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7.「テオフィルスの作意」

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「エマ。ソーン先輩来たよ」


カレンが窓の外を眺めながら言う。


授業を終え校舎から出てくる生徒の波のなかに、5年棟の入口に向かっているテオフィルスの姿があった。


くせのない黒い髪に深夜の如く美しい黒瞳をまっすぐに見据え颯爽と歩く姿は、生徒の波にあっても目立つ。



午後4時10分。
6時間目の授業が終わると、隣の6年棟から学園一の秀才が5年棟の下級生を迎えに来るのが、ここ最近の恒例の風景だ。


「ソーン先輩のお迎えなんて! 学園始まって以来の天才とか言われてる人が来てくれるとか、いいよねぇ。そいえば、エマと付き合ってるんじゃないかって噂になってるよ」


カレンは意味深な微笑みを浮かべる。


「はぁ? なにそれ」


親友の言葉といえ、聞き捨てならない。


エマはカバンにノートや教科書をつめながら、今朝から何度も聞かされている質問にうんざりしたように言った。


「勉強教えてもらってるだけだよ。成績がやばいの、カレンはしってるでしょ。ほんと留年とか見えちゃうほどだよ? うちは経済的に留年は許されないし。今のうちからやっとかないと地獄みる……」


先週の再テストは奇跡的に70点台を連発し、エマは担当教師陣から賞賛をもらった。

70点が喜ぶべき点かというと一般的にはそうではないかもしれないが、エマにとってはここ最近ない快挙であった。

焼け野原から一気に牧草地まで飛躍したのだ。


「ふーん」


カレンは納得いかない様子である。



実際のところ、テオフィルスが個人的に劣等生のエマに勉強を教えていることは、5年6年の間で大きな話題になっていた。

学年、否、学園一の頭脳の持ち主はそれほどの才能を持ちながらも、人当たりもよく面倒見もいいので人望も人気もある。
女子生徒からはルックスの評価も高い。


故にテオフィルスは誰にでも平等で誰か1人を特別扱いすることはなかった。


そんな秀才が個人的に教授しているという。


「っていうことは、自分にもチャンスあるんじゃない? お近づきになれるかも!」と下心満載で自分も教えてもらいたいという生徒が6年の教室に殺到したのだ。


だがテオフィルスは困ったように、


「申し訳ないんだけど、今教えている子で手一杯なんだ。部活や生徒会もあるし時間的に……ね? 休憩時間にアドバイスならしてあげれると思う。ごめん」

と一人一人誠実に断った。
いかにも申し分けなさそうな笑顔を浮かべて。


カレンはそんな場面に出くわしたのだが……テオフィルスに対する印象は、


腹黒で胡散臭すぎる、であった。


あの笑顔……というか全て演技よね。
戦略的な外面の良さだわ。



上流階級であり実業の世界に身を置くヴァーノン一族のカレンだからこそ気づいたのだ。


同類のにおいがする、と。


ほとんどの者はあの笑顔や人当たりの下に、計算された戦略があるとは感じもしないだろう。
それほど完璧であった。


教室の入口付近からざわめきが聞こえる。


エマはテオフィルスの姿を認めると、


「そろそろ行くね。またねカレン!」


と入口に向かった。



「ごきげんよう、エマ。また明日」


カレンは手を振って見送り、


「ねぇ気づいてる? あなたの幼馴染は相当な傑物よ?」

 

誰にも聞こえないように呟くと、このこと……テオフィルス・ソーンがエマだけを特別な扱いをしていることに、エマだけが未だ気づいていないことは内緒にしておこう、と思うのだった。
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