カス執事のナナシは何も知らない

味噌漬け

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カス執事には頭が痛い

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とある日の昼下がり。
 今日は授業も何もない完全なオフの日。後日の卒業パーティのためのドレスも用意し、しなければならないタスクもひと段落した後に行う昼下がりのティータイム。
 派手さはないが高級感のあるテーブルクロスのかけられた純白のように輝くテーブル。そしてその上には暖められたカップに、たっぷりの茶が淹れられたティーポット。ケーキスタンドには数々の高級なスイーツが並べられている。
 そしてその格式高い場に座する令嬢が1人。白く長く丁寧に整えられた美しい髪。身に纏った紅いドレスは派手さはあるものの、彼女のもつ気品さを際立たせている。
 
 普段ならば社交のために他の令嬢たちも呼んでティーパーティと洒落込むが、ここ最近は卒業パーティのための準備や試験のための勉学。それに加え、社交会などかなり忙しい日々が続いていた。ほんの数十分くらい独りの贅沢な時間があったとしても神は罰を下さまいと彼女は思っていた。

「お嬢様失礼いたします」

 そう言ってティーポットを手に持つはこれまた美形な執事である。
 彼は左手にティーカップ。そして、右手にティーポットを持つとテーブルから少し離れた位置で、高く上げたティーポットからカップに向けて茶を注いだ。その茶の動きはまるで滝の如し。水滴が外に弾かれていないのが不思議である。

「それではこちらを……」

 そんな執事の動きには目もくれず、ただ令嬢は静かに置かれたカップを手に取る。
 鼻腔をくすぐる茶の香りが脳を占め、身体もまた癒されていくようだ。
 目を瞑り、その香りを楽しんだのち、その端正な顔立ちのまま一口。口の中に広がる茶の風味。
 ほどよい苦味が茶の甘みをより際立たせている。高級茶葉ゆえの森林にいるかのような風味が素晴らしい。何よりも着目すべきはその後味である。甘味の後の苦味。後々に続く渋みに強めの酸味、そして強烈な辛み…。辛み?

「!?!?!?!?!????!!?」

 そのあまりの味のショックに彼女は大混乱。
 胃液を一気飲みするかのような激烈な酸味。そして、畑を焼き尽くしたあげく、その灰を有効活用せずにゴミ箱にシュートするかの如き冒涜的な辛み。吹き出さないのが神の奇跡のようであるが、これは彼女自身の努力の成果である。
 なんとか飲み込み、息を吐き出す。あまりの不味さに息があがるも、出来る限り上品に悟られぬよう息を整えた。その様はまるで死闘を終えたボクサーのごとし。どれもこれも貴族令嬢を例える言葉ではない。
 そして、彼女はその茶を淹れた元凶に目を向け一喝。

「あ、あなたまたやらかしたわね!?今回の茶には一体何を混ぜたの!?」

 怒声が部屋に響き渡る。
 安心して欲しい。この部屋は防音ではないが、この別荘は他の人間には基本的に知られていない隠れ家の一つ。それゆえに他者にこの様を見られることはないため問題ない。
 そして、その怒声を向けられた男は全く顔色が変わらずに表情筋が死んでいるのか真顔で口を開く。

「いえ。今回は混ぜてなどおりませんよ。こちらは東方のカンという国から取り寄せたカンポーヤクという茶でございます。身体にいいかわりにクソまずいのが特徴らしいですが、どうやら噂は正しいようですね」

 語尾だけはそれっぽい口調で説明する。

「味見すらしてないのかしら!!?そもそもこれ、茶ではなくて薬の類なのではなくて!?」

「ガーン。身体には良いとお聞きしましたが、まさか薬だったとは。茶ですらないのは一生の不覚」

「ガーンじゃないわ。ガーンじゃ。なんてものを私に飲ませたの?毒物だったらどうしていたのかしら!?」

「そこはご安心をお嬢様。念の為、1舐めはいたしましたので。――――ついでにケーキも」

「こそっと言ってるようだけど、つまみ食いしたことも聞こえているわよ!?というか、これ飲んでなぜ無事だったの?と思ったけれど……そうだったわ。あなたの味覚おかしいんだったわね」

「それは違いますお嬢様。私の味覚はおかしくなってなどおりません。好き嫌いがないだけでございます。生きるためでしたら、廃棄された馬車の車輪すらも齧って見せましょう」

「悪食!!」

 絶叫する令嬢をよそに執事は続ける。その顔は説教中だとは思えないほどに無表情であり、その口は雄弁である。

「それにお嬢様もここ最近は社交会や茶会で甘いものを召し上がっているとお聞きしましたので。この茶はダイエットに良いと商人の方が」

 ちなみにその商人は身長168体重138キロのデブである。
 全く説得力が無い。

「それって肥えていると言いたいのかしら!?!?あなた主人に向かって失礼……いえ、そもそもあなたには礼節という概念すら欠けていたわね」

 疲れたのか大きなため息を吐く令嬢。
 貴族らしくないが、この様を見るものはいないため問題ない(2度目)。

「もういいわ。改めて紅茶を淹れてちょうだい。先ほどのカンポーヤクは2度と淹れないように。下手なものを淹れたら次こそクビよ」

「承知いたしました」

 茶を淹れるべく去る執事を見ながら、令嬢はため息を吐く。
 一体、これで何度目だろうか。顔はいいのに奇行ばかりで忠誠心のかけらも無いアホバカカス執事。言い方は悪いが、これが長年接した上での彼女の評価である。
 なぜこんなやつをクビ――――否、死刑に処さないのか。それは彼女が彼に何度も命を救われているのだとか。この執事が長年勤めている執事長が指名したボディーガード役であること、能力だけは無駄に高いことなどさまざま挙げられるが、1番の理由がなんだかんだで彼女が心を許しているのは執事だからだろう。幼いころより暗殺されかけたことが幾多もある彼女にとってはそんな存在は貴重なのである。


「あっつ!!?思ったよりもヒートッッッ!!?」

 キッチンの方からそんな執事の叫び声が聞こえる。
 彼女はそんな彼の悲鳴を無視し、窓の外に目を向けた。
 太陽がのぼり木々を空を輝かせているが、そばには大きい入道雲が。この様子だと近々大雨が降ることだろう。

「(そういえば彼と出会ったのもこんな空の日だったわね)」

 今にでも鮮明に記憶に残っている。馬車に乗る己。馬車に襲いかかる賊どもと戦う執事長。――――そして、その戦いに割り込むかの如く横から賊を棒で殴り殺す浮浪者――――否、の姿。
 何よりもあの時見せた彼の殺意のこもった目が彼女の網膜に刻み込まれていた。
 彼女は思い返す。少年だった執事と出会ったあの日から、学園の卒業式を迎える前のこの日までの出来事を。
 あのカス執事に振り回され続けた日々のことを。


 言い忘れていたが、この世界はいわゆる乙女ゲームの世界である。とある人物が様々な乙女ゲー小説を読み、影響されて作った、ベッタベタなシナリオゆえに知る人ぞ知る作品扱いなインディーズゲームの世界。
 本来のシナリオであれば令嬢――――ステラ=グリフォーンは後日の卒業パーティーにて婚約者に婚約破棄され破滅の道を進むことになるのだがそのことはステラはもちろん――――



 執事、ナナシもまた知らず、それどころかこの世界が乙女ゲーであることすらも気づいていない。
 
 
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