裏十六国記

銭屋龍一

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漆黒の大地、火の定め 80

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「他国を攻めるとおっしゃるのですか。それを行なえば阿選様はただちに病まれますぞ。そして命を亡くされます」
 梠櫂は阿選の言に驚いて声音が高くなった。
「病むことなど恐ろしくもない。もちろん死もだ。わしはすでに病んでいると思っている者も我が国には大勢居る。殺すべきだと思っている者もな。だがわしはまだ生きながらえているし、自らの意思で動くこともできる。一国の王を幽閉しても、天鬼麟を傷つけても、天からなんの罰も受けてはおらぬ。それはわしに天命があるということではないのか」
「それでも他国を攻めるなどという、異面の罪は大きすぎます」
「罪に大きい小さいなどはない。隣の家の柿を盗むやつも、隣の国を盗まんとするわしも、罪人としては等しい。ただその盗もうとしているものがどれだけ大きいのかの差しかない。雁錨平国の延命明王は治世500年、秦山虫国の宋礼親王の治世はそれより長く、あまりの平和の長さに、今やそれは永遠とまで呼ばれている。また国名からも明らかなように、雁錨平国と雁羅深国は兄弟国だ。なぜそれぞれが単独で正しき国として立つべきこの十六国の世界で、そのような兄弟国が存在する。そして雁羅深国に久々に現われた強き王との誉れも高い尚香隆樹は雁錨平国の延命明王の遠き親族との説もある。さらにこの三カ国はいずれも温暖な気候を持ち、交通の要所に位置する国ばかりだ。これをただの偶然だと言うのか。なぜそんなことが起こり得る。その国の天鬼麟が優秀だからか。その天鬼麟に選ばれた王が優秀だからか」
「世間ではそう言われております」
「ならば優秀ではない天鬼麟は殺すがよかろう。何度でも殺して、優秀な天鬼麟が誕生するまでの期間を短くするが一番正しい行いではないのか」
「天鬼麟は殺せません」
「なぜ殺せぬ」
「まずは天鬼麟は強き妖魔を使令に下らしてございます。そのような者を討とうとすれば、その何百倍もの災厄が討とうとした者に返ってまいります。また国の天鬼麟を殺し続けるような国は、その国を天が消滅させようとするに違いありません。事実天鬼麟のいない国では、国土を妖魔が跋扈しております。それは今や我が国の姿にもなりつつあります。それが天からの罰でございましょう」
「たわけたことを。ならば妖魔こそが天の意思ではないのか」
「妖魔が天の意思とはどういうことでございましょうか」
「天が与えた極致たる妖魔が天鬼麟であろう。それを受け入れられないと思えば、対極に地がある。なぜ人々は天を崇める。そしてなぜ地に死者を葬る。あまりにも矛盾した行ないではないのか」
「地は天鬼麟を与えてくれません」
「そうか。だが地はわしに土蜘蛛を与えてくれた」
「土蜘蛛? 土蜘蛛とはなんでございますか」
「王を選べし地の理だ」
「王は天鬼麟にしか選べません」
「なぜそう思う」
「天鬼麟も正しき王もいない国は荒廃いたします。妖魔の巣窟と化すのです」
「なぜおまえたちはそのような戯れ言をいつまでも言い続けるのだ。元々の国の正しき姿は、妖魔が跋扈する世界だ」
「なんと恐れ多いことをおっしゃいますのか。それでは民の平和は永遠に訪れません」
「梠櫂。おまえも知ってのとおり、この世界の十六国で、妖魔が国土を跋扈していないのは、天鬼麟とそれが選べし王が正しき治世を行なっている七国のみ。後の九国は妖魔が跋扈する世界だ。つまり妖魔が跋扈している国の方が多い。ならばこの世界の元々の姿は妖魔が跋扈する世界。王とはその妖魔を断ち切る力を持ちし者。そう考えれば、この世界の正しき姿が見える。そもそもなぜそれぞれの国に国軍がある。天鬼麟とそれが選べし王がいるならば、国内にも国外にも敵はいないはず。国軍がある必要はない」
「妖魔から民を守るためにも、謀反者から民を守るためにも、軍は必要でございます」
「だからおまえたちをたわけと言うのだ。天鬼麟とそれがえらべし王がいる国でも、やはり妖魔がわくことはあるし、謀反者が出ることもある。だから国軍はどの国にも必要。それを当たり前と思い、そうならないためには、もっと正しき天鬼麟の誕生を願い、もっと強い王の登場を願う。それが矛盾していることになぜ気づかぬのか」
「そうであっても、天鬼麟のいない国よりは、いる国の方がはるかに平和です」
「ならば天鬼麟の代りがおれば良いだけの話。だからわしは土蜘蛛を受け入れた」
「先ほどから何度も口にされております、土蜘蛛とは何でございますか」
「よし。わしと土蜘蛛が盟約を交わした出来事を特別に話してきかせよう」
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