶が待っている。
食堂番の年配の女が、こちらを見るなり無言で椀を並べた。
「寝る前に重いものは出さないよ。飲めるだけ飲んで、食べられるだけ食べな」
「ありがと」
ルシが軽く手を上げる。
ジルは返事をしないまま、出口の見える端の席を選んだ。
背後に壁。
右に通路。
左には、クロが先に椅子へ飛び乗ろうとして失敗し、前足だけを座面へ掛けている。
「乗るな」
「きゅう」
「乗れないなら諦めろ」
「きゅ……」
ルシが横から抱き上げる。
「はいはい、毛玉様専用席」
「甘やかすな」
「じゃあ、床で踏まれるかもしれない場所に置く?」
ジルは黙った。
クロはルシの腕から当然のようにジルの隣へ下ろされ、椅子の上で丸くなる。尾が座面から少しはみ出し、黒銀札が椅子の縁へ触れて小さく鳴った。
ちり。
音が、食堂の静けさへ落ちる。
ジルはその音を聞きながら、椀を見下ろした。
澄んだスープに、刻んだ香草と小さな肉片。匂いは強くない。疲れた身体でも受け付けるように、塩気も油も抑えてある。
「食え」
カインが短く言った。
「命令か」
「確認だ」
「似ている」
「違う」
ゼルが向かいに座り、椀を両手で包んだ。
「ここでは、食事も作戦準備だよ」
「便利な言い方だな」
「君もよく使うだろう?」
「使っていない」
ルシがすかさず口を挟む。
「戦力管理、任務前の補給、毛玉の管理。今日だけで三つは聞いた」
「数えるな」
「情報屋だからな」
「うるさい」
言い返しながら、ジルは匙を取った。
温かいスープが喉を通る。
熱すぎない。
薬草ほど苦くもない。
腹に落ちて、そこでようやく、自分が空腹だったことに気づく。
不快だった。
気づかなかったことが、不快だった。
白梟時代なら、それでも任務が終わるまでは無視した。身体は使うものだった。整えるものではない。
けれど、黒燈の食堂では、黙っていても椀が出てくる。
食べろと言われる。
寝ろと言われる。
それは鎖ではない。
だが、慣れない。
「味、変か?」
ルシが聞いた。
「普通だ」
「普通は褒め言葉?」
「食べられる」
「ジル式だと高評価だな」
「勝手に訳すな」
「クロ、今の高評価だぞ」
「きゅう」
「お前も返事をするな」
クロは椅子の上で丸くなったまま、満足そうに目を細めている。
好きな匂いが近くにあると、尾の動きが柔らかくなる。
ルシの匂い。
ジルの薬草と紙埃の匂い。
食堂の香草茶。
黒燈の石壁に染みついた灯りの匂い。
クロには、それで十分らしい。
ゼルが香草茶を一口飲み、ゆっくり息を吐いた。
「夜会では、術式具の匂いが混ざるだろうね。香料で隠すだろうけれど」
「貴族の夜会なら、香料は多い」
ジルが答える。
「白梟が紛れるには都合がいい。血の匂いも、金属の匂いも、香木で薄められる」
「嫌な場所だな」
ルシが椀を置く。
「だが、向こうが慣れた場所でもある」
カインが言った。
「人が多い。音も多い。見られていると思え」
「分かってるって」
「お前は分かっている時ほど余計なことをする」
「それさっきも聞いた」
「何度でも言う」
「兄貴、心配性」
「経験だ」
ゼルが笑う。
「カインが同じことを何度も言う時は、本当に危険な時だよ」
「ゼルさんまで」
「私も経験で言っている」
ルシは降参するように両手を上げた。
「はいはい。無茶しません。深追いしません。捕まりません。ジルを一人にしません」
最後の言葉で、ジルの手が止まる。
「勝手に足すな」
「必要事項だろ」
「俺は一人で動ける」
「知ってる」
ルシの返事は早かった。
「でも、向こうはお前を一人にしたがる。だから一人にしない」
所有の言葉ではなかった。
守ってやる、でもない。
作戦上の判断のように言っている。
ジルが普段使う言い訳に、少し似ていた。
「……足を引っ張るな」
「了解」
「前にも出すぎるな」
「それは状況次第」
「おい」
「情報屋だからな」
「便利に使うな」
「お互い様だろ」
ルシが笑う。
ジルは返さなかった。
否定する言葉が、少し遅れたからだ。
その遅れを、ルシは見逃さなかったらしい。
だが、何も言わない。
何も言わず、香草茶を飲む。
湯気の向こうで、赤銅の目が少しだけ柔らかく見えた。
クロが椅子の上で寝返りを打つ。
太い尾がジルの外套へ触れた。
「邪魔だ」
「きゅ……」
「寝るなら落ちるな」
「きゅう」
「返事だけはいい」
ルシが小さく笑った。
「ジル、もう完全にクロの世話係だな」
「任務前の伝令獣管理だ」
「出た、四つ目」
「数えるな」
「情報屋――」
「黙れ」
「はいはい」
食堂番が空になった椀を下げ、代わりに小さな包みを置いた。
「仮眠室へ持っていきな。目が覚めたら食べる用だよ」
黒麦パンと干し果実。
包み紙には、黒燈の簡素な印が押されている。
ジルはそれを見下ろす。
「……準備がいいな」
「ここで倒れられる方が面倒だからね」
女はあっさり言った。
「黒燈の連中は、放っておくと飯も寝床も削る。だからこっちが先に置くんだよ」
ジルは何も言えなかった。
カインが短く頷く。
「行くぞ」
ゼルは椀を置き、指先を軽く開閉した。
「少し温まった。これなら眠れそうだ」
「無理に寝ようとするな。目を閉じろ」
カインが言う。
「君もね」
「ああ」
短い応酬。
ゼルの視線が、カインの左側へ一瞬だけ落ちる。
補うことと、縛ることは違う。
ジルはその二人を見ながら、なぜかそう思った。
誰かの弱い場所を知ること。
その位置へ立つこと。
逃げ道を奪うこと。
それらは、似ているようで同じではない。
白梟では、その境目がいつの間にか消えていた。
黒燈では、まだ線が残っている。
少なくとも、ジルにはそう見えた。
*
仮眠室は、食堂から廊下を二つ曲がった先にあった。
厚い木の扉。
内側には、低い寝台がいくつか並んでいる。任務帰りの実働員が短時間だけ身体を休めるための部屋らしく、余計な装飾はない。けれど、布は清潔で、壁際には水差しと灯りを落とした魔石灯が置かれていた。
窓はない。
地下だから当然だ。
その代わり、扉の留め金は内側から簡単に外せる作りになっている。閉じ込めるための部屋ではない。
ジルは最初にそれを確認した。
ルシが横で言う。
「出口確認、完了?」
「黙れ」
「はいはい」
カインは奥の寝台を選び、外套を畳んで横になる。ゼルはその左側に自然と座り、銀筆を細い保護筒へ戻して枕元へ置いた。
ルシは入口に近い寝台へ腰を下ろす。
ジルはその向かい、壁に背を預けられる位置を選んだ。
「寝る気ある?」
ルシが聞く。
「ある」
「その座り方で?」
「目は閉じる」
「器用だな」
「お前も寝ろ」
「はいはい」
ルシは外套を丸め、枕代わりにした。
疲れているのは本当だったらしい。
横になると、軽口の数が減る。
クロはしばらく部屋の中を歩き回り、全員の位置を確認していた。
カインの寝台の下。
ゼルの足元。
ルシの寝台の横。
最後に、ジルの前へ来る。
「ここは寝床じゃない」
「きゅう」
「聞け」
「きゅ」
クロはジルの膝へ前足をかけようとした。
「乗るな」
「きゅ……」
「重い」
「三キロしかないだろ」
ルシの声が寝台から飛んでくる。
「寝ろ」
「今のは突っ込むところだろ」
「寝ろ」
「はいはい」
クロは諦めたように膝から下り、ジルとルシの寝台の間で丸くなった。
ちょうど二人の間。
黒い尾を身体へ巻き、長い耳を伏せる。
数呼吸もしないうちに、小さな寝息が聞こえ始めた。
ジルはそれを見下ろす。
「勝手な毛玉だ」
「安心してるんだろ」
ルシは目を閉じたまま言った。
「好きな匂いが近いから」
「都合よく訳すな」
「これはたぶん合ってる」
「寝ろ」
「はいはい」
短い沈黙。
魔石灯の低い音が、壁の内側から小さく響いている。火ではない。けれど、灯りがある音だった。
ジルは壁へ背を預けたまま、目を閉じる。
眠れるとは思わなかった。
夜会の見取り図。
旧迎賓館の馬車寄せ。
厨房口。
裏手の水路。
白梟の刃。
ラザロ・グレイル。
機密文書。
引き渡し。
自分を荷札のように数える声。
思考は止まらない。
それでも、扉の外には黒燈の気配がある。
食堂の温かい匂いが残っている。
足元にはクロがいる。
向かいには、ルシの浅い寝息があった。
規則正しい。
少し疲れている。
けれど、まだ乱れてはいない。
ジルは薄く目を開けた。
ルシは横を向き、片腕を枕の下へ入れて眠っている。右腕の包帯は、もう細い。指先には、地図と短札を扱い続けた跡が残っていた。
情報屋の手。
刃を握る手ではない。
だが、必要な時に一拍を作る手。
白梟の記録では、そういう手は残らない。
誰が誰の視線を逸らしたか。
誰が逃げ道を残したか。
誰が隣に立ったか。
そういうものは、整えられた記録には書かれない。
黒燈は、それを見ている。
少なくとも、ルシは見ている。
「見る対象だろ。情報屋」
自分で言った言葉を思い出し、ジルは眉を寄せた。
余計なことを言った。
だが、撤回する気にもなれなかった。
クロが寝返りを打ち、ジルの靴先へ背を押しつける。
「きゅ……」
夢の中の声らしい。
ジルはため息をつき、外套の裾を少しだけ引いて、クロの背へ掛けた。
寒くないように。
それだけだ。
それだけのつもりだった。
向かいの寝台から、低い声がした。
「見てない」
ルシだった。
目は閉じたまま。
ジルの手が止まる。
「寝ろ」
「寝てる」
「寝ている奴は喋らない」
「寝言」
「都合がいいな」
「便利だろ」
ルシは薄く笑った気配だけを残し、それ以上は何も言わなかった。
見ていない、と言った。
その言葉が妙に残った。
見ていたくせに、見ていないと言う。
隠したいものを、無理に暴かない。
見られたくない動きを、なかったことにする。
所有しない距離。
ジルは目を閉じた。
今度は、さっきより少しだけ深く息が入った。
眠りは浅かった。
けれど、完全に起きているわけでもなかった。
黒い灯りの底で、紙の匂いと香草茶の匂いが薄く混じる。
遠くで誰かが扉を閉める音がした。
カインの低い寝息。
ゼルが身じろぎした布の音。
ルシの呼吸。
クロの小さな寝言。
白い王都の香木は、ここにはない。
整えられた記録棚の冷たさもない。
ジルはその音の中で、短い眠りへ落ちた。
*
起こされたのは、夜明け前だった。
黒燈本部の地下に朝日は入らない。
それでも、魔石灯の明るさが少しだけ変わる。夜更けの低い灯りから、早朝任務のための淡い灯りへ。石壁の影が薄くなり、廊下の向こうから食器の触れる音が聞こえ始めていた。
ジルは目を開ける前に、周囲の気配を数えた。
扉。
通路。
寝台。
カイン。
ゼル。
ルシ。
足元のクロ。
異常はない。
目を開けると、クロが真正面でこちらを見ていた。
「きゅう」
「近い」
「きゅ」
「起きている」
「きゅう」
「顔を舐めるな」
クロは不満そうに尾を揺らした。
向かいの寝台で、ルシが寝返りを打つ。
「クロ、起こし方が雑……」
「お前の相棒だろ」
「今はジル担当」
「押しつけるな」
ルシは目をこすりながら起き上がった。髪が少し乱れている。普段なら整えてから人前へ出るのだろうが、寝起きの今は隠しきれていない。
ジルはそれを見て言った。
「顔がひどい」
「第一声それ?」
「事実確認だ」
「もうちょっと優しさを覚えてほしい」
「任務前だ。必要ない」
「任務外でもないけどな」
ルシは肩を回し、息を吐いた。
包帯のある右腕を一度だけ確かめる。
ジルの目がそこへ向いた。
「痛むのか」
「少しな」
「夜会前に巻き直せ」
「ジルさん、急に医務担当?」
「情報屋が会場で腕を庇えば目立つ」
「はいはい。戦力管理」
「そうだ」
ルシは笑った。
寝る前より、いくらか目の色が戻っている。
疲れは消えていない。
だが、判断が落ちるほどではない。
カインもすでに起きていた。
短く外套を整え、左側に立つゼルの指先を一度だけ見る。
「震えは」
「取れたよ」
「本当か」
「触って確かめる?」
ゼルが穏やかに言う。
カインは一瞬黙り、視線を逸らした。
「任務前だ」
「そうだね」
ゼルは微笑み、保護筒ごと銀筆を懐へ戻した。
ルシが小声で言う。
「兄貴、負けたな」
「聞こえている」
「はい」
クロが元気よく鳴いた。
「きゅう!」
「お前も張り切りすぎるな」
ジルが言うと、クロは胸を張った。
「きゅ」
「伝令房と作戦室だけだ」
「きゅう」
「会場へは来るな」
「きゅ……」
「返事が弱い」
ルシが笑う。
「クロ、そこは自信ないんだな」
「笑うな。お前もだ」
「オレも会場には行くけど?」
「余計な場所へ行くな」
「はいはい」
仮眠室の扉が叩かれた。
外から若い実動員の声がする。
「起床確認です。食堂に軽食、作戦室に更新分の短札が届いています」
「分かった」
カインが答える。
ジルは外套を整え、仮札の位置を確かめた。
黒銀の冷たい感触が、布越しに指へ返る。
身体へ刻まれた印ではない。
自分で持ち、自分でしまえる証。
それはまだ仮のものだった。
けれど、白梟の印とは違う。
誰かの所有を示すために肌へ残されたものではない。
ジルは指を離した。
扉を開けると、廊下には早朝の黒燈が動き始めていた。
伝令房へ走る実動員。
保全室へ向かう者。
食堂から香草茶の匂い。
遠くで、紙束を揃える音と、革紐を締める乾いた音が聞こえる。
眠っている間にも、黒燈は止まっていなかった。
だが、誰かを使い潰すために動いているわけではない。
証拠を残すため。
証人を消させないため。
そして、今夜の夜会で、ジルを取引材料にする手を潰すため。
ジルは廊下へ一歩出る。
その横へ、ルシが並んだ。
クロが二人の間を歩く。首輪の黒銀札が、爪音に混じって小さく鳴った。
「眠れたか?」
ルシが聞く。
「少しはな」
「お、正直」
「事実だ」
「高評価」
「何が」
「聞いたら怒る?」
「怒る」
「じゃあ黙る」
「そうしろ」
ルシは笑い、少しだけ声を落とした。
「少しでも寝たならいい。今夜は長いぞ」
「分かっている」
「敵の言葉だけで決めるなよ」
「何度も言うな」
「何度でも言う」
その返しに、ジルは一瞬だけルシを見る。
ルシは軽く笑っていた。
だが、その目は真面目だった。
自分を信じろとは言わない。
黒燈を信じろとも言わない。
ただ、敵の言葉だけで決めるなと繰り返す。
それは、命令ではない。
選択を奪わないための、しつこい確認だった。
「なら、お前も忘れるな」
「何を?」
「俺は、見て決める」
ルシの足が、ほんの一瞬だけ遅れた。
すぐに笑う。
「了解」
「笑うな」
「これは無理」
「殴るぞ」
「仮眠明けで暴力反対」
「黙れ」
「はいはい」
前方でカインの足音が低く鳴る。
「浮かれるな」
「兄貴、今のオレだけ?」
「二人ともだ」
ゼルが穏やかに続けた。
「でも、目は覚めたみたいだね」
「私語が増えたからか」
ジルが言うと、ゼルは小さく笑った。
「それもあるかな」
黒燈本部の奥で、作戦室の扉が開く。
中には、旧迎賓館の見取り図。
更新された短札。
白弦商会の荷路。
ラザロ・グレイルの名。
そして、白梟へ繋がる線。
夜会はまだ始まっていない。
だが、盤面はもう動いている。
ジルは一度だけ足元を見た。
自分の足。
まだ重さは残っている。
それでも、眠る前よりは軽い。
誰かに引きずられている足ではない。
誰かの命令で向かう足でもない。
今夜、慈善という名の灯りの下へ立つ。
誰が誰を差し出すのか。
誰が誰の名を消そうとするのか。
それを、自分の目で見るために。
ジルは顔を上げた。
黒い灯りの下、作戦室へ踏み入れる。
今度は、眠らないためではなく。
自分で選んだ足を、きちんと動かすために。
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本物になりたいと願う替え玉と、完成された王太子の静謐な王宮ロマンス。
現在は王となったリオンとリュシーの関係を中心に、独占欲強めの溺愛が進行中。
『惚れ薬』が効きすぎるなんて、令和の時代にアリですか⁉
☆バレー部モテ男子 鵜飼虎太郎×平凡普通男子 花崎佑二☆
高校二年の花崎は、成績真ん中・運動そこそこ・平均身長の平凡男子。目立たずに教室の端に存在している。
しかしある日突然、バレー部のイケメン男子、鵜飼から「化学のノート、貸してくんない?」と声を掛けられた。
――ええ?なんで僕?
そう焦る花崎だが、それはだたの人間違いだった。
「化学が得意なのは隣のクラスの花菱くん。これは普通の花崎くん」
そんな風にクラスメイトに笑われてしまう。
目立たずに生きてきた花崎にとって、教室の中で恥をかかされたことはショックな出来事。
――鵜飼め‼ 覚えていろよ!
イライラがおさまらない花崎は、図書室で「中世魔女の妙薬レシピ」という怪しげな本を見つけ、「惚れ薬」を鵜飼に使うことを決意して…⁉
惚れ薬の効果なのか溺愛♥高校生活に突入!
花崎はバレーボールに汗を流す鵜飼の姿をカッコいいじゃん、と思い始めたけれど。
『惚れ薬』の効果がきれたら…?
☆第2回青春BL小説カップにエントリー作品です(*^^*)投票・お気に入り登録・♡などで応援いただけますと大変嬉しいです‼よろしくお願いいたします☆
不定期更新です💦スミマセン💦
失恋相手に魔王討伐のご褒美にされてたんだが
魔王討伐の為の勇者召喚に巻き込まれた蕪木透。その勇者は苦い思い出のある高校時代の同級生井上朝陽だった。すれ違いから疎遠になった2人が異世界に召喚される話。当て馬的な女の子が出てきますしわりと性悪です。プチざまぁあり。途中主人公があまりいい目にあっていませんがハッピーエンドなので安心してください♪( ´θ`)同性婚ありな世界線です。※他サイトにも掲載あり


