殺された人形

岡倉弘毅

文字の大きさ
57 / 202

黒髪

しおりを挟む
 さっきの女性は、これからの有紀の行動を知ったならば、卒倒するに違いない。

 さすがに一人で、男ばかりの下宿に入るのは初めてだった。入ったのはただ一度、行彦と共に平助の部屋を訪ねた時だけである。

 普段なら、あらかじめ約束をしておいて、下宿の前で落ち合うのが当たり前だった。本来ならそうするべきなのだろうが、今の有紀は常識を遠くに追い遣ってしまっていた。

 玄関で靴を脱ぎ、階段を上る。

 男臭さ漂う廊下を忍び足で進み、洋史の部屋の前で止まり、扉を叩いた。薄い扉の向こうには、人の気配がある。

「洋史、いるんだろう? あたしだけど」

 どたどた。と、洋史らしからぬ慌てふためいた音が聞こえ、扉の前で一旦音は止み、数秒躊躇いの後、鍵を解く音がした。

 引き扉が開かれるのを確認して、有紀は乱暴に開いた。

「ちょ……ちょっと待って!」

 なにをそんなに慌てているのか。洋史は扉を閉めようと躍起になっている。

「どうしたんだい?」

 何事かとつい、興味をそそられて有紀は、細く開かれた扉の向こうを覗いてしまった。

 四畳半の狭い部屋の真ん中には、布団が敷かれている。

 そして、敷き布団と掛け布団の間から、長い黒髪が伸びていた。

「わ……悪かった」

 心臓が大きく鳴っている。こんな陽の高い時間に女が布団の中にいるなど考えもしなかった。

 慌てて背を向けると、向かいの部屋の扉に視線を移した。

 扉が開き、衣擦れの音が聞こえた。

「なんの用です?」

 上擦ったような、怒りを噛み殺すような声に、恐る恐る有紀は振り返ると、唇の色を失った洋史の顔が見えた。

 寝間着らしい浴衣が乱れているのを、落ち着きのない手で一生懸命に直している。

「ご……ごめんよ、その……恋人が来てるとは考えもしなかったから」

「恋人じゃありませんよ。僕にそんな相手はいません。有紀だって知っているでしょう?」

 笑って誤魔化そうとしていた有紀は、洋史の一言で凍り付いた。

「恋人じゃない? じゃあ、あの女は?」

「若い娘が、そういうことを聞くものではありませんよ」

「洋史でも、そういうことするんだ」

 小馬鹿にしたように、洋史は口元だけで笑った。

「僕だって男ですからね」

 膝の力が抜けそうな気がした。

 昨夜見付けた葉書の件を、洋史に相談しようと考えていた。いや、相談ではない、ただ、聞いて欲しかった。

 しかし今、洋史は相談すべき相手ではないと知らされたのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...