ヒトラー

篠田 雄亮

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終戦と経済破綻

1.

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ヒトラーが、戦場に復帰してからというもの相変わらず戦線は連合国軍と一進一退の攻防戦が繰り返されていた。

そんな中、ヒトラーの所属する連隊が今現在守備に当たっている区域からちょっと離れた東に位置する前線へ展開する事となった。
これに、ヒトラーは今現在居る区域からパリ(フランスの首都)は目と鼻の先なのに何故なのかと内心疑問を強く抱いた。

というのも、ヒトラーは前にも述べた通りの読書馬鹿な時代がありその時に読んだ本で、フランスの首都パリを一度は占領し、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿にてドイツ帝国の建国を宣言した歴史があるからか、その本の影響を少なからず受けたのだと思う。


↑ヴェルサイユ宮殿でのドイツ帝国建国宣言の様子。

それから、また何日間か塹壕内で寝食を過ごし敵をすごくまれに小銃で迎撃したりしてした。

何故、すごくまれかというとそれも前に述べた通りヒトラーはもっぱら伝令等といった危険な仕事に従事していたからである。


↑第一次世界大戦初期の鉄兜


↑終戦まで使用された鉄兜

第一次世界大戦初期の頃は、プロイセン軍人らしい鉄兜だったのだが塹壕戦には頭の上にあるとんがった部分が敵にバレてしまうので、頭の上にあるとんがった部分を無くしたりされる努力が試みられた。

そんなこんなで、ある日ヒトラーは地獄を見る事になるのである。

それは、「マスタード・ガス」と呼ばれる毒ガスを用いた兵器による攻撃を塹壕内で受けた。

ヒトラーは、これを最初はただの敵砲兵による砲撃だと思いゆっくり塹壕内で構えていたらそれが地面にめり込み、ガスを周り一体に噴出しているではないかと思った時には、ガスを吸い込んでしまったらしく動機が激しくなり砲弾が着弾した地点の周りではのたうち回る兵士が出てきた。

ヒトラーもその中の一人だったのだが、彼はガスマスクを悪戦苦闘しながらも何とか顔に手で付ける事ができたのが幸したのか、後方の野戦病院で軍医に「これなら、何日かしたら治る」と診断され包帯を顔に巻いたまま第一次世界大戦がヴェルサイユ条約を締結し、敗戦が確実になるまで過ごした。


↑ヴェルサイユ宮殿での様子


↑ヴェルサイユとは別に、パリ講和会議を列車内で行った。

ヴェルサイユ条約とは、別にパリ講和会議が締結された時使われた列車は後にヒトラーが、第一次の時の復讐も込めてフランスを第二次世界大戦で破った時に、使用された。

ヒトラー自身は、「何が終戦だ!!」と激しい憤りを覚えたのかそれが後々まで引きずった。

その結果が、我々現代人が知る様なあの悲惨極まりない第二次世界大戦の底が見えないような、悲劇の連鎖が数限りなく生まれる泥沼状態の戦争へと突入する事になるのだが、これはまた語る事にしようと思う。
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