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森編
一話.始
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誰かが言った。
僕は神から見放された存在だと。
誰かが言った。
僕は悪魔の子なのだと。
小さな村に生まれた僕は、忌み子として疎まれた。
理由は単純だ。
僕には魔力が無かった。
鮮明に思い出せる。
四年前、母いわく、年齢が十を超えたあたりで普通は簡単な魔法くらい使えるようになるらしい。現に僕の周りにいた同じくらいの子どもたちは、既に魔法を使えるようになったという。
でも僕には出来なかった。単純な魔法すら使えなかった僕を不審に思い、母は僕を村の病院に連れて行ってくれた。
しかし分かったのは僕に魔力が無いという事だけ。それ以外の事は何も分からず、初めて見る症状だと医者もお手上げ状態だった。
母は必死だった。暗い表情を見せる医者に対して、必死に嘘だと食い下がっていた。
しかし医者は首を横に振り、残酷にも告げる。
「これ以上の事はここでは検査できません。街まで降りて、教会か病院を訪ねるのがいいでしょう。お力になれず申し訳ございません……」
忘れることも無い。
母のあの絶望した表情は常に僕の脳裏に焼き付き離れない。
街に降りるのは簡単なことではない。街まで護衛してもらうにもお金も掛かるし、街の診療によるお金も発生する。
僕達家族には、そんな経済的な余裕は無かった。
そしてその出来事を皮切りに僕の人生は変わり果ててしまった。
まず変化したのは母親であった。いつもにこにこと笑っていた母はいつしか笑わなくなり、不愛想だった父とよく揉めるようになった。
どうやら近所の人たちの陰口によって精神が参ってしまったみたいだった。他にもこれを飲めば治るだとか怪しい薬を買ってきたり、胡散臭い壺を買ってきたり、明らかに様子がおかしくなっていた。
次に変化したのは友人関係だった。よく遊んでいた連中からはバカにされ、よく話していた女の子にもそれが原因か避けられるようになった。
村の中を歩いているだけで、まるで珍しい生物でも見ているかのようにひそひそと話し始める。
耐えられなかった。母が壊れていく様を見るのも、友人だと思っていた者たちに裏切られるのも、大好きだったあの子にすら拒絶されるのも。
いつからか僕は外に出られなくなった。母が周りの目を気にして家にいなさいと僕を家に縛り付けたからだった。
かくいう僕も精神的に参ってしまい、家から出たいと思う事はもうなくなっていた。
それからというもの、よく悪夢を見るようになった。
『悪魔の子だ』
『追い出したほうがいいんじゃないか?』
『気持ち悪い』
『何で産まれてきたんでしょうね?』
いつも誰かが僕を責める。
どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。何回も何回も何回も考えたが結論に辿り着けるわけもなく、ただ虚しさだけがそこに残る。
魔力が無いので玄関の鍵を閉めることが出来ない。
自分で水を出すことが出来ないので水を飲めない。
自分で火を起こせないので料理もできない。お風呂にも入れない。
トイレを流すことすら出来ない。
一人では──何もすることが出来ない。
そして何かを頼む度に母の顔が歪み、また涙を流す。
もう精神が限界だった。
そんなある日、あまり寝つけなかった僕が何となく自室を出ようとしたとき、声が聞こえる。
「もう限界よ……これ以上はもう持たないわ……」
それは紛れもなく母の声だった。迷いからか声が震えていて、か細くなっている。
話し相手はおそらく父であろう。
いつも無愛想で無口な父は何も言い返さなかったようで、母はそのまま話を進める。
「──街にある教会に説明したら保護してくれたりしないかしら……それが無理ならもう……」
もう……なんだというのだろうか。
いやわかっている。
僕を捨てるつもりなんだ。邪魔者である僕がいなくなれば、きっと母は喜ぶ。
心では理解したつもりでも、目頭が熱くなってくるのがわかった。
結局僕は邪魔者で、母の負担になってしまっているのだと。
朝を迎える。
結局一睡もできなかった僕は、重い瞼をこすりながらベッドから出て食卓へと向かう。
しかし、自分の部屋を出てからいつもとは違う重たい雰囲気が漂っていることに気づいた。
料理は並んでいる。父と母も席に座っている状態だったが、その顔は下を向いている。
「キリ……座りなさい」
母の声は暗く、重い。
さっき父と母が話していた内容を思い出す。おそらくその話を僕にするつもりなんだろう。
あまりにも……早すぎる結論だ。
「もういいよ……母さん……」
「座りなさい」
「僕は邪魔者なんだってはっきりわかった……!」
「はやく座りなさいっ!」
「僕が邪魔ならはっきり言ってくれよッ! 僕は教会に行ってまで生きたくなんかないよッ!! いつもそうやって勝手に話を進めて僕の気持ちなんて一切聞かなくてッ!!」
「なっ、昨日の話聞いて……!?」
母は顔を上げて驚愕の表情を浮かべていた。話す言葉がないものの、必死に何か言葉を捻り出そうとして口をパクパクさせている。
これまで我慢してきた感情が一気に流れ込んできて、僕自身も何を言っているのか分からなかった。
もちろんデタラメに出した言葉で気持ちが晴れることなく、とうとう僕は言い放ってしまう。
「もういい、出ていく」
「キリどこ行くの!? 外は危険だって──キリッ!!」
僕の名前を叫ぶ母の声が耳の裏にこびりつく。
でもそんな安っぽい止め文句を無視して僕は走り出した。玄関を飛び出し、久しく見ていなかった村を走る。
気色悪い視線を浴びる中、僕は気にせず走り続けて村を出てただひたすらに走り続けた。しばらく家を出なかったこともあってか足が悲鳴を上げているが気にせず走った。
森の中は危険だとよく言われた。友達だった奴らと森の中に入ろうとしたら見つかってこれまでにないくらい怒られたことがある。だからそれくらい危険な場所なんだって思い近づくことすらしなかった。
しかし今こうして森の中を走っていると、なんだか解放されたような気がして気分は清々しかった。
そろそろ足が限界に近づいてきたので歩きに切り替えた。荒れた呼吸を整えながらゆっくりと歩く。
ジメッとした風が肌を舐めていった。朝なのに薄暗いのも相まって気味が悪く、声が漏れそうになる。
走っていた時は感じなかったが、いざこうして冷静になるとあまりにも静かで薄暗いこの空間が怖く感じてきたのだ。
「本当に……大丈夫かな……」
進むたびにそんな疑問が思い浮かんでは消えていく。
どれだけ時間が経ったかも分からない。脚は疲労によってか棒のように感じる。しかしその甲斐あってかまさに森と表現すべき場所まで来れた。
ぎりぎり太陽光が届くこの場所はより一層不気味さが増したが、慣れてきたこともあってか最初ほど怖くはなかった。
「ちょっと休憩……」
動かし続けた足を止めようとしたその時だった。
がさッ、と、明らかに僕以外の落ち葉を潰す音が耳に入ってくる。
それは前から聞こえてくる。それも1つではなく複数の音がこちらに近付いてくる。
身体に鞭を打ちすぐそばの茂みに身を隠した僕は、息を殺してその足音が過ぎ去っていくのをただひたすらに待つ。
「ぎゃあ、ぎゃぅらぁ」
この声は……ゴブリンだとすぐに分かった。
実際には見たことないが、聞くだけで身の毛がよだつ声は、まさに聞いていたそれに当てはまった。
凶暴だと誰かが言っていた。残酷な性格で、いたぶるのが好きだと言われた記憶がある。
隠れるタイミングが早かったからか、幸いな事に足音は僕に気付く事なく過ぎ去っていった。
「ふぅ……」
少しして、詰まった息を吐いて座り込む。
こんな所で死ぬ訳にはいかない。もしこんなところでやられたらまた皆の笑い者になるに違いない。まだ、まだ──
「ぐぁるゥ゙」
──声が、聞こえた。
それは前でも横でもなく、真後ろから発せられたものであった。
咄嗟に立ち上がって後ろを振り返った僕だったが、それが失敗であったとすぐに後悔することになる。
ゴリッと、自分の身体から聞いた事もない音が鳴った。
体感で一メートルは飛んだと思う。転がった末に仰向けに倒れた僕は、視界がふわふわと明滅し、まともに息が出来ない状態に陥る。何が起きたのかすらも把握する事が出来なかった。
「ぐぎゃ、ギャギャ」
聞いていて不快な音──いや、これは声だ。明らかに人間ではないそれは、機嫌が良さそうに響いた。
姿はぼやけていてよく見えない。しかし大量の汗と共に一つの答えが脳内で何度も何度も繰り返される。
逃げろ。
息もまともに出来ないまま、早く浅い呼吸を何度も繰り返しながら僕は地を這った。
立ち上がる事は出来ない。いずれにせよ、慣れない運動により限界を迎えた脚では立てたとしても走る事は叶わないだろう。
だからこれは、必然の結果であったのだ。
突如として右脚のふくらはぎに激痛が走った。
考えるまでもなく踏まれたのだろうと推測できた。
「ぐ、ああぁぁああぁぁぁぁああああァァァ!?」
あまりの痛さに声を抑えきれず、僕の情けない叫び声が森の中に響き渡った。
息ができない。痛い。息が。痛い。いたいイタイイタイいたい痛いイタイ!
何度も気絶しかける。
しかしそれは、右脚から伝わる激痛によって無理やり覚醒させられてしまう。
早く殺してくれと何度も願った。
自分がいまよだれを垂らしているのか叫んでいるのかはたまたすでに気絶しているのかそれすらも分からなくなってきた。
ぼやける視界。そこにチカチカと何かが飛ぶ。そろそろ死ぬんだ。直感で理解した。
そんな時、僕の手に何かが触れた感触があった。襲い来る激痛に耐えながら、ほぼ反射的にそれを握る事に成功する。
それは、硬く、重かった。丸い棒のようなものなのかもしれない。
そうだ、これは武器になるのではないか。
立ち上がることは出来なくていい。仰向けになり、この棒のようなもので殴ってやればいいんだ。
どうせ殺されるんだ。最後に一矢報いてやる。
いつもの僕にはない思考がよぎり、その時だけは痛みなんてものは感じる事も無かった。
不思議と目が覚めてくる。
心臓がバクリと大きく脈打つ。
「──おおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉおおォオオオオォォォオオオォオオォオッ!」
身体を仰向けに変えると同時に、僕は手に持つ武器を横に振るってやった。
鈍い音が聞こえた。手による感触は一切感じられなかったが、当たったことは確かなようである。
その証拠に、苦しむ様な声が耳に入ってきたのだ。
「ギャアぅるァ……」
しかし倒せるほど威力は無かったみたいだ。
当たり前だ。ずっと引きこもっていた僕の身体にそんな筋肉なんてあるはずもない。
攻撃された事に腹を立てたのかは分からないが、明らかに唸り声からは怒りを感じ取れる。
死んだ。
そう頭をよぎった瞬間に、脇腹に凄まじい衝撃が走った。吹き飛んだ僕は無様にもゴロゴロと地面を転がる。
もう僕の身体には、微塵の力すら残っていなかったようだ。
呼吸は出来ているのだろうか。痛みはないが、頭がだんだんとぼーっとしてくる。
僕の目にはもはや何も映ることは無かった。
魔力があれば、変わったのだろうか。
魔法が使えたら、変わったのだろうか。
そうだ。なんで僕ばかりがこんな目に合うんだ。少しばかり幸運が振りかかってもいいじゃないか。
そうだ。そうだ。
僕は悪くない。悪いのは全部ぜんぶ、両親じゃないか。僕は悪くないじゃないか。僕はただ生まれてきただけじゃないか。ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな──
──違うだろ。
母だって望んで僕みたいな奴を産んだわけじゃない。母も父も僕がこうなることがわかっていたら、産む決断はしなかった筈だ。
そうだ──悪いのは神だろ。
僕をこんな身体にした、神が悪いんだ。
生まれた時から格差があるこの世界を作った神が悪いんだ。
全て神が仕組んだ事だろ。
不快な音がなったような気がした。
それと同時に深い深い暗闇へと僕は誘われ、意識を落とした。
僕は神から見放された存在だと。
誰かが言った。
僕は悪魔の子なのだと。
小さな村に生まれた僕は、忌み子として疎まれた。
理由は単純だ。
僕には魔力が無かった。
鮮明に思い出せる。
四年前、母いわく、年齢が十を超えたあたりで普通は簡単な魔法くらい使えるようになるらしい。現に僕の周りにいた同じくらいの子どもたちは、既に魔法を使えるようになったという。
でも僕には出来なかった。単純な魔法すら使えなかった僕を不審に思い、母は僕を村の病院に連れて行ってくれた。
しかし分かったのは僕に魔力が無いという事だけ。それ以外の事は何も分からず、初めて見る症状だと医者もお手上げ状態だった。
母は必死だった。暗い表情を見せる医者に対して、必死に嘘だと食い下がっていた。
しかし医者は首を横に振り、残酷にも告げる。
「これ以上の事はここでは検査できません。街まで降りて、教会か病院を訪ねるのがいいでしょう。お力になれず申し訳ございません……」
忘れることも無い。
母のあの絶望した表情は常に僕の脳裏に焼き付き離れない。
街に降りるのは簡単なことではない。街まで護衛してもらうにもお金も掛かるし、街の診療によるお金も発生する。
僕達家族には、そんな経済的な余裕は無かった。
そしてその出来事を皮切りに僕の人生は変わり果ててしまった。
まず変化したのは母親であった。いつもにこにこと笑っていた母はいつしか笑わなくなり、不愛想だった父とよく揉めるようになった。
どうやら近所の人たちの陰口によって精神が参ってしまったみたいだった。他にもこれを飲めば治るだとか怪しい薬を買ってきたり、胡散臭い壺を買ってきたり、明らかに様子がおかしくなっていた。
次に変化したのは友人関係だった。よく遊んでいた連中からはバカにされ、よく話していた女の子にもそれが原因か避けられるようになった。
村の中を歩いているだけで、まるで珍しい生物でも見ているかのようにひそひそと話し始める。
耐えられなかった。母が壊れていく様を見るのも、友人だと思っていた者たちに裏切られるのも、大好きだったあの子にすら拒絶されるのも。
いつからか僕は外に出られなくなった。母が周りの目を気にして家にいなさいと僕を家に縛り付けたからだった。
かくいう僕も精神的に参ってしまい、家から出たいと思う事はもうなくなっていた。
それからというもの、よく悪夢を見るようになった。
『悪魔の子だ』
『追い出したほうがいいんじゃないか?』
『気持ち悪い』
『何で産まれてきたんでしょうね?』
いつも誰かが僕を責める。
どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。何回も何回も何回も考えたが結論に辿り着けるわけもなく、ただ虚しさだけがそこに残る。
魔力が無いので玄関の鍵を閉めることが出来ない。
自分で水を出すことが出来ないので水を飲めない。
自分で火を起こせないので料理もできない。お風呂にも入れない。
トイレを流すことすら出来ない。
一人では──何もすることが出来ない。
そして何かを頼む度に母の顔が歪み、また涙を流す。
もう精神が限界だった。
そんなある日、あまり寝つけなかった僕が何となく自室を出ようとしたとき、声が聞こえる。
「もう限界よ……これ以上はもう持たないわ……」
それは紛れもなく母の声だった。迷いからか声が震えていて、か細くなっている。
話し相手はおそらく父であろう。
いつも無愛想で無口な父は何も言い返さなかったようで、母はそのまま話を進める。
「──街にある教会に説明したら保護してくれたりしないかしら……それが無理ならもう……」
もう……なんだというのだろうか。
いやわかっている。
僕を捨てるつもりなんだ。邪魔者である僕がいなくなれば、きっと母は喜ぶ。
心では理解したつもりでも、目頭が熱くなってくるのがわかった。
結局僕は邪魔者で、母の負担になってしまっているのだと。
朝を迎える。
結局一睡もできなかった僕は、重い瞼をこすりながらベッドから出て食卓へと向かう。
しかし、自分の部屋を出てからいつもとは違う重たい雰囲気が漂っていることに気づいた。
料理は並んでいる。父と母も席に座っている状態だったが、その顔は下を向いている。
「キリ……座りなさい」
母の声は暗く、重い。
さっき父と母が話していた内容を思い出す。おそらくその話を僕にするつもりなんだろう。
あまりにも……早すぎる結論だ。
「もういいよ……母さん……」
「座りなさい」
「僕は邪魔者なんだってはっきりわかった……!」
「はやく座りなさいっ!」
「僕が邪魔ならはっきり言ってくれよッ! 僕は教会に行ってまで生きたくなんかないよッ!! いつもそうやって勝手に話を進めて僕の気持ちなんて一切聞かなくてッ!!」
「なっ、昨日の話聞いて……!?」
母は顔を上げて驚愕の表情を浮かべていた。話す言葉がないものの、必死に何か言葉を捻り出そうとして口をパクパクさせている。
これまで我慢してきた感情が一気に流れ込んできて、僕自身も何を言っているのか分からなかった。
もちろんデタラメに出した言葉で気持ちが晴れることなく、とうとう僕は言い放ってしまう。
「もういい、出ていく」
「キリどこ行くの!? 外は危険だって──キリッ!!」
僕の名前を叫ぶ母の声が耳の裏にこびりつく。
でもそんな安っぽい止め文句を無視して僕は走り出した。玄関を飛び出し、久しく見ていなかった村を走る。
気色悪い視線を浴びる中、僕は気にせず走り続けて村を出てただひたすらに走り続けた。しばらく家を出なかったこともあってか足が悲鳴を上げているが気にせず走った。
森の中は危険だとよく言われた。友達だった奴らと森の中に入ろうとしたら見つかってこれまでにないくらい怒られたことがある。だからそれくらい危険な場所なんだって思い近づくことすらしなかった。
しかし今こうして森の中を走っていると、なんだか解放されたような気がして気分は清々しかった。
そろそろ足が限界に近づいてきたので歩きに切り替えた。荒れた呼吸を整えながらゆっくりと歩く。
ジメッとした風が肌を舐めていった。朝なのに薄暗いのも相まって気味が悪く、声が漏れそうになる。
走っていた時は感じなかったが、いざこうして冷静になるとあまりにも静かで薄暗いこの空間が怖く感じてきたのだ。
「本当に……大丈夫かな……」
進むたびにそんな疑問が思い浮かんでは消えていく。
どれだけ時間が経ったかも分からない。脚は疲労によってか棒のように感じる。しかしその甲斐あってかまさに森と表現すべき場所まで来れた。
ぎりぎり太陽光が届くこの場所はより一層不気味さが増したが、慣れてきたこともあってか最初ほど怖くはなかった。
「ちょっと休憩……」
動かし続けた足を止めようとしたその時だった。
がさッ、と、明らかに僕以外の落ち葉を潰す音が耳に入ってくる。
それは前から聞こえてくる。それも1つではなく複数の音がこちらに近付いてくる。
身体に鞭を打ちすぐそばの茂みに身を隠した僕は、息を殺してその足音が過ぎ去っていくのをただひたすらに待つ。
「ぎゃあ、ぎゃぅらぁ」
この声は……ゴブリンだとすぐに分かった。
実際には見たことないが、聞くだけで身の毛がよだつ声は、まさに聞いていたそれに当てはまった。
凶暴だと誰かが言っていた。残酷な性格で、いたぶるのが好きだと言われた記憶がある。
隠れるタイミングが早かったからか、幸いな事に足音は僕に気付く事なく過ぎ去っていった。
「ふぅ……」
少しして、詰まった息を吐いて座り込む。
こんな所で死ぬ訳にはいかない。もしこんなところでやられたらまた皆の笑い者になるに違いない。まだ、まだ──
「ぐぁるゥ゙」
──声が、聞こえた。
それは前でも横でもなく、真後ろから発せられたものであった。
咄嗟に立ち上がって後ろを振り返った僕だったが、それが失敗であったとすぐに後悔することになる。
ゴリッと、自分の身体から聞いた事もない音が鳴った。
体感で一メートルは飛んだと思う。転がった末に仰向けに倒れた僕は、視界がふわふわと明滅し、まともに息が出来ない状態に陥る。何が起きたのかすらも把握する事が出来なかった。
「ぐぎゃ、ギャギャ」
聞いていて不快な音──いや、これは声だ。明らかに人間ではないそれは、機嫌が良さそうに響いた。
姿はぼやけていてよく見えない。しかし大量の汗と共に一つの答えが脳内で何度も何度も繰り返される。
逃げろ。
息もまともに出来ないまま、早く浅い呼吸を何度も繰り返しながら僕は地を這った。
立ち上がる事は出来ない。いずれにせよ、慣れない運動により限界を迎えた脚では立てたとしても走る事は叶わないだろう。
だからこれは、必然の結果であったのだ。
突如として右脚のふくらはぎに激痛が走った。
考えるまでもなく踏まれたのだろうと推測できた。
「ぐ、ああぁぁああぁぁぁぁああああァァァ!?」
あまりの痛さに声を抑えきれず、僕の情けない叫び声が森の中に響き渡った。
息ができない。痛い。息が。痛い。いたいイタイイタイいたい痛いイタイ!
何度も気絶しかける。
しかしそれは、右脚から伝わる激痛によって無理やり覚醒させられてしまう。
早く殺してくれと何度も願った。
自分がいまよだれを垂らしているのか叫んでいるのかはたまたすでに気絶しているのかそれすらも分からなくなってきた。
ぼやける視界。そこにチカチカと何かが飛ぶ。そろそろ死ぬんだ。直感で理解した。
そんな時、僕の手に何かが触れた感触があった。襲い来る激痛に耐えながら、ほぼ反射的にそれを握る事に成功する。
それは、硬く、重かった。丸い棒のようなものなのかもしれない。
そうだ、これは武器になるのではないか。
立ち上がることは出来なくていい。仰向けになり、この棒のようなもので殴ってやればいいんだ。
どうせ殺されるんだ。最後に一矢報いてやる。
いつもの僕にはない思考がよぎり、その時だけは痛みなんてものは感じる事も無かった。
不思議と目が覚めてくる。
心臓がバクリと大きく脈打つ。
「──おおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉおおォオオオオォォォオオオォオオォオッ!」
身体を仰向けに変えると同時に、僕は手に持つ武器を横に振るってやった。
鈍い音が聞こえた。手による感触は一切感じられなかったが、当たったことは確かなようである。
その証拠に、苦しむ様な声が耳に入ってきたのだ。
「ギャアぅるァ……」
しかし倒せるほど威力は無かったみたいだ。
当たり前だ。ずっと引きこもっていた僕の身体にそんな筋肉なんてあるはずもない。
攻撃された事に腹を立てたのかは分からないが、明らかに唸り声からは怒りを感じ取れる。
死んだ。
そう頭をよぎった瞬間に、脇腹に凄まじい衝撃が走った。吹き飛んだ僕は無様にもゴロゴロと地面を転がる。
もう僕の身体には、微塵の力すら残っていなかったようだ。
呼吸は出来ているのだろうか。痛みはないが、頭がだんだんとぼーっとしてくる。
僕の目にはもはや何も映ることは無かった。
魔力があれば、変わったのだろうか。
魔法が使えたら、変わったのだろうか。
そうだ。なんで僕ばかりがこんな目に合うんだ。少しばかり幸運が振りかかってもいいじゃないか。
そうだ。そうだ。
僕は悪くない。悪いのは全部ぜんぶ、両親じゃないか。僕は悪くないじゃないか。僕はただ生まれてきただけじゃないか。ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな──
──違うだろ。
母だって望んで僕みたいな奴を産んだわけじゃない。母も父も僕がこうなることがわかっていたら、産む決断はしなかった筈だ。
そうだ──悪いのは神だろ。
僕をこんな身体にした、神が悪いんだ。
生まれた時から格差があるこの世界を作った神が悪いんだ。
全て神が仕組んだ事だろ。
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それと同時に深い深い暗闇へと僕は誘われ、意識を落とした。
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妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。
希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。
英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。
これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。
彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。
テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。
SF味が増してくるのは結構先の予定です。
スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。
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