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第二十一章

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 東京はすっかり春だとニュースで聞いたが、こちらはまだ、雪が舞うことも珍しくはない。 
 二年以上の時間をここで過ごしているものの、涼介は酷な寒さにも、雄大な自然にも馴染めずにいた。
 四月十三日。今日で圭は二十歳になる。
 広い敷地を健康的に歩きながら、今頃圭はどうしているだろうかと考える。
「そういや、誕生日は長瀬と芝居やコンサートに行くって、言ってたっけ」
 もう二度と会うまいと、傷付けまいと考えられたのは半年だった。武を殺したこと、圭を殺したいと思っていること、隠さず自白したのだが、涼介の気持ちを理解しない弁護士が、正当防衛を勝ち取ってしまった。
 元々涼介に対する同情が強かった。明が先に首を絞めたこともあり、過剰防衛から始まっていた。武によく似た明に危害を加えられ、三年前のトラウマが原因で、死に至らしめたのだと、弁護士が説明すると、誰も反論しようともしなかった。
 西島夫妻も、武の罪を故意に隠しており、心情が良くなかった上、闘おうという気持ちもなかった。息子二人を殺した憎い犯人ではあるが、殺意のスイッチを押したのは、息子二人だったのだ。涼介に罪のない状況で。
 正当防衛。ほぼ無罪だ。
 涼介はその後、ここへ来た。元々はサナトリウムだったこの病院は、環境の良さ、交通の便の悪さを生かして、長期入院患者を受け入れている。
 認知症の老人、精神障がい者、そして、涼介のように、犯罪歴のある人間。
 正当防衛とはいえ、大手を振って世間に戻るわけにもいかず、鬱の症状もみられたことから、入院はすぐに決まった。
 父親は転職し、専業主婦だった母親はパートに出始めたらしい。姉は大学生。毎日電話が掛かってくる。今度は逃げずに涼介と向き合っていこうとの、決意が感じられる。
 入ったばかりの頃、涼介は自分を責め続けた。圭に対する仕打ちだけでは無く、家族に対する迷惑も、理由だった。苦しみ抜いた半年。
 丁度二年前。涼介は担当医に勧められて、やはりこの場所に散歩で訪れた。山並みにはまだ、雪が残っていた。
 晴れているのに、雪が風に舞っていた。まるで幻のように雪は舞っては消えた。
 美しいと思った。自分はまだ、美しいという感情を持っているのだと思うと、不思議な気がした。もう、感情など全て失ったと思っていたのだ。
 生きている。生きていなければならない。そう思えた日、その日が圭の誕生日だと思い出した。圭に救われたと思った。
 そうして二年の時間を、刺激も無く生きてきた。
 犯罪者の一部は、刑務所の中で反省では無く、出所したら今度こそは完全犯罪を行ってやると心に決め、有り余る時間を使って犯行のシュミレーションをするのだという。涼介はその気持ちが分かった。
 テレビはかろうじて許されているが、携帯電話は通話のみで、家族としか通話できない。図書館の本は、担当医の許可が無ければ読むことすらできない。
 事件を思い出すような物を遠ざけることに必死で、代わりの刺激を与えるのを怠った為、自身で見付けてしまったのだ。
 今度圭に会ったら……。
 毎日のように散歩をしながら、考えた。最初は、どんな風に謝ろう。段々と気持ちは変わっていった。どんな話をしよう。そして、どこへ行こう。そして、最近は……。
 入院前、涼介は圭の写真を全て焼き捨てた。青白い炎に舐め尽くされた写真は、この世から消えて灰になり、涼介の心に焼き付いた。
 武の夢は見続けている。以前とは違い、恐怖はほとんど消えていた。
 そして今では、経験していないはずの事件まで、見ていた。
 昼休みの裏庭。圭はいつも通り。カフェ・オ・レを持って、涼介の前を歩く。涼介は手にパンでは無く、ナイフを持って、圭を呼んだ。
『先輩』
 圭が振り向く。同時に、涼介の手が空を引き裂いた。血飛沫が上がる。
 信じられない行為に、圭の目が見開かれ、草むらに倒れ込む。涼介を見つめながら。
 涼介は馬乗りになると、学生服をナイフで切り裂き、シャツの上からナイフを突き立てた。
 何度も何度も刺し、貫き、命を感じさせなくなるまで続けると、ようやく手を止め、血を舐める。
 これで圭は自分だけのものになったのだと、満足感に浸りながら。
 これでもう、圭は自分に笑いかける事は無くなったのだと、心に穴が空いてしまったような気持ちで……。
「もう、夢なんて怖くない。むしろ、楽しみだと言ったら、どんな顔をするだろう。
 Happy Barth Day Dear Kei
     I Still Love You」
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