殺された人形

岡倉弘毅

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 傷心。という気持ちが最も近いだろう。しかしなにに傷ついているのかがはっきり分からない。

 空を見上げる。綿菓子のような雲が幾つも浮かんでいる、春らしい、気持ちの良い空。有紀の気持ちをあざ笑うかのように、果てしなく清々しかった。

 半ば放心状態で、堀川邸に向かって歩いていた。

 骸は沈んでいるのだろうか? 

 洋史の言葉を忘れたいが為に、他事を考えようとした途端、思い出したのは堀川伯爵の噂だった。

 沼の中で伯爵は冷たくなって沈んでいるのか。それとも、女狂いで有名だった男のこと、気に入った女の元に入り浸っているのではなかろうか。

 これもある人から聞いた、密かな噂だった。

 馨と同じく浮気者の伯爵は、子を産ませた女は数知れず。しかし、全く責任を取ろうとはしない。

 二十年前に亡くなった正妻には子が無く、馨を引き取ったのは、初めての男の子だったからだとか。

 真相のほどは知らないが、父親に敬意を見せず、子に愛情を見せぬ親子関係は有名だった。

 有紀は伯爵と会ったことは一度も無いが、馨が父親を嫌っているのは知っている。

 あの、厳かな鉄の門が、目の前に迫ってくる。まるで訪れる人を拒むかのように、冷たい鉄の門。その向こうには、可愛らしい娘が鍵を持って、有紀を待っている。

 はずだった。

 確かに、いつもの女中が有紀を待っていた。が、その向こうに馨の姿が見えた。

「お願いがあるのですよ」

 挨拶もそっちのけで、馨は口を開く。

「カフェーに行ったことを、妻には内緒にして欲しいのです」

 一瞬、有紀は身を竦ませた。自分が悪いわけでもないのに、やはり馨は、三月と康子の関係を知って『ミモザ』に来たのか。と。

「貴女に興味があるのかと、疑ってかかっていますからね。

 真実であれなんであれ、嫉妬されるのはあまり嬉しいことではありません」

「一々、告げ口をする趣味はありません。

 それよりも、面白い噂を聞いたのですけど」

 馨が視線を向けた。興味津々に。

「こちらの庭にある沼に、伯爵が沈められている。と」

「あぁ、あの噂ですか。随分と面白いことを広めますよね。

 貴女がそんな猟奇的なことに興味を示すとは思いもよりませんでした」

「興味ありますね。無作法で申し訳ありませんが」
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