キボウのカタチ

銭屋龍一

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キボウのカタチ 48

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 これから行動を共にすると思っていた貴之は、浦浜市立大学の校門前を出たところで別れていった。梅の身の安全が確保されたので、急ぎ社に帰って、懸案のレンズを完成させるという。蒲浜市立大学との共同開発が中止とならず、これからも続くのであれば、確かにそれも重要なことだ。貴之にとっては、自分の出番はすでに終わり、自らの中では問題はすでに解決済みと考えてのことかもしれない。
 梅は少しだけ思案して、久美子にラインを入れた。もちろん弦か卓の居場所を知っているかを聞くためだ。返ってきた久美子のラインには、被害者とされている女性たちに会いたくないか、とあった。
 会ったら何かが変わるのかと返信すると、変わると思う、との返事だ。
 遠回りになるかもしれないが、確かに本人たちと対峙する前に、そこは確認しておいた方がいいかもしれない。
 久美子にそう告げると、大学の近くの喫茶店の名を出して、そこで待っているとの返信があった。
 どうやら最初からこうなることを想定して、前もって準備していたものらしい。
 幸いなことに、その喫茶店は梅も知っていた。裏通りのようなところにある店で、それがかえって隠れ家的な味を出している感じのいい店だ。
 確かにあそこならば静かに話ができそうだ。

 店に着きドアを開けると、久美子は、奥の窓際の席に3人の見知らぬ若い女性たちと共に座っていた。
 中途半端な時間帯だからなのか他に客はいなかった。
 近づいていくと、それに気づいた久美子は立ち上がり、大げさな安堵のジェスチャーを交えて、
「よかったぁー。無事で」と声をあげた。
 その言葉に触発されたかのように3人の女性たちも立ち上がると会釈を送って寄越した。
 テーブルは4人掛けだったので、補助椅子をひとつ出してもらって、テーブルを囲むように座った。それから久美子が3人の女性を梅に紹介し、逆に3人の女性に梅を紹介した。梅は弦と卓の古くからの友人という説明だった。3人の女性はその紹介に過剰な反応も見せず、その言葉のままに受け入れたようだ。
 それにしても被害者の女性に会うということから、暗くおぞましい世界を覗くような気になっていた梅にとっては、3人の女性は拍子抜けするほど明るい表情をしていた。
 3人の女性がひとりずつ、それぞれの事件について話しをしてくれた。どのケースも卓が城田弦の名を語って女性たちに近づいていた。女性たちにはその時点では卓の存在は知るよしもないのだから、それは弦からの誘いと思って対応していたとのことである。いずれの女性もサッカー関係のマネージャーやメンタルトレーナーなどの、サッカーと深くかかわったホジションについていた。弦のサッカーセンスは尊敬するものの、それがたちまち恋愛感情に変わることはない。ばかりか、立場上、そうならないように逆に注意していたという。だが卓からの執拗な愛してるとの誘いや行動に、ついに心が動いて恋愛関係に発展してしまったとのことだ。
 確かに弦の名を語って親密な関係になったのには、大いに問題がある。だがそれもゆくゆくは事実を話すつもりであったと言われれば、犯罪と呼ぶにはいくぶん弱さがある。いわゆる結婚詐欺に近い感触もあるにはある。がしかし、お互いが大人の男女なのだから、自由恋愛のひとつの形だと言っても、それはあながち間違いではない。
 だが問題は、そんな関係になってから、卓が自ら、弦の女性関係のスキャンダルとして、その事実を表に出して騒ぎを大きくしたことだ。それはあきらかな犯罪だ。弦はその度に、自らは何の釈明もせず、その所属していたサッカーチームを脱退していっていた。そうなると人の口も四十九日の例えのように、噂も次第に消えていき、渦中にあった女性の心にだけ深い傷が残ることとなった。
 大きくまとめると、いずれもそんな話であった。
「実はこの3人のかたたちとお近づきになったのは、弦に頼まれたからなの」
 話が一通り終わると、久美子が新しい方向性を示してきた。
「自分のことは表に出さずに、女性達の心の傷を癒やしてあげて欲しいって。でもそんな風に言われても、何をどうやったらいいのかわからない。だからまずは知り合いになることから始めたの。まったくとりつく島もない人ももちろんいるけれど、大方の人たちとは次第に仲良くなっていった。でも事件の真相まで話すことができたのは、まだこのお三方だけなの」
 事件の真相か。まだ梅も、頭の中に浮かんでいた人物が、大学教授によって、同一の人物となって重なったばかりである。牛乳配達を途中で変わったという話を聞いていなければ、まさかそんなことがあるなんて、未だに夢にも思っていなかったことだろう。
「どうして弦は久美子さんにそんなことを頼んだのでしょうか」
「だって言ったでしょ、弦にとってわたしは、友だち以上、恋人未満なんですからね。そんな難しい役目が頼める相手は、わたししかいないでしょ」
「そういう意味ではなくて、言い換えれば、弦は濡れ衣を着せられたわけでしょ。ならば身の潔白を証明したほうが話は早くないですか、ってことです」
「そんなことしたら卓が傷つくじゃないの」
「だって卓さんが弦さんを罠にはめたようなものなんでしょ。だったら当の卓さんが傷つくなんて心配をしてあげる理由がない」
「華咲さんにはなくても、弦にはあったってことよ」
「弦さんが卓さんをかばったのならば、それは大きなお世話だし、ある意味、道を踏み外した卓さんを正しい道に導くことを放棄したのだから、共同正犯っていうのかな、共謀したってことになるんじゃないでしょうか。なのにその一方で被害者の女性の傷を癒して欲しいと久美子さんに頼むなんて、矛盾しているし、ちょっと卑怯だわ」
「弦が卑怯だって言うの」
 久美子の目がするどくなった。
「だって久美子さんが自分を好きだっていうことを利用したんだから、そういう意味でも卑怯よ」
「そんな風に言いつのって、卓が自殺したり、あるいは誰かを殺してしまうようなことがあっても、やはり弦のことを卑怯者呼ばわりできるんですか」
 久美子のその言葉には怒りがしっかりと詰まっていた。
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