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元治元年

池田屋事件(参)

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 夜の京の街道を、私と山??さんとほむろは四国屋に向かって走っていた。

 総長命令(だと勝手に思っている)を受け取って、私と山??さんが屯所を出たのが先ほど。あとはもう一個先にある十字路を曲がって直進するだけ。

 私の任された仕事は至極簡単。今手に持っている短冊を四国屋にいる土方さんに渡すだけ。

(聾唖者に伝令を頼むとか、よっぽど人が足りないんだね)
『隊士の半分以上が腹痛と脱走だぞ?冗談抜きに笑えん』
(猫の手も借りたい、ってね)
『それは猫である妾へのあてつけか?』
(なんでそうなるのよ)

 一生懸命走っていても、心の声による会話は相変わらずである。空気を必要としない会話だから、息切れを起こす心配もない。

 まあ、3ヶ月前死んだ時にほむろに返した"永遠に疲れない"能力の名残がまだ尾を引いているのか、私はそんなに疲れていないが。

 ふと山??さんが立ち止まった。つられて私も立ち止まる。

 山??さんは今さっき通り過ぎた裏路地を睨んでいた。察するに、そこに不逞浪士が潜んでいるのだろう。夜の京は物騒だからね。実際体験済みですのでよく知ってますよ。

 山??さんは私を背後にかばうように立ち、剣を抜いた。山南さんが伝令を二人用意したことが、ここにきて意味を成したようだ。

 目線を裏路地に向けたまま、山??さんは私の背中をトンと押した。その意図を汲み取り、私は頷いて身を翻す。

 背後で白い光が反射したが、そんなの無視してとりあえず走る。四国屋まであとちょっとだ。

 角を曲がり、目的の通りに入ると、遠くに見慣れた浅葱色の羽織を見つけた。

 急いで駆け寄ると、集団の最後尾にいた井上さんが私に気づいた。

 何か言っているようだったが、今はそれより伝令だ。私は落とさないようにしっかり握っていた短冊を井上さんに見せた。

 いやね、皮膚の感覚がないと、物を落としちゃっても気づかないからね。こんな重要文書でも気を抜くとすぐ落とすからね。

 短冊に書かれた文を読むと、井上さんは表情を険しくし、すぐにそれを土方さんのところに持って行った。

 伝令を受け取ってからの土方さんの行動は早かった。

 山南さんの文書を読むなり、何か言いながら隊に指示を飛ばし、隊の人たちもそれに応じてバタバタと動いていく。

 その間、私は土方さんに2回肩を叩かれ、井上さんと原田さんに頭を撫でられ、斎藤さんにも肩を叩かれた。

 なんだかよくわからないけど、労われたと解釈することにした。

 土方さんたちはすぐに池田屋に向けて出発した。

 それを見送っていたら、原田さんが近くにやってきた。用事なのかと思っていると、腕をつかまれた。

 ん?

 不思議に思って原田さんの顔を見上げると、原田さんはニカッと笑い、私の腕を引っ張って走って行く土方さんたちの後を追った。

 ああ、なるほど。これ以上一人で行動するなってことかね?




 こうして、伝令の仕事を終えたはずの私は、成り行きで池田屋に向かうことになった。
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