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花見
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水音を立ててしまうし洗うのは明日にしようかと考えながらリビングに足を運んだ雪季は、ソファーに腰かける人影に首を傾げた。
「四十万さん?」
「ああ…なんだその食器?」
「…ちょっと、部屋で飲んでまして」
「一人…じゃないか。社長と?」
「はい。ここだと少し煩いかと思ったので」
そういえば四十万は、飲まないのか飲めないのかどちらだろう、と思う。葉月は飲まないと決めているようだが、四十万もそうなのか、体がアルコールを受けつけないのかは聞いたことがない。
「何か食べますか? 花見の料理も残ってますけど」
「いや、ありがとう」
とりあえず流しに食器を置いて、空いたペットボトルと酒瓶も盆から下ろす。
四十万の何か言いたげな視線を後頭部に受けて、こちらから切り出すべきなのか待った方がいいのかを迷う。歯を磨いたら寝ようかと思っていたのだが、どうすべきだろう。
とりあえず、未開封で棚に仕舞っていたリンゴジュースを出して、雪平鍋に入れる。
「飲みますか?」
「…何を?」
「リンゴジュースを温めて、カモミールを投入。ハーブティーのリンゴジュース割り、ですかね」
ふ、と笑った気配がして、もらうとの返事があったのでジュースをもう少し注ぎ、火にかける。カモミールは、紅茶の缶の陰に隠れていたものだが一応賞味期限内だった。
大ぶりのマグカップに入れて、雪季もテーブルの角を挟んだ斜め向かいのソファーに座る。
「…社長は?」
「酔いつぶれて寝ました。どうしてそうなる前に自分の部屋に戻るってことができないんでしょうね、あの馬鹿は」
意外そうな視線を受けて、首を傾げて見せる。先日、英が寝込んだフォローで走り回ったおかげもあって、四十万との会話はいくらか増えた。
「いや…本当に酔い潰れるんだなとか、そういったことも言うんだなとか、色々と意外で」
「仕事を抜きにすれば、ただの面倒臭い同居人ですから。悪態の一つや二つ、吐きたくもなりますよ」
「雪季君は…社長とは…その、付き合ってるとかは」
「ないです」
にこやかに速やかに、雪季は断言した。四十万の分はともかく、自分の分には白ワインでも入れれば良かったかと軽く後悔する。ホットワイン風にでも。
四十万は、きまり悪そうにマグカップを傾けた。
「同級生だったっていうだけで引っ張って来られて、家政婦みたいに生活周りも面倒見て、胡散臭いのもわかりますけどなんでその方向に話が流れるんでしょうね。否定しなければ認めたようになるし否定しすぎればそれはそれで嘘くさくなるし」
「悪い」
「いえ。勝手に勘違いされるよりは、こうやって否定できるので訊かれた方がましです。あと、勘違いの原因の大半はあいつの日ごろの行いのせいなので、結局悪いのはあの馬鹿です」
柄にもなく長々と喋ってしまったのは、雪季自身鬱憤が溜まっていたこともあるが、やはり、四十万が何か言いたげなのが気になるからでもあった。英のようにはできないが、多少なりと、軽口でも叩けるようにできればいいのだが。
マグカップを両手で覆うように持ち、四十万は、視線を俯かせた。
「…俺のこと。聞いたか…?」
「何についてですか?」
何か大口のポカでもやらかしたのだろうか、と記憶を掘り起こしかけた雪季は、続いた言葉にああそれか、と軽く息を吐く。
「俺が。俺の…恋愛対象に、ついて」
重たげな声に、進んで話したいことではないのだろうと察する。
それでも口にするのは、職場で英が男女問わず恋人にすると知れ渡っているという環境のせいと、おそらくはそういった絡みで四十万と知り合いだった英が、親しいと思われている雪季に話している可能性が高いと踏んだからだろう。
つまり、先ほどの雪季の愚痴と同じく、原因の大半は英にある。そういえば山本の趣味を知らされたのも英が遠因で、そのうちすべての原因に英を疑い始めそうで厭になる。
ため息をつきそうになったが、四十万に勘違いされるだろうからどうにか呑み込む。
「以前、河東から」
諦めたような溜息に、そんな立場ではないのかも知れないが同情してしまう。そして、雪季が謝ることでもないように思えて、言葉が続かない。それとも、英に代わって謝るべきなのだろうか。
「…ちなみに、いつ頃」
「…俺が職場放棄して夜にみんなでここで飲んだ後くらいです。一月の終わりくらいですか」
「そうか。…全然態度変わらなかったな。ありがとう」
お礼を言われるようなことではないはずだが。そう思ったのが顔に出たのか、四十万は苦笑を浮かべた。
「社長があんなだから、会社の皆はちょっと感覚麻痺してるとこもあるけど…やっぱり、そういったことを受け容れられる人ばかりじゃないから。だから、三浦さんたちにも話せない。親にも言ってないから、結婚しろとかうるさいよ」
「ご両親というと…お米を作っている…」
「ああ。姉夫婦もいるけど、もう何年も帰ってない」
実家から送って来る米が余るくらいだから、と、今日の花見で主食担当だった四十万と雪季の分担は、それぞれおにぎりとサンドウィッチに分けた。
そう切り出した時も、四十万は同じように笑っていた。静かに、陰を孕んで。
身内ほど話せないものだろうとは思う。以前も感じたが、人は、関わりが浅い人にほど吐き出せるのかも知れない。
「言いふらすつもりはありませんし、一応河東にも注意はしておきます。…聞く気があるかどうかはわかりませんが」
「すまない」
「いえ。そもそも、何が好きだとか嫌いだとか、公言する必要なんてないはずですし」
以前うっかりと、雪季も英のことを結愛にばらしてしまったことは黙っておく。嘘はついていない。
やはりどこか陰りを帯びた笑みを、四十万は浮かべた。
「…ありがとう」
返す言葉を思いつけず、雪季は黙ってコップを傾けた。長い一日だった気がする、と思いながら、溜息と一緒にジュースを呑み込んだ。
「四十万さん?」
「ああ…なんだその食器?」
「…ちょっと、部屋で飲んでまして」
「一人…じゃないか。社長と?」
「はい。ここだと少し煩いかと思ったので」
そういえば四十万は、飲まないのか飲めないのかどちらだろう、と思う。葉月は飲まないと決めているようだが、四十万もそうなのか、体がアルコールを受けつけないのかは聞いたことがない。
「何か食べますか? 花見の料理も残ってますけど」
「いや、ありがとう」
とりあえず流しに食器を置いて、空いたペットボトルと酒瓶も盆から下ろす。
四十万の何か言いたげな視線を後頭部に受けて、こちらから切り出すべきなのか待った方がいいのかを迷う。歯を磨いたら寝ようかと思っていたのだが、どうすべきだろう。
とりあえず、未開封で棚に仕舞っていたリンゴジュースを出して、雪平鍋に入れる。
「飲みますか?」
「…何を?」
「リンゴジュースを温めて、カモミールを投入。ハーブティーのリンゴジュース割り、ですかね」
ふ、と笑った気配がして、もらうとの返事があったのでジュースをもう少し注ぎ、火にかける。カモミールは、紅茶の缶の陰に隠れていたものだが一応賞味期限内だった。
大ぶりのマグカップに入れて、雪季もテーブルの角を挟んだ斜め向かいのソファーに座る。
「…社長は?」
「酔いつぶれて寝ました。どうしてそうなる前に自分の部屋に戻るってことができないんでしょうね、あの馬鹿は」
意外そうな視線を受けて、首を傾げて見せる。先日、英が寝込んだフォローで走り回ったおかげもあって、四十万との会話はいくらか増えた。
「いや…本当に酔い潰れるんだなとか、そういったことも言うんだなとか、色々と意外で」
「仕事を抜きにすれば、ただの面倒臭い同居人ですから。悪態の一つや二つ、吐きたくもなりますよ」
「雪季君は…社長とは…その、付き合ってるとかは」
「ないです」
にこやかに速やかに、雪季は断言した。四十万の分はともかく、自分の分には白ワインでも入れれば良かったかと軽く後悔する。ホットワイン風にでも。
四十万は、きまり悪そうにマグカップを傾けた。
「同級生だったっていうだけで引っ張って来られて、家政婦みたいに生活周りも面倒見て、胡散臭いのもわかりますけどなんでその方向に話が流れるんでしょうね。否定しなければ認めたようになるし否定しすぎればそれはそれで嘘くさくなるし」
「悪い」
「いえ。勝手に勘違いされるよりは、こうやって否定できるので訊かれた方がましです。あと、勘違いの原因の大半はあいつの日ごろの行いのせいなので、結局悪いのはあの馬鹿です」
柄にもなく長々と喋ってしまったのは、雪季自身鬱憤が溜まっていたこともあるが、やはり、四十万が何か言いたげなのが気になるからでもあった。英のようにはできないが、多少なりと、軽口でも叩けるようにできればいいのだが。
マグカップを両手で覆うように持ち、四十万は、視線を俯かせた。
「…俺のこと。聞いたか…?」
「何についてですか?」
何か大口のポカでもやらかしたのだろうか、と記憶を掘り起こしかけた雪季は、続いた言葉にああそれか、と軽く息を吐く。
「俺が。俺の…恋愛対象に、ついて」
重たげな声に、進んで話したいことではないのだろうと察する。
それでも口にするのは、職場で英が男女問わず恋人にすると知れ渡っているという環境のせいと、おそらくはそういった絡みで四十万と知り合いだった英が、親しいと思われている雪季に話している可能性が高いと踏んだからだろう。
つまり、先ほどの雪季の愚痴と同じく、原因の大半は英にある。そういえば山本の趣味を知らされたのも英が遠因で、そのうちすべての原因に英を疑い始めそうで厭になる。
ため息をつきそうになったが、四十万に勘違いされるだろうからどうにか呑み込む。
「以前、河東から」
諦めたような溜息に、そんな立場ではないのかも知れないが同情してしまう。そして、雪季が謝ることでもないように思えて、言葉が続かない。それとも、英に代わって謝るべきなのだろうか。
「…ちなみに、いつ頃」
「…俺が職場放棄して夜にみんなでここで飲んだ後くらいです。一月の終わりくらいですか」
「そうか。…全然態度変わらなかったな。ありがとう」
お礼を言われるようなことではないはずだが。そう思ったのが顔に出たのか、四十万は苦笑を浮かべた。
「社長があんなだから、会社の皆はちょっと感覚麻痺してるとこもあるけど…やっぱり、そういったことを受け容れられる人ばかりじゃないから。だから、三浦さんたちにも話せない。親にも言ってないから、結婚しろとかうるさいよ」
「ご両親というと…お米を作っている…」
「ああ。姉夫婦もいるけど、もう何年も帰ってない」
実家から送って来る米が余るくらいだから、と、今日の花見で主食担当だった四十万と雪季の分担は、それぞれおにぎりとサンドウィッチに分けた。
そう切り出した時も、四十万は同じように笑っていた。静かに、陰を孕んで。
身内ほど話せないものだろうとは思う。以前も感じたが、人は、関わりが浅い人にほど吐き出せるのかも知れない。
「言いふらすつもりはありませんし、一応河東にも注意はしておきます。…聞く気があるかどうかはわかりませんが」
「すまない」
「いえ。そもそも、何が好きだとか嫌いだとか、公言する必要なんてないはずですし」
以前うっかりと、雪季も英のことを結愛にばらしてしまったことは黙っておく。嘘はついていない。
やはりどこか陰りを帯びた笑みを、四十万は浮かべた。
「…ありがとう」
返す言葉を思いつけず、雪季は黙ってコップを傾けた。長い一日だった気がする、と思いながら、溜息と一緒にジュースを呑み込んだ。
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