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三章 絡新婦(じょろうぐも)の恋
三章 7
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「あの人かな」
大通りの方角に、スマートフォンに目を落として建物の番地と照らし合わせている様子の男性がいた。長身痩躯でメガネ。糸織の言っていた特徴とも合っている。
「優之介さんですか?」
毬瑠子が声をかけると、男性は驚いたように立ち止まった。
「そうだけど……、きみは?」
糸織からの突然の呼び出しだったからか、優之介は余裕のない表情をしていた。急いできたのだろうか、髪が少し乱れている。
「糸織さんが待っている店の、バイトです」
毬瑠子が手で指し示すと、「こんなところに」と優之介はスマートフォンを不思議そうに確認した。
「わざわざ外で待っていてくれたんだね。ありがとう」
優之介が毬瑠子に微笑んだ。それは冷たい氷がとけるようだった。笑顔とそれ以外の表情の差が激しい。
優之介を先頭に店に入ると、店内の三人が優之介に注目した。
「いらっしゃい、どうぞ」
マルセルは笑顔で糸織の隣りの席を指し示す。
「いえ、座らなくて結構よ。すぐにすむわ」
糸織は立ち上がった。少し高い位置にある優之介を見上げる。
「大事な話を立ち話でするのかい」
尋ねてくる優之介を見ながら、糸織は一度唇を引き締めてから口を開いた。
「私たち、別れましょう」
優之介はわずかに瞠目したものの、落ち着いた様子で糸織をみつめ続けた。
「そう言われる気がしていた。最近、きみは思いつめているようだったからね。理由を聞いていいかな」
「それは……」
糸織の目が泳いだ。別れを切り出すなら当然訊かれるであろう質問の回答を用意していなかったようだ。
「好きな人ができたからよ」
「誰?」
優之介の口調は穏やかだ。
「あなたの知らない人に決まっているでしょう」
優之介から視線を外した糸織の細腰に、小麦色の逞しい腕が伸びた。
「せっかく呼んだんだから隠さなくてもいいじゃねえか。糸織の恋人は俺だ」
蘇芳は座ったまま糸織を引き寄せた。マルセルは「あのお調子者め」と言いたげに額を押さえる。
糸織は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに順応して蘇芳の肩に手を回した。
「そうよ、あなたの何倍も素敵な人に出会ってしまったの」
優之介は目の前の二人を交互に見た。毬瑠子には蘇芳と糸織は美男美女のお似合いのカップルに見える。
「それは嘘だ」
優之介は口元に笑みすら浮かべて否定した。
「嘘じゃないわ」
「だってきみの好みは、僕のような毒にも薬にもならない生物オタクだろ。そんな危険な香りのする男はタイプじゃないはずだ」
「そんな言い方はよして。あなたほど心の広い優しい人はいないわ」
そう言ってから糸織は眉を寄せた。その顔にはわかりやすく「しまった」と書いてある。糸織は咳払いをした。
「宗旨変えをしたの」
優之介はゆっくりと首を振る。
「無理をして嘘をつかなくていい。きみと別れないとは言っていないだろ」
糸織は硬直したように動きをとめた。
「僕は理由が知りたいだけだ」
糸織は優之介を見つめてから視線を落とし、蘇芳に礼を言って腕から離れた。
「僕はきみが好きだ。だから隠しているようだったけど、糸織が悩んでいることに気づいていた。しかもおそらく、悩みの原因は僕にある。だから理由を訊けなかった。少しでもこの日が来るのを先延ばしにしたかったからね」
優之介は糸織に一歩近づいた。
「ぼくは恋愛には興味がなかった。初めて好きになったのはきみだし、今後もきみのように愛せる人は現れないだろう。だから僕から離れても、糸織がどこかで幸せでいてくれたら僕は満足だ」
「優之介……」
糸織の瞳が揺れた。
「でもきみには、僕をここまで惚れさせた責任があるはずだ。きちんと納得して別れたい。理由を教えてほしい」
大通りの方角に、スマートフォンに目を落として建物の番地と照らし合わせている様子の男性がいた。長身痩躯でメガネ。糸織の言っていた特徴とも合っている。
「優之介さんですか?」
毬瑠子が声をかけると、男性は驚いたように立ち止まった。
「そうだけど……、きみは?」
糸織からの突然の呼び出しだったからか、優之介は余裕のない表情をしていた。急いできたのだろうか、髪が少し乱れている。
「糸織さんが待っている店の、バイトです」
毬瑠子が手で指し示すと、「こんなところに」と優之介はスマートフォンを不思議そうに確認した。
「わざわざ外で待っていてくれたんだね。ありがとう」
優之介が毬瑠子に微笑んだ。それは冷たい氷がとけるようだった。笑顔とそれ以外の表情の差が激しい。
優之介を先頭に店に入ると、店内の三人が優之介に注目した。
「いらっしゃい、どうぞ」
マルセルは笑顔で糸織の隣りの席を指し示す。
「いえ、座らなくて結構よ。すぐにすむわ」
糸織は立ち上がった。少し高い位置にある優之介を見上げる。
「大事な話を立ち話でするのかい」
尋ねてくる優之介を見ながら、糸織は一度唇を引き締めてから口を開いた。
「私たち、別れましょう」
優之介はわずかに瞠目したものの、落ち着いた様子で糸織をみつめ続けた。
「そう言われる気がしていた。最近、きみは思いつめているようだったからね。理由を聞いていいかな」
「それは……」
糸織の目が泳いだ。別れを切り出すなら当然訊かれるであろう質問の回答を用意していなかったようだ。
「好きな人ができたからよ」
「誰?」
優之介の口調は穏やかだ。
「あなたの知らない人に決まっているでしょう」
優之介から視線を外した糸織の細腰に、小麦色の逞しい腕が伸びた。
「せっかく呼んだんだから隠さなくてもいいじゃねえか。糸織の恋人は俺だ」
蘇芳は座ったまま糸織を引き寄せた。マルセルは「あのお調子者め」と言いたげに額を押さえる。
糸織は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに順応して蘇芳の肩に手を回した。
「そうよ、あなたの何倍も素敵な人に出会ってしまったの」
優之介は目の前の二人を交互に見た。毬瑠子には蘇芳と糸織は美男美女のお似合いのカップルに見える。
「それは嘘だ」
優之介は口元に笑みすら浮かべて否定した。
「嘘じゃないわ」
「だってきみの好みは、僕のような毒にも薬にもならない生物オタクだろ。そんな危険な香りのする男はタイプじゃないはずだ」
「そんな言い方はよして。あなたほど心の広い優しい人はいないわ」
そう言ってから糸織は眉を寄せた。その顔にはわかりやすく「しまった」と書いてある。糸織は咳払いをした。
「宗旨変えをしたの」
優之介はゆっくりと首を振る。
「無理をして嘘をつかなくていい。きみと別れないとは言っていないだろ」
糸織は硬直したように動きをとめた。
「僕は理由が知りたいだけだ」
糸織は優之介を見つめてから視線を落とし、蘇芳に礼を言って腕から離れた。
「僕はきみが好きだ。だから隠しているようだったけど、糸織が悩んでいることに気づいていた。しかもおそらく、悩みの原因は僕にある。だから理由を訊けなかった。少しでもこの日が来るのを先延ばしにしたかったからね」
優之介は糸織に一歩近づいた。
「ぼくは恋愛には興味がなかった。初めて好きになったのはきみだし、今後もきみのように愛せる人は現れないだろう。だから僕から離れても、糸織がどこかで幸せでいてくれたら僕は満足だ」
「優之介……」
糸織の瞳が揺れた。
「でもきみには、僕をここまで惚れさせた責任があるはずだ。きちんと納得して別れたい。理由を教えてほしい」
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