第十一隊の日々

来条恵夢

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三章

昇進試験のこと 1

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「…よぉ」
「あ」          
 昇進試験の実議場を出たところで、声をかけてきた見知った顔にルカは声を上げた。ルカ同様に、隊服ではなく学生時代の練習着姿で、武具に選んだらしいこんたずさえ、所在無げに壁にもたれている。地下のため、窓はない。
 今期に入ってからの寮の同室者、フルヤ・タクトは、駆け寄ったルカを複雑そうに見遣った。
「無傷ってことは、合格か?」
「どうだろう。落ちたかも」  
「え、なんで」
 学科と違って、実技は結果がわかりやすい。判定の言い渡しは後だが、ほとんどの者が終われば合否を予期しているものだ。
 ルカは、並んで壁に背をあずけ、ため息をついた。後悔はしていないが、これで落とされれば、やはり落ち込むだろう。
「フルヤ君は、これから?」
「ああ。…何か関係あるのか?」
「…実技、本物の妖異ヨウイを相手にするって、知ってた?」
「知らなかったのか? まさか、それで白旗?」
 驚かれて、ルカは苦笑した。知っていて当然の情報だったのかもしれないが、相変わらずそういったことにはうとい。
 電光に照らされたリノリウムの床を見つめ、ルカはゆっくりと首をふった。
 訓練などで度々たびたび来るのにいつもと違った空気に満ちているのは、今日がルカたちの代の見習いたちの昇進試験が行われているためだろう。廊下にいるのは、ルカやフルヤの同期ばかりだ。
 ほとんどの者が強張ったような緊張した面持ちで、明るい顔色のものは、既に試験を終え、いい結果と自信のあるものだろう。話し声は少なく、ルカたちもだが、あっても囁きに近い。
 ルカは、更に声を潜めた。
「対処しろということだったから、生け捕りにしたんだ。何故殺さなかったのかと訊かれた」
 基本的に、任務中に捕獲された妖異は第一部のとり仕切る研究施設に送られ、そこで研究や観察の対象になる。まれに、任務の補助役を割り振ることもあるが、これはごく一部のことだ。大半は、第一部の管理下に置かれるか廃棄される。
 そのまま解き放つことはできないとは、ルカも思う。
 だが、それにしてもやり方がある。ついさっきルカの目の前に立っていた妖異たちは、火薬でけしかけられるまでは、ルカを攻撃しようとはしなかった。
 だからといって、捕らえただけで何が変わるわけではないとは、わかっているのだが。
「それは――」
「十七番、フルヤ・タクト!」
「はい! 悪い、あとで」
 呼ばれ、棍を抱えて駆けて行くフルヤの背を見送った。試験前に言うべきではなかっただろうかと、ルカは、もう一度ため息を落とす。
「生け捕ったって、あの鳥の影響?」
「――ヒシカワさん」
 冷たく呆れた調子の声に顔を上げると、いつの間にか一人の少女が立っていた。
 思い切り短くした蜂蜜色の髪をかき上げ、ヒシカワ・サクラはルカを見据えた。ルカとほぼ同じ身長のため、碧の目に真っ向から捉えられてしまう。
 同期で一番の才女にして、先月から第十一隊に移動してきた、ルカの同僚でもある。
「変な同情しない方がいいわよ。私たちが手を抜いたって向こうもそうしてくれるわけじゃないんだから。殺せないなら、足手まといになる前に隊からは退いた方がいいんじゃない?」      
「うん、ありがとう」
 もっともすぎる意見に礼を言うと、ヒシカワは酢を飲んだようなかおになった。ルカは、少し困って話題を変える。
「ヒシカワさんも、今日だったんだね」
「そうよ。付け加えれば、スガ君も。彼はもっと後みたいだけど」
「そうだったんだ」
 もう一人の同期の同僚の名に、そうすると今日は第十一隊はほぼ活動停止だろうか、と思う。
 数日前一斉に行われた学科試験とは異なり、実技試験は時間をずらして一人ずつ行われるため、業務を一時抜ける形での実施になる。ルカもヒシカワも、だから朝は、いつも通りに出勤だけはしている。
 昼を挟みそうだから戻るのは午後からでいいと言われていたが、それなら早く戻ろうかと、ルカは算段を立てかける。
 そこで、ヒシカワに睨みつけられていることに気付いた。 
「…何か?」
「せめて、同僚の予定くらい知っておくべきじゃない? プライベートはともかく、仕事中のことでしょう。あなた、もう少し周りに興味を持ったら?」
「ああ…うん。そうだね、ごめん」
「――あなたと話してると苛々する」
 吐き捨てるように告げて、ヒシカワはきっぱりと背を向けた。
 ルカとヒシカワは、学生時代はろくに接点がなく、関わりができたのは実質、この一月足らずのことだ。短期間に、見事に嫌われたものだ。心当たりがあるようなないような気がして、ルカとしてはどうにも身の置き所がない。
「キラ、あいつに何かしたのか」
「――気配を消して近付くのはどうかと思う」
 二度目の不意打ち、しかもこちらも同僚だ。ルカは、一呼吸置いて、いつの間にか下がっていた頭を上げた。短い麦色の髪と濃緑の眼にぶつかる。
 上背のあるスガ・ミヤビを見上げ、ルカは首をかしげた。スガは、白の練習着ではなく赤い隊服を着ていた。
「隊服? それで受けるの?」
「違う、昼だ。付き合え」
「そこの食堂でいいなら」
 地下と最上階にある食堂では地下の方が安上がりで、ルカはそこの常連になっている。
 スガは、妙な顔をした。甘いものを口に入れたつもりが実は酸っぱかった、あるいは、何かを踏みつけたが未知の感触だったとでも言いたげだ。
「何か都合悪い?」
「…俺から誘ったんだ、おごる。地下に行く必要はない」
「いいよ。近いし、おごられる理由もない」
「理由…」
 整った顔をしかめ考え込むスガを、ルカは半ば呆れて眺めやった。理由もなくおごられては借りを作ったようで据わりが悪いとルカは思うが、スガは違うのか、とも思う。
「混むから、僕は行くよ。スガ君も、午後は実技なんでしょ。早くしたほうがいいんじゃない?」
「ああ…。変な奴だな、キラは」
 宣言通りに歩き出したルカに大股で追いつき並んだスガは、しげしげとルカを見つめた。ルカとしては、変なのはどちらだと言いたい。
 同僚として顔を合わせたスガは、気安さはあまりない上に口調も態度も横柄だが、以前ロビーで行き合ったときほどの敵意は向けられていない。それどころか、学生時代よりも大人しい印象がある。もっともそれも、まだ一月足らずのことでしかないのだが。    
 早くも、昼時で混みつつある食堂で、ルカは手早く煮魚定食をたのみ、スガは、慣れない様子でBランチを購入した。
 地下食堂の料理は基本的に、味と値段と量と栄養価の押し合いへし合いを経た、妥協点の上に成り立っている。
 だが、こんな値段でどんな代物が、と失礼なことを呟きつつおそるおそるはしをのばしたスガは、逆にやや感動したような面持ちになった。
「案外食べられるものだな」
「…一般市民も利用する食堂に、スガ君はどんな危機感を持ってたの」
 器用に箸で魚の骨を外しながら、ルカはため息を落とした。資産家のスガからすれば、例えばルカの育った施設の食費は、いっそ奇術じみているのかも知れない。
 味噌汁と一緒に、ルカは、再びこぼれかけたため息を飲み込んだ。
「お昼、今日は友達とじゃなくてよかったの?」
「友達?」
 スガが皮肉気味に笑った。ルカは数瞬、言葉を失う。
「キラも、奴らがどう呼ばれていたか知っているだろう。付き人だの従者、家来、取り巻き、側近、下僕というのもあったか」
 学生時代しか知らないが、スガの周りには人がいた。そして実際、ルカでさえ知っているほどには、スガの顔色を窺っている者は多かった。気付いていなかったわけではないらしい。
 だが、見下した言いように、ルカは反発をおぼえた。
「彼らがそうなったのは、スガ君にも責任がないわけじゃないと思うよ」
「へえ?」
「スガ君はたくさんのものを持っているから、簡単に人にあげてしまえる。なくなったって代わりはいくらでもあるから、困らないんだろうね。でももらう側はきっとそうじゃないんだよ。スガ君は何気なくやったことでも、受ける側からすれば借りになる。そうでなかったら、ちょっとおだてれば簡単にものをくれる便利な人ってことになる。どちらにしても、対等ではないよ」
 スガの強張った沈黙に、食堂のざわめきが被さる。
 ルカは、偉そうなことを口にしたと、早くも後悔した。自分は説教できるほどできた人物ではないし、これではスガをへこませて溜飲を下げるようなものではないか、と思う。
 知っている、と、スガは呟くように言った。
「俺に人が群がっていたのは、金なり家の権力なりの利益が期待できたからだ。十一隊に移動になって、何人も離れていった」
 出世は絶たれたと判断したのか。ルカは、苦い思いで定食の漬物をかじった。ぱりぱりと、呑気な音が出る。
「そんなことはどうでもいい」
 いいのかな、とのルカの内心の声にはかまわず、スガは、じっとルカを見つめ、心なし、身を乗り出した。
「付き合っている人は、いるのか?」
「――誰に?」
「隊長だ」
「え」
 ルカは、茶碗と箸を手に、数秒は確実に硬直した。思わずまじまじと見つめたスガは、思い切り真剣な顔つきだ。
「………どこ、の?」
「十一隊に決まっているだろう」
 全十隊中、女性の隊長はリツ一人。そんな今更すぎることを思い出すが、いや、何もそんな理由で聞いたとは限らない、と、ルカは慌てて自分の考えを否定する。
 何故訊くのかと、訊くべきかやめておくか。
 悩んだルカは、今までにないほど真面目な顔つきのスガを見て、軽くめまいを覚えた。
「――どうして?」
「俺が希望を出したのは、隊長がいたからだ」
「知らない」
 スガが顔をしかめたので、急いで言葉を足す。
「そういう話をしたことがない。センパ――副長に付き合っている人がいるかどうかも知らない。悪いけど、役には立てないよ」
「ふうん。とにかく、キラは敵ではないんだな。彼女もいるし」
「は?」
 敵って大袈裟な。警戒するなら自分よりも他に障害はあるはずだろう。彼女って誰の。
 大まかに三つ、言いたいことが浮上したが、ルカは、そっと箸を置いて、明るい顔つきになったスガを見た。顔はいいし家柄もいい、少なくとも学校の成績も悪くはなかったはずだが――馬鹿っぽく見えるのは何故だろう。
 恋は盲目って真理なのかなあと、ルカはぼんやりと思った。
「どうした? 早く食べて戻るぞ」
「うん…」
 戻ったところで、実技審査を担当させられているリツはいないし、スガはこれから実技だろうに。
 そう思ったが、ルカは黙々と、冷えつつある定食に再度箸をつけた。悪い人ではないだろうけど厄介な、と、ルカは、巻き込まれそうな自分を思って、いささかげんなりとした。
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