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19.「冬の朝と騒がしい心。」

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 そして文化祭当日がやってきた。


 前日の夕方には全ての準備が終わり雑用係りも解任されたエマは、この鬼のような1週間を精神的な胃もたれとともに振り返っていた。
 

 テオフィルスの甘すぎる態度と、周りの生暖かい目。
 初日は死ぬほど恥ずかしかったし、人の視線を感じてつらかった。


 つらかったのだが……


 一週間を経て恐ろしいことに慣れてしまった。


 どこかへ移動するときに隣にテオフィルスがいないと物足りなく感じる。


 これは寂しいっていうのかな。


 エマは身支度をしながら思う。

 手を繋いで歩くことは今ももちろん恥ずかしいけど、その暖かさとか安心感のほうが断然勝る。
 テオフィルスの存在はエマの中でずいぶん大きくなってしまったらしい。


 飼いならされちゃったかなぁ。


 前世ぜんせならそう言うかもしれない。

 だけど前世のクソ男どもならともかく、テオフィルスならそれもよくない? とエマは口の中で小さく呟くと寮をでた。


 今朝は久しぶりに1人の登校だ。


 テオフィルスもイビス兄も9時の開式に合わせて早めに会場入りして準備しなければならないらしい。
 今朝は7時前には食事を終え登校して行った。


 やっぱりちょっと寂しいなぁ。


 5年の教室棟に足を運びながら、エマは右手を見つめた。



 ほんの1時間前。


 エマが朝食を取りに食堂へ向うため女子棟と繋がるエントランスに降り立ったちょうどその時、テオフィルスが寮を出るところとかち合った。
 そういえば委員会で早く出るって言ってたなと思い出し、


「テオ、おはよう! 委員会がんばってね!」


 エマは笑顔で送り出し食堂の入口に足を向けた。


「エマ」


 足を止めたテオフィルスは周りに人が居ないのを確認して、エマに駆け寄ると軽くハグをした。
 

「ちょ、テオ?? どしたの?」

「ごめん、エマ補給させて。午前中もたない」
 

 ふわりとテオフィルスの匂いがする。
 いつもと同じ、シトラス系の整髪剤ワックスの匂いと……


 夏のモーベンの風の香りだ。


 エマは遠く離れた故郷モーベンに対するなつかしさと愛おしさに、思わずテオフィルスの背中に手をまわし肩に顔をうずめた。


 モーベン思い出しちゃう。
 落ち着く……


 エマはまわした手に力をこめた。

 小さく声を洩らすとテオフィルスは体を強張らせ、エマの腕を解いて急いで体を離した。
 下を向き大きく息をはく。


「いい? エマ。俺と居ないときに何かあったらすぐに電話して?」


 今日はエマと一緒にいたいんだけどな、と不本意そうに言った。


「もう当日なんて俺が詰める必要もないのに。そもそも俺が対処しなきゃいけなくなるって事自体がおかしい」


 珍しく愚痴をこぼした。
 文化祭実行委員と執行部の5年以上のメンバーは不測の事態に対応するために事務局に待機しておかないとならないらしい。


「午後からは自由に動けるから」

「分かった。午前中はカレンと回るよ。昼から見たいライブがあるの。チケットとったし、一緒にみようね?」


 午前中は学園生徒のステージ、午後からはプロの演奏と露店が開かれるのだ。
 今年は去年大ブレイクしたグループが招かれている。


 テオフィルスはエマの手をとり手首に唇をあてると、まっすぐ視線を合わせたまま「行ってくる」と名残惜し気に文化祭事務所へ向っていった。


「あああああああああ……」


 エマは一部始終を思い出し両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
 冷静になってみると前世の欧米ではデフォルトだったかもしれないが、これは日本人《ゆうな》としてはずかしい。


 やばい、テオ甘い。
 恥ずかしくって死ねる。

 ていうか抱きついたよね??
 いやハグだけど。

 ああ、あれはハグ。うん、ハグ。あいさつ。うん、あいさつね。


 無理やり納得させようとする。


 が、テオフィルスは軽く添える感じの触り方だったのに、相手の体に手を回し抱きしめたのは自分ではなかったか?


 モーベンが頭に浮かんで思わずやってしまったけど、自分から何てことしてしまったんだ。


 顔から火が出そう。立ち直れない……。


 エマは石畳の縁石に座り込み、ひざの上に顔を伏せた。


 自分の心が騒がしい。


 テオフィルスに触れられるのも触れるのも嫌悪は無かった。
 むしろもっと触れていたかった。




 私はテオが好きなのかも。




 動悸がする。
 心臓が跳ねる。


 もう少し気持ちが落ち着かないと、教室で平然とできそうにない。


 12月の朝の空気が冷たかったのがありがたかった。
 風のおかげで紅潮した頬も気持ちも落ち着きそうだ。



 もう少し。もう少し……。
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