エンジェルノイズ

銭屋龍一

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14 アカ 6

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 娯楽室を出て、正面ロビーに向かって歩いていると、通路に立っていた警備当番である戦士に呼び止められた。
「ジョージ隊長殿。南条専任指揮官殿が第一応接室でお待ちです」
「なんと、オニより怖い南条専任指揮官殿直々のお出ましか。しかしなぜ、もっと早く呼びにこなかった」
「ジョージ隊長殿は、戦士の皆さんと娯楽室で録画を見ておられていますと申し上げますと、ならば見終えてからでよいと、南条専任指揮官殿に言われましたもので」
「それはまた、あの方にしてみれば、ありえない優しさと気遣いだな。これは何か、わけありってことか」
「何かわけありであるのは、南条専任指揮官殿が関わられる場合、もはや標準仕様だと思われますが」
 ほう、という思いがした。駐屯地の警備を申しつけられるような、下位に位置する戦士にしては、アカのナンバーツーである南条のことに対して、歯に衣を着せない物言いで、なかなか頼もしいと思ったのだ。
「はっきりとものを言うやつだな。名は?」
「私は万城地と申します。ジョージ隊長が今度指揮をおとりになるときには、ぜひ私を傘下にお含めください」
「俺の部隊に入ると苦労するぞ」
「それも存じております。ただその分、手柄は立てやすいかと」
「なるほど手柄か。こんな世界で手柄を立ててどうする」
「その分、向こうの現実世界に残っている家族にいい思いをさせてやることができます」
「それを本気で信じているのか? それとも何かそう確信できる記憶でもあるのか?」
「はい。契約が守られることを、信じられる記憶があります」
「なるほど。それがどのようなものかを訊いても、答えぬのであろうな」
「プログラムによって死を賜りたくはありませんので。しかし、その恐れがない環境と状況であれば、お話しすることになんの支障もありません」
「わかった。万城地か、覚えておこう」

 この駐屯地の応接室としては、一番豪華な調度品が揃っている第一応接室に着くと、南条はソファーに腰をかけ、自分が持ち込んだのであろうノートパソコンを操作していた。
「お待たせしました」
 直立不動でジョージが声をかけると、南条は顔を上げ、憂鬱そうな表情で、
「楽しめたかね」と訊いてきた。
「あいかわらず壮絶な戦いの記録でした」
「だからこそ報償品もいただけるわけだ。生き延びさえすれば、ここもそんなに悪い世界ではない」
「そうでしょうか。地獄に変わりはないと思いますが」
「これは、これは。アカでも一、二を争う勇敢な戦士であるジョージ隊長の言葉とも思えないね」
「私は臆病ですから」
「臆病? 臆病か。臆病、大変結構。死に急ぐ戦士にろくなやつはいない」
「私はオニに、まさに死に急ぐかのようなお願いをしておりますが。その願いの答えを持ってこられたのでしょ?」
「それこそ、そんなに急ぐことはない。だから返事の前にいくつか確認しておきたいことがある。よいかね?」
 返事の代わりに、さあ、という風に、手の平を上にして、首をすくめてみせた。
「君は、高遠一馬を知っているね?」
「ここエンジェルズヤードで高遠一馬の名を知らぬ者はいないでしょう」
「名前のことを言っているのではない。訊いているのは、高遠一馬本人のことだ」
 ジョージは身構えずにはいられなかった。南条は何をどこまで知って、自分に対して訊いているのか、それがはっきりするまで、うかつに答えるのは危険だと思えた。
 そんなジョージの内心を読んだものか、
「仲間純子の秘密をみつけだすまでには、ずいぶんと苦労させられたよ」
 憂鬱な表情を、皮肉な笑みに変えて、南条は言った。
「ここエンジェルズヤードでは、向こうの現実世界でつながりがあった人間同士は、同時に受け入れられることはない。それがルールのはずだ。事実、これまでは、そのルールに沿って、新たな住人は補填され続けてきた。だが、そうでないケースがあるのではないかとの情報が、あるミンシュウからアカの本部にあがってきた」
 南条はそこで言葉を止め、ジョージに向けていた視線に力を込めた。問いかけるかのような視線であった。だからジョージは、
「ミンシュウは戦いもせず、報償品のおこぼれにあずかろうとする輩が多すぎます。きっとその情報を上層部にあげたやつも、何か褒美が欲しくて、適当なことをでっちあげたのじゃないのですか」
「なるほど情報は嘘か。ならば、そんな嘘でアカの秩序を乱すような輩は、処刑せねばならぬな」
「でしょうね」
「その情報を上げてきた人物とはね」
 南条はテーブルに置いていたノートパソコンの向きを変え、ジョージがディスプレーを覗けるようにしてから、
「この女なんだがね」
 南条が向けてきたディスプレーに映し出されていたのは、手足を鎖で繋がれた仲間純子であった。ジョージは一瞬、自分の眉根がしかめるように寄りそうな感覚を覚えたが、すぐに何ごとでもないと自分に言い聞かせ、
「バカなやつだな。嘘をついてまで、何が欲しかったのやら」
 と悪態を吐いた。心の中に広がりそうになる素直な感情を、気を込めて押し留める。
「さすがは戦士の鑑と、アカの陣営で尊敬を受けているジョージ隊長だ。自分の女が処刑されるかもしれないというのに、眉一つ動かさないとはな。冷たいものだ」
 ジョージは目を細めて南条をみつめると、その話しの向かう先を想像した。なにやら危険な臭いがする。
「隠さなくてもいい。君と仲間純子とのことは調べがついている。もっともそのディスプレーの中の女は、下川明子だがね」
「下川明子?」
「ほう、やはり気づいていなかったようだね。下川明子も、自分が本来の自分の記憶を取り戻したことに、君は気づいていないと思うと言ったよ」
「本来の記憶ですか。何のことやら。この女は二重人格なのですか」
「だから隠さなくてもいいと言っている。君が下川明子を、向こうの現実世界でつきあいのあった仲間純子だと思って、つきあっていたことは調べがついているんだ」
「調べがついているなら、あえて私に訊くこともないでしょう」
「いや、そこが、実は問題なのだ。下川明子は当初、その本来の記憶を失っていた。オニの指示で面談した係の者も、この女は、仲間純子である、との報告を上げてきている。だが、今、彼女は下川明子となっている。そして、仲間純子であった記憶を逆に失った」
 南条は食い入るような視線をジョージに向けたまま話している。一度言葉を溜め、一拍置いてから、ゆっくりと続ける。
「下川明子は、中間純子がつけていた日記を読んで、自分に別の人間の記憶が、かつてあったことを知った。その、以前の記憶が正しいのか、今持っている、取り戻した自分の記憶が正しいのか、悩んだという。それはそうであろう。そこを間違えると、死が待っているからな」
 まさか仲間純子の身に、そんなことが起きていたとは、ジョージは思ってもいなかった。下川明子に戻った中間純子は、ジョージを騙し通していたわけだ。それほど重要なことになぜ自分は気づけなかったのか。
「やっと表情に出たか。うれしいよ。その表情は、騙されていたことが悔しいという顔だな。ジョージ隊長。君と仲間純子との間にあった関係はなんだね。話してくれないかな」
 南条は目を細めて、上目遣いにジョージを睨んだ。ジョージは、本当のことは言えないと思った。どれだけ証拠を積まれようと、知らぬ存ぜぬと、しらを切り通すしかない。真実を知られてしまえば、それは自らの死に繋がる。ジョージは感情がこれ以上表に出ないように意識して、南条を見つめ返した。
 時だけが過ぎ、やがてあきらめたのか、南条は顔をゆがめて笑った。
「それならば、彼を見てもらおうか」
 南条はパソコンを手前に引き、キーボードを操作してから、ふたたびジョージにディスプレーが覗けるような角度にして、差し出してきた。ディスプレーに映っている男を見て、ジョージは息を飲んだ。
「ほう。やはりジョージ隊長は、この男を知っているようだね。化粧なし、いわゆるすっぴんでは、これが誰であるのかわからないかもしれないが、その男こそ、アカの、高遠一馬だ。レッドデビルと呼ばれている、あの男だよ。化粧を施し、素顔は晒さないようにしてきた。オニの判断でね。でっ、なぁ、ジョージ隊長。彼は本物の高遠一馬なのかね?」
 ジョージは黙ったままディスプレーを凝視するしかなかった。

 南条が立ち去っても、ジョージは応接室に残ったままでいた。今し方自分が知った事実に圧倒され、動けなくなっていた。
 オニから、シロの陣への進撃許可は降りたと、南条から伝えられてもいたが、もはやその活動は、別の意味を持つものになっていた。
 南条からは、その進撃は秘密裏に行えと指示された。アカの陣営は、正式には、その進撃の許可は出していないことになっている、と。何か問題が発生すれば、その全責任をジョージが取るように、と。ただし、その作戦を見事成功させることができたならば、仲間純子との問題は不問にするとの内命もあった。
「バーボンをお持ちしました」
 落ち着いた声がして、ジョージは顔を上げた。そこには、先ほどの警備兵、万城地が立っていた。
「どうぞ」
 万城地は、手にしていたグラスを手渡してきた。
「静魂丸が入っております」
 緊張や不安を脳の機能変化によって忘れさせる薬だ。よってどんなに酷い精神状態であろうとも、その悩みや苦しみはたちどころに消える。それは病の治癒のために使うのではない。心の乱れによってプログラムから消去されないための秘薬なのだ。
「そんな貴重なものは、簡単には手に入らぬであろう。どうしたのだ」
「ええ、簡単には手に入りません。しかし、現実に存在するものならば、得たいという強い意思さえあれば、手に入れることは必ずできるものです」
 きっぱりとした物言いに、固まっていた神経がほぐれた。
「それほど苦労して、手に入れた貴重なものを、私に使ってしまっていいのか」
「ジョージ隊長に投資するのならば、何倍にもなって戻ってくるでしょう」
「えらく買いかぶられたものだな。私にそんな力などないぞ」
「ならば、ジョージ隊長がよくおっしゃっているように、いいおねえちゃんが手に入ったとき、お裾分けしてください」
「女が欲しいのか」
 そうではないとはわかっていたが、そう口にしてから笑った。万城地も笑い返してきた。
「私を連れて行ってもらえますよね」
 万城地の言葉にジョージは、「どこに」とは訊かなかった。代わりに、
「鳴瀬班長を呼んでくれるか」と告げた。
「鳴瀬班長とご一緒とは、大きな作戦なのですね」
 万城地は、姿勢を正して敬礼をし、応接室を出ていった。ジョージは改めてソファーに体をあずけ、万城地が手渡してくれたバーボンをなめた。静魂丸か。まさしく、今の俺には、不安を取り除く丸薬が必要だな。まったく。とんでもないことが立て続けに起こり過ぎだぜ。ジョージは、そうひとりごちると、頬を両手でパンパンと二度ほど叩いてから、ソファーから立ち上がった。
 こんな調子ならば、明日には、興奮剤の勇魂丸のお世話にならないといけないかな。アカの戦士に軍備品として支給される、もうひとつの向精神薬の名が頭に浮かび、苦いものでも飲み込んだ気分になった。何かを思考する前に、ぶるっと、一度、体に震えが走った。
 実際どうあれ、目の前の仕事をかたづけるだけだ。今までもそうしてきたし、これからもそうするしかない。
 自分を助けることができる者は、結局、自分しかいないのだ。
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