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黄世楊2
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吐き気を堪えて椀一杯の血を飲み干した余雪は、肩で息をしながら老人に向き合った。
「一門の皆は……任永芳師兄はどうなったのでしょうか」
ずっと気になっていたことをようやく尋ねることができた。
老人は余雪の様子をじっと見つめてから、口を開いた。
「幼い弟子は早々に逃げることができたようだが、実力者はほとんど死んでしまった」
疎まれていたとはいえ、みなしごである自分を育ててくれた恩義はある。余雪は老人の言葉に胸を痛めた。
「任永芳師兄の消息はご存知でしょうか? 魔教の者に囚われていたのですが……」
気を失う直前、永芳は顔を面具で覆った男に捕まっていた。唯一の味方である余雪が倒れた後、殺されていてもおかしくはない。
「お前の師兄は任家杰の倅か」
老人は値踏みするように余雪を眺める。
「呼吸法は悪くない。父親よりマシかもしれんが、まあ大したことはないな」
余雪はムッとしたが、命の恩人であり大先輩でもある老人に楯突くこともできず、怒りを抑えるために顔を伏せた。
「……わたしが未熟なだけで、永芳師兄の教えは申し分なく──」
余雪の言葉を、老人はうるさそうに手を振って遮った。
「気にせずともよい、よい。お前が未熟なのは、教え方が悪かったせいだ。今の飛鶴派に残っているのは腑抜けばかりだからな。それも、もう皆死んでしまったが……」
老人はニヤニヤと笑いを浮かべて呟いた。
実はこの老人、黄世楊は任家杰と同世代で、任家杰の醜聞を全て知っているばかりか、永芳の母である張慧儀を犯して手に入れろと唆した当人であった。
張慧儀を無理やり孕ませたことで任家杰を失脚させるつもりが、相手の方が一枚上手で、逆に黄世楊が魔教と結託していることにされてしまった。
汚名を雪ぐための総帥争いにも敗れて飛鶴派の本山を去ることになるのだが、山奥で一人侘しく暮らしながら、表舞台に舞い戻る時期を虎視眈々と狙っていた。
飛鶴派の幹部が亡くなった今こそ、まさにその時であった。
当時のことを知る者は、他派を含めてももういない。
総帥として飛鶴派を再建するのに、門下生が一人もいないのは心許ないが、余雪は剣の才能も申し分なく、弟子として抱えておくにはうってつけの人材であった。
同門の悲劇を語るにはあまりにも不謹慎な態度に、余雪は眉を顰めた。
「あの、皆死んでしまったとは……永芳師兄は……どうなったのでしょうか」
永芳が死んだとはとても信じられず、信じたくもないが、胸が騒めいて落ち着かない。
黄世楊は魔教の教主、劉玲華の出自も当然知っており、今回の惨劇の原因も、おそらく劉玲華の憎しみによるものであろうと推察していた。
ただ、真実を正直に話せば、余雪が飛鶴派そのものから離れてしまう可能性がある。
「我が派には魔教に対抗するための剣譜があるのだが、それを奪いにきたのだろう。任永芳は魔教の教主に斬り殺されたぞ」
「まさか……そんな……」
ただでさえ大怪我をして体力を失っているところに永芳の死を告げられ、余雪は目眩を覚えて床に手をついた。
老人は右手でその手を掴むと、左手で余雪の顎を掴んで上を向かせた。
「お前は見込みがある。儂の弟子にしてやろう」
老人がそう言った直後、余雪の中に内力が流れ込んできた。
怪我で大量に出血し、食事もままならなかった余雪の内力はほぼ失われてしまっている。
空っぽの体にいきなり強烈な内力を流し込まれて、余雪は床にひっくり返ると白目を剥いて吐血した。
老人は覆い被さるように余雪の顔を覗き込むと、さらに内力を送り込んだ。
「死にたくなければ、儂に叩頭して弟子入りしろ」
余雪は朦朧とする意識の中、目だけを老人に向けた。逆光で黒い影に覆われた顔は、酷く醜悪に見えた。
永芳が時折送り込んでくれた、爽やかで心地の良い内力とはまるで違う。
余雪は体内に残っているわずかな内功を駆使して、老人の不快な内力を追い出そうとするが、勢いに負けてさらに吐血してしまった。
「跪いて叩頭しろ!」
余雪は吐き気を堪えながら、老人の内力を体に巡らせた。余雪の手を掴む老人の手には徐々に力がこもり、骨が軋む。
老人は余雪の頭を掴むと、無理やり押さえ込んだ。
「さあ! さっさと叩頭せんか!」
余雪は老人に反発するように頭を上げて睨みつけると、口の中に溜まった血を老人の顔めがけて吹きつけた。
「俺の師父は永芳兄さんだけだ!」
老人から送り込まれた内力を使って飛び起きると、血で目が塞がれた老人の顎を蹴り上げる。
そのまま転げるように部屋を出ると、裸足のまま外に出た。
周囲は山に囲まれ、獣道すら見当たらない。
余雪は死に物狂いで樹々を掻き分けて逃走した。
がむしゃらに当てもなく走り回り、老人の内力を使い果たすと、バタンと草の上にぶっ倒れた。
「くそ、なんだあのジジイ……」
余雪は最後の力を振り絞って立ち上がると、老人の家があった方角めがけて小便を放ち、今度こそ意識を失った。
「一門の皆は……任永芳師兄はどうなったのでしょうか」
ずっと気になっていたことをようやく尋ねることができた。
老人は余雪の様子をじっと見つめてから、口を開いた。
「幼い弟子は早々に逃げることができたようだが、実力者はほとんど死んでしまった」
疎まれていたとはいえ、みなしごである自分を育ててくれた恩義はある。余雪は老人の言葉に胸を痛めた。
「任永芳師兄の消息はご存知でしょうか? 魔教の者に囚われていたのですが……」
気を失う直前、永芳は顔を面具で覆った男に捕まっていた。唯一の味方である余雪が倒れた後、殺されていてもおかしくはない。
「お前の師兄は任家杰の倅か」
老人は値踏みするように余雪を眺める。
「呼吸法は悪くない。父親よりマシかもしれんが、まあ大したことはないな」
余雪はムッとしたが、命の恩人であり大先輩でもある老人に楯突くこともできず、怒りを抑えるために顔を伏せた。
「……わたしが未熟なだけで、永芳師兄の教えは申し分なく──」
余雪の言葉を、老人はうるさそうに手を振って遮った。
「気にせずともよい、よい。お前が未熟なのは、教え方が悪かったせいだ。今の飛鶴派に残っているのは腑抜けばかりだからな。それも、もう皆死んでしまったが……」
老人はニヤニヤと笑いを浮かべて呟いた。
実はこの老人、黄世楊は任家杰と同世代で、任家杰の醜聞を全て知っているばかりか、永芳の母である張慧儀を犯して手に入れろと唆した当人であった。
張慧儀を無理やり孕ませたことで任家杰を失脚させるつもりが、相手の方が一枚上手で、逆に黄世楊が魔教と結託していることにされてしまった。
汚名を雪ぐための総帥争いにも敗れて飛鶴派の本山を去ることになるのだが、山奥で一人侘しく暮らしながら、表舞台に舞い戻る時期を虎視眈々と狙っていた。
飛鶴派の幹部が亡くなった今こそ、まさにその時であった。
当時のことを知る者は、他派を含めてももういない。
総帥として飛鶴派を再建するのに、門下生が一人もいないのは心許ないが、余雪は剣の才能も申し分なく、弟子として抱えておくにはうってつけの人材であった。
同門の悲劇を語るにはあまりにも不謹慎な態度に、余雪は眉を顰めた。
「あの、皆死んでしまったとは……永芳師兄は……どうなったのでしょうか」
永芳が死んだとはとても信じられず、信じたくもないが、胸が騒めいて落ち着かない。
黄世楊は魔教の教主、劉玲華の出自も当然知っており、今回の惨劇の原因も、おそらく劉玲華の憎しみによるものであろうと推察していた。
ただ、真実を正直に話せば、余雪が飛鶴派そのものから離れてしまう可能性がある。
「我が派には魔教に対抗するための剣譜があるのだが、それを奪いにきたのだろう。任永芳は魔教の教主に斬り殺されたぞ」
「まさか……そんな……」
ただでさえ大怪我をして体力を失っているところに永芳の死を告げられ、余雪は目眩を覚えて床に手をついた。
老人は右手でその手を掴むと、左手で余雪の顎を掴んで上を向かせた。
「お前は見込みがある。儂の弟子にしてやろう」
老人がそう言った直後、余雪の中に内力が流れ込んできた。
怪我で大量に出血し、食事もままならなかった余雪の内力はほぼ失われてしまっている。
空っぽの体にいきなり強烈な内力を流し込まれて、余雪は床にひっくり返ると白目を剥いて吐血した。
老人は覆い被さるように余雪の顔を覗き込むと、さらに内力を送り込んだ。
「死にたくなければ、儂に叩頭して弟子入りしろ」
余雪は朦朧とする意識の中、目だけを老人に向けた。逆光で黒い影に覆われた顔は、酷く醜悪に見えた。
永芳が時折送り込んでくれた、爽やかで心地の良い内力とはまるで違う。
余雪は体内に残っているわずかな内功を駆使して、老人の不快な内力を追い出そうとするが、勢いに負けてさらに吐血してしまった。
「跪いて叩頭しろ!」
余雪は吐き気を堪えながら、老人の内力を体に巡らせた。余雪の手を掴む老人の手には徐々に力がこもり、骨が軋む。
老人は余雪の頭を掴むと、無理やり押さえ込んだ。
「さあ! さっさと叩頭せんか!」
余雪は老人に反発するように頭を上げて睨みつけると、口の中に溜まった血を老人の顔めがけて吹きつけた。
「俺の師父は永芳兄さんだけだ!」
老人から送り込まれた内力を使って飛び起きると、血で目が塞がれた老人の顎を蹴り上げる。
そのまま転げるように部屋を出ると、裸足のまま外に出た。
周囲は山に囲まれ、獣道すら見当たらない。
余雪は死に物狂いで樹々を掻き分けて逃走した。
がむしゃらに当てもなく走り回り、老人の内力を使い果たすと、バタンと草の上にぶっ倒れた。
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余雪は最後の力を振り絞って立ち上がると、老人の家があった方角めがけて小便を放ち、今度こそ意識を失った。
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