生まれる前から一緒の僕らが、離れられるわけもないのに

トウ子

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あぁ……神様、これが罰なのですね。




「こんにちは、哀れな坊や」

ある朝。
瞬と、それから少数の関係者以外が訪れるはずのない病室に現れたのは、艶やかな亜麻色の髪と夜色の瞳を持った、ひとりの女だった。

「ねぇご存知?」

女は躊躇いもなく、まるで自分の部屋へ入るかのような気安さで、病室へ足を進める。
そして、さも楽しげに口を開いた。

「あなたのお顔の半分、今とっても醜いのよ」

あまりにも不躾で、無配慮で、残忍な言葉。
以前ならば、きっと呼吸が止まるほどに僕を傷つけたのだろう。
けれども、既に砕け散った後の心は、まったく揺さぶられることはない。
眉ひとつ動かさず、僕はただ、優雅な足取りでこちらへ向かってくる女をぼんやりと見遣った。

「こちらの病院のドクターたちは、自分たちの技術では元の顔に戻すことは出来ないと仰っていたわ」

コロコロと笑うアルトの声は柔らかく部屋に響く。
なぜ医師の話を無関係な女が聞いているんだ、と訝しむも、荒廃した脳は機能せず、思考は形を成さずに溶けていく。

「世界一と名高い、xxx病院の医師チームの手にかかれば、あるいは治せるかもしれないけれど、と。ふふ、とても正直で新しい方たちね」

全く思いやりの欠片も感じられないにも関わらず、女の言葉は妙に耳に心地よく、僕の鼓膜をぶるりと震わせた。

「まぁ、あなたたちには辿り着けないでしょうねぇ。ここの病院の、腕の良い医者にかかるのが、精一杯でしょう。可愛らしかったお顔が、残念なこと」

艶やかな唇から紡ぎ出される、他者を見くだした言葉。
下々の者を見おろすことを当然とする酷薄な眼差し。

「可哀想な坊や。……でも、私ならば、あなたのお顔を治して差しあげられるわ」

囁くような憐れみの言葉はあまりにもなめらかで、傲慢な態度はあまりにも自然だった。
だから僕は目の前の女に、まったく違和感を抱かなかった。
ただ、「ああ、この女はアルファだな」とだけ、思った。

「ねぇ、あなた、元のお顔に戻りたいのではなくて?」

生殺与奪を握っているかのような顔で、薄く微笑みながら、女は僕を見下ろしている。

顔?
顔、と言ったか?
僕の顔?

脳に届いた情報を処理して、僕は内心で苦笑した。
見当違いも良いところだ、とうんざりするばかりだ。

僕の顔が、どうしたというのか。
瞬の肌についた傷の跡を綺麗に消してくれるというのならともかく。
僕の顔が元に戻って……だから、なに?

ばかばかしい。
罪を悔やみ、罰を望む咎人が、なぜソンナモノを望むと?

胸中で吐き捨てながらも、僕の顔も口も、全く動こうとはしなかった。
この女に、わざわざ説明する気もなければ、気力もない。

さっさと諦めて帰ってくれないかとすら思いながら、僕は見るともなく女の方に顔を向けた。
そして、無意味に時間が過ぎる。
ぼんやりとして視線も合わせず、返事もしない僕に、さすがに苛立ったのだろう。
女は首を傾げ、柳眉を逆立てながら再び口を開いた。

「……ねぇあなた、おくちがきけませんの?私は大きなお人形に話しかけているのかしら?」

ただ女を視界におさめ、無言で顔を向けているだけの僕は事実、手応えのない人形のようだったろう。
女はどこか幼い仕草で、不満げに唇を尖らせている。
その、やけに人間くさい仕草に、思わず「ふっ」と息を漏らし、僕は嗄れた声を発した。

「……いえ、でも」

真一文字に結ばれていた唇をビリビリと引き剥がして溢れてきたのは、機械じみた抑揚のない音声。
淡々と、感情の起伏もなく、僕はただ返答の言葉に音を乗せる。

「しらないひととは、くちをきくなと、いわれていますから」

今の事務所に入ってばかりの時、社長に言われた台詞をなぞると、女はキョトンと首を傾げた後、さも愉快そうに笑った。

「ふふっ、確かにあなたは私を知らないでしょうね。初めて顔を合わせますもの」

初対面と聞いて、そうだろうな、と納得する。

目の前にいるのは、一眼見たら忘れられないような人間だ。
芸能界ですら見たことがない美貌、オーラ、品格。
美術館の絵画から抜け出したのような、禍々しいほどに美しい女。

まるで、冥府の裁き人のように。

「オメガの分際でアルファに名乗らせようだなんて、愉快な子ですこと」

楽しげに目を細める様は随分と酷薄で、優しさなど探すべくもない。
まるで空腹を満たすためではなく、無聊を慰めるためだけに鼠をいたぶる、高貴な飼い猫のようだ。

「……血はもう止まったはずですのに、不思議なこと。なんだかあなたからは、とっても甘い匂いがしているわ」

不穏な台詞を呟きながら、女は唇を弧の形に歪めた。
カン、カン、とヒールの鳴る音がして、女は近くに寄ってくる。
独り言のようにして話し続ける女は、なぜか随分と楽しげだ。

「ふふふっ、とっても……おいしそう」

軽やかな笑い声はどこか母に似ている気がした。
僕を戯れに鞭打とうとする残酷な微笑みに、やっと罰してくれる存在が現れたのではないか、と僕はある種の期待と安堵すら抱く。
ゆっくりと、僕は初めて正面から闖入者を見返した。

「くり抜いてしまいたいほど綺麗な眼ね。ひとつしかないのが残念だわ。……どうせなら私が食べてあげたのに」

僕の顔を暫し見つめた後、女は冗談とも本気ともつかぬ口調で、惜しむように呟いた。

「次に会う時、あなたはわたくしのものですわ」

うつくしい声は、神託のような宣告をひとつ残して、あっさりと去っていった。






その日から、三日三晩。
僕は高熱に浮かされ、おぞましい夢を見た。

闇色の衣に身を包んだ死神に喰らい尽くされる夢だ。
死神の顔はあの女の顔をしていた。
どこか母に似た、美しい女の顔だ。

たおやかな女の手で燃え盛る火の中に放りこまれ、赤々とした焔に炙られた僕は声にならない悲鳴をあげた。
僕の躰は熱く火照り、茹だり、爛れ、中から焼け落ちる。
夜の沼へと沈んでいく滴り落ちる僕の欠片を、あの女の顔をした死神は嬉々として啜っていた。

『くるしい、くるしい、くるしい!』

そう叫んでも、女は笑いながら液体と化した僕を啜る。
ああ、この女は僕を喰らいにやってきたのか、と僕は納得し、諦めた。
瞬を不幸にした僕を罰するために、神はこの女を遣わしたのだろう、と。

『喰いたければ喰え!いっそ跡形も残さずに!』

開き直って焔の中で叫び、僕は熱に焼かれて液体となることを受け入れたのだ。

そして。



「……くっ、ははっ!あっははははははっ!あーっはっはっはっはっはっ!」

目が覚め、意識を取り戻した時、僕は絶望感の中で哄笑した。
汗だけではないベタベタの液体で、下着はぐしょぐしょに濡れている。
あんな夢を見ながら、僕は何度も夢精していたのだ。



「ああ、そうか。あのおんなか」



張り詰めていた最後の糸がぷつりと切れて、僕は細い悲鳴のようなため息をこぼす。

今の僕には、瞬が離れて行くことを悲しみ、僕から瞬を奪おうとする運命を恨む資格すらない。


「……神様」


ああ、そうか。そうなのか。
あの女が、アルファなのか。


「なんて残酷な罰なのだろう」


もう僕は、瞬だけを想うことすら許されないのか。



忘れようにも忘れられない、薔薇のような濃厚なアルファのフェロモンがフラッシュバックする。
僕は熱くなる躰に絶望して、世界の全てを拒むように突っ伏した。


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