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第94話 公爵級吸血鬼

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マシューは剣を抜いた。力に自信のない彼は、刺突用の細身の剣を愛用している。
もっとも迷宮の怪物には、通じないので、迷宮探索にはいるときは、盾ともう少し幅と厚みのある片手剣を装備することが多い。

マシューがつぶやいた呪文が、火の粉となって剣を包み、剣は赤々と燃えだした。

ファイユは、表情を消した。これが、今の彼女の戦闘モードである。すべては相手を切り刻む。それだけに集中する。結果がどうなろうが、戦いのはじまった瞬間に彼女は相手を切る。ただそれだけの存在にかわるのだ。
それなら、防御はどうなるのだ、と言いたいが、そちらは、ギムリウス直伝の歩法があった。
それは、地上にいながら空を舞う羽毛のごとく。刃物の斬撃も、槍の一突きも、ふわふわとかわし、まったくとらえどころがない。
これをファイユは、何ヶ月もこればかりやっていた。おかげで、かわそうと思わずとも、物理的攻撃であれば、傷つくことはない。

「おい、青年よ。おまえは、にげていいのだぞ?」
ラナ公爵ロゼリッタは、本気で心配そうにそう言った。
「わたしのマトは、踊る道化師、のみ。それ以外のものに手をかけるなど、なんの痛痒も感じぬが。とは言え、スマートさにかけるわなあ。」

「わたしも踊る道化師、だ。白銀の剣士マシュー。」

「知らんっ!」
女吸血鬼は、ホントに本気で言った。
ドゥルノ・アゴンの一党はなんの準備なく、カザリームに来たのでは無い。
「踊る道化師」。
そのメンバー、得意技、考えられる弱点、あらゆる要素を考慮して、リウたちの前に立ち塞がったのだ。
その過程で、一度も名前が上がらなかったのが、マシューなのだ。

これは・・・もはや特殊能力の部類だろうか。

「まあ、いい。おまえが双剣星と共に死にたいなら、止めはせんよ。」

ラナ公爵ロゼリッタは、戦う気すらなかった。
瞳が脳を芯まで痺れさせる赤光を放った。

マシューとファイユの周りの者が、ばたばたと倒れていく。
人間の捕食者、人間より上位にたつ生き物を、みたとき、ひとはそうなるのだ。
悲鳴をあげる暇もない。
意識を失っていく人々は、数十人からさらに、数を増やしていく、数千の人々で溢れていた、午後のブティック街の雑踏は、一転して、異様な静寂につつまれていく。
ただし、マシューと、ファイユを除いて、である。普通の人間に違いない彼らだが、彼らは日常に、上位とともにあることに慣れていた。
あまりにも慣れていた。

故にたかだか、瞳の光によって、白い牙だけで。
意識を失うことはなかったのである。

マシューの、細い剣は剣のそのもものしなりも、速さにかえて、ロゼリッタの心の臓を貫いたのである。

続くファイユの一撃が、ロゼリッタの首をはねた。転げ落ちそうになるロゼリッタのアタマを支えたのはロゼリッタ自身だった。
死なない。
この程度では死なない。

心臓を燃える剣で突きされ、首を刎ねられても彼女は死なない。

攻撃を受けたのは、彼女が、一瞬で相手を魅了し、その虜にする吸血鬼の魔眼に、あまりにも自信を持ちすぎていたからである。

心臓に突き刺したマーシュの剣は、纏った炎を失い、黒く凍りついて、砕け散った。
マシューが剣を手放して、後退しなければ、彼の腕もまた凍りついたであろう。

手を伸ばしたロゼリッタの黒く変色した爪が、ファイユの頬を引き裂こうとしたが。
ふわっ。
まるで、すべるようにファイユが動く。
ファイユが避けた、というより、ロゼリッタの手の動きに、勝手に体が合わせたような自然な動きだった。
その、動きのままに。
ファイユの双剣が走った。
右剣は、袈裟懸け。左剣は腰から下腹部を、切り裂いた。
構わず、さらに伸ばしたロゼリッタの腕はまた空をきった。
大気そのものを、つかもうかというような心もとない動き。まるで、ファイユがそこにおらず、幻惑と戦っているかのように、ロゼリッタには感じられた。
そのまま、すべるように背後に回ったファイユは、三度、ロゼリッタに斬撃を浴びせる。
先ほどの、マシューの剣が凍らされたのを見たためか、深く突き刺すことはしない。
これは偶然ではあったが、よい戦い方だった。
いままで、ギルリウスのこの歩法を破ったものは、アウデリアにせよ、アイクロフトにせよ、自身の体に刃を食い込ませることで、相手の動作を妨害し、隙を作っていたからだ。

背後から、足首の健を切られた!
だが、傷はすみやかに再生。
無様に転ぶことなど、吸血公女には有り得なかった。
振り向いて掴みかかるが、それも、すうっと、手の中からにげる。

そこに火球が着弾!  真っ赤なドレスを赤い炎が包み込む。

悪くないコンビネーションだった。
さすがは、魔王リウの、配下だ。
例えば、この少女の剣に、ロゼリッタの苦手な聖属性の魔法がかかっていたら。
青年の魔法が、もっと強力なものであったとしたら!

ロゼリッタは本当にダメージを、受けていたかもしれなかった。
公爵級吸血鬼の存在とはそのようなものだった。

なおも、ファイユが斬撃を浴びてくらのを。無視して、ロゼリッタはマシューに真っ直ぐに近づき、その、喉に牙を立てた。

午後の繁華街である。
目標以外の者に血を流させるのは、彼女の美意識に合わない。
すみやかに、ケリをつける。

吸血自体は、屈服の儀式であり、吸った相手を己の従属下に置くことが出来る。
ビクリ、と痙攣したマシューはすぐに、目を開いた。
そのマシューの、体を、首根っこをつかんでファイユに放り投げる。
咄嗟に受け止めようとしたのは、ファイユのミスだった。受け止めたことで彼女の歩法が、止まった。

その、華奢な肩を黒い爪ががっちりとくい込んだ。首すじに牙を打ち込ませると、ファイユの両手から、剣が落ちた。
そのまま、ぐったりと地面に倒れ込む。

「そのまま、眠っておれ。」
ある種の優しささえ込めて、ロゼリッタは言った。
「やがて起こしに来よう。我が下僕としてともに、新たなる魔王の治世を生きるがよい。」
                         
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