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★誰よりも優秀で、誰よりも勇敢で、誰よりも慈悲深く
それは、偶然のことだった。
「殿下は本当にお優しい。きっと将来は慈悲深い君主となられるであろう」
廊下の向こうから聞こえるのは、褒めているはずなのに、どこか聞く者に不安感を抱かせる男の声。それは私の家庭教師の一人だった。
「そんな言い方はおやめなさいませ」
不快さを露わに苦言を呈したのは、私の乳母だ。二人は扉を一枚隔てたこちらに私が居合わせていることなど、気がついていないのだろう。乳母の叱責に、男はため息を一つ吐いて、嘆くように呟いた。
「ルイス殿下が、カール殿の半分でも気骨があればよろしいのだが。あの調子では佞臣にいいように使われてしまわないか、心配でならんのだよ」
「それは……」
乳母が口籠る。私の優しさと紙一重の優柔不断さや、決断力のなさ、為政者としての甘さを一番よく知っているのは、幼い頃からそばにいた彼女だろうから。
「け、けれど、ルイス様の穏やかなご気性は、後から手に入れることは出来ない、何よりの美点にございます。衷心より仕えるべき君主の優しさに、畏れ多くもつけ入ろうとする下卑た者どもが悪いのです!」
「無論、その通り。そして、主君が優しすぎるのであれば、家臣が埋めれば良い。……だから我々は、将来優れた側近となる素質のある者を、ご学友として選ばねばならない」
そして男の口から、私に足りないものをありがたくも補ってくれるだろう、優れた少年たちの名前が挙げられる。皆、社交界で名だたる将来有望な少年たちだ。そして男は、最後にカールの名を挙げて、また大きなため息を吐いた。
「カール殿のような方が、ルイス様のお側にいて頂けると安心なのだが……カール殿はご自分のご弟妹にしか興味がないと噂だからなぁ」
滅多に会ったことはないが、名前だけは何度も聞く名門侯爵家の長男。
美形揃いの一族の中でも群を抜く美しさと、静謐な美貌に隠した苛烈さを併せ持つ少年。同年代の誰よりも優秀で、剣の腕にも秀でると聞く。
放任主義の侯爵家はしばしば子供達だけを宴の席に放り出すが、カールは年齢に比べやけに男心をそそる魅惑的な妹と少年愛好者垂涎の的と噂の可憐な弟を、社交界の悪鬼達の欲望の手から見事に守っているのだ。
ほんの子供でありながら大の大人達を軽々とあしらうその様は、将来が楽しみというよりも末恐ろしいとの声の方が多い。笑える話だ。社交界の魑魅魍魎が、あんな年端もいかない子供を恐れているというのだから。
「殿下は人徳がおありですから、きっとカール様とも仲良くおなりでしょう」
「……だといいのだが」
乳母の言葉に、男は暗い声を返す。
男の願望も不安も期待も危機感も、至極真っ当で適切なものだ。
私はしみじみとそう思う。なぜなら私ですら、まったくもって同意するからだ。
だが一つだけ訂正するとしたら、その原因は、おそらくは優しさなどと言うものではない。
私に単に、心底わからないのだ。
法的に正しいのはどちらかは分かる。だが道徳的に正しいのかは分からない。
合理的なのがどちらかは分かる。だが良識的なのかは分からない。
教師の示す道徳や戦術や経済学や外交術、それぞれに基づいて、教師の問いかけへの正解は分かる。だが、清濁合わせ飲む為政者として、現実の世界でもそれが正しいのかはわからない。
粗相をした侍女や侍従を処罰するのも苦手だ。どの程度の処罰を下すのが理想的な王太子として適切なのか、私にはわからない。分からないままに、周囲の空気を読み、彼らの願いを汲み取ってしまうのだ。だからいつも、私が下す処罰は、本来期待されるよりも甘くなってしまう。周りの願う通りのことをしてしまうからだ。
これでは上に立つ者として失格だろう。
そんなこと、分かってはいるのだ。
下の者の願いのままに動く君主など、恐怖以外の何者でもないのだと。
だが、個々の事情も鑑みず、一律に規則に沿ってそのままに処罰を下しても、それはそれで問題になるのだろう。人情味がないとか、寛容さに足りないとか、柔軟性がないとか。
私は適切な按配というのを見計らうというのが苦手なのだ。必死に周囲の空気を読んで、誰からも嫌われないように生きようとしているかのような、この浅ましい真似は、きっと後ろ盾のない私が王の唯一の嫡子として生きていくための処世術なのだろう。……などと、頭の中で理由をこねくり回して、そんな自分に嘲笑が溢れる。
「はぁ。我ながら、見苦しいな」
いくら自身に言い訳したとしても、私とて、このままでいけないことは分かっている。
私は王太子として、誰よりも優秀で、誰よりも勇敢で、誰よりも慈悲深くあれと期待されている。けれど私は、今のところ優秀さでも勇敢さでも、件のカールに負けていることだろう。
唯一周囲から評価されている慈悲深さとて、私のしていることは、単に甘いだけだ。罰することができないだけだ。正しい在り方ではない。
君主として厳格になすべき信賞必罰を不得手とする私に、失望の眼差しを向けていた、あの教師を思い出す。彼は言った。
「優しいだけでは、良き王にはなれません」
と。
彼も私を、優しく、それゆえに弱く、寛大で、それゆえに怒りを感じず、人を憎んだり罰したりできないのだと考えているのだ。
本当は、違う。
違うのだと、私は知っている。
私は分からないだけなのだ。
私はきっと、真の意味で人に、人間というものに、興味が持てないのだ。だから分からないのだ。人の感情と向き合えず、捉えられず、うまく扱えないのだ。
けれどそんなことは口にはできない。
王になる人間が、人の気持ちが理解できないだとか、人に興味を持てないだとか、……考えれば考えるほど、人が駒のように感じられるのだ、とか。決して、言ってはならないのだ。
私は私のこの最大の欠点と弱味を、誰にも伝えられずにいる。だが。
「……このままでは、私はいつか正気を失い、人形の化け物になるのかもしれない」
そんな恐れを、私はずっと胸の底に抱いている。
「殿下は本当にお優しい。きっと将来は慈悲深い君主となられるであろう」
廊下の向こうから聞こえるのは、褒めているはずなのに、どこか聞く者に不安感を抱かせる男の声。それは私の家庭教師の一人だった。
「そんな言い方はおやめなさいませ」
不快さを露わに苦言を呈したのは、私の乳母だ。二人は扉を一枚隔てたこちらに私が居合わせていることなど、気がついていないのだろう。乳母の叱責に、男はため息を一つ吐いて、嘆くように呟いた。
「ルイス殿下が、カール殿の半分でも気骨があればよろしいのだが。あの調子では佞臣にいいように使われてしまわないか、心配でならんのだよ」
「それは……」
乳母が口籠る。私の優しさと紙一重の優柔不断さや、決断力のなさ、為政者としての甘さを一番よく知っているのは、幼い頃からそばにいた彼女だろうから。
「け、けれど、ルイス様の穏やかなご気性は、後から手に入れることは出来ない、何よりの美点にございます。衷心より仕えるべき君主の優しさに、畏れ多くもつけ入ろうとする下卑た者どもが悪いのです!」
「無論、その通り。そして、主君が優しすぎるのであれば、家臣が埋めれば良い。……だから我々は、将来優れた側近となる素質のある者を、ご学友として選ばねばならない」
そして男の口から、私に足りないものをありがたくも補ってくれるだろう、優れた少年たちの名前が挙げられる。皆、社交界で名だたる将来有望な少年たちだ。そして男は、最後にカールの名を挙げて、また大きなため息を吐いた。
「カール殿のような方が、ルイス様のお側にいて頂けると安心なのだが……カール殿はご自分のご弟妹にしか興味がないと噂だからなぁ」
滅多に会ったことはないが、名前だけは何度も聞く名門侯爵家の長男。
美形揃いの一族の中でも群を抜く美しさと、静謐な美貌に隠した苛烈さを併せ持つ少年。同年代の誰よりも優秀で、剣の腕にも秀でると聞く。
放任主義の侯爵家はしばしば子供達だけを宴の席に放り出すが、カールは年齢に比べやけに男心をそそる魅惑的な妹と少年愛好者垂涎の的と噂の可憐な弟を、社交界の悪鬼達の欲望の手から見事に守っているのだ。
ほんの子供でありながら大の大人達を軽々とあしらうその様は、将来が楽しみというよりも末恐ろしいとの声の方が多い。笑える話だ。社交界の魑魅魍魎が、あんな年端もいかない子供を恐れているというのだから。
「殿下は人徳がおありですから、きっとカール様とも仲良くおなりでしょう」
「……だといいのだが」
乳母の言葉に、男は暗い声を返す。
男の願望も不安も期待も危機感も、至極真っ当で適切なものだ。
私はしみじみとそう思う。なぜなら私ですら、まったくもって同意するからだ。
だが一つだけ訂正するとしたら、その原因は、おそらくは優しさなどと言うものではない。
私に単に、心底わからないのだ。
法的に正しいのはどちらかは分かる。だが道徳的に正しいのかは分からない。
合理的なのがどちらかは分かる。だが良識的なのかは分からない。
教師の示す道徳や戦術や経済学や外交術、それぞれに基づいて、教師の問いかけへの正解は分かる。だが、清濁合わせ飲む為政者として、現実の世界でもそれが正しいのかはわからない。
粗相をした侍女や侍従を処罰するのも苦手だ。どの程度の処罰を下すのが理想的な王太子として適切なのか、私にはわからない。分からないままに、周囲の空気を読み、彼らの願いを汲み取ってしまうのだ。だからいつも、私が下す処罰は、本来期待されるよりも甘くなってしまう。周りの願う通りのことをしてしまうからだ。
これでは上に立つ者として失格だろう。
そんなこと、分かってはいるのだ。
下の者の願いのままに動く君主など、恐怖以外の何者でもないのだと。
だが、個々の事情も鑑みず、一律に規則に沿ってそのままに処罰を下しても、それはそれで問題になるのだろう。人情味がないとか、寛容さに足りないとか、柔軟性がないとか。
私は適切な按配というのを見計らうというのが苦手なのだ。必死に周囲の空気を読んで、誰からも嫌われないように生きようとしているかのような、この浅ましい真似は、きっと後ろ盾のない私が王の唯一の嫡子として生きていくための処世術なのだろう。……などと、頭の中で理由をこねくり回して、そんな自分に嘲笑が溢れる。
「はぁ。我ながら、見苦しいな」
いくら自身に言い訳したとしても、私とて、このままでいけないことは分かっている。
私は王太子として、誰よりも優秀で、誰よりも勇敢で、誰よりも慈悲深くあれと期待されている。けれど私は、今のところ優秀さでも勇敢さでも、件のカールに負けていることだろう。
唯一周囲から評価されている慈悲深さとて、私のしていることは、単に甘いだけだ。罰することができないだけだ。正しい在り方ではない。
君主として厳格になすべき信賞必罰を不得手とする私に、失望の眼差しを向けていた、あの教師を思い出す。彼は言った。
「優しいだけでは、良き王にはなれません」
と。
彼も私を、優しく、それゆえに弱く、寛大で、それゆえに怒りを感じず、人を憎んだり罰したりできないのだと考えているのだ。
本当は、違う。
違うのだと、私は知っている。
私は分からないだけなのだ。
私はきっと、真の意味で人に、人間というものに、興味が持てないのだ。だから分からないのだ。人の感情と向き合えず、捉えられず、うまく扱えないのだ。
けれどそんなことは口にはできない。
王になる人間が、人の気持ちが理解できないだとか、人に興味を持てないだとか、……考えれば考えるほど、人が駒のように感じられるのだ、とか。決して、言ってはならないのだ。
私は私のこの最大の欠点と弱味を、誰にも伝えられずにいる。だが。
「……このままでは、私はいつか正気を失い、人形の化け物になるのかもしれない」
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