たこ焼きラプソディー

銭屋龍一

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たこ焼きラプソディー 10

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「弓削さんこそ、なんでうちの大学にいてはるんですか」
「うちの教授からのおつかい。でもどうしたの? 血が出てるよ」
 俺は着ていたジャージに視線を走らせる。左袖の付け根のところが裂けていた。ジャージの下は、土はついているものの、破れてはなさそうだ。
 頬に冷たい感触が伝わってきた。弓削の指がそこにある。傷を確かめている。
 俺は体を硬くした。
 弓削は持っていたバッグを開け、中からテープ絆創膏を取り出した。それを左の唇の横辺りに貼ってくれた。
「きょう、懇親会じゃなかったっけ?」
 手元に残ったゴミをバッグにしまいながら訊いてきた。
「そうやけど、もう遅いですわ。とっくにみんな現地に集合してます」
 弓削は、驚いた顔で俺をみつめた。
「そんな。今からいけば間に合うよ。お酒、飲むんでしょ。だったら、そんなに早くは引き上げないよ」
「それじゃ、追いかけてみます」
 その場しのぎの言葉を吐いた。
「うん。それがいいよ」弓削は腕時計に視線を向け、「いけない。家庭教師のアルバイトに遅れちゃう。じゃあ、またね」
 手を振って去っていく。
 俺も手を振り返す。
 体の横に異様な気配を感じた。視線を向ける。口を半開きにして金丸が固まっていた。
「金丸さん。よだれ、出てますよ」
 応答なし。そうとう深くやられているようだ。無理もないと思った。
 俺は金丸の肩をとんとんと叩きながら、
「すげぇ、やばい顔してはりますよ」
「ん? 何? 何でそんな顔でこっちを見てるんや? どうした?」
「どうしたも、こうしたもないでしょ。ズボン、大丈夫ですか」
 金丸は首を折り、自分のズボンに視線を向けた。すぐにその動きの意味に気づくと、
「アホが。何てことさせるんや。本当にアホか自分は?」
「せやからさっきから言うてますやん。世界一やて」
「納得した。で、何? 懇親会って」
 金丸は呆けていたくせに、その部分はしっかりと聞いていたようである。
 俺は仕方なく服部緑地での飲み会のことを話した。
「せやったら、すぐ行かなあかんやんか」
「もう遅いですわ。今頃はみんな現地でやってますわ。俺が行かへん方が、都合がええかもしれへんですよ」
 金丸は目を細め、俺の目を、力を込めてじっとみつめた。
「自分、ほんまのアホか」
「なんど言わせるんすか。世界一です」
「アホ抜かせ。何が世界一か。ただのへたれやんか。そこいらのドブにでも落ちて死にさらせ、カス」
「いいですよ。これからドブにでも落ちてきますわ」
 俺は痛む足を引きずるようにして一歩踏み出した。
 金丸が俺の肩に手をかけた。
「そんなことができる元気があるなら、追いかけなぁ。行き場所はわかってるんやろ。せやったら考えることあらへんがな」
「服部緑地ですよ。その辺の公園とはわけが違うんです。むっちゃ広いやないですか」
「びびりのへたれが」
 金丸が腹立たしげに吐き捨てる。
「ええ。それも世界一ですわ」
 金丸は肩に置いていた手に力を入れ、正面に俺を向かせてから、改めて胸倉を掴んで引き寄せた。
「自分、こんなことしとったら、一番大切なもんなくしてまうぞ。なくしてからどんだけ悔やんでも、もう二度と戻ってけぇへんぞ。あかん。そんなことしたらあかんのや。俺みたいになるのは絶対あかん」
 俺は自然と金丸の目をみつめていた。俺みたいになるなという言葉が胸に迫った。この男はどんな悲しみを、胸の奥に隠しているのだろうか。
 胸倉を掴んでいる金丸の手を、叩き落とすようにして引き剥がした。
 うつむく。
「走れ、カス」
 金丸はそう叫んで、俺の尻を蹴飛ばした。
「そんな簡単に、あんたの言うことなんかきけへんわ。ボケ」
 俺はそう叫ぶと、痛む体で駆け出した。

 まるでジグソーパズルだ。
 この公園に、目指すピースがあることはわかっている。けれどもそいつを、いきなり掴むことはできない。
 パズルを解くとき、角や縁は正しい位置が見つけられやすい。だから、俺もそんなところからスタートした。
 バーベキュー広場なんて、まさしくそんな類のピースだろう。けれどもそいつは目指すピースじゃなかった。
 服部緑地は、あらかじめ覚悟はしていたものの、あまりにも広い。日は暮れゆき、空の茜は灰色から次第に濃さを増し、辺りは薄暗くなっている。
 四方に意識を向けながら歩いていく。
 すでに、相当広い範囲を探し終えていた。探しても、探しても、文研の連中はみつからない。
 途中何組か酒を飲んでいる一団もいたが、近づいて見ると別のグループだった。
 日が暮れたために、風が冷たい。これでは野外で酒を飲むにも肌寒いだろう。
 もう引き上げてしまったのかもしれない。いろいろと、ここにたどり着くまでに手間取ったから、会がお開きになっていてもおかしくはない時間になっている。
 もう一回りして見つからなければあきらめて帰ろうと思ったそのとき、大勢の人間の騒ぎ立てる声が聞こえてきた。
 その方向は一度探したはずだった。けれどもピンとくるものがある。気づいてみると、そのピースには、それと特定できる色彩があったという感じだ。
 学生の酒席である。騒々しいに違いない。だとすれば、耳に届いてくるこの騒ぎ声は符合する。俺は今度こそと期待して、騒ぎ声が聞こえる方に向かった。自然と足が速まる。
 まるで生け垣のように、立ち木で風が遮られた場所に、ブルーシートがひかれていた。文研の部員たちはそこにいた。
 やっと見つけ出せた喜びが安堵となって、膝から力が抜けていく。
 ゆで玉子が真っ先に俺に気づいた。
「遅い、遅いぞ高遠。どこで遊んでたんだ。早くこっちに来い。駆けつけ三杯だ。いや、四杯だ」
「五杯」「六杯」「十杯やろ」「いや、一本、丸呑みぃー」もはや誰が誰に向かってしゃべっているのか判然としない。みんなもうしっかりと出来上がっている。早くも夏川は、ごみ袋を体にかけて隅で眠っていた。
 ゆで玉子の横に腰を下ろす。すぐにプラスチックのコップが手渡された。オコゼ狸がたっぷりと一升瓶から酒を注ぐ。
「ほら、飲め。一気、いけ」
 ゆで玉子の言葉に、俺は一息に酒を飲み干す。うまい。
「ああぁ、きょうは豪華やわぁ。日本酒ですよ、これ」
「気にするな。俺の金じゃない」
 ゆで玉子が、オコゼ狸から一升瓶を取り上げ、二杯目を注ぐ。
「どこで、何してた」
 その眼は、俺の顔から体へとひとつひとつ確かめるように動いている。顔の傷も、ジャージの破れも、すでに気づいている。だからいちいち説明などせずに、
「いろいろあったんですわ」
 そう言って俺は、松下を目で探す。松下は部長の桜木と向かい合って酒を飲んでいた。しばらくみつめていたが、こちらに視線を向けてはこない。
「いろいろあったのか。ならばめでたい。もっと飲め」
 ゆで玉子は、その傷はどうした、などと訊いてこないのはありがたい。けれども、完全に酔っ払いだ。それも絡み酒ときている。俺は再び飲み干す。
「ほいさ」
 また酒を注ぐ。それから、
「はいはい。みなさぁーん。高遠君の到着ですよぉ。こちらに注目ぅー」
 大声を張り上げた。みんなは申し合わせていたかのように話をやめ、こちらを向いた。
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