2 / 17
【弐】
しおりを挟む私は混乱していた。
なんか…私が口説かれているような気がするのだけど。吹雪さんは吉原の遊女さくらに恋をするというのに、何故私の手を固く握っているんだ。
私、ちょい役だよ? 2話くらいで出番終えた役。あなたが愛の告白するのは別の……あ、まさか吹雪さんは、あわよくば私の婿となり、大商家であるウチを牛耳って、さくらを身請けする金を狙っているの?
……つまりこれはやっぱり逆玉狙い!!
「亜希ちゃん、奇遇だね。こんなところで何をしているの?」
私がぴーん! と閃いていると、感情を抑えた低い声が私と吹雪さんの間に流れた微妙な空気を切り裂いた。
「忠お兄様!」
「チッ…!」
「舌打ちなんて行儀が悪いよ吹雪君。亜希ちゃんが真似しちゃうだろう?」
思っていたより声が大きくなっていたのかしら。忠お兄様に存在を勘付かれていたらしい。失敗した。
吉原の外からでられない遊女・さくらは1人その場にぽつんと残されたままこちらを見つめていた。きっと忠お兄様を見つめているのだろう。
運命の女性を放置だなんてマズいと思うの。
「お兄様、あちらの女性はよろしいの?」
「あぁ、いや彼女は…」
「真っ昼間からお盛んですねぇ、吉原で郭遊びですか? 海軍はよほどお暇なんですねぇ」
「…違うが。君は何かを誤解しているな?」
ぴしりとひび割れた音が擬音として聞こえてきたような気がした。彼らはお互いの姿を目に映すと、表情を険しいものにさせた。
この2人…仲悪いんだよねぇ…いや、あのドラマでも恋敵同士だったし、けっして仲のいい間柄ではなかったけども……ドラマの舞台が始まる前から仲悪いんだな。
2人は私を間に挟んで睨み合っている。平和に行こうよ、平和にさ。
吹雪さんは貧乏な長屋で育った苦学生だ。食べるのも飲むのも苦労して、努力して大学に通えるようになった人なのだ。生育環境もあまりよろしくなかった。
そんな彼は花形の海軍である忠お兄様を妬んでしまうのは……仕方がないのかな。海軍エリートといえば、天上人のような存在だもの。少なくとも一庶民から海軍のエリートへの道を進むというのは苦難の道かと想像つく。
…誰にだって僻んでしまう心は生まれてしまうもの。
だけど吹雪さんは誤解している。忠お兄様だってぬくぬく育ったわけじゃないのだ。
忠お兄様はいわゆる庶子、なのだそうだ。どこそのお偉いさんのお妾さんから生まれた子ども。今では海軍軍人としての肩書があるお兄様は堂々としていらっしゃるが、昔は妾の子として肩身狭そうに生きておられたのだ。
私の母と忠お兄様のお母上は幼馴染で、お兄様達の不遇を聞いた私の母が気を遣って家に招くようになった。
そこから私達の交流が始まったのである。私と忠お兄様は年の離れた兄妹のように育った。私は一人娘だけど、お兄様がおられたから、全く寂しくはなかった。
ちなみに私が勉学に目覚めたのはお兄様の影響である。この時代娯楽はないに等しい。そうなると私は勉強の楽しさに目覚めてしまったのだ。
その辺の女の子のようにお人形遊びをしたり、お嫁さんに憧れたりするわけでもなく、勉強に没頭する私を心無い人が「女の子らしくない」という人もいたが、忠お兄様はいつだって「亜希ちゃんはすごいね、賢い女の子だ」と褒めてくださった。
私はお兄様に褒めていただけるのが嬉しくて更に頑張った。
忠お兄様はすごいんだ。帝大を優秀な成績でご卒業された後は、ストレートで海軍に入隊して、エリートコースを進んでいらっしゃる。
身長は190cmを超える巨体で、パッと見だと威圧感がすごいけど、すごく、すごく優しい方なの。勤勉でいらっしゃるし、私をレディ扱いする割には、色眼鏡で見たりしない。
お顔立ちは精悍でいらして男前。本当に本当に素敵な人なんだ。
……最初に、『本当のお兄さんのように思っている』と言ったけど、あれは嘘だ。そう思い込もうとしているに過ぎない。
私はほのかな恋心を忠お兄様に抱いていた。だけど私は彼よりも10歳下。子ども過ぎた。
将来有望で素敵なお兄様は女性によくモテる。私などお呼びではないのだ。
──彼には運命の女性がいるとわかっていた。だから、諦めたのだ。
私は戦う前から退いた敗走兵なのである。笑えばいいさ。
だって、運命の人に勝てるわけがない。
大門前でこちらを切なそうに見つめている遊女・さくら。あのドラマの主人公である彼女は色っぽく、男性が好むような従順な女性だ。男のように勉学に励み、どちらかといえばお転婆な私とは正反対だ。
彼女は、忠お兄様のそばにいる私を見て……ギッと睨みつけてきた。
「…え」
あれ、今私睨まれた? 目の錯覚かな。
まぁ、でも好きな男性のそばに他の女がいたら嫉妬で睨んじゃうこともあるよね……ちょっと、あのドラマの“さくら”とイメージが違ったからびっくりしちゃったけど。
あのドラマで、忠お兄様に恋をした“さくら”は突然現れて牽制してきた“亜希子”にも恐縮した様子だった。
『忠お兄様は日の本をお守りするためにとてもお忙しいの。文などを送ってお兄様の気を引こうとしないで。お兄様の負担になっているのを自覚してちょうだい』
…と“亜希子”から釘を差された時ですら、“さくら”は負い目を感じて、忠お兄様から離れようとしていたもの。
“さくら”からの恋文が途絶えたことで、忠お兄様が異変を感じて、その後話がこじれるが……結局2人の恋の炎が燃え上がり、二人の絆が強くなるという展開だった。
つまり“亜希子”はライバル役というより、彼らの恋の炎を更に炎上させるマッチ役なのだ。
私はマッチ売りの少女ならぬ、マッチ本体なのだ!
ただでさえ遊女という立場のさくらは自分の身分に負い目を感じていた。吉原全盛期の江戸時代ならともかく、大正時代の遊女は下に見られがちだったからだ。
嫉妬して睨みつける、普通の女性の反応としてはなにもおかしいことはない。きっと好きな男性のそばにいる女として警戒されているのだ。だから私を睨んだのだ。
恋する女性だもの。仕方がないよね。
でも、安心して欲しい。私は身の程をわきまえている。
“さくら”の運命の人を奪えるだなんて思っていない。私は自ら太陽に近づくおろかなイカロスではないのだ。
ダメだとわかっているから妹ポジションで我慢している。これ以上忠お兄様を好きになったりしない。自分が苦しいだけだから私はこの感情を見て見ぬ振りする。
私は親の決めた相手と結婚する運命になるであろう。その相手と幸せになるんだ。それがベストな答えなのだ。
「亜希ちゃん、いつまでもここにいるのは良くない。おいで、新しく出来たカフェーに連れて行ってあげよう」
「えっ」
私が1人考え事をしていると、忠お兄様から手を握られて、カフェーに行こうと誘われた。
か、カフェー…いち女学生として、はしたないから1人では行けない大人の社交場…!
行きたい。あそこにはアイスクリンがあるのだ。あまり時代考証されていないドラマの舞台とはいえ、その辺りは大正時代と同じような文明なのだ。甘味に乏しいこの時代でアイスクリンは贅沢品扱いなのである。
「あ、アイスクリン…食べても良い?」
「いいよ、何でもお食べ」
私が恐る恐るお伺いを立てると、忠お兄様は優しく微笑んで、心強いお言葉をくださった。
やったぁアイスクリンが食べられる!!
目に見えて嬉しそうな私の様子がおかしかったのか、忠お兄様は目を細めて見つめてきた。その目を直視した私はトクンと胸が高鳴った。
……その目だ。時折私に向けてくるその瞳は優しげに見えて火傷しそうに熱い。忠お兄様がそんな目で見つめるようになったのはいつ頃からであろうか……妹扱いだったのが、いつの間にかレディ扱いに変わり……自惚れそうになるところを既のところで押し留めている。
そんな目で見つめないでほしい。私は必死に恋心を抑えているのだから。
「色気より食い気のお嬢さんを甘いもので釣ろうという魂胆ですか?」
「ちょっと吹雪さん! それは私に失礼ですよ!」
私がときめきを抑えていると、横から吹雪さんが割って入ってきて、私に対して失礼なことを言ってきた。
否定できないけどひどい。私だって年頃の乙女なのだ。暴言は控えてもらおうか!
私が吹雪さんに前言撤回してくれと訴えていると、くいっと手を引かれた。
顔を上げてみれば、忠お兄様が苦笑いを浮かべていらした。
「さ、亜希ちゃん、行こうか」
あ、そこは否定してくれないのか。忠お兄様も私が食欲旺盛な花の女学生だとお認めになられているのね。
ちょっとショックです。
10
あなたにおすすめの小説
もう何も信じられない
ミカン♬
恋愛
ウェンディは同じ学年の恋人がいる。彼は伯爵令息のエドアルト。1年生の時に学園の図書室で出会って二人は友達になり、仲を育んで恋人に発展し今は卒業後の婚約を待っていた。
ウェンディは平民なのでエドアルトの家からは反対されていたが、卒業して互いに気持ちが変わらなければ婚約を認めると約束されたのだ。
その彼が他の令嬢に恋をしてしまったようだ。彼女はソーニア様。ウェンディよりも遥かに可憐で天使のような男爵令嬢。
「すまないけど、今だけ自由にさせてくれないか」
あんなに愛を囁いてくれたのに、もう彼の全てが信じられなくなった。
私の願いは貴方の幸せです
mahiro
恋愛
「君、すごくいいね」
滅多に私のことを褒めることがないその人が初めて会った女の子を褒めている姿に、彼の興味が私から彼女に移ったのだと感じた。
私は2人の邪魔にならないよう出来るだけ早く去ることにしたのだが。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ
みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。
婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。
これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。
愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。
毎日20時30分に投稿
銀鷲と銀の腕章
河原巽
恋愛
生まれ持った髪色のせいで両親に疎まれ屋敷を飛び出した元子爵令嬢カレンは王城の食堂職員に何故か採用されてしまい、修道院で出会ったソフィアと共に働くことに。
仕事を通じて知り合った第二騎士団長カッツェ、副団長レグデンバーとの交流を経るうち、彼らとソフィアの間に微妙な関係が生まれていることに気付いてしまう。カレンは第三者として静観しているつもりだったけれど……実は大きな企みの渦中にしっかりと巻き込まれていた。
意思を持って生きることに不慣れな中、母との確執や初めて抱く感情に揺り動かされながら自分の存在を確立しようとする元令嬢のお話。恋愛の進行はゆっくりめです。
全48話、約18万字。毎日18時に4話ずつ更新。別サイトにも掲載しております。
【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる