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四章 親愛なる瀬田雄一郎のために

親愛なる瀬田雄一郎のために 1

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 シェアハウスに来て、拓斗は初めて二階に上がった。二階にはリビングダイニングや風呂などの共有フロアがないため、造りがかなり違う。
「雄一郎、いる?」
 拓斗はスイートピー室をノックした。返事はない。ドア越しに耳をすましてみたが、なにも聞こえてこない。
 ドアノブをひねってみると、回った。鍵はかかっていないようだ。
「雄一郎」
 呼びかけながらゆっくりとドアを開ける。すると、ベッドを背もたれにして、フローリングに胡坐をかいている雄一郎がいた。
 いるなら返事をしてよ、と思ったが、雄一郎はヘッドフォンをしていた。それでは拓斗の声が聞こえないはずだ。
 雄一郎は真剣な眼差しで床に視線を落としていた。雄一郎を囲むように、半円形に紙が並べられていた。
 楽譜だ。
 そこには赤や青でラインや文字が記入されている。
「雄一郎、ヴァイオリンをやめていなかったんだね」
 歓喜しながら拓斗が正面に座り込むと、雄一郎は「うわっ」と声をあげてヘッドフォンを外した。そして慌てたように楽譜を揃えて裏返す。
「なんだよ、勝手に入ってくるなよ」
「雄一郎が降りてこないから、呼びに来たんじゃないか」
 拓斗たちは午前十時に、リビングのピアノの前で待ち合わせをしていた。
「ああ、もうそんな時間か」
 雄一郎は目を休めるように閉じながら、ボリュームのある前髪をかき上げた。よほど集中していたのだろう。
「そんなことより、ねえ、ヴァイオリンを続けてるんでしょ」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
 嬉々として尋ねると、雄一郎はフローリングに座ったまま、上半身をベッドに倒した。拓斗はむっとする。
「よくないよ。そういえば昨日、久しぶりに雄一郎のヴァイオリンを聞いたけど、相変わらずいい音だったね。練習してるんでしょ」
「ああもう、だからおまえは……」
 上半身を勢いよく起こした雄一郎はなにか言いかけて、がくりと頭を垂れた。
「もういい。とりあえずその話は終わりだ」
 次に顔を上げた雄一郎は、普段と変わらぬ表情に戻っていた。
「で、おまえのほうはどうなんだ。一人で試したんだろ。ピアノは弾けたのか」
 そう訊かれてしまっては、今度は拓斗が項垂れる番だった。
「ダメだったんだな」
「弾ける時と弾けない時で、なにが違うんだろうね」
 拓斗はひざを抱えた。見るともなく雄一郎の部屋を見ると、家具完備であることからそれほど拓斗の部屋と変わりがない。
 この部屋のドアにも花の説明が貼ってあった。拓斗の部屋はスターチスだが、この部屋はスイートピーだ。花言葉は、「門出」「新たなる出発」。
 棚には大量に楽譜が並んでいるのが目についた。やはり雄一郎は、あれからも音楽に触れているのだ。それからドイツ語のテキストと欧州のガイドブック。チラリとパスポートがはみ出しているので、海外旅行の予定があるのかもしれない。
「精神的なものなんだろ。よく心と相談してみろよ」
「返事をしてくれたら簡単なんだけどね」
 一昨日の愛紗との出来事を思い出してみる。
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