3 / 130
船上
3
しおりを挟む
おそらく、と雪季は考える。これほどに河東英に対して腹が立つのは、ここまでつきまとわれる理由がわからないことも一因だろう。
英のこれまでのやり方から見ても、それなりの証拠を集めて雪季を警察に突き出すなり裏社会の方で尻尾切りさせるなりはできるだろう。それにもかかわらず放置し、果ては友人に対するかのように接してくる。
目的が見えない。不気味さすら感じて、それを認めたくないがために腹を立てるのだろう。
そのくらいは自己分析できるが、出来たからといって何が解決するわけでもない。
深々とため息をついて、雪季は、隣のベッドで穏やかな寝息を立てる英に視線を向けた。よくも、殺し屋の隣で熟睡できるものだ。二晩目になるが昨日もぐっすりと眠っていた。
元々の体質に加えて職業柄眠りの浅い雪季としては、羨ましさすら覚える。
「…早くて明日の朝と、思ったんだがな」
「気付かなかったら見逃してやるつもりだったのになあ。スケープゴートにもちょうどいいし。無理心中に変更かな」
「気色の悪いことを言うな」
「…あれ? もしかして、男?」
声変りもしているのに、どうして多少体の線を変えただけで、こうも違和感なく間違われてしまうのだろう。雪季は、常夜灯でほんのりとしか見えないのに見えてしまった金魚売の意外そうな表情に、うんざりと息を吐いた。
男二人でいるよりも油断を誘えるかと、結局女装して船内をうろつく羽目になっていた雪季は、殺害の機会を狙っていた殺し屋にも勘違いされていたらしい。
目論み通りとはいえ、そこは気付けと言いたい。観察力必須だろう。
「悪いな、お前に恨みはないがこれの護衛を依頼された」
「ええーっ、えらいかわいい子連れてもしかしてロリコンの気があるのかとか思ったら、女装の男が趣味?」
「話を聞け」
なんだこの馬鹿は。口を突いて出そうになった言葉を呑み込んで、雪季はベッドから英と金魚売の間に跳び下りた。昨日甲板にいたのと変わりない格好で、スニーカーも履いたままだ。
絞殺に使うのだろうふんわりと薄い布を首元に巻いた金魚売は、まだ若い。下手をすると、雪季よりも年下かもしれない。そのことに、わずかに眉根が寄る。
だが口を開いたのは、金魚売の方だった。
「護衛っていうかさあ、もしかして、同業者?」
「残念ながら」
「あっちゃー。え、何、標的被った? もういっそ二人でやる? あ、それだと値切られるかな。え、護衛?」
多少混乱しているらしいが、付き合ってやる義理はない。雪季は、踏み込んで金魚売の懐に飛び込んだ。
突き出したスタンガンは、狙った胸に当たる寸前に腕をつかまれて止められる。
「っぶなー。ていうかさ、同業者でしょ? スタンガンって何」
電圧は最高にして心臓を狙ったので、悪くすれば死ぬ。しかし、雪季が殺すつもりがなかったのも本当だ。スタンガン自体も、英からの借りものだ。
通電したままのスタンガンを囮に、腕を引き抜いて少しばかり距離を取る。
「今はあれが死ななければそれでいい。殺しの依頼は受けてない」
「うっわ。甘。激甘。俺はそんなの付き合わないよ?」
「だろうな」
腕を取られた時に、何か刺された。視界が揺れる。首を絞める前に、薬を使う奴だったらしい。
雪季は、ズボンに仕込んでいた研いだペーパーナイフを引き抜く。
「こちらの都合だ、気にするな」
ナイフの先で腕を切る。それほど強い薬ではないようだから、このくらいの痛みでも誤魔化せる。
「金魚売」
にやにやと笑っていた男の顔が、ぴくりと歪んだ。名を知られているとは思わなかったようだ。だが、雪季が言いたいのはそこではない。
「お前、二代目だな」
「…なんで?」
「金魚売の名は十年以上も前からのもので、十代の子どもができるようなものばかりではなかった。薬を使っているのも、お前からだろう」
「だから何だっていうんだ?! 名前なんてなんだっていいだろ!?」
「そうだな」
感情に振り回されて棒立ちになっていた金魚売の脛を狙って蹴りつける。雪季のスニーカーは、滑り止めの他に、重さをつけるための鉄板も加工してある。体重が軽いと、こういった小細工も必要になる。
バランスを崩した金魚売の首元から布を引き抜き、そのままに、後ろ手に縛りつけた。その程度の力比べはできる。
膝をつきながらも抵抗しようとする金魚売の足をすくいあげて床に倒して、雪季を刺した針を探す。古風にも指輪に細工されたそれを、金魚屋の首筋に刺し込んだ。
すぐに意識を失ったようだが、念のため、適当に英の荷物からネクタイを引き抜いて足も縛っておく。
「これ、どうする」
「なんだ、起きてるって知ってたのか」
「これだけやってまだ眠っていればさすがに驚く」
「どうだか」
すっきりと目覚めたかのようにいつも通りの声で、備え付けの寝間着姿の英が体を起こす。
わざわざ近づいて来て金魚売を見て、まだ若いな、と漏らした。
「殺した方が早かったんじゃないか?」
「仕事でもないのに?」
「…そういうとこ」
ふっと、英は笑った。いつものへらへらとしたものではなく、冷ややかに雪季を見下ろす。
雪季は、初めて見る相手のような心地で見つめ返した。いや、この冷ややかさには気付いていた。いつも、どこか離れたところから値踏みするような、距離感。
「面白いな、雪季は。これまで何人も殺しておきながら、まだ殺すことに抵抗があるんだな。なあ、気付いてたか? はじめて人を殺した時、泣きそうな顔をしてたって。俺を殺しに来るときも、触れれば壊れそうなくらいに張り詰めてた」
「――ぇ…?」
雪季が使っていたベッドに腰かけ、軽く開いた膝に肘をついて指を組む。そこに顎を置いて、英は真っ直ぐに雪季を見ていた。
「俺が雪季をこっちに誘うのは、そっちから離れたら、その罪悪感をどうするのかに興味があったからだよ。今は、深く考えることは避けているんだろう? それが、こっちに来たらどうだろうな。多分、これまで殺した一人一人をちゃんと覚えてるんだろ? なあ雪季、平穏を得た君は、どうなるだろうな?」
どくりと、心臓が脈打つ。
善意だとは思っていなかった。何か裏があるのかと、例えば子飼いの始末屋がいれば便利だと、そんな理由かと思っていた。そうでなければ、深くは考えない上での気まぐれかと。
英は、いつものように笑って見せた。
「それは、俺が捨てておくよ」
足を縛っていたネクタイを外し、ショールを元通りに金魚売の首元に巻くと、英は、鍵だけを手にして部屋を出て行った。
英のこれまでのやり方から見ても、それなりの証拠を集めて雪季を警察に突き出すなり裏社会の方で尻尾切りさせるなりはできるだろう。それにもかかわらず放置し、果ては友人に対するかのように接してくる。
目的が見えない。不気味さすら感じて、それを認めたくないがために腹を立てるのだろう。
そのくらいは自己分析できるが、出来たからといって何が解決するわけでもない。
深々とため息をついて、雪季は、隣のベッドで穏やかな寝息を立てる英に視線を向けた。よくも、殺し屋の隣で熟睡できるものだ。二晩目になるが昨日もぐっすりと眠っていた。
元々の体質に加えて職業柄眠りの浅い雪季としては、羨ましさすら覚える。
「…早くて明日の朝と、思ったんだがな」
「気付かなかったら見逃してやるつもりだったのになあ。スケープゴートにもちょうどいいし。無理心中に変更かな」
「気色の悪いことを言うな」
「…あれ? もしかして、男?」
声変りもしているのに、どうして多少体の線を変えただけで、こうも違和感なく間違われてしまうのだろう。雪季は、常夜灯でほんのりとしか見えないのに見えてしまった金魚売の意外そうな表情に、うんざりと息を吐いた。
男二人でいるよりも油断を誘えるかと、結局女装して船内をうろつく羽目になっていた雪季は、殺害の機会を狙っていた殺し屋にも勘違いされていたらしい。
目論み通りとはいえ、そこは気付けと言いたい。観察力必須だろう。
「悪いな、お前に恨みはないがこれの護衛を依頼された」
「ええーっ、えらいかわいい子連れてもしかしてロリコンの気があるのかとか思ったら、女装の男が趣味?」
「話を聞け」
なんだこの馬鹿は。口を突いて出そうになった言葉を呑み込んで、雪季はベッドから英と金魚売の間に跳び下りた。昨日甲板にいたのと変わりない格好で、スニーカーも履いたままだ。
絞殺に使うのだろうふんわりと薄い布を首元に巻いた金魚売は、まだ若い。下手をすると、雪季よりも年下かもしれない。そのことに、わずかに眉根が寄る。
だが口を開いたのは、金魚売の方だった。
「護衛っていうかさあ、もしかして、同業者?」
「残念ながら」
「あっちゃー。え、何、標的被った? もういっそ二人でやる? あ、それだと値切られるかな。え、護衛?」
多少混乱しているらしいが、付き合ってやる義理はない。雪季は、踏み込んで金魚売の懐に飛び込んだ。
突き出したスタンガンは、狙った胸に当たる寸前に腕をつかまれて止められる。
「っぶなー。ていうかさ、同業者でしょ? スタンガンって何」
電圧は最高にして心臓を狙ったので、悪くすれば死ぬ。しかし、雪季が殺すつもりがなかったのも本当だ。スタンガン自体も、英からの借りものだ。
通電したままのスタンガンを囮に、腕を引き抜いて少しばかり距離を取る。
「今はあれが死ななければそれでいい。殺しの依頼は受けてない」
「うっわ。甘。激甘。俺はそんなの付き合わないよ?」
「だろうな」
腕を取られた時に、何か刺された。視界が揺れる。首を絞める前に、薬を使う奴だったらしい。
雪季は、ズボンに仕込んでいた研いだペーパーナイフを引き抜く。
「こちらの都合だ、気にするな」
ナイフの先で腕を切る。それほど強い薬ではないようだから、このくらいの痛みでも誤魔化せる。
「金魚売」
にやにやと笑っていた男の顔が、ぴくりと歪んだ。名を知られているとは思わなかったようだ。だが、雪季が言いたいのはそこではない。
「お前、二代目だな」
「…なんで?」
「金魚売の名は十年以上も前からのもので、十代の子どもができるようなものばかりではなかった。薬を使っているのも、お前からだろう」
「だから何だっていうんだ?! 名前なんてなんだっていいだろ!?」
「そうだな」
感情に振り回されて棒立ちになっていた金魚売の脛を狙って蹴りつける。雪季のスニーカーは、滑り止めの他に、重さをつけるための鉄板も加工してある。体重が軽いと、こういった小細工も必要になる。
バランスを崩した金魚売の首元から布を引き抜き、そのままに、後ろ手に縛りつけた。その程度の力比べはできる。
膝をつきながらも抵抗しようとする金魚売の足をすくいあげて床に倒して、雪季を刺した針を探す。古風にも指輪に細工されたそれを、金魚屋の首筋に刺し込んだ。
すぐに意識を失ったようだが、念のため、適当に英の荷物からネクタイを引き抜いて足も縛っておく。
「これ、どうする」
「なんだ、起きてるって知ってたのか」
「これだけやってまだ眠っていればさすがに驚く」
「どうだか」
すっきりと目覚めたかのようにいつも通りの声で、備え付けの寝間着姿の英が体を起こす。
わざわざ近づいて来て金魚売を見て、まだ若いな、と漏らした。
「殺した方が早かったんじゃないか?」
「仕事でもないのに?」
「…そういうとこ」
ふっと、英は笑った。いつものへらへらとしたものではなく、冷ややかに雪季を見下ろす。
雪季は、初めて見る相手のような心地で見つめ返した。いや、この冷ややかさには気付いていた。いつも、どこか離れたところから値踏みするような、距離感。
「面白いな、雪季は。これまで何人も殺しておきながら、まだ殺すことに抵抗があるんだな。なあ、気付いてたか? はじめて人を殺した時、泣きそうな顔をしてたって。俺を殺しに来るときも、触れれば壊れそうなくらいに張り詰めてた」
「――ぇ…?」
雪季が使っていたベッドに腰かけ、軽く開いた膝に肘をついて指を組む。そこに顎を置いて、英は真っ直ぐに雪季を見ていた。
「俺が雪季をこっちに誘うのは、そっちから離れたら、その罪悪感をどうするのかに興味があったからだよ。今は、深く考えることは避けているんだろう? それが、こっちに来たらどうだろうな。多分、これまで殺した一人一人をちゃんと覚えてるんだろ? なあ雪季、平穏を得た君は、どうなるだろうな?」
どくりと、心臓が脈打つ。
善意だとは思っていなかった。何か裏があるのかと、例えば子飼いの始末屋がいれば便利だと、そんな理由かと思っていた。そうでなければ、深くは考えない上での気まぐれかと。
英は、いつものように笑って見せた。
「それは、俺が捨てておくよ」
足を縛っていたネクタイを外し、ショールを元通りに金魚売の首元に巻くと、英は、鍵だけを手にして部屋を出て行った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる