たこ焼きラプソディー

銭屋龍一

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たこ焼きラプソディー 46

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 本来の出演時間には間に合うようにやってきたのに、俺のステージを見そびれた純子から、その翌日に電話が入った。
 明日、神戸三宮のライブハウスで、純子の大学の軽音楽部が、学園祭の前夜祭との位置づけで、ライブをおこなうとのことだ。
 学園祭で、俺と一緒にライブを行いたいとサークルに正式に申し出ると、サークルの部長が、前もってテストをしておかなければ許可しないと言い出したらしい。
 だから悪いけれど、明日来てくれないかとのことであった。
 どういう理由で、純子のサークルの部長がテストが必要だと言い出したのかはわからない。けれども、逃げなきゃならない理由もない。だから承諾した。

 ライブハウスは、ジャズのライブを多くやることで有名な店であった。
 きょうはオールスタンディングらしい。それができるほど、チケットが売れているということだ。
 薄暗くて細長いライブハウスの楽屋で、ギターのチューニングをしていると、色白で細身の男が、純子とともにやってきた。
 男は、鮎瀬と名乗った。
「君が小栗君を奪った男か」
 鮎瀬はいきなり、そんなところから話題を振ってきた。
「違います。部長、この人は、私の退部とは関係ないです」
「やけに肩を持つね。君の新曲の作詞はこいつなんだろ。今までの楽曲もみんなこいつが作ってたんじゃないのか? 特に今回のは、今までとはまったく異質の作品だし、裏でこいつが糸を引いていたんだろ」
「だから、違いますって。この人は関係ないんです」
「君、高遠君だっけ、君は学生バンドレベルの小栗君を、本当にプロにさせるだけの自信があるのか」
「俺が何かを小栗に強要することはありえへん。そんな権利は俺にはないし、たとえもし俺がそんなことをしようとしても、小栗自身がそれを許さへんわ」
「でも小栗君は実際にサークルを辞める。このまま進めば、大学も辞めていくだろう。そこまで小栗君の人生を変えてしまっていいのか」
「いつもいつも、うるせぇやつだな」
 怒りのこもった声が背後でした。振り向くと、声の主は、弓削真弓だった。ゆっくりと近づいてくる。黒のレザーパンツに黒のTシャツ、首にはロザリオが揺れている。
「そうか、君もこの男と繋がっていたのか、ようやくいろんなことが理解できたよ」
 どうやら真弓と鮎瀬は顔見知りらしい。真弓は純子とバンドを組んでいるのだから、知り合う機会は当然あったことだろう。
「頭、おかしくないか、鮎瀬さんよ。そりゃ純子のことが好きだってのはいいよ。片思いは自由だものな。だけど縛り付けるような真似はやめな」
 鮎瀬は顔を紅潮させた。やがてそれはどす黒く濁る。
「とにかく、サークル内の権限は僕にある。学園祭での小栗とのセッションは認めない」
「その理由はなんですか。私はサークルに迷惑なんかかけていません」
「いや、今の君の存在こそ、サークルにとっては迷惑だよ。いっそ危機と言ってもいい。僕は第二の小栗は、サークルから出させない。絶対にね」
「それじゃ、なぜきょう、高遠さんを呼びつけたのですか」
「ライブでセッションがしたいなら、きょうやりたまえ。ただし、そうするにも条件がある。それは学園祭のライブでは、僕とセッションを組んで、リードギターを担当するということだ。それができれば、どうぞ」
 音あわせもせずに、いきなり演奏しろということだ。純子が用意した、セットリストさえもわかってない。
「かまへんよ。それであんたの気が済むならそうしたらいい。俺には何の不都合もあらへん。ただし、それを俺が呑んだら、もう小栗を縛り付けるようなことはせえへんと約束してくれ」
 格好をつけているという自覚はあった。けれども言葉は止まらなかった。
「高遠。それじゃこいつの思い通りじゃねぇか。やめとけよ。そこまで折れてやる必要はない」
 真弓は俺の顔をしっかりとみつめて言う。
「高遠君。無理することないんだよ。そこまでして私の願いを叶えたいなんて思わない」
「小栗、勘違いしてるで。俺は小栗と一緒に演りたいだけや。こいつが、どうしたこうしたは関係あらへん」
「でも、学園祭で鮎瀬部長のサポートしなきゃいけないんだよ。それができるの?」
「ええやんか。それもおもしろそうや。音楽は素直だからさ。そこでどんな音が響くのか試してみるのも一興や」
 鮎瀬は憎々しげなまなざしを俺に向けている。
「そう、だってっさ。もうあんたの出る幕はないだろ。さっさと引っ込んでろよ。今からやるなら、打ち合わせもいる。時間もねぇんだ、これ以上、じゃますんなよ」
 真弓の言葉に、硬い笑顔で鮎瀬は応え、
「出番は十分後だ。一秒でも遅れたら、そこで終了にする」
 そう捨てゼリフを残して、去っていった。
「まったく、いつもいつも頭にくるやつだ。ぶん殴ってやりたいよ、まったく」
「真弓、ありがとう。高遠君も急にへんなことになってごめんね」
「かまへんよ。じゃっ、さっそくできるとこまで音あわせしようか」
 俺は純子にそう言い、それから真弓の方を見て、
「うちの学園祭であんたに、俺が書いた曲を聞いてもらえなくて残念だったよ。今度どこかで聞いてくれへんかな」
「冗談じゃねぇよ。でかい声で、天ぷら屋の娘と連呼するような歌が、そうそう何度も聞けるかよ」
 俺は笑った。鮎瀬を相手にしていたときの嫌な気分は霧消していた。
 実に気持ちいい。そして、とてつもなくうれしい。

 純子の大学の学園祭には、待ち合わせ時間の三十分前に着いた。
 それでもすでに、純子は指定場所で待っていた。その横で、真弓が空を見上げている。その、あまりにも嘘っぽい姿に、笑いがこみ上げてくる。
「ごめんね。こんなことになって」
 純子は言葉ではそう言ったものの、やはりその顔は笑いをこらえている。
「助けにきてくれたんか」
 そう言ってみるが、真弓は空を見上げるばかりで、反応を示さない。
 ついに純子が吹き出した。笑い声のまま、
「真弓。鮎瀬部長は許せない、ってそればっかりなの。もっと素直になればいいのにね」
「何がだよ。充分、素直じゃねぇか」
 やっと真弓が反応する。
「とにかく、戦いのスタートやな」
 俺は誰に言うともなく、そんな言葉を口にした。
 鮎瀬とのライブは、コード進行とビートだけを確認して、後は即興で、俺がリードを入れるということになった。
 それだけで俺が恥をかくことになると、鮎瀬は踏んでいたようだが、そのくらいのことならばこれまでも経験がある。だから、あっさりとライブは進み、皮肉なことに、好評のままで一日目が終わった。
 二日目になると、鮎瀬は急にキーを変更したり、途中で変調したりしたが、そんなことにも対応できた。カポタストの使用は認められなかったけれど、ほとんど問題なく、鮎瀬の演奏についていった。
 場合によっては援護射撃でもしてくれるつもりだったのか、真弓も、純子とともに、この二日間ともギターを持って現場に現れ、俺たちのライブを見ていた。
 それがまた、俺にとっては、なによりうれしい。
 二日目も波乱もなく終わった。嫌がらせのような転調を繰り返したせいか、逆に、ファンらしき者を獲得したようである。
 というのも、俺に参加の礼も述べず、体育館で行なわれるプロによるメインライブに、さっさと鮎瀬が行ってしまうと、俺はそのままライブ会場に残り、ベースギター一本での即興演奏を行なった。
 この時点では、何かを企てて始めたわけではない。普段では、これほどの大音量でベースを弾くこともできないために、ちょっとした遊び心で始めたものだった。
 ところが、それに聴衆がついた。
 それで気をよくした俺は、少し聴衆を意識して、演奏を行なった。すると新たな聴衆がやってくるという事態になり、あれよあれよという間に、ライブ会場の半分を埋めるくらいの数の聴衆となった。
「おもしれぇじゃないか」
 真弓がギターを抱え、参加してきた。
 それに純子もノリ、キーボードをセッティングする。
 コード進行とビートを決め、演奏を始める。
 さすがに真弓のギターは半端なく魅力的で、聴衆の目の色がたちどころに変わった。
 エッジの利いたリフを作りだし、真弓がギターをうならせる。それに俺はのり、メインのリフにはベースをかぶせる。会場の熱が高まる。すでに聴衆はビートに揺れている。
 純子は、俺と真弓の演奏を邪魔しないように、コードを基にした音の幅だけを作る。
 真弓のギターと俺のベースが、互いを刺激しあい、そして重なる。真弓と一体となった感覚がある。心地いい。
 もはや聴衆は、増水した河のように勢いがついて増えるばかりとなり、ついには部屋に入れないほどの騒ぎになった。
 そうなってから、ようやく鮎瀬がやってきて、黙ったまま、足早に俺たちを素通りすると、その背後にあったベースとギターのアンプのコンセントを続け様に引き抜いた。
 最後に、純子のキーボードのジャックを抜く。
 俺は、鮎瀬が何か文句を言うかと身構えたが、鮎瀬は黙ったままで、それだけの作業を終えると、逃げるように去っていった。
 いや、実際、逃げたのだと思う。
 音が消えてしまうと、集まっていた聴衆は苦笑いを浮かべたが、やがて自然発生的に拍手が巻き起こった。
 それはしばらく鳴り止まなかった。
 俺と真弓は、ベースとギターを頭の上に掲げ、聴衆たちに応えた。
 それをまた受け、何人かの聴衆がステージにまで歩み寄り、俺たちとハイタッチを交わしていく。
 他の聴衆たちも、その多くが、俺たちに礼をしたり、手を振ったりして去って行った。
 最後の締めくくりがそんなふうであったことも手伝って、この二日間、真弓とずっとデートでもしていたような気分になった。
 サークルの打ち上げを逃げ出した純子も誘って、三人で食事に向かった。
「本当は私はおじゃま虫だろうけどさ、そうそう二人だけにいい思いはさせないからね」
 そんなふうに純子が言って、からかわれることさえ俺は嬉しかった。
 そしてまた、俺と同じように、そんなやりとりを笑顔で楽しんでいる様子の真弓を見ると、多幸感が俺の心を満たした。
 ただし真弓は、俺と一緒にいることを喜んでいるのか、鮎瀬に一泡吹かせたことで機嫌をよくしているのか、そこら辺りは微妙な感じで、はっきりとは読み取れなかった。
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