エンジェルノイズ

銭屋龍一

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46 エンジェルノイズ 1

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 デビルズキャッスルが開催される、円形劇場、アンフィテアトルムは観客であふれていた。
 自殺志願者でもなければ、今回ばかりは、戦いが開始される前に到着しておくのが無難であろう。なにせ一分遅れただけでも、死を賜り、終焉とされてしまう可能性があるのだ。
 ジョージたちは、控えの間で待機していた。カムイと高遠一馬たちの不在は、あらかじめタイセイから聞かされている。だが、その生死などは明らかにされていない。外の模様は据え付けのディスプレーで確認できる。ジョジはその画面に見入っている。
 観客の多くは顔にマスクやスカーフをつけていた。そんなもので炎岩菌が防げるわけがないが、少しでも予防をしたいとの思いからであろう。あるいはすでに発病していて、他者への感染を抑える意味があるのかもしれない。同時に、はっきりと炎岩病患者だと思える一団もあった。左の端に、服装でそれと知れたシロのものがある。横たわっている人数は十数人くらいだろうか。群衆がその周りにだけ立っていない。それでもその空白はそれほど大きくない。発症していない群衆も、自らの感染を極度に恐れなければならない水準はとっくに突破してしまっているのであろう。右の端にアカのそれがある。横たわっているのは五六人か。発病はアカの方がやや遅いようである。
 モーターのうなる音が聞えてきた。控えの間の中央に置かれている円卓辺りからである。いまその円卓の外周をいくらか残して円形の口が開いている。そこからリフトのように何かがせり上がってきた。鈍い銀色に輝く衣服が現れた。形状としては、シロの者たちが着ている気密服に近い。ただそれよりも若干厚みがあり、何らかの仕掛けが施してあるように見えた。ジョージたちは黙って着替え始める。
 レシーバーの呼び出し音が鳴る。もうそのことに驚きはない。ふたたびディスプレーに視線を向ける。円形劇場にいくつも設置されているディスプレーが映し出されている。やがて流れていた呼び出し音が消え、一瞬の静寂の後で、華々しいファンファーレが鳴り響くと、
『デビルズキャッスルにようこそ』とエンジェルボイスが陽気な口調で告げた。
 何をお気楽なことをと腹が立つ。だがその腹を立てるという行為こそが今は必要なのだ。そうでもしていなければ、恐怖や不安で押しつぶされそうな精神を、まともな状態に保っておくことなどできない。下川明子などは、蒼白な顔をして、ガタガタと震えてばかりいる。鳴瀬と万城地はとっくに覚悟を決めているのか、悠然と椅子に腰をかけている。
『間もなく定刻となります。戦士の方たちは入場ゲートのリフトまでお越し下さい』
「まるで野外フェスのノリですね」万城地が腹立たしげに、吐き捨てるかのように言う。
「なんだそれ?」ジョージが問うと、
「夏場に野外でロックフェスとかが行なわれるんですよ。音楽を使った一種の祭りです」
「なるほど。だがここは、殺し合いをし、それを観客が見物する祭りなわけだ。できるだけ生き残ることを考えろよ」
 そのジョージのアドバイスには、万城地は片頬を歪めてみせただけで、答えなかった。
 ジョージは控えの間のドアを開け、表に向かって歩き出した。それを目にした観客からどよめきが起こった。左側を見ると、室田と桝屋、それにもうひとり、顔に見覚えのない男が入場ゲートに向って歩いている。顔に見覚えがない男が、中村か林なのであろう。さらにシロの戦士に高遠一馬の名がなかったから、シロの高遠一馬は別人であると分かったのだと解釈していた。それがまた中村か林ということになるが、発表されたときの順番とフルネームをコールしたことから、シロの高遠一馬が林信次であり、今歩いている男が中村だとみていた。ただ林とカムイの生死は不明だ。
『本日は高遠一馬様がご光臨なさいます』
 エンジェルボイスがそう告げると、大きなどよめきが起った。まるで会場自体が揺れているかのようである。それでなくとも、炎岩病によって、この地の住民全員が死に絶えてしまう恐怖に怯えていたのだ。そこへ救世主との噂がある高遠一馬の参戦である。否応にも盛り上がるというものだ。観戦者の中には肩を叩き合って喜んでいる者の姿すらあった。
『今回の特別ルールの一をご説明いたします。皆様、お近くのディスプレーをご覧下さい』とエンジェルボイスが告げた。
 音こそ出ていたものの、画面は真っ黒であったディスプレーが、今は青い波が揺れる映像を映し出していた。その上部に一からゼロまでの数字が並んでいく。
『この十個の数字にそれぞれ固有の戦士の名を当てはめます』
 数字の下に今回の参加者の名前が次々と表示されていく。
『観客の皆様は、誰が生き残るかを、この数字を使って賭けていただきます。最初の持ち点は五点です。お手元のレシーバーにダイヤルモードのアプリをご用意いたしました。賭ける戦士のナンバーを押し、プラス評価ならば♯を、マイナス評価ならば*を続けて押して下さい。そのような評価を集計し、戦士が身につけている戦闘服によってハンデキャップをつけ、実際の戦闘が行なわれます。皆様には、賭けた戦士の戦いの結果に応じて、プラス評価とマイナス評価が返ってきます。プラス評価が増えていきさえすれば、生き残れます。マイナス評価が続き、持ち点の五点すべてを失われた観客の皆様は、死を賜り。終焉いたすこととなります。肉体でもって実際に戦う戦士だけでなく、観客の皆様も、この戦闘に参加していただけるという画期的なシステムです。それでは皆様のご武運をお祈りいたします』
 改めてファンファーレが鳴り響くと、ジョージたちが乗っていた入場ゲートのリフトが下降し始めた。
 ちょうど東の空に月が現れたところだった。
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