回りくどい帰結

来条恵夢

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風邪

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 湯船ゆぶねから上がり軽く体をいてから、バスローブを羽織はおって溜息をついた。
 考えてみれば、はじめは物珍しかったバスローブも、そなえ付けのあるホテルに泊まることもあるし家ではアキラが風呂上りに着ているので、すっかり見慣れてしまった。タオル代わりなので濡れたまま羽織るものだというのもそうやって知った。
 ただ今は、着ていたものがずぶぬれになってしまったせいでとりあえず着るものがこれしかないので、あまり濡らしたくはない。

「すみません、ありがとうございました」
「災難でしたね」

 ソファーに座ってにこやかにすすめられ、雪季セッキは対面に腰を落とした。
 四十万シジマと三人でのティールームでの話は四方山話よもやまばなしに終始し、お茶とお茶菓子を楽しみ、見送りがてら中庭を散歩すると言う李に付き合うという形で終わろうとした。
 実際、何事もなければ、こいが泳いでますねーといったなごやかな話題で別れられただろう。
 ナイフを持った男が立ちはだかり、雪季が取り押さえたまではまだよかった。気付いたホテルの人間が駆け付けて来る前にと、次の予定が入っている四十万を先に帰らせたことも。
 警察が来るまで従業員の休憩室にでも置いておこうかと雪季が男を立たせたところで、諸共もろともに池に落ちたのは予想外だった。
 おかげでこうして、李に風呂を借りることになってしまった。
 さすがに、濡れ鼠で警察の事情聴取を受けては風邪を引く。男の方は、とりあえず身ぐるみはがされて適当に乾いた服を着せられただけで警察官に連れて行かれたが。

「警察に向かうのはこちらの都合がついた時でいいとのことなので、とりあえず、温かいものでも飲みますか?」

 ルームサービス用のメニューを渡され、受け取りはしたが開かず、雪季は李に視線を向けた。
 そろそろ八十に近いはずだが、肌艶が良く背筋が伸びているせいか、白髪がちの頭でも老人めいた印象は薄い。物腰は柔らかだが、半ば隠居生活を送っているというよりも今も現役のような雰囲気を保っている。実際、李が一から築き上げた貿易会社では、顧問のような役割に落ち着いているはずなのに何かと頼られているという。
 英とは千疋屋のフルーツパーラーで出会ったと聞いている。そこからどうやって親交が繋がるのかが雪季には謎だ。
 溜息にはならないように、一度息を吸い込む。

「腹芸はできないので、単刀直入にお訊きします。何が目的ですか?」

 じっくりと雪季と目を合わせ、ふっと、李は微笑ほほえんだ。

「どういうことでしょう?」
「池に落としたのはあなたですよね。避けられなかったのが間抜けなだけなのでそのことは構いませんが、理由は何ですか。そもそも、あの男までがあなたの仕込みだとは言いませんが、知っていて放置していた、あるいは誘導したくらいのことはあるんじゃないですか」

 池に落ちたのは、雪季がふらついたからでも男が逃げようと暴れたからでもない。
 男は多少もがきはしたが、抑えられないほどではなかった。ただ、おそらくホテルの人たちは気付かなかっただろうが、李に実にさりげなく足払いをかけられて堪えきれなかったというのが事実だ。

「少し、君と二人きりで話をしてみたかったもので」
「…それならそうと、こんなことをしなくても言ってくだされば」
「アキラ君に私に近付かないように言われませんでしたか?」
「言われたところで、従う必要があるとは思えません」

 色々と読まれているようだが実際のところどこまでどういった関係なんだ、と、雪季は英をうらめしく思った。まあ、説明を求めなかったのもこちらの手抜かりか、と、そっと呑み込んでおく。
 李は薄く微笑し、さらりと手でメニュー表をしめした。

「とりあえず、何か飲むものをたのみましょうか。お茶けに、美味しいサブレがあるんですよ」

 うきうきとしたように、白い紙の箱に入った四角いお菓子を取り出す。
 伊勢神宮の近くのお店の塩サブレですよ、とすすめられ、とりあえず一枚を手元にもらう。フルーツパーラーで出会ったのは本当のような気がした。今日も手土産には、モロゾフのチョコを渡している。
 李がアールグレイを、雪季がロイヤルミルクティーを注文し、それぞれポットで届けられる。元からのサービスなのかホテル内で問題が起こったことへの気遣いなのか、小鉢に盛られたクッキーが添えられていた。
 濡れてクリーニングを頼んだ服は着られる状態になれば持って来てもらうようになっているが、まだ届かない。

「アキラ君は、君が私に引き抜かれることを警戒しているでしょうね。インフルエンザで寝込んでいるということですが、そうでもなければこんな機会もなかったかもしれないと思わせるくらいにはね」

 どこか優雅な手つきで紅茶をそそぎ、カップを口元に運びながら、少しばかりからかうような口調でげる。
 こうも見抜かれていると、釈迦如来しゃかにょらいてのひらの上の孫悟空のようで、雪季は多少英が気の毒に思えた。年齢差というのか経験差のせいだろうか。

「そもそも引き抜かれる理由がありません。――いただきます」
「どうぞ。買いに行くには少し距離がありますが、好きでねえ」

 嬉し気な笑みを眺めつつもらった一枚入りの袋を破ると、四角いサブレ、と言いつつ瓦煎餅のような焼き菓子が姿を現す。さくりと噛むと、素朴に甘い。玉子煎餅に近いだろうか。
 確かに、お茶に合いそうだ。日本茶でも紅茶でも珈琲でも。

「しかし、君は随分と自分を過小評価していませんか、スノーホワイト」
「美味しいですね」
「おや、応えるつもりはありませんか。心配しなくても、この部屋に盗聴器のたぐいはありませんよ」
「あなたも今更、黒狐と呼ばれても返事はしないでしょう」

 李の細めた眼が酷薄に光ったのは、えてだろう。この人は案外芝居じみたことが好きなのかもしれないなと、紅茶でのどをうるおしながら考える。道理で英と気が合うはずだ。
 すぐに収め、にこやかな笑みを浮かべた。

「それもそうですね、これは失礼しました。では、雪季君。私の元に来る気はありますか?」

 思わず、まじまじと李を見てしまった。
 英が相手であれば、「正気か?」くらいは口にしていたかもしれない。腹芸ができないと言い切った雪季に合わせて来たのだろうか。それとも、からかわれているのか。

「…引き抜きのお話ですか?」
「はい」
「…お断りします」
「何故ですか?」

 どこまでもにこやかに微笑みかけられ、雪季は、この人は本当に武闘派だったのだろうかと思ってしまった。腹芸上等の頭脳派ではないのか。いや、両方であっても何らおかしくはないのだが。
 応える前に、雪季は紅茶を口にした。緊張して咽喉が渇いているのか、単に一旦間を切りたいのか、自分でもよくわからない。

「今の生活にそれほど不満はありませんし、理由がありません。あの名前での活動を期待されているなら――鈍っています。先ほど、足払いを避けることもできなかったのが何よりの証拠でしょう」
「人殺しは望んでいませんよ。今日のようなことを考えるともう少し動けるなら言うことなしですが、その程度は鍛えてもらえば済むことです。この歳ですから、話し相手もねて、気のく人が近くに居ればありがたいというのが理由です。もちろん、スケジュール管理など相応の仕事もしてもらいますがね」

 話し上手というなら余程、英や李に軍配が上がるはずなのに、何故似たような理由で勧誘を受けているのだろう。雪季は頭を抱えたくなった。買いかぶるにもほどがある。
 李は、優雅にカップを傾けた。

「四十万君を先に帰らせたのは何故ですか?」
「この後予定がありましたし、居合わせただけなのだから状況説明をするには一人いれば十分かと」
「瞬時に、そういった判断ができるなら十分欲しい人材です」
「…ごく当然のことでは?」
「まず、同僚の予定を把握していなければなりません。暴漢を取り押さえながら、ホテルの人間が気付いてやって来ることも察し、あるいは予想し、どうなるかを考えて即座に指示を出す。案外、君の言うごく当然ができる人間は少ないですよ」
「予定を把握していたのは人数の少ない会社で、まして、今は社長が寝込んでいるせいで社員全員を巻き込んで予定の調整が発生したせいです。昔取った杵柄きねづかのようなもので、ホテルや警察の人間の動きはそもそも予想がついていただけのことで」

 どうして、こんなことを説明しなくてはならないのだろう。答えを知っている相手に解説をしているようでわりが悪い。溜息をこらえて、紅茶で呑み込む。サブレは食べ終えてしまったので、クッキーに手をのばした。
 李が同じように小さなクッキーをつまみ上げ、柔和な笑みを向けてくる。

「料理と掃除が得意だと聞きましたが」
「…苦にはなりません」
「手順の組み立てと空間把握には打って付けですね」

 師と同じことを言う。
 雪季が言葉に詰まっていると、サブレをもう一枚勧め、自身でも一枚、袋を破いた。

「ミネアキとは古い知人です」
「…なるほど」

 意識せずこぼれ落ちてしまった言葉に、失礼ではなかったかと視線を向けるが、悪戯でも成功したかのような満足げな笑みが返るだけだった。
 そうして、そっと身を乗り出して声を潜める。これも、演出なのだろう。

「そもそも、君の稼業のことをアキラ君にはじめに教えたのは私なんですよ」
「え」

 あなたが元凶か。
 咽喉まで出かけた言葉を、どうにか呑み込む。一番の大本は目撃されてしまったことなのだから、そんなことを言うのは八つ当たりに近い。偶然を恨むなら、いるかどうかも定かではない神へ向けるべきだろう。
 しかし、これで些細な謎は解消された。
 いくら、英が探偵事務所でのバイト経験があったり葉月ハヅキの情報収集能力が高かろうと、知りすぎだと思っていた情報源は、どうやらここだったようだ。あるいは、結局のところ師へと戻るというべきか。

「まさか、秘書に勧誘しておまけに成功するとまでは思いませんでしたがね」

 悪戯気に微笑まれ、どう反応したものかがわからない。そんな雪季に、李が森の賢者のように笑いかけてくる。

「気が変わったら声をかけてください。私が生きているうちに翻意してくれることを願いますよ」
「…過分なお言葉を、ありがとうございます」
「堅いですね」

 笑われたが、ではどうすればと、雪季は途方に暮れた。
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