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漆黒の大地、火の定め 57
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「病の素を受けられていないかだけ検査いたします」
玉蘭はそう言うと、冠鬼麟たちの腕に丸いシール状のものを貼った。検査結果を待つ間、玉蘭は小さな声で話した。
「私がここの下働きをしている間に戴顕林国の王泉様たちをお見送りできるのは何よりの幸せでございます。本来ならとっくに私は死んでいる身。それが生きているばかりか、このような喜びを賜ろうとは。自分の幸福さに感謝の思いで一杯でございます。けれどもこれだけはお話させてください。多くの民たちが冠鬼麟様がきっとお戻りになり、戴顕林国国王彩関親王様とともにまやかしの偽王を打ち、自分たちを助けてくれると信じて死んでいきました。そして今、明日をも分らぬ身でありながら、やはり冠鬼麟様と戴顕林国国王彩関親王様が自分たちを救ってくれると信じている多くの民がおります。どうかその民たちに光を見せてやってくださいませ。民たちはわずかな光でもそこにあるとわかればがんばれるのでございます。何もかもを欲しているのではございません。ただ一条の光だけを」
「玉蘭。いつまでかかっておる。もうとっくに検査結果は出ておろう。そのようなことで貴重なお時間を奪うものではない」
音慧が声をかけた。
「はい。全員陰性でございます」
玉蘭はそう言いながら、腕に貼ったシール状のものを剥がしていった。
「開門するがよい」
音慧の声が高らかに響いた。
入ってきたときと同じように壁と見えていた一部にぽっかりと口が開いた。
外で待っていたのは柏潜をはじめとするこの街を守っている一団と街で生活する民たちであった。冠鬼麟たちの姿を目にするとひときわ高い歓声があがった。すでに地に座り込み祈りを捧げている者さえいた。
「戴顕林国の王泉殿であられたか。只者ではないとは思っておりましたが、そこまでは見極められませんでした。お許しください」
真っ先に声をかけてきたのは柏潜であった。
「許すも何も、僕たちは柏潜殿にはよくしていただきました」
「そう言われると恐縮でございます。しかし、そうとわかればこんなところで無駄に時を過ごすわけにもまいりません。どうぞこちらに」
柏潜は先頭に立って歩き始めた。それはこの街に樂遥山より冠鬼麟たちが下りてきたときに連れて行かれた楼のほうに向かってであった。
柏潜の後ろに冠鬼麟が、それを守るように楊月と利斎が、その後ろを柏潜の手の者たちが続いて歩いていく。
「樂遥山には気が遠くなるほど長きにわたって慧巌という仙が住みついておりました」
柏潜は誰にともなく語り始めた。
「この十六国を彷徨う里が戻るのを待っていたのでございます。そしてついにその里は戻ってまいりました。そして言い伝えどおり、その里とともにやってきた蘭藍というものに己の持っている力のすべてを渡したのです。それはこの国の最大の苦難を乗り切るために必要な措置でした」
「最大の苦難が今なのですね」
冠鬼麟は口を挟んだ。
「その通りです。この国に二人の王が立っている。それも単なる偽朝で片付けるにはいかないそれが」
「方や天鬼麟が、方や新農氏が選べし王がいるわけですね」
「いくら幻術に長けた新農氏が選んだと言っても、それだけで王としてこれほど長く君臨することはできなかったでしょう。それは一方の天鬼麟がその力を封印されたからでございます」
「天鬼麟の力が封印された?」
「そうでございます。さて、ここよりは長い螺旋階段。足を踏み外したりなさらないように」
柏潜はそう言うと、驚くほど軽やかに階段をのぼり始めた。
美承の四門のひとつ、西の楼の上部の広間に、泰麒たちと柏潜とその手のものがたどり着いていた。
「さすがは天鬼麟と言うべきか。朱雀の力を自ら手に入れられましたな」
柏潜が笑顔で言った。
「朱雀の力? それを手に入れた? 僕が」
冠鬼麟は驚きを隠さず訊き返した。
「あなたの後ろに控えているではありませんか」
柏潜の言葉に冠鬼麟は後ろを振り向いた。そこには李斎と楊月が片膝立ちの姿勢で控えていた。泰麒はふたたび柏潜に視線を戻すと、
「それって楊月のことですか? 楊月は朱雀の力を持つ者なのですか?」
とふたたび訊いた。
「なるほどその者の本当の名は楊月と申すのですか。我らは楊楊としか知りませんでしたが。なるほど、なるほど。間違いなく、その者は目覚めております。その体の中に収め切れない力が漏れ出ておりますから間違いようがない」
「へえっ、僕が四神のひとつを手に入れたなんて、すごいこともあるもんだ」
「これはまたのんきなことを。しかしまぁ、だからこそ天鬼麟なのかもしれませんが。それに戴顕林国王泉様は四神のひとつを元よりお持ちだったではないですか?」
「元よりお持ち、って、この話の流れならは、それは李斎のことなんだろうけど。李斎が青龍の守り神なんですか?」
「王泉がご存じないのも当然でしょう。本人も気づいておらぬのでしょうからな」
柏潜はいたずらを考えてい子供でもあるかのような表情で言うと、にやりと笑った。
「気づいておらぬもなにも。私はそんな大層なものではありません」
李斎は柏潜の言葉を受けて悲鳴のように言った。
「失礼を承知で申しますが、あなたは片腕となられたときに武人としての人生を一度終わられたのではありませんか」
「確かに利き腕を失くした時、もう己の身を守ることもできないと思いました」
「でしょう。でしょう。そんなあなたがここでは剣を一閃しただけで妖魔を真っ二つです。それをいかがお感じか」
「あれは危険がすぐそこに迫っておりましたので、己の持っている力以上の力がたまたま出ただけかと」
「たまたまで真っ二つになるほど妖魔はやわなものではありませんよ」
「しかし、そう思うしか」
「あなた方はお忘れか? 樂遥山の山頂で起きたことを」
柏潜は冠鬼麟と李斎の顔を代わる代わる見ながら言った。
「忘れたわけではありませんが、僕は眠っていただけだし、李斎も同じようなものだったと思うのですけど」
「そんなことでは我が友、慧巌が浮かばれませんな」
「さきほどからその名を出されてますが、蘭藍なんかの絡みからすると、その仙はもはや伝説とも言えるほどはるか昔の仙ではございませんか。なぜその仙が柏潜殿の友と?」
玉蘭はそう言うと、冠鬼麟たちの腕に丸いシール状のものを貼った。検査結果を待つ間、玉蘭は小さな声で話した。
「私がここの下働きをしている間に戴顕林国の王泉様たちをお見送りできるのは何よりの幸せでございます。本来ならとっくに私は死んでいる身。それが生きているばかりか、このような喜びを賜ろうとは。自分の幸福さに感謝の思いで一杯でございます。けれどもこれだけはお話させてください。多くの民たちが冠鬼麟様がきっとお戻りになり、戴顕林国国王彩関親王様とともにまやかしの偽王を打ち、自分たちを助けてくれると信じて死んでいきました。そして今、明日をも分らぬ身でありながら、やはり冠鬼麟様と戴顕林国国王彩関親王様が自分たちを救ってくれると信じている多くの民がおります。どうかその民たちに光を見せてやってくださいませ。民たちはわずかな光でもそこにあるとわかればがんばれるのでございます。何もかもを欲しているのではございません。ただ一条の光だけを」
「玉蘭。いつまでかかっておる。もうとっくに検査結果は出ておろう。そのようなことで貴重なお時間を奪うものではない」
音慧が声をかけた。
「はい。全員陰性でございます」
玉蘭はそう言いながら、腕に貼ったシール状のものを剥がしていった。
「開門するがよい」
音慧の声が高らかに響いた。
入ってきたときと同じように壁と見えていた一部にぽっかりと口が開いた。
外で待っていたのは柏潜をはじめとするこの街を守っている一団と街で生活する民たちであった。冠鬼麟たちの姿を目にするとひときわ高い歓声があがった。すでに地に座り込み祈りを捧げている者さえいた。
「戴顕林国の王泉殿であられたか。只者ではないとは思っておりましたが、そこまでは見極められませんでした。お許しください」
真っ先に声をかけてきたのは柏潜であった。
「許すも何も、僕たちは柏潜殿にはよくしていただきました」
「そう言われると恐縮でございます。しかし、そうとわかればこんなところで無駄に時を過ごすわけにもまいりません。どうぞこちらに」
柏潜は先頭に立って歩き始めた。それはこの街に樂遥山より冠鬼麟たちが下りてきたときに連れて行かれた楼のほうに向かってであった。
柏潜の後ろに冠鬼麟が、それを守るように楊月と利斎が、その後ろを柏潜の手の者たちが続いて歩いていく。
「樂遥山には気が遠くなるほど長きにわたって慧巌という仙が住みついておりました」
柏潜は誰にともなく語り始めた。
「この十六国を彷徨う里が戻るのを待っていたのでございます。そしてついにその里は戻ってまいりました。そして言い伝えどおり、その里とともにやってきた蘭藍というものに己の持っている力のすべてを渡したのです。それはこの国の最大の苦難を乗り切るために必要な措置でした」
「最大の苦難が今なのですね」
冠鬼麟は口を挟んだ。
「その通りです。この国に二人の王が立っている。それも単なる偽朝で片付けるにはいかないそれが」
「方や天鬼麟が、方や新農氏が選べし王がいるわけですね」
「いくら幻術に長けた新農氏が選んだと言っても、それだけで王としてこれほど長く君臨することはできなかったでしょう。それは一方の天鬼麟がその力を封印されたからでございます」
「天鬼麟の力が封印された?」
「そうでございます。さて、ここよりは長い螺旋階段。足を踏み外したりなさらないように」
柏潜はそう言うと、驚くほど軽やかに階段をのぼり始めた。
美承の四門のひとつ、西の楼の上部の広間に、泰麒たちと柏潜とその手のものがたどり着いていた。
「さすがは天鬼麟と言うべきか。朱雀の力を自ら手に入れられましたな」
柏潜が笑顔で言った。
「朱雀の力? それを手に入れた? 僕が」
冠鬼麟は驚きを隠さず訊き返した。
「あなたの後ろに控えているではありませんか」
柏潜の言葉に冠鬼麟は後ろを振り向いた。そこには李斎と楊月が片膝立ちの姿勢で控えていた。泰麒はふたたび柏潜に視線を戻すと、
「それって楊月のことですか? 楊月は朱雀の力を持つ者なのですか?」
とふたたび訊いた。
「なるほどその者の本当の名は楊月と申すのですか。我らは楊楊としか知りませんでしたが。なるほど、なるほど。間違いなく、その者は目覚めております。その体の中に収め切れない力が漏れ出ておりますから間違いようがない」
「へえっ、僕が四神のひとつを手に入れたなんて、すごいこともあるもんだ」
「これはまたのんきなことを。しかしまぁ、だからこそ天鬼麟なのかもしれませんが。それに戴顕林国王泉様は四神のひとつを元よりお持ちだったではないですか?」
「元よりお持ち、って、この話の流れならは、それは李斎のことなんだろうけど。李斎が青龍の守り神なんですか?」
「王泉がご存じないのも当然でしょう。本人も気づいておらぬのでしょうからな」
柏潜はいたずらを考えてい子供でもあるかのような表情で言うと、にやりと笑った。
「気づいておらぬもなにも。私はそんな大層なものではありません」
李斎は柏潜の言葉を受けて悲鳴のように言った。
「失礼を承知で申しますが、あなたは片腕となられたときに武人としての人生を一度終わられたのではありませんか」
「確かに利き腕を失くした時、もう己の身を守ることもできないと思いました」
「でしょう。でしょう。そんなあなたがここでは剣を一閃しただけで妖魔を真っ二つです。それをいかがお感じか」
「あれは危険がすぐそこに迫っておりましたので、己の持っている力以上の力がたまたま出ただけかと」
「たまたまで真っ二つになるほど妖魔はやわなものではありませんよ」
「しかし、そう思うしか」
「あなた方はお忘れか? 樂遥山の山頂で起きたことを」
柏潜は冠鬼麟と李斎の顔を代わる代わる見ながら言った。
「忘れたわけではありませんが、僕は眠っていただけだし、李斎も同じようなものだったと思うのですけど」
「そんなことでは我が友、慧巌が浮かばれませんな」
「さきほどからその名を出されてますが、蘭藍なんかの絡みからすると、その仙はもはや伝説とも言えるほどはるか昔の仙ではございませんか。なぜその仙が柏潜殿の友と?」
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