抜歯ノンフィクション

夢野なつ

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本当にただの抜歯の話です

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 左の上の奥歯が尖っている、という感覚が一年前ほどからあった。
 以前親知らずを治療したときと似た状態だったので、これも親知らずの虫歯だとはっきり分かっている。放置していたのは、治療のとき麻酔の注射が非常に痛かったのを覚えていたのと、その治療の後も歯医者には継続して通わなければならなかったのに、ちょっと遠いのが面倒でサボり、中断したことのバツが悪かった、というのがある。
 しかし、歯のシャープな尖り具合は少しずつ激しさを増していたため、これ以上放置するのは賢明ではない。そう判断した私は勇気を出して行きつけの歯医者に電話をかけた。
「あの、もしもし。○○歯科ですか?」
「はい、どうされましたか?」
「虫歯になったようなので治療に行きたいんですけど」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
 よくあるオルゴールの音楽を聞きながらしばらく待つ。自分から嫌なところへ飛び込む予定を立てるというのはあまりいい気分ではない。
「お待たせしました。本日の二時半が直近で空いておりますが、いかがされますか?」
「今日!?」
 自分が大きな声を出したかどうかは定かではない。本心を話すと明日ぐらいに決まれば気持ちも変わらないだろうし、今ハマっているオンラインゲームのファンタシースターオンライン2(以下PSO2)のメンテナンス日とかぶって暇が潰せるな、くらいに思っていたのだが、今日だとは予想していなかった。
 現在時刻は十一時。何、行ってしまえばすぐ終わる。こんなつまらないことで悩んであまり受付の方を待たせるわけにはいかない。
「分かりました、行きます」
「お待ちしております」
 こうして私の勇気は証明された。あとは二時間後の電車に乗って歯科医に行くだけである。

 駅に着くとまだ電車が来ていなかったため、私は持ってきたNintendo Switchでポケットモンスターシールドを始めた。一昨日買ったばかりで、現在は2番坑道で水ポケモンのレベリングをしている。
 ポケモンシールドはシンボルエンカウント方式だ。フィールドで走っているピカチュウにぶつかればピカチュウと戦える。私は2番坑道の入り口で見慣れない影を見つけたので、未所持ポケモンかと思いゲットするためタックルした。
 案の定、まだ持っていないオンバットというポケモンだった。しかも、太陽光が画面に反射して見づらくはあったが、通常とは色違いの個体だ。
 最近のポケモンに疎い方のために説明すると、オンバットとはズバットよりも可愛くデザインされたコウモリポケモンである。進化すると格好良くなる上、性能もなかなかいいので私のお気に入りだ。加えて色違いとくれば、もうこれはゲットせざるをえない。
 レベリングが目的だったため先発のポケモン、パルスワン(電気タイプの犬ポケモン)はレベルが高めだったが、タイプ不一致の「かみつく」ならHPはギリギリ残るだろう。そう思い画面を見つめているとオンバットのHPゲージは割とあっさり溶けてしまった。パルスワンの特性がかみつき系の技を強化する「がんじょうあご」だったのを忘れていたし、普段から普通にメインウェポンとして使っていたのに、なぜ私はこんな愚行に走ったのか。今でも後悔している。

 がっかりしながら歯医者にたどり着き、診察室へ向かう。歯科技工士のお姉さんによる簡単な検査的な何かの後、院長の先生が来てこう言い放った。
「今日抜こうか」
 早い。
 先生決断が早い。
 私の当初の予定では、明日診察来週抜歯くらいのペースで考えていたのに、今日来て今日抜歯なのか先生。
 以前通っていたときのカルテが残っているからこそできる早業なのだろうが、心の準備が一ミリもできていない。
 しかし、こうなればやけだ。まな板の上のコイキング。こういうことを考えるあたり明らかにポケモンのやりすぎである。
「がんばります」
 そう言いはしたが本当にがんばるのは先生である。

 次に状態を見るためレントゲンを撮った。目をつぶって撮影の時間を過ごしている間、流れている音がポケモンセンターみたいだなと考えていた。こうやって文字に起こしていくと私はだいぶポケモン脳に侵されているようだ。
 レントゲンが終わり、個室に戻ると先生にこう言われた。
「下の奥歯の方が状態が悪いね。神経にまで行ってる。痛くない?」
 こんなもの事実上の死刑宣告である。上の歯ですら自覚できるほど状態が悪いのに、下の方がひどいならそっちも抜くしかないではないか。加えて、先生は「上の歯の」抜歯は簡単だよ、と過去に言っていたのだ。総合するとつらみが深い。

 いよいよ抜歯が決まり、私は部屋に独り残って待った。精神を安定した状態にコントロールするため、幼少期のテレビ番組で流されていた子供に歯磨きを促す歌を脳内で歌うことにした。
『は・み・が・き・じょうずかな?』
 いいぞ……いいぞ……と思っていた矢先、唐突に外国人の大工が、廃屋から取ってきた板から古い釘をバールでぶっこ抜く映像が脳内で再生され、心の中で『やめろぉ!』と叫んだのは死ぬまで忘れないだろう。

 そんなことはつゆ知らず先生が戻ってきて、治療が始まる。最初は麻酔の注射だ。以前の治療のとき、抜歯より麻酔注射の方が圧倒的に痛かったため、私は憂鬱だった。案の定痛い。しかし、一度経験したためだろうか、耐えられないほどではない。目をぎゅっとつぶり、痛みを堪えた。
 麻酔が効くのにはある程度時間がかかる。私はまた部屋に独り残された。
 天井に描かれた青い空を眺めながら、家に帰ったら自分へのご褒美にPSO2のサブパレット拡張課金をしよう(確か八百円)、などとぼんやり考えていた。そんな現実逃避でもしないとやっていられないほど、緊張していた。
 そうしてメインイベント、抜歯のお時間だ。
 あえてメガネを外していたので先生が手に持っている器具は見えなかったが、とりあえず何かを口の中に突っ込まれた。まあ歯を抜く道具だということだけ分かっていれば緊張する準備はできる。
 器具が歯に触れる。先生が腕に力を入れた。

 あれ、痛くないか?

 痛い。

 痛い痛い痛い!

 これ麻酔は効いていないのでは? と疑わしくなるくらいガンガン痛みがやってくる。神経を直接引っこ抜かれているような感覚だ。脳内でサブパレサブパレサブパレサブパレと唱えていたがあまり効果はない。とにかく痛い。私は親知らずという存在と、歯磨きをおろそかにして虫歯を作った自分を呪った。
 痛い以外の感情が消え失せた頃、とはいえ時間にすれば三分程度だとは思うが、抜歯はあっけなく終わった。私は先生から治療後の過ごし方や次の治療などについての説明を聞き、抜いた歯を受け取って帰宅した。

 次の抜歯は明日です。死では?
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