逃げ助け

おが

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八艘飛び

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仏の顔に怒りの色が浮かび上がっていた。
ごうごうと燃え盛る堂の中に源義経はいた。
仲間たちの助けで、仏の前までやってきた。彼らの声は少なくなってゆき、知らない声と木が焼けて崩れる音がうるさくなってきた。
戦友達には感謝している。
地位も富もない時から一緒に生きてきて、地位も富もない男のために長い、終わりが見えている旅に、喜んで着いてきてくれた。ここに来るまでに散っていった命もあった。道中で別れたきりの者もいた。
今、物語は終わろうとしている。
これ以上語り続けることは、蛇足だ。
いつからだったろうか。
空の下を自由に生きたいと、人の目を気にせずに生きたいと思ったのは。
父が殺され、人の情に生かされ、仏に仕えることを教えられ、ただ必死に生きてきた。
己を殺し、いつか報いるのだと、囁く声を腹の中に、いかにも誠実な人間であろうとしてきた。
困っている人がいれば必ず助けになろうとした。
たとえ敵であっても礼儀や情は忘れなかった。
その甲斐あってか兄ほどの権力は無いものの、多くの友ができ、行く先々でみな力になってくれた。
100年、200年と語り継がれる英雄のように、美談を多く作ったと自分でも思う。
もうよくやった。
家を失い、妻子を失い、仲間を失い。
あとは己の命を失くす。
これでこの物語は終わりだ。
最後も綺麗に終わってみせることが、源義経としての義務だ。
後世の語り草にでもなるだろう。
一瞬だか無限のように感じられる時の中で、ゆっくりと小太刀に手をかけようとした。
頬には焼けた木の欠片がちりっと当たり肌で炎の激しさを感じる。
「…逃げないのか?」
仏の裏には1人、義経の元から失われゆく人間残っていた。
「仏の前で死ぬなんて罰当たりですね。仏様も困っておられますよ。」
その男は京で平氏の残党を逃がす仕事をしていた。
生き残りがいれば必ず復讐される。自分たちがしてきたことが再び行われるだけだと、兄は命の火をひたすら消した。
自らは敵の情に生かされたのにもかかわらず。
戦争は終わったというのにどうしてまだ、命を奪わなければならないのか。
生き残った者たちを殺すのは気が引けたが、兄の命令に従わないと弟と言えどうなるか分からない。義経としての生き様と兄の信頼、両取りすることは出来なかった。
苦しかった。
自由に声を出したかった。
自分が生きていないと思っていた。
頭の中が嵐の前の空のように、不気味な音を立てながら揺れ動いていた。
この男に出会ったのはそんな時だ。
「処刑は昼と夜の狭間がいいなぁ、青い空が赤く移って、雀でも飛んでいるともっといい。」
誰もいない森の中で、大きく息をしているような、そんな気持ちにさせてくれる男だった。
たくさん息を吸ったおかげか、嵐が晴れたように感じた。
武士とはこういうものだと、世の中はこんなものだと、誰かが作った習いの中で生きていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。
「今度は俺を逃がしてくれ。」
そこから平泉までの旅が始まったのだ。
もちろん兄は許さなかった。
実力も人気もある弟が、さらなる力を求めて北へ逃げたと思った。
そうじゃないんだよ。
自分を縛っていたものから逃げたくてここまでやってきたんだ。
縄にかかっているはずの男が、俺を縛っていたものをするすると解いてくれたんだ。
当然兄には理解されなかった。
「もう終わりだよ。お前は逃げろ、ここにいても塵になるだけだ。」
義経は諦めたように言った。
「結局、人が許してくれなかった。生きている限り、誰かが誰かを縛ってるんだ。自由な人間なんて本当は居ない。」
「なら一回死んで見るのはどうでしょう?」
男はあっさり言った。
「死んだら自由ですよ、源義経をここで殺しましょうよ。」
頭が真っ白になった。
どういう意味かよく分からない。
「だから死んだことにしましょうってことですよ。」
男は敵兵の死骸を持っていた。
「この人、背丈も顔の感じも似てる。この人を切った弁慶殿が、一瞬怯んでましたから、簡単には分からないんじゃないですか?」
楽しそうに男は語った。
殺せるのか。
自分を押し殺して作った自分を、もうひとつの己を。
底の方から湧き上がるような喜びが、一筋の光の方に向かっているのを感じた。
そう思った時には動き出していた。
燃える火の中、死体の中、兵士が1人堂から出てきた。
「源九郎義経を討ち取った。」
大きな声で叫んだ。
巨大な僧侶が仁王立ちするその後ろから、現れたその兵士は、この争いが終わったことを告げた。
主人を生かすため、義経の最後の仲間達は戦った。
主人の自由のために。
死んだ仲間たちは皆悔いのない顔押しているように感じた。
戦いの夜、義経を殺した兵士は北へと向かっていた。
「これからどうするんです?」
燃える館から抜け出した男は尋ねた。
「北へ向かう。海のある所まで。海しかなくなったら、海を渡る。それを繰り返す。」
「もっと愉快なことはしないんですか?名前も失ってるんだから。俺だったらしばらく遊んでますよ。」
「暫く1人で、見たことの無い景色を見ていきたいんだ。」
「流石名家の御仁ですね。趣味が変わっておられる。」
「もう縛るものはなくなった。」
清々しい顔をしていた。
そよ風が吹いたら、一緒に溶けて風になりそうだった。
兵士は立ち去ろうとするする間際、振り向きざまに男にすっと言った。
「お前も名前が無いな。」
「でしたらあなたにつけてもらいましょうか。」
兵士はちょっと考えて言った。
「人を助けたんだから助郎。そうしよう。」
「名前つけるの下手ですね。しかしありがたく頂戴しておきます。」
その後2人は陸奥の最北で別れた。
助郎は日の本を転々とし、人を逃がす仕事を続け、死んだ。
助郎の子供たちはひっそりと仕事を引き継いでいった。
兵士のその後を知るものはいない。
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