たこ焼きラプソディー

銭屋龍一

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たこ焼きラプソディー 41

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 ウィスキーのボトルの目盛りまでコップに注ぐと、俺はちびちびと舐めだす。
「もう後、三分の一ですわ。もうちょっと頑張れば、ここともおさらばできますぅ」
 俺はそう口にはするものの、このメンツでの仕事が終わる寂しさのようなものも、すでに感じ始めている。
 毎日夕方の恒例行事に、高校生たちも苦笑を漏らす。
「手紙。配るよ」
 牧場の長女の直美が、郵便物や、それぞれが買ってきて欲しいと頼んだ物資などを持って、タコ部屋に入ってきた。
「まずは、田村君。明子ちゃんからー。ラブレターかな」
 体の大きな高校生の田村は、寝床から駆け降りて、その手から手紙をひったくる。
 笑いが起こる。
「次は、高遠さん。真弓ちゃんと純子ちゃんからー。こちらは三角関係なのかな。お兄さんは、さすが、やること違うね」
 俺は首を傾げ、頭を掻く真似をしながら、その手紙を受け取る。
 パラパラと意味の分からないまばらな拍手が起きる。
「後は、野郎からばかりだ。面白くもない。勝手に受け取れ」
 他の手紙を適当にばらまく。
 残りのやつらがそれを拾いにいく。
 がさつにやっているようで、それが計算されているものだと俺たちはすでに知っている。
 手紙の来ない者もいる。それを、こんなふうな締め方にすることで、その寂しさが紛れていく。
 俺はゆで玉子が手にして戻ってきた手紙に視線を向ける。その手紙は投げられず、近づいたゆで玉子に、長女の直美が直接手渡していた。宛名を盗み見る。それは弁護士事務所からであった。俺は目を背けようとしたが遅れた。
 ゆで玉子と目が合う。
「高遠ちゃーん。よかったなぁ。二人からだって。こりゃ、大阪、帰ったら修羅場だね」
 俺はゆで玉子の言葉にほっとする。
「そんなんやありませんよ」
 俺はそう言うと、届いた手紙を見る振りをして、ようやく視線を外した。
 弁護士事務所。それはなんだ。何日も故郷に帰っていた。帰ってきたら、四日連続で、まさしく浴びるように酒盛りを行った。
 何かがあったことはわかっていた。けれども、それが何かは、訊いてはいけないものだと感じていた。だから俺は今日まで黙っている。
 弁護士事務所からの手紙。それは間違いなくあの行動に隠された秘密に繋がっている。
 ゆで玉子が告白してくれるのを待っていた。こんな俺でも、それを聞くことで、ゆで玉子の気持ちが楽になるなら、話して欲しいと願っていた。
 そう思う理由は、あの酒の席に俺が駆けつけたとき、ゆで玉子が言った言葉にある。
『だけど、僕の側に一番いて欲しかったときに、高遠、お前はいなかった』
 それは今も俺の心に深く刺さっている。
 俺は意識を切り替えた。手にした手紙を改めてみつめる。
 どちらから封を切るか悩んだ。純子のものは一般的な手紙サイズだ。真弓からのものはA4が入るサイズのものであった。悩んだ末に、最初に手にとったのは、純子からの手紙であった。
 俺は、おいしい料理を食うとき、好きなものは真っ先に食うタイプだ。ただし、もっと好きなものがあるときは、それを一番最後まで取っておく。
 夏フェスがどんなに楽しかったかが始めにあった。ステージで輝いている姿が目に浮かぶ。
 次には純子のアパートを俺が訪ねたことが書かれてあった。電話を取り次ぎした男から聞いたと続いていた。
 今でもときどき、腕時計のことを思いだしますとある。ただし、その後に、大切な、大切な、思い出ですと続いていた。そう、もうあれは、俺たちの思い出の中だけのことなのだ。その文面から俺が読み取ったものは、多分純子の気持ちに近いと感じた。
 俺は一瞬目をつむる。何かが静かに流れていく。
 それから真弓の手紙を開けた。中身を見た瞬間、
「ぎゃっ、あーーー」と俺は奇声を上げた。上げるしかなかった。
 恥ずかしさで顔が火照っている。
「やばいわ。あかんわ。これ、最悪やわ。最悪やんか」
 俺は頭を抱えて体を丸めた。
 そんな俺の体の下から、ゆで玉子が、封筒に入って届けられたものを取り出した。
「おおおおお」とゆで玉子が叫ぶ。
「皆の者。近う寄れ。さささ、もっと近う寄れ。遠慮はいらぬ。もっと近う寄れ」
 芝居がかった調子で高校生たちを集める。
「ほうれっ。こんなものが出ましたぞ」
 ゆで玉子が高校生に向けて、俺から奪い、手にした雑誌を広げた。
「おおおおお」と高校生たちから感嘆の声が上がった。
 それはそうであろう。その雑誌に対する反応としては、実に率直な反応である。
 たちまち高校生たちは、ゆで玉子から雑誌を奪い取り、輪になってそのページをめくり始めた。
「高遠ちゃーん。どっち、ねぇどっちからきたのさ。どっちの娘が送ってくれたのさ」
「そんなん。どっちでもええやないですか」
「いや、そこ、大事でしょ。それを知ってなきゃ、今度会ったときどんな対応をしなきゃいけないか違ってくるもの」
「こんなもんで対応を変えんでください。そんなんされたら、もう最悪やないですか」
 ゆで玉子は、でれんとしたニコニコ顔という、実に器用な表情で俺をみつめている。
 その後ろ、たたまれた布団の下に、弁護士事務所から送られてきた手紙が挟まれていることに俺は気づいた。
 その気づきを隠す意味も込め、俺は開き直った振りをして、体を起こした。
 俺の体の下にあった封筒をゆで玉子は素早く取り上げ、「おおおおお」と再び叫んだ。
 新たな発見かと、高校生たちがきらきらと輝く瞳を俺たちに向けたが、ゆで玉子の手の中の戦利品を確認すると、関係なし、と判断したものか、最初の雑誌に再び集中した。
「なぜ。いつ、いつこんなにも仲良くなったの。なぜ、いつ」
「ノーコメント。そんなん、当然でしょ」
 ゆで玉子は、待てと命令された子犬のように、今にも尻尾を振りそうな表情で俺をみつめている。
「そんな目で、俺を見たかてなんも出てきませんよ。この件は、ノーコメントです」
 俺は封筒に同封されていた手紙に視線を向けた。松下から聞いたとあった。確かに労働の苦しさから松下に手紙を書いた。そもそもあんな性格の松下に手紙を送ったことから間違いである。さらに、その内容となると、後悔先に立たずとは、まさにこのことである。
 死せる孔明、生ける仲達を走らせる。
 そんな言葉が浮かんだが、それは意味が違う、と自分に突っ込みを入れた。だが、気持ちとしてはそれくらいの衝撃であった。
 高校生たちに視線を向ける。発情した若い雄の体から立ち上る熱は、周りの空気さえ変えてしまっている。
 それにしても、これほどド・ストライクのエロ本を、よくも選び出したなと感心する。まさしく、俺の愛読書であった。いや、かけがえのないパートナーと言ってもよい。
 牧場は女っ気がない。若奥様やお嬢様に発情してばかりではいられない。だからそんな雑誌のリクエストを出した。さすがにそれは若奥様たちの買い物には頼めない。
 が、それが間違いの元であった。松下は弓削小夜子と繋がっている。そのルートで真弓と繋がりをつけることは容易であったろう。
 問題は、この雑誌を、誰が選んだかというところである。
 手紙をもう一度見る。

 悩んだじゃねぇか。これなら大丈夫だろ。こんなアホなことで、ぐじぐじ悩んでてもしょうがないから、これを送ります。レジに出すとき、ものすげぇ恥ずかしかったじゃねぇか。この礼は、たっぷりしてもらうからな。覚悟しとけよ。

 その文字を十回くらいなぞる。筆跡も何度も確認する。松下ならば策謀として、このような偽書を作るのはお手のものであろう。
 本物だと納得する。が、納得するからこそ、恥ずかしくて仕方がない。間違いなく真弓からの手紙だ。
「ぐぅっ、おおおおー」と俺は雄叫びを上げて、寝床の床から飛び降りる。高校生たちに襲いかかる。その中の一人が俺に飛び掛ってくる。
「この、発情したブタが」
 俺はそいつを放り投げる。次が飛び掛ってくる。また投げつける。
 最後に体の大きな田村が飛び掛ってくる。俺はそれを受け止める。四つに組む。ぐっと力を入れる。
 俺たちの声に驚いたものか、長女の直美がやって来て、部屋をのぞく。俺と田村が組み合っているのを見て、あわてて止めに入ろうとするが、他の高校生たちがその目の前にエロ雑誌を突き出す。それを確認した長女の直美は、
「男の子、って、本当にバカ」
 そうだ俺たちは阿呆や。せやけど、世界一の阿呆やでぇ。心の中でそう叫び、手に込めた力を最大限にまで高めた。
 瞬間、天井が回った。
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