62 / 202
演奏
しおりを挟む
傷心。という気持ちが最も近いだろう。しかしなにに傷ついているのかがはっきり分からない。
空を見上げる。綿菓子のような雲が幾つも浮かんでいる、春らしい、気持ちの良い空。有紀の気持ちをあざ笑うかのように、果てしなく清々しかった。
半ば放心状態で、堀川邸に向かって歩いていた。
骸は沈んでいるのだろうか?
洋史の言葉を忘れたいが為に、他事を考えようとした途端、思い出したのは堀川伯爵の噂だった。
沼の中で伯爵は冷たくなって沈んでいるのか。それとも、女狂いで有名だった男のこと、気に入った女の元に入り浸っているのではなかろうか。
これもある人から聞いた、密かな噂だった。
馨と同じく浮気者の伯爵は、子を産ませた女は数知れず。しかし、全く責任を取ろうとはしない。
二十年前に亡くなった正妻には子が無く、馨を引き取ったのは、初めての男の子だったからだとか。
真相のほどは知らないが、父親に敬意を見せず、子に愛情を見せぬ親子関係は有名だった。
有紀は伯爵と会ったことは一度も無いが、馨が父親を嫌っているのは知っている。
あの、厳かな鉄の門が、目の前に迫ってくる。まるで訪れる人を拒むかのように、冷たい鉄の門。その向こうには、可愛らしい娘が鍵を持って、有紀を待っている。
はずだった。
確かに、いつもの女中が有紀を待っていた。が、その向こうに馨の姿が見えた。
「お願いがあるのですよ」
挨拶もそっちのけで、馨は口を開く。
「カフェーに行ったことを、妻には内緒にして欲しいのです」
一瞬、有紀は身を竦ませた。自分が悪いわけでもないのに、やはり馨は、三月と康子の関係を知って『ミモザ』に来たのか。と。
「貴女に興味があるのかと、疑ってかかっていますからね。
真実であれなんであれ、嫉妬されるのはあまり嬉しいことではありません」
「一々、告げ口をする趣味はありません。
それよりも、面白い噂を聞いたのですけど」
馨が視線を向けた。興味津々に。
「こちらの庭にある沼に、伯爵が沈められている。と」
「あぁ、あの噂ですか。随分と面白いことを広めますよね。
貴女がそんな猟奇的なことに興味を示すとは思いもよりませんでした」
「興味ありますね。無作法で申し訳ありませんが」
空を見上げる。綿菓子のような雲が幾つも浮かんでいる、春らしい、気持ちの良い空。有紀の気持ちをあざ笑うかのように、果てしなく清々しかった。
半ば放心状態で、堀川邸に向かって歩いていた。
骸は沈んでいるのだろうか?
洋史の言葉を忘れたいが為に、他事を考えようとした途端、思い出したのは堀川伯爵の噂だった。
沼の中で伯爵は冷たくなって沈んでいるのか。それとも、女狂いで有名だった男のこと、気に入った女の元に入り浸っているのではなかろうか。
これもある人から聞いた、密かな噂だった。
馨と同じく浮気者の伯爵は、子を産ませた女は数知れず。しかし、全く責任を取ろうとはしない。
二十年前に亡くなった正妻には子が無く、馨を引き取ったのは、初めての男の子だったからだとか。
真相のほどは知らないが、父親に敬意を見せず、子に愛情を見せぬ親子関係は有名だった。
有紀は伯爵と会ったことは一度も無いが、馨が父親を嫌っているのは知っている。
あの、厳かな鉄の門が、目の前に迫ってくる。まるで訪れる人を拒むかのように、冷たい鉄の門。その向こうには、可愛らしい娘が鍵を持って、有紀を待っている。
はずだった。
確かに、いつもの女中が有紀を待っていた。が、その向こうに馨の姿が見えた。
「お願いがあるのですよ」
挨拶もそっちのけで、馨は口を開く。
「カフェーに行ったことを、妻には内緒にして欲しいのです」
一瞬、有紀は身を竦ませた。自分が悪いわけでもないのに、やはり馨は、三月と康子の関係を知って『ミモザ』に来たのか。と。
「貴女に興味があるのかと、疑ってかかっていますからね。
真実であれなんであれ、嫉妬されるのはあまり嬉しいことではありません」
「一々、告げ口をする趣味はありません。
それよりも、面白い噂を聞いたのですけど」
馨が視線を向けた。興味津々に。
「こちらの庭にある沼に、伯爵が沈められている。と」
「あぁ、あの噂ですか。随分と面白いことを広めますよね。
貴女がそんな猟奇的なことに興味を示すとは思いもよりませんでした」
「興味ありますね。無作法で申し訳ありませんが」
0
あなたにおすすめの小説
〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー
i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆
最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡
バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。
数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
【完結】メルティは諦めない~立派なレディになったなら
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
レドゼンツ伯爵家の次女メルティは、水面に映る未来を見る(予言)事ができた。ある日、父親が事故に遭う事を知りそれを止めた事によって、聖女となり第二王子と婚約する事になるが、なぜか姉であるクラリサがそれらを手にする事に――。51話で完結です。
恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-
プリオネ
恋愛
せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。
ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。
恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。
恋愛の醍醐味
凛子
恋愛
最近の恋人の言動に嫌気がさしていた萌々香は、誕生日を忘れられたことで、ついに別れを決断。
あることがきっかけで、完璧な理想の恋人に出会うことが出来た萌々香は、幸せな日々が永遠に続くと思っていたのだが……
月の綺麗な夜に終わりゆく君と
石原唯人
恋愛
ある日、十七才の春に僕は病院で色のない少女と出会う。
それは、この場所で出会わなければ一生関わる事のなかった色のない彼女とモノクロな僕の
秘密の交流。
彼女との交流によって諦観でモノクロだった僕の世界は少しずつ色づき始める。
十七歳、大人でも子どもでもないトクベツな時間。
日常の無い二人は限られて時間の中で諦めていた当たり前の青春へと手を伸ばす。
不器用な僕らの織り成す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる