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鏡の中に微笑むワタシ
しおりを挟む「ねぇアサ、気分はどう?」
アサが鏡に向かって問いかけると、鏡の中のアサの顔が歪む。
『いつも通り、最悪よ。あなたなんか、さっさと首を落としてしまえばよかった』
「そうよ、そうすれば良いのに。アナタが親友の命を自分で奪いたくないとか甘えたことを考えてるから」
『アンタみたいな性悪に体を乗っ取られるのよね』
親友という言葉は否定せず、鏡の中のアサは疲れた顔でため息を吐く。
『なんで自分の顔を見ながら会話しなきゃならないのかしら』
「あら、私からしたら、アナタの顔を見ながらだし、悪くはないのだけれど」
『私は私の顔しか見えないわ』
「それもそうね」
ほほほ、と楽しげに笑いながら、アサはパチンと指を鳴らして、魂を映しだす魔法を停止する。
「じゃあ、心の中で会話するに留めましょうか」
『……はぁ、本当ならマイペースなひと』
また一つ、脳内に呆れたため息が落とされる。でもアサは楽しげに笑ったままだ。
アサの魂は、実は消滅していない。
ヨルは王太子の手前そう言っただけで、強い恐怖に萎縮して飛び出しかけた魂を、ヨルはぐるぐる巻きに魔力の鎖をかけて押さえ込んだ。
そして、自分の気で練り上げ、魂を半分に分けて作り上げた分身の魂をアサの体に植え込み、己の魂でもって必死にもがくアサの魂を抑え込んだのだ。
一卵性の双子は、もともと一つの魂を分け合って生きているという。三つ子も四つ子もまたしかり。
つまり、一つの体に必要な魂の絶対量は決まってはいないのだ。
そういうわけで、ヨルの魔力と王太子の魔力を捻り合わせた力技の荒技であったが、一つの体に二つの魂は見事封じ込まれた。
そしてついでに、歴代最高の魔力を持つ体が生まれたのだ。
「ねぇ、明日は北の王国のドラゴンを倒しに行こうかと思うんだけれど、どう思う?」
『やめて。これ以上後世に私の悪名を残さないで』
「いやねぇ、残るのは名声だけよ」
『絶対違う』
うんざりしたアサの声が脳内に響くが、ヨルは本気でそう思ってるので気にならない。
今、アサの魂はヨルによって押さえつけられており、ヨルが許した時にしか外には顔を出せない。
入れ替わりの呪を失敗した時に、ヨルからかけられた禁呪のせいだ。
アサはまだ、これがどんな呪なのかわからない。
アサは、見事にヨルに負けたのだ。
「あ」
パチン、と指を弾く音がして、アサは体の自由を取り戻した。それと同時に。
「あら、アサになってるの?」
パタン、と女王の私室に入ってきた本体のヨルに、アサは笑いかける。
生殺与奪はヨルに魂ごと握られているが、ヨルの許す時は許す範囲での自由が得られた。
「ええ……ねぇ、なんで私を殺さなかったの?」
私は殺そうとしたのに、とアサが軽やかに囁ければ、ヨルもあっけらかんと答えた。
「あら、だってもったいないじゃない」
「え?」
意外な答えに戸惑うアサへ、ヨルはニコリと満面の笑みを浮かべる。そしてぎゅっと力強くアサを抱きしめた。
「せっかく私のことをわかってくれる最高の『親友』がいるのに、失うなんてもったいないわ!……ねぇアサ、アナタは私のモノでしょう?」
「あ……」
一瞬で首から下の自由を奪われて、今度は意識だけ『アサ』のまま、アサは呆れたと笑った。
「……ほんとうに、ヨルは怖いひと」
自由の効かない体を楽しげにもてあそばれながら、アサは細く息を吐く。
「普通にあいしてるって言ってくれればよかったのに」
「あら、愛なんて知らないわ。私はアナタが欲しいだけよ」
幼な子が拗ねるような、もしくは恋人を詰るような響きの甘い呟きに、ヨルはキョトンとした顔で首を傾げた。
「全部アナタのものにしてあげたかったし、アナタを全部私のものにしたかったの」
無邪気に笑うのは、アサに名誉も権力も、あらゆる属性の魔法をつかいこなす力も、それによって得られる歴代最強の魔女王の名声も、全てを与えてくれた女だ。
そして、その『全てを手にしたアサ』の全てを支配する女。
「あなたの愛って本当にこわい」
「そんなことないでしょう?」
「あら、すごく怖いわよ……まぁ、前から分かっていたけれど」
諦めたように目を伏せるアサに、ヨルは心底嬉しげに笑った。
「ふふっ、分かってくれる人がいてとっても嬉しいわ。アナタが生まれて初めてよ」
満たされた顔で笑うヨルに、アサは複雑な気持ちで口を開く。
「あなたの恐ろしさは、別に生まれ育ちによるものじゃないと思うわよ。あなたは裕福で幸せな家庭に育ってもそんな性格だったと思うわ」
「アナタの優しさは、天性のものに加えてきっと幸せな環境のおかげでしょうね。ご両親に感謝しなきゃあね」
軽口を交わし合いながら、アサは目を閉じて、ヨルの魂に見せられた過去を思い返す。
ヨルは生まれてすぐに捨てられた。
魔力が強すぎて、産まれた時に母親を殺してしまったのだという。
母殺しの子と父親に忌み嫌われ、孤児院に捨てられたのだ。
そう、聞かされていた。
その魔力の高さゆえか、生まれた時から記憶があるヨルにとって、それは愉快な作り話以外の何物でもなかったが。
捨てられた先の孤児院でも、あまりに強い魔力と賢すぎる知能ゆえに、ヨルは浮いていた。
ヨルはとても幸せとは言えない、なんなら不幸の典型とも言える子供時代を過ごしたのだ。
しかし、皮肉にも、孤児院を慰問に訪れた魔女王に優れた才能見出され、ヨルは魔法学院に特待生として入学した。
それ以来『不世出の天才』と呼ばれ、名声をほしいままにしてきた女だ。
対してアサは、国でも一二を争う名家に生まれた。
愛情深い両親、祖父母、歳の離れた兄と姉に囲まれのびのびと、存分に愛を受けて育った。
他人への興味は生まれつき薄かったが、愛嬌があり、常に朗らかに過ごすアサを愛さないものは少なかった。
そして優れた才能を認められてからは、裕福な資産にものをいわせた選りすぐりの英才教育受け、鳴物入りで魔法学院に入学した女だ。
ヨルに比べれば、「幸せでした」で終わる話で、語るほどの過去はないと言えるだろう。
二人は、生まれも育ちも正反対に違う。
しかし、魔法学院で互いの理解者たり得たのはお互いだけで、互いの興味をひいたのもお互いだけだった。
愛も執着も憎悪も憧れも、あらゆる感情は互いへしか向かない。
アサにとってのヨルも、ヨルにとってのアサも、そんな特異で特殊で、特別な相手だ。
そんな唯一の相手に向かって、ヨルは心底嬉しそうに笑う。
「私の、私だけのアサ。闇夜に包まれ私にとって、アナタは唯一の光よ。一生大事にしてあげるわね」
「……はぁ、恐ろしいこと。でもいいわ。
私はアナタに負けたのだもの。仕方ないわ」
「ふふ、そうよ、私はアナタに勝って、アナタは私に負けたの。だから、勝者に従ってね」
喜びに声を弾ませながら、ヨルはアサの柔らかい唇に口付ける。
アサの唇はいつも、裕福な家で育った彼女が唇の保湿に好む蜂蜜の味がする。
ペロリと舐めて味わい、微笑んだ。
あぁ、甘い。
幸せの味がする。
そう独りごちて、幸福感に包まれながら、ヨルはふんわりと目を細める。
ひどく甘い味のそれは、ヨルが求め続け、長い夜を彷徨った果てにやっと見つけた、朝の光の味なのだ。
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