殺された人形

岡倉弘毅

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鎮魂

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 マネキンを放り出し、洋史はインヴァネスを掴み、じっと見つめている。記憶にはないらしい。

「目を覚ますんだよ。人見直道に囚われていちゃいけない。自分が自分でしかないって認めるんだ。

 あんたは津川洋史なんだ。人見直道じゃない」

「直通が死んだ?」

 インヴァネスは近くで見ると、酷く汚れている。袖口や襟元は擦り切れ、襟には垢が溜まっている。幾枚かは持っていたのだろうが、季節を問わず体中の傷を隠す為に、着たきりだったにちがいない。

「そうだよ」

「自ら……」

「違う。池に落ちた子供を助けて、力尽きたって聞いた。

 人を救ったんだよ」

 洋史は思い出そうとする様子もなく、静かに有紀の話を聞いていた。

「だからもう、静かに眠らせてあげよう」

「でも、直通は僕を憎んでいた……僕は直通を苦しめていたんだ」

 有紀は畳を手の平で力一杯叩いた。洋史の目を覚まさせようとの行動だったのだが、傷を負った腕は、衝撃に耐えかねた。

「どうしたの? 有紀」

「あんたは罪悪感を持つ必要なんて無い。人見直道が傷付けたかったのはあんたじゃないんだ。あんたの父親なんだよ!

 自分の猟奇を目覚めさせたあの男を憎み、あの男に似たあんたを憎んでいると錯覚したんだよ。

 あの男と話をしていて分かった」

「どうして父と話を?」

「ちょっと長くなるよ」

 有紀は立てていた右膝を折ると、正座をする。詳しく話をしようとしたのであるが、洋史はまた、狼狽え始めた。

「長くなるなら、外で話しましょう。長く家の中にいたなら、あらぬ誤解を受ける可能性があります。

 玄関の前で待っていて下さい。これらを仕舞ってから下りますから」

「いきなり正気に戻ったね。あんたらしいよ」

 転がっているマネキンを手に取る。浮浪者の言った通り、別嬪だった。

「これが女の正体か。やっぱりね」

 風呂敷を広げている洋史に渡すと、有紀は畳に左手を突いて、立ち上がった。

「やっぱり。って、疑っていたのですか?」

「あぁ。平助ならともかく、あんたは柄じゃないよ」

「柄ですか。そうですね」

 口元に笑みを湛えて、洋史はマネキンを丁寧に包む。

 有紀は静かに部屋を出た。お互いの為にも、他人におかしな疑いを掛けられてはつまらない。
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